第1回
奥能登の寒山拾得
2026.07.08更新
本日から猪瀬浩平さんによる新連載が始まります。
猪瀬さんは、文化人類学者であり、埼玉県南部の「見沼田んぼ福祉農園」の活動に関わりながら、社会的排除や包摂、障害や福祉、ボランティア、人間以外を含めたさまざまな他者とともにある世界について、考えてこられました。
2023年11月には著書『野生のしっそう――障害、兄、そして人類学とともに』がミシマ社から刊行され、発売直後から現在に至るまで大きな反響が寄せられています。(本書についてはこちらもぜひご覧ください。)
本連載ではその延長線上で、人と人がともにあることの意味、そうしてなにかが起きていく土壌について、「ちぐはぐなつながり」という言葉を手がかりに探っていきます。職場、友人、地域社会、家族、ボランティア組織、自治会、同じ店に居合わせることや道端で話しかけられること・・・私たちのまわりに広がるさまざまな「つながり」に重ね合わせながら、ともに考えていただけたらと願っています。(ミシマガ編集部)
コミュニズムから、ちぐはぐなつながりへ
これは、ちぐはぐなつながりについての物語だ。
世界は、見返りを求めない行為にあふれている。それは、聖人君子の専有物ではない。わたしを含めたほとんどすべての人達が、見返りがなくても様々なことをやる。本当に見返りを求めていないこともあれば、見返りがあるよりももっと早く、次のことをやってしまうこともある。
重要なのは、見返りを求めない行為が、多くの場合ちぐはぐさを生むことだ。ちぐはぐさが見いだされなくなったとき、その行為は聖人君子のものになって崇められる。
<わたし>たちは、聖人君子と凡愚のいずれかではない。その間で揺れ動く、雑多な存在である。
***
わたしの身近なある人のことをおもう。
その人が畑の草取りをする。みんながおしゃべりに興じているときも、同じ場所で黙々と草をとる。そのことの見返りは求めない。
同じ人が、誰も見ていない時に新聞紙に火をつける。焚火をしたかったのだけれど、うまく火が管理できるわけではない。それをとがめられ、一人で火おこしをしないようにと注意される。
草取りをすることの見返りに、焚火を楽しもうとしたわけではない。ただ草をとり、ただ焚火をする。しかし、焚火をすることの危険にのみ、わたしたちは意味を与えてしまう。黙々と草取りをする人ではなく、一人で焚火をしてしまう人だと思ってしまう。そして、見返りを求めずに草取りをしたことは、忘れてしまう。
***
デヴィッド・グレーバーは、「各人はその能力に応じて[貢献し]、各人はその必要に応じて[与えられる]」という原理が、実は資本主義の中でもしぶとく生きていること、それどころか、実はそれなしには資本主義が機能しないという言葉を残している(グレーバー:142-144)。水道の修理をしているときに、同僚にスパナをとってくれという。頼まれた同僚は、見返りは何かを考えることなくスパナを渡す。それが最も効率的だから。頼んでスパナを渡してくれない職場や、見返りを求められるような職場では気持ちよく働けない。息が詰まり、人は去っていく。同じように、ネジが落ちたら拾うし、落ち込んでいたらそれとなく慰める。休憩時間には場を和ませるように、たわいもない雑談を披露する。同じ組織に所属していなくても、この原理は働く。たとえば、迷っている人に道を尋ねられたら、たぶん二度とあうことはないのに、見返りを考えずに答える。グレーバーは、「各人はその能力に応じて、各人はその必要に応じて」という原理を「コミュニズム(共産主義)体制」と区別し、「基盤的コミュニズム」と呼ぶ。
同僚に言われてスパナをとり、場を和ませるような雑談をするような貢献を、数値化して評価するのは難しい。それでも、いまの組織は何らかの形で数値化するかもしれない。しかし、売上金額や、目標達成率、顧客満足など、すでに数値化されているものの方が、数値化しにくいものよりも、高い価値を持つ。彼がいると場が和む。だけど、彼の仕事の効率は良くない。それによって職場の空気はギスギスする。彼よりも給料が安い若手は、やってはいられないと呟く。周りを和ませるだけなら、同僚や上司、同僚でなくてもいい。そんな人件費をかける余裕は、うちの組織にはない。和むだけなら、組織が用意してくれなくても、アプリで事足りる。
そもそも、和ませることを評価された人が、和むことと対局にあること――「ハラスメント」とも捉えられる行為――をしてしまった途端、その人の評価は地に落ちる。
***
グレーバーの議論は甘美なものに受け取ってはいけない。ただ甘美なものと浸りきったとき、見落とすことがある。「各人はその能力に応じて[貢献し]、各人はその必要に応じて[与えられる]」の難点は、「能力」について定義されていないことだ。要領悪くしかスパナを渡せない人、慰めようとした人を逆に傷つけたり、苛立てたりする人は果たして、どんな貢献を見いだされるのだろうか? 貢献を評価するのは、本人ではない。周りの人たちだ。そして周りの人たちの評価は、空気に流される。会社の業績が悪くなったら、世の中の景気が悪くなったら、持てる者と持てないものの格差が広がったら。ささやかな貢献は、とるに足らないものとして無視されるようになる。
ちぐはぐさという視点は、「貢献」という言葉にかかった負荷を取り除くことにある。
各人は思いつくまま貢献する。
各人は必要に応じて与えられようとする。
だから、ちぐはぐだ。
でもそのちぐはぐさに、意味がある。
この物語が目指すのは、ちぐはぐだけれどもつながっていることの意味を探りあてていくことである[1]。その先で、「貢献」(あるいは能力)という言葉を拡張するのか、あるいは「貢献しなくてもいい」と語るのか、それについては、今は保留しよう。
コミュニズムを「ちぐはぐなつながり」と言い換えたとき、たぶん視野は開ける。そのうえで、強烈な一体感と、強烈な憎しみが広がっていくこの世界のただなかを生きる。
寒山拾得図、横たわる
寒山拾得の掛け軸を見たのは、今年の2月上旬のことだ。
わたしは勤務する大学のボランティアセンターの仕事で、輪島を訪れていた。学生たちと二日間活動し、彼女たちを見送った後、受け入れ団体と打ち合わせをした。そして、前年の12月に出会ったイノイケさんと合流した。イノイケさんの生まれ故郷であり、現在も暮らす、能登半島の先端に近い集落を訪問するためだ。
イノイケさんの車は輪島の街中を抜けて、海岸線を半島の先端に向かって走った。青い空と日本海は美しく、山は海岸沿いを走る道路に迫っていた。ところどころ道路際の斜面が崩壊し、海岸が隆起し、両側通行の道が一車線になっていたり、もともとの道が使えなくて側道を走ったりした。
やがて山道になった。家屋が半壊し、もう人が住んでいない様子や、山崩れの跡が生々しく残っているのが見えた。わたしはイノイケさんの集落が海の近くだとおもっていたのだが、そうではなかった。子どもの頃は海産物を食べることはほとんどなかったこと、年に一回の小学校の学校行事で海まで行ったこと、村人のトラックの持ち主に校長が話をつけて、クラスメート全員荷台にのって海まで行ったことを、イノイケさんは語った。
そして、イノイケさんの住む集落に到着した。集落内の曲がりくねった道を走り、大きな木に囲まれたイノイケさんの自宅についた。自宅につくと奥さんがお昼を用意してくれていた。いただいたカレーライスはとてもおいしかった。
カレーライスを食べ、食後にはコーヒーを頂きながら、一昨年の能登半島地震の時の話や、その後の避難生活の話を聞いた。イノイケさん夫婦が住む地域は大きな揺れが襲った。全壊した家屋は2軒、多くの家屋が半壊した。停電、断水のなかで、集落の集会所に避難した。当時区長だったイノイケさんは、人びとの命と暮らしを守るために奔走した。リビングダイニングの壁にも亀裂が入っているのを、奥さんが見せてくれた。それで災害は終わらなかった。その年の9月には今度は豪雨災害が遅い、この地域の田んぼや水路、その水源となるため池に大きな被害が出た。それ以来、稲作はできていない。
話をしていくと、イノイケさんの遠縁にあたるある男性の話になった。その人は時々この家にやってきて、薪ストーブに薪をくべてあたたまり、コーヒーを飲み、イノイケさんや奥さんと語り、帰っていった。この絵がすごいんだよといって、イノイケさんは、その人が書いた絵を見せてくれた。クレヨンで書かれた絵には、やさしい筆致で山や木が描かれていた。絶対に嘘つかない。100%信用できる。心の綺麗な人。
コーヒーを飲んだためか、話を聞きながら、わたしはイノイケさんの家の木トイレを借りた。暖房が効いたリビングを出ると、廊下は肌寒かった。前日、一緒に晩御飯を食べたときに、「うちは半壊だ」といっていた。客人を泊める離れは取り壊されており、つなぎ目にあたる場所はブルーシートで覆われていた。そこから冷たい空気が入り込む。そうやってなんどかリビングとトイレを往復する中で、小太りの男性二人を描いた掛け軸が床に置かれてあるのに気づいた。はだけた着物を着た一人は、少し笑いながら、右手をあげて月にかかった木を指さす。もう一人は横向きに立ちながら、口をあけて指さす方を見上げる。左手に箒を持っている。
「おれはもう、生きとるか、死んどるかわからない」
リビングに戻ってイノイケさんに尋ねると、それが寒山拾得図であることを教えてくれた。そして廊下に行って、絵を見ながら語り始めた。文殊菩薩の化身である寒山と、普賢菩薩の化身である拾得。子どもの頃から、この掛け軸を見ていた。本当に心がきれいな人は綺麗な顔、綺麗な服装をしていない。親父は顔が怖くて、変な顔の方が寒山拾得図としては良いのだと聞かされて、怖い顔だと思っていたのだけれど、今見ると、やさしいなぁ。
話を聞きながら、イノイケさんがした遠縁の男性の話を思い出した。
その人は、普段畑をしたり、田んぼをしたりしているのだけど、とにかく最後までできない。すごくアイデアマンで、中学校の生徒に田植え体験をやらせようと思って、隣町の校長に話にいった。校長はその案に応答し、中学生たちが彼の田んぼにやってきた。しかし、彼は要領よく指示を出さない。気づけば中学生たちは水の張った田んぼで遊び始めた。見かねたイノイケさんは校長に話をし、校長が指示を出して田植えが始まった。小学生に畑の体験をさせようと思ったこともあるけれど、その時も同じことになった。
その人が地震から10日後にテレビのインタビューを受けた。泣きながら、「俺はもう生きているか死んでいるかわからない」と語った。自分が寄って立つところがなにもなくなってしまった。田んぼもない、家もだめ。だから生きているのか死んでいるのかもわからなくなってしまった。震災の時に、あんなにすごいことをいったのは彼しかいない、とイノイケさんは語った。
寒山拾得とその人が似ていないですかと尋ねると、彼も似たような体型をしています、と言ってイノイケさんは笑った。
注釈
[1] わたしと兄、そしてわたしたちが活動する見沼田んぼ福祉農園を題材にしたEテレの「こころの時代」の題名は、「すれ違う こすれ合う」だった。これはわたしが以前書いた原稿のタイトルによって、ディレクターの浦邉藻琴さんがつけたものだ(猪瀬2020)。「すれ違う こすれ合う」は、「ちぐはぐなつながり」にも通じる。
参考文献
猪瀬浩平2020「すれ違う、こすれ合う。かけがえのなさと切なさ。――『分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる』を書いた先に」『福音と世界』75(2):30-35




