一泊なのにこの荷物!

第7回

2020.10.01更新

 やっほーい、ほほほーい。

 私は山が好きです。山には嫌なところがない。そりゃあ切り立った崖とかは怖いけれど、蛇とか熊に遭遇するのも避けたいけど、昔、猿に、持っていたリンゴを突然奪われたときはめちゃめちゃびっくりして腰が抜けたけど......基本的にはとても好ましく思っています。

 何が良いって、まず山は良い匂いがするでしょう。空気が濃くて、深々と吸い込むと酸素が身体の隅々にまで行き届くのがわかります。湿った土はキノコの香りによく似ていますね。見分けるのに自信がないので採ることはしませんが、キノコが生えているのを見るのは好き。あのユーモラスな佇まいは、間違えて地球に来ちゃった宇宙人みたいな、へんな存在感があります。

 それから朽ちた木や岩を覆う苔。私の苔好きは小学生のころからですが、今でもちっとも飽きないし、見れば見るだけ好きになります。最近では山へ行くのは苔を見るため、と言ってもいいくらい。ふさふさだったりさらさら、すべすべだったり、種類によってずいぶん触り心地も違うのですが、みなさんは苔に触れてみたことはありますか? 傷つけたり剥がしたりは良くないけれど、撫でる分には、苔の状態によっては胞子が飛ぶのを促すことにもなるので、迷惑にならないどころか、むしろ感謝されるかもしれません、と以前苔観察ツアーに参加したときにガイドさんから聞きました。

 しかも苔は山の木々にとってのゆりかごの役目もしているのです。

 というのは木の実、種子が直接地面に落ちると、土にある雑菌にやられて発芽しなかったりするのですが、苔むした倒木に落ちると草に覆われたりすることなく太陽光を得られ、また苔の湿度に守られてすくすく育つことができる......この現象を倒木更新と言うのですが、山の循環に大きな役割を果たしているのです。偉いでしょう?

 苔を観察するときには水スプレーとルーペを持って行くのがおすすめです。苔に水分を与えてルーペで覗くと、ちいさなレンズの向こう側にめくるめく魅惑の世界が出現します。大げさではなく、1時間で10メートルも先へ進めないくらいに没頭してしまいますよ。水気を含んだ苔はうるうるきらきらと輝き始め、まるで自ら発光しているよう。至近距離から見ると形はどれも個性的で、繊細なガラス工芸品を見ているような気がしてくるはずです。苔の観察を一度もしたことがない方や、特に、じめじめしたところにあるから気持ち悪いと敬遠されている方は、是非覗いてみて欲しい! ミクロの世界に夢中になること請け合いです。

 私のお気に入りはカギカモジゴケ、タマゴケ、フジノマンネングサなど。タマゴケは目玉おやじみたいな胞子体が出る時季があり、実物を見るとほんとにかわいくて笑えてきます。今までで一番感動したのは北八ヶ岳で見たミズゴケの一種で、手を奥深く差し込んでみるとなんと深さ30センチ近くもありました。大きな岩に密集していたのですが「完璧にセットされたアフロヘアー」といった感じで圧巻でしたよ。こういった苔が見られるのは、山でも割と標高が低めのところ。森林帯、と言えばいいのかしら。

 もちろん、頂上を目指す登山も好きです。うちの母が登り始めたのがきっかけで、二十歳くらいからもしもの時の荷物持ち係としてお伴するようになりました。京都の愛宕山、滋賀の伊吹山、八ヶ岳の縦走。テレビの仕事でも登りました。北海道大雪山の赤岳に夏のお花畑を見に行ったり、屋久島の太忠岳たちゅうだけに登ったり。屋久島は太鼓岩という場所から眼下に広がった一面の桜の景色が忘れられません。アメリカ、アパラチアントレイルでは山小屋前で巨大なムース(ヘラジカ)に遭遇も! 何がびっくりしたって、シカというのにウマみたいな顔だったことに衝撃を受けました。

 何年経っても、山での体験、一緒に登ってくれた先生やガイドさんたちのことは瞬時に思い出すことができます。背中の荷物を軽くするために先に自分の持っているおやつを食べてもらいたくて押し売りのようにすすめ合ったり、猛獣のようないびきをかく人と激しすぎる歯ぎしりの人がロケ隊にいてこのふたり以外一睡もできなかった事件が起きたり、周りは魅力的な山だらけなのに二日連続で同じ山に同じルートで登らなくてはならなかったりと、寝食を共にしながらの山行きは面白い思い出がいっぱい生まれるのです。

 山登りの魅力は、頂上についたときの達成感以上に、コツコツ地道に上り下りをする、これに尽きるような気がしています。日常生活では効率とか、スピード感とかが重視されがちですが、山では焦ってはいけないのです。

 急勾配のポイントで岩や木の幹に取りついて登って行くとき、また、下りでもごろごろ石や木の根が地面の上に広がっている登山道を、足の置き場を見定め、一定の速度で歩いていくことが楽しくて仕方がない。私は決して運動神経は良くないのですが、この足の位置取りは瞬時に的確にできるので、一緒に山へ行く人からはよく驚かれます。野性味あふれるおかんの影響で、子どものころから足場の悪いところをさんざん歩かされたからなのかもしれない。

 心拍数を上げすぎないように、また足首や膝などにかかる衝撃をいかに身体全体に分散していくかなど、山の中では延々と体力テストをしているようなものですね。怪我をせずに、身体を雨や汗で濡らさないように、水分とエネルギー源を適度に補充しながら安全に登って安全に下りる。山は身体能力と精神力も養われるとてもいい場所だと思います。

 京都に暮らすようになってああ嬉しいな良かったなと思うことのひとつに、日常的にそこに山が見えている、というものがあります。中でも親しみのある風景は大文字山から比叡山に繋がる稜線。賀茂川の右岸からいつも眺めています。それから北大路橋のあたりから賀茂川の上流方向を見るのも好き。川の流れの奥に緩やかな穏やかな山並みが見えます。一方、比叡山は大きいので、山そのものが映画館のスクリーンを見ているような気持ちになります。天気や時間、季節で見え方がどんどん変化していくのがドラマチックだなあと思う。雲が低く垂れ込めている様子もかっこいいし、秋の西日を受けて赤く燃えるような色になる時間も、冬枯れの色も、青葉の頃も、みんなみんな美しい。山のある風景、日本全国に好きな場所はたくさんあるけれど、京都の山並みは私の今の心持ちにぴったりくる。気張らずに向き合える、家族のような存在です。

本上 まなみ

本上 まなみ
(ほんじょう・まなみ)

1975年東京生まれ、大阪育ち。俳優・エッセイスト。長女の小学校進学を機に京都に移住。主な 出演作に映画『紙屋悦子の青春』『そらのレストラン』、テレビドラマ『パパがも一度恋をし た』、エッセイに「落としぶたと鍋つかみ」(朝日新聞出版)、「芽つきのどんぐり 〈ん〉もあ るしりとりエッセイ」(小学館)、「はじめての麦わら帽子」(新潮社)、絵本に「こわがりか ぴのはじめての旅。」(マガジンハウス)など。京都暮らしのお気に入りは、振り売りの野菜、 上賀茂神社での川遊び。

写真:浅井佳代子
公式サイト「ほんじょのうさぎ島」

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