一泊なのにこの荷物!

第1回

ごあいさつ

2020.04.15更新

「おとうさん、はかどってよ!」

 この四月に小二になったばかりの息子が背後で叫ぶのです。

「(仕事が)はかどらない、はかどらない」と日々ボヤく父の言葉を受けてのこと。

 新学期平日昼間になぜ少年が背後にいるかというと、新型コロナの猛威によるものです。

 父がどんなに原稿書きでぱつんぱつんになっていようとも、このちびっこはかまわずまとわりついて来ます。おなかがぷくっと出て、けれども全体は男子らしく固く、抱き上げると犬を持ち上げたよう。娘はぐにゃーんと伸びて猫っぽかったので、このあたりに性差を感じます。

 ちびっこと言ってもそれなりに背は伸びていて、四年前の体型はテントウムシ、三年前はカメムシ、一昨年はコガネムシ、昨年はメスのカブトムシだったのが、今年はメスのクワガタと、ややタテ長になりました。が、やっぱりまだまだ"コロコロコミック"って語感のカラダです(関係ないけど、この少年マンガ誌、よいネーミングである)。

 ひつこくまとわりつくのは父を慕っているからではなく、ただただ父の意識が自分に向いていないのが面白くないからにほかなりません。それが証拠に、仕事を中断して「ほな遊ぼか」となると、ぷいっと去ってゆく。去ったさき、階下のダイニングではやっぱり原稿のはかどらない母の背中への登攀を試みています。

 ヘソ曲がりの性格、腹立たしい限りですが、ぼくに似た。しゃーない、と嘆息するのみである。

 昨年末、四年務めた『暮しの手帖』の編集長を降りて、手帖社を退社。東京にサヨナラし、京都に帰ってきました。最後の号となった3号(冬号)の編集後記では(えらそうに)こう書いています。

主たる理由は、家族のいる京都中心の生活に移りたいと望んだということです

 ......なのですが。

 ここまで一緒にいたいわけではなかった!

 ソーシャル・ディスタンスを意識した行動が屋外では推奨されていますが、無論わが家にはディスタンスというものはかけらもありません。特に息子は上記のごとく目覚めたときから眠りに落ちるまで、びたっと両親にくっついてきます。寝るときでさえ、足を乗せてくる。

 妻が「分離不安かなあ」とえらそうな心理用語を使ったので、ぼくは「うむ」とうなずきながら、あとであわててパソコンで調べました。

生後六か月から三歳までの児童には一般的にみられる兆候であり病的なものとみなすべきではない

 え、うちのぼん、もう七歳やでえ! でもまあ東近江の母に言わせると、ぼくも小学生までおっぱいを吸ってたというからなあ。しゃーない。

 中二になったばかりの娘がここぞとばかりにぐーたらぐーたらしているので、勉強を教えることにしました。

 数学や理科は父も苦手なので、ひとまずは社会――日本史から。教科書を広げながら、受験時代を思いだし思いだしの講義です。

「藤原氏がやったのが摂関政治で、摂政とは天皇がちっちゃいときに、おっきいなったら関白になるってやつ。むりやり娘を天皇家に嫁がせて......」とか語りつつ、父はこう付け加える、「だいたい日本の権力者は、自分が立派なことを示すのにすぐ天皇を担ぎ出すねん」

「なんとかの乱、変、えきは、甘い汁が吸えなくなった人が暴れたもので、平定後はもっと強固な管理・監視が始まるわけや」

「大宝律令、班田収授法、租庸調に兵役、墾田永年私財法、御成敗式目......どれをとっても、権力者が自分に都合よい立場を確保して、どう庶民からしぼりたてるかに尽きるわけや。ぎりぎりまで、生かさず殺さず......ああ今もやねえ」

「鎌倉時代初期は、民衆は幕府と朝廷と二つから年貢を取り立てられてたんやで......まあ今かて国税も地方税も取られてるし、消費税上げられたし、年金もていのいいごまかしやろし......うーん今のほうが巧妙で租庸調よりひどいかもしれへんなあ」

「末法思想。絶望した庶民に残されたのは神だのみ、たいがいみんな宗教でごまかされるねん」

「守護も地頭も、京都の六波羅探題も警察、機動隊みたいなもんや。権力者は自分の身を守るために警察とか検察の力を強化して手なずける......そういえば今も検察人事を......」

 云々(首相は「でんでん」と読んではったな)。

 娘への授業のつもりがじょじょにボヤキ講演と化す。だが娘よ、かくも勉強とは大事なことなのだ。歴史を学ぶとは「為政者に気をつけろ」とイコールである。というわけで、ぼくにも新学期到来の、不思議な春なのだ。

 あれあれ、「ごあいさつ」のつもりがこんな内容に。京都生活スタート、のんきなエッセイのはずが......しゃーない(よね?)。

 こんなぼくでありますが、みなさん、これからどうぞよろしく。くれぐれもカラダとココロの健康第一で! よい夏が巡ってきますように。

「おとうさんおとうさん!」おお、また息子がどたどたと背後に接近してきました。「おとうさん、今日はユダンしていこう!」

 クワガタよ、昨今はそういうわけにはいかないのだよ。

本上まなみさんによる
「ごあいさつ」はこちら

澤田 康彦

澤田 康彦
(さわだ・やすひこ)

1957年滋賀県生まれ。編集者・エッセイスト。1982〜2010年:マガジンハウスにて、「BRUTUS」「Tarzan」等を編集。2015〜2019年:「暮しの手帖」編集長。2020年より家族の住む京都に戻る。近年の編集本に「戦中・戦後の暮しの記録」(暮しの手帖社)、著書に「ばら色の京都 あま色の東京」(PHP研究所)、「短歌はじめました。」(穂村弘、東直子との共著、角川文庫)など。最新刊は「いくつもの空の下で」(京都新聞出版センター)。京都暮らしのお気に入りは、入山豆腐店の朝イチの豆乳、美山の由良川。

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