民論民論

第2回

補欠と民族共同体

2025.12.08更新

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 中学校から高校までの六年間、私は島根県内有数のソフトテニス部の補欠だった。強いチームに所属していることは誇りだったが、練習は軍隊のように厳しかった。私たちはまるで徴兵期間のように練習に没頭した。だが、実力がものをいう世界で私はレギュラーの座を射止めることは最後までできなかった。
 補欠は、試合中、大声での応援とレギュラーのケアに徹する。目のまえで同級生たちが活躍する誇らしさは、悔しさに塗りつぶされた。学校の体育館での表彰式にはレギュラーしか出席できず、補欠は壇上のレギュラーを見上げて、拍手をすることしかできなかった。
 中学校のあるとき、顧問の先生に呼び出された。いよいよ自分もレギュラーかもしれない、と期待を高めていったら「クリスマス会を企画せよ」という指令だった。気を取り直して、チームに貢献できるチャンスだと思い、私は熱心に企画を練った。なかでも盛り上がったのは私の発案の相撲大会。優勝者は最後、顧問と相撲をする権利を獲得した。みんなで笑いころげながら、楽しい時間を過ごしたことはいまでも記憶に残っている。また、職員室で顧問の事務仕事を手伝うこともあった。仲間が練習しているあいだに職員室でハガキを印刷する自分に違和感を感じたが、まあ、涼しいところにいられるからいいか、と自分に言い聞かせてはなぐさめていた。
 高校では、強い後輩たちが入ってくると、校内試合で負けるので、どんどんと順位が下がっていく。もちろん、自己責任であると思っていた。あきらかに、後輩との実力差があった。毎日縄跳びと筋トレをして、人知れず筋力向上に努めていたから余計にみじめに感じたが、自分の努力が足りないだけだと思うことにしていた。「公平な競争主義」であるという物語を信じることが私のメンタルを救っていたのかもしれない。たしかに、顧問は、だれかをひいきしなかった。選手の株価は日々変動する。成果を残せないレギュラーは、イレギュラーになる。能力を獲得できればいつかレギュラーになれる、という淡い夢は、イレギュラーの多くが共有していた。だが、そこにはイレギュラーはいっそう下手になり、レギュラーはいっそう上手になる「構造」があったことは、いまとなってわかることだ。

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 部活動とは、多くの未成年たちが最初にぶつかる資本主義社会だといえよう。日本社会特有のプレ企業社会だ。その最大の類似点が、レギュラーとイレギュラーに選別されるところである。イレギュラーに位置づけられるということは、顧問やコーチに「おまえの能力はあいつよりも低い」とみなされたことを意味する。おまえたちはチームに不可欠だが二級市民であるとはなかなか明言はされない。とはいえ、この分類は基本的に部の組織化の柱となる。
 純粋な競争主義にみえるが、部の構造も階級に影響を及ぼす。イレギュラーがレギュラーになるためには、努力して練習するしかないが、普段の練習では練習機会も、練習試合や遠征などでの出番もレギュラーのほうが圧倒的に多く、経験も雪だるま式に増えるため、織田信長に対する明智光秀のような存在になるのは、なかなか難しい。顧問もコーチもイレギュラーよりもレギュラーの技術向上に執心しがちだから、イレギュラーは疎外感を抱き続け、次第に固定化されたイレギュラーという地位に安住を始める。一級市民を支えることに慣れる。
 試合中のイレギュラーは、道具を運ぶ、準備する、応援する、イレギュラーのケアをするというところでしか、存在価値を示すことができない。その仕事も「当然」とうけとめられ(自分も当然と思ってきた)、ほとんど礼も言われない。いってしまえば、部活動とは、顧問やコーチである資本家が、レギュラーというホワイトカラーを酷使し、イレギュラーのシャドーワークからチームに不可欠な「やる気」を搾取して運営する、企業のようなものである。
 もちろん、「部活動とは階級社会である」なんて身もふたもないことは、部活動の内部では語られない。部活動は、一種の「運命共同体」だと思われている。イレギュラーがいなければ、レギュラーは競技に集中できない、補欠こそがチームを支えている、という甘言は、顧問の常套句であろう。レギュラーがイレギュラーに同等に接してくれることだってある。お互い仲間だ、という意識は、もちろん会社よりも強い。たまに顧問やレギュラーがイレギュラーのプレーを褒める。合宿を繰り返し、同じ釜の飯を食い続ける。朝から晩まで一緒に練習をしてきたイレギュラーだった仲間がレギュラーを勝ち取り、大逆転で相手に勝ち、チームを勝利に導く。そんなドラマがまれにあるだけで、私たちには甘い空気が流れはじめる。「ベンチに入ろうが入るまいが俺たちは一心同体だ」という空気にほかならない。
 大学の体育会のチームに入ったら関西の三部リーグだった。メジャーでもマイナーでもなく、さらにその下、という感じである。それでも厳しいチームだったこともあり、それなりに真面目に練習した結果、人生で初めてレギュラーになった。いい気分になると思ったけれど、あまりそんなことはなかった。今度はチームが分断されていることが気になってしょうがなくなる。三回生で主将になった私は、今度は、この甘い空気を利用する側にまわった。当然、イレギュラーとして不貞腐れる部員もでてくる。やめたい、という部員もあらわれる。その部員と練習をしたり、モダン焼きの店に行ってじっくり話したりして、モチベーションを高めることも主将の仕事だった。試合のまえには、「俺たちは、先輩が何十年もまえからつないできた、ひとつのチームだ。決して上手ではないけれど、雑草魂で強くなってきた。みんな、ここは全員で勝つ。ひとりひとりできることを全部やろう。イレギュラーもしっかりウォーミングアップをして、いつでも出られるようにしておこう」というようなことを述べて、チームの一体感を高めていく。年季の入った部旗も風にそよぎ、さらに気分が高揚する。
 株価にせよ、受験にせよ、ランキングが前提として動く世界で、それを超える物語を生み出し、一体感を醸成する営みの必要性は、もちろん、部活動にかぎらない。仮に、国民国家にあてはめると、それは「国民」という甘い物語にほかならない。世界資本主義の苛烈な競争がもたらす胃痛、呻き、叫び。私たちの文化、言語、風土の一体感を押し出し、ひびが縦横無尽に走り続ける国家の成員たちの痛みをやわらげる鎮痛剤こそが、一言でいえば「国民」という概念であり、「俺たちはひとつのチームだ」「伝統のあるチームだ」という言葉、現在の日本列島にあてはめれば「日本人ファースト」にほかならない。そして、その鎮痛剤が最も効力を発揮する場面が国家間の戦争であることは、いうまでもないだろう。

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 この種の鎮痛剤の最高傑作は、現代史のなかでは「民族共同体(フォルクスゲマインシャフト)」だろう。ナチスのスローガンである。
 ドイツ語でVolksgemeinschaftと書くが、民、民衆、民族、大衆などを意味する中性名詞「フォルクVolk」と、地縁や血縁に基づいた人間の集まりを意味する女性名詞「ゲマインシャフトGemeinschaft」を合体させた言葉である。私は、ナチス関連の文献を読んでいてこの語と出会うたびに、中高時代の部活動や大学の体育会のほろにがい記憶がよみがえって胸が痛む。「これまでの亀裂や競争や不満はいったん棚に上げて、敵のまえでは一致団結しよう」というあの高揚感である。
 二〇〇一年に刊行された 『国民社会主義百科事典』第四版では[i]、民族共同体とは、「国民社会主義のイデオロギーに覆われた概念であり、人工的で『非ドイツ的』だとみなされる『ゲゼルシャフト』の反対語である」と記されている。ドイツの社会学者フェルディナンド・テンニースによれば、ゲゼルシャフトとは、利益に基づいて人間が集まる共同体のことである。民族共同体は、もともとは、十九世紀末から二十世紀初頭に青年運動などでとりあげられたという。第一次世界大戦のときには、敵に勝つためにはこれまでの党同士の争いをやめて、「ドイツ国民」として一致団結しなければならない、というスローガンとして、「八月の経験」(一九一四年八月にドイツ軍の総動員が始まった)、「塹壕社会主義」と同様の意味で、「民族共同体」を社会民主主義者が用いたという記録が残っている。
 ヒトラー政権が誕生してから二年後の一九三五年に刊行されたラインハルト・ヘーンの『法的共同体と民族共同体』によれば、民族共同体とは「出自、身分、職業、財産、教養、知識、資本におけるすべての違いの否定」だという。これだけを切り取れば、日本国憲法第一四条の「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と似てなくもない。実際、ドイツでは「民族共同体」は、左翼陣営にも右翼陣営にも用いられてきた言葉であり、容易にどちらにも転びうる。だが、民族共同体の理念と日本国憲法第一四条の決定的な違いは、後者に「人種」が明記されていることだ。「出自Herkunft」という言葉に含まれるように思えるが、もちろん、ナチズムの教義では出自には人種は含まれない。あくまで人種内の平等主義が民族共同体の理念である。
 ヒトラーの演説での「民族共同体」の使われ方をみてみよう。政権獲得寸前の一九三三年一月には、ナチ党員に向けて「われわれの運動は、運動を担う組織がその大きさと美しさのすべてにおいて、永遠に揺るがないで闘争心にあふれたナチズムの思想、すなわち来るべきドイツ民族共同体という思想の伝道者であり擁護者である場合にのみ、その存在意義、ひいては存在理由を持つことを認識すべきである!」[ii]と述べている。つまり、政権獲得前から、ナチズムの運動の根本的な思想に「民族共同体」が根ざしていたことがわかる。
 また、一九三四年六月一七日のテューリンゲンの党大会では、「ドイツ民族共同体の運命は、[階級による民族の分断に対して戦ってきた]我々の運動の存在と結びついているが、ドイツ帝国の運命は、ドイツ民族共同体の強固さ次第なのだ」とし、ドイツ帝国の命運が民族共同体にかかっていることがヒトラーによって主張されている[iii]
 スターリングラードの攻防戦でソ連に敗れ、戦争の成り行きに翳りが見えはじめた一九四三年三月二十一日の「英雄感謝の日」という英霊崇拝の祝日の演説でもなお、ヒトラーはこう述べていた。

 真の文化民族の未来は、ユダヤ的ボリシェヴィズムでもユダヤ的資本主義でもなく、国益のために、真の民族共同体という最高の理想に向けてますます努力していくことになる。この目標を当初から掲げていたドイツ国民社会主義国家は、この戦争が終われば、階級対立を完全に解消し、真の社会主義共同体を構築するという最終的な結果につながるプログラムの実現に向けて、これまで以上に精力的に取り組むことになるだろう。

 こう未来を占いつつ、階級社会の解消が国家の最高の理想であることを訴えているのである[iv]

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 以上のように考えていくと、「フォルクスゲマインシャフト」という語を「民族共同体」と訳してしまうと、どうしても抜け落ちる意味があるように思う。すくなくとも「フォルク」は、「民族」でも「大衆」でもなく、社会的特権を持ちえない「民」という一文字の漢字に、かならずしもピッタリとあうわけではないけれど、近づいていくように私は考えている。
 基本的に資本主義社会がもたらした「階級の分断」という現実があるからこそ「フォルクスゲマインシャフト」がドイツ社会で生きたのだとすれば、それは、「フォルク」つまり、着ている服の高価さ、住んでいる家の大きさ、もらっている給料の多さ、働く時間の過酷さなどによって規定されない、普通の人間たちの「平凡さ」に訴える力があったからだろう。社会主義者のように階級闘争によって階級の格差を解消するのではなく、服脱いじゃえばみんないっしょ、ただの人間だもの、というくらいの肌感覚が、ナチスのイデオロギーの基層に刻まれているように思えてならない。
 たとえば、一九三三年十月一日に、ヒトラーとゲッベルスは、同じテーブルで各地の農民たちと一緒にアイントップという料理を囲んだ。それは、食糧庫の残りの野菜をドロドロになるまで煮込んだような貧しい、しかしながら、伝統ある平凡な料理であった。日本でいうならば、雑炊である。ナチ党機関紙の『フェルキッシャー・ベオーバハター』(民族の監視兵)は、ヒトラーとゲッベルスが農民たちとアイントップを食べている写真を掲載した。まさに「平凡な人たちの共同体」の演出である。
 つまり、たとえば詩人の相田みつをの「だって人間だもの」の精神から民族共同体までの距離はそれほど遠くないのである。「だれもが人間なのだから、弱いところも醜いところもあって当然ですよ」という彼のメッセージはたしかに実際の弱肉強食の競争社会のオアシスにほかならない。傷が癒えていくような気分さえ抱くかもしれない。
 しかしながら、「みんなおなじ平凡な人間だもの」というそれ自体否定できない考え方は、「みんなおなじ種類の動物、ホモサピエンスだもの」を経て、「あの人たちとは違って、私たちは普通の人間だもの」、そして「私たちは均質で健康な人種だもの」に容易にスライドしうる。いや、スライドしてきたことが世界現代史の主な流れであった。反知性主義と社会の存在の否定と国民の存在の前景化が、入り込む余地が生まれる。つまり、あらゆる社会的属性を省いた裸一貫の民は、一義的には食べて寝て子どもをつくる生物的存在になる。そうなると、それだけでも重要な存在だと認めるためには、生物学的な価値づけが必要となる。いうまでもなく、優生思想や人種主義の登場にほかならない。
 民族共同体と訳されてきた「フォルクスゲマインシャフト」は、これまでライバルで敵対していたチームの選手たちが、今度はナショナルチームとして一緒に戦うときの高揚感に似ているだけでなく、そういった選手たちが彼らや彼女たちを陰で支える補欠たちと生物学的に同質の(たとえば「日本人」の)集団とされて、階級社会が覆い隠されることにも似ている。
 だから、通俗的なエリート批判や安易な平凡さの称揚には、最大限の警戒心をもたなければならない。世界の不平等を克服したようにみせかけて、つぎなる不平等を呼び込むからである。お墨付きなり、なぐさめなり上から降ってくる価値づけからできるだけ免れて、くだらないことや特筆すべきではないことで淡々と過ぎていく毎日を、気づいたらそのままのものとして認めあっているような状態がつづくという奇跡が成り立っているところであれば、民族共同体が入り込む余地は減っていくはずである。
 それゆえに私はこう考える。せめて、日本の企業文化の基底にある日本の部活動や体育会は、もっと補欠の尊厳の回復に努めなければならない。補欠は、顧問やコーチが考えるほどそう簡単に「ワンチーム」の物語に癒されず、自分をさげすむチームに同化できない。補欠の練習時間や試合の経験が自動的に少なくなる「チーム益」優先の構造は、世界の不公平な貿易構造と同様に変えなければならない。同じ場所に集まって体をよりよく動かそうと努力している行為そのものに、もっとおかしみやたのしみを見出していくような、結果よりもプロセスのなかに活動の楽しさを置くことがもっと認められてもよい。能力がないからといって、機会までも奪われてはならないのは、大人の社会と同じだと私は思う。




[i] Wolfgang Benz, Hermann Graml und Hermann Weiß, (Hg.) Enzyklopädie des Nationalsozialismus, Stuttgart, 1997.
[ii] Max Domarus, Hitler: Reden und Proklamationen 1932-1945 : Kommentiert von Einem Deutschen Zeitgenossen, Bd. 1, Erster Halbband, München, 1965, S. 172.
[iii] Ebenda, S. 390.
[iv] Max Domarus, Hitler: Reden und Proklamationen 1932-1945 : Kommentiert von Einem Deutschen Zeitgenossen, Bd. 2, Zweiter Halbband, München, 1965, S. 2002.

藤原 辰史

藤原 辰史
(ふじはら・たつし)

1976年生まれ。島根県出身。京都大学人文科学研究所教授。専門は現代史、特に食と農の歴史。著書に『縁食論』『トラクターの世界史』『カブラの冬』『ナチスのキッチン』(河合隼雄学芸賞)、『給食の歴史』(辻静雄食文化賞)、『分解の哲学』(サントリー学芸賞)、『農の原理の史的研究』『植物考』『歴史の屑拾い』、共著に『中学生から知りたいウクライナのこと』『中学生から知りたいパレスチナのこと』『青い星、此処で僕らは何をしようか』『学ぶとは』など多数。ミシマ社の雑誌『ちゃぶ台』 でも「民」に関する論考を連載中。

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