三流がいいんじゃない? 安田登×内田樹

第3回

三流がいいんじゃない? 安田登×内田樹

2021.07.16更新

98902b49e5ffbbe1fa3e.jpg『三流のすすめ』安田登(ミシマ社)

 明日7/17(土)、安田登先生の新刊『三流のすすめ』がリアル書店で先行発刊となります。そして遡ること1年前の2020年7月8日。凱風館にて、本書ができるきっかけとなった対談が行われました。タイトルは「三流がいいんじゃない?」。安田登先生と内田樹先生によるスペシャルな対談です。内田先生のことを、

思想家でありながら武道家。さらには活動家。そして道場も持ち、寺子屋もし、その他されていることは数え上げたらきりがない。「ビバ!俺んち」と定住者のふりをしながら新幹線に乗りまくる漂泊者。内田樹さんこそ実践する三流人!

と語る安田先生。時空間スケールが壮大、かつ愉快なお二人による三流対談の一部をお楽しみください! 

(構成:田渕洋二郎)

一流の人には国を任せられない

内田 今日のテーマは「三流がいいんじゃない?」ということですが、どうして三流なんでしょう?

安田 僕は、世の中にはひとつのことを一生続けることができる人(一流の人)と、それはできないので、むしろいろいろなことをやってしまったほうがいい人(三流の人)の2種類がいるんじゃないかと思っているんです。

 振り返ると、僕は子どもの頃からあっちこっちに目がいって、親や先生から「お前はひとつのことができない」、「堪え性がない」、「将来ろくな人間にならない」と言われ続けて来ました。世の中のこういった一流信仰ともいうべき風潮に納得がいかなくて、いろいろやることのほうが大事だというエビデンスを、中国や日本の古典を読んで集め始めたんです。

内田 いましたか?

安田 たくさんいました(笑)。中国古典で三国時代の魏の劉 劭という人が書いた『人物志』という本があるのですが、この本は王様から「どんな人物を大臣にすべきか」という諮問を受けた劉劭が書いた本です。彼はまず人を、法律的なことが得意な人、道徳方面に優れている人、権謀術策が得意な人といったように人を12の流(類型)に分けます。そのひとつだけを専門家は劉劭は「一流」と言っています。国を一流の人に任せてしまうと、例えば法の「流」の人にとっては、法に従わないことは絶対ダメ、悪だと考えてしまう。「一流の人」は、その「流」の人しか理解できないので、堅苦しいし、むしろそれによって争いさえ生じてしまいます。二流もちょっと弱い。

 そこで、国を任せることができる人は三流以上の人だというのです。ひとつのことを一所懸命にする人ではなくて、いろんなことをやっていくような人がいいと。

内田 なるほど。

安田 孔子も三流人の代表と言えます。孔子は自分のことを多能であると記しているのですが、それは、若い頃賎しかったからと言うんですね。恵まれた成育過程の人は、ひとつのことをやっていけば生きていけた。しかし、賎しい出自の場合はいろんなことをしなければならなかった。

 また『論語』には、子の曰わく、君子は器ならずという一文があります。「器」というのは、たとえばワイングラスにはワインだけ、ティーカップにはお茶しか入れなかったりと、ひとつの用途に限定されて使われるものです。君子はそうなってはいけない、と孔子は言っている。ひとつの専門家に留まってはいけないんですね。

内田 面白いですね。僕もひとつことに集中できない人間なんです。どんなことをやってもきちんと最後までいかなくて、いつの間にかほかのことに興味が移ってしまう。そして、いろんなことをやっているうちに、まったく違う分野のことの間に、共通のパターンや法則性があることを発見して興奮するんです。ものごとそのものにはあまり興味がないんですけれど、ものごととものごとの間の関係にはすごく興味がある。

80%までやると、突然やる気がなくなる

内田 僕は最後の「詰め」が甘いんです。何をやっても8割くらいまではちゃちゃっと手際よくやるんです。でも、最後の2割の「詰め」の作業でいきなり能率が下がる。つまらなくなってしまうんです。残り2割にこれまでかけた2倍3倍の時間と手間がかかってしまう。それが嫌で、仕事を完璧に仕上げるということがどうしてもできないんです。

安田 すごくよくわかります(笑)。

内田 昔、レヴィナスの翻訳をやっているときもそうでした。翻訳自体は割とすぐに終ったんですが、最後に注をつける作業でもたついてしまった。レヴィナスという人は割とノートを雑につける人らしくて、引用に間違いが多いんです。だから、レヴィナスが引用したオリジナルの文献に全部当たって、一つ一つ照合してゆくと、間違いだらけなんです。間違いと言っても、句読点が違うとか、反対側の頁数になっているとか、そういうケアレスミスなんですけれど、それをチェックするのに翻訳と同じくらいに手間暇がかかった。

 でも、そういう作業って、そんなに意味ないじゃないですか。引用出典の確認に費やしたあれだけの時間を翻訳の文章を推敲することに投じていれば、もっと読みやすい文章にできたわけで、その方が読者にとってはいいことでしょう。だって、引用出典にはコンマがあったとかなかったとか、頁が違うとか、そんなこと日本語訳を読む読者にとってはどうだっていいことなんですからね。でも、学者としての厳密性を追求していくと、こういう作業にとんでもない時間がとられる。

安田 本当にそうですね。80%までやったときに突然やる気なくなるのもすごくよくわかります。なんなんですかね、あれ?

内田 なんなんでしょうね(笑)。

安田 本を書いていてよかったなと思うのは、編集者の人が最後の詰めはやってくれるじゃないですか。これがなかったら絶対仕上がりませんよね。僕は、模型つくっても最後まで仕上がりません(笑)。

 でも逆に編集者なんていらないという人もいる。何でも自分で完成させることができるという人もいますよね。そういう人は一生ひとつのことをやっていける「一流」の人です。世の中には本来、2種類の人がいるはずなのに、なぜか世の中のいろんなシステムが一流に向いている人用にしかできていないような気がして、それはちょっと違うんじゃないかと思うわけです。

三流人は格付けに馴染まない

内田 逆にいろんなことをやっていると、一流の人からは疎まれることもありますよね。

 助手の頃、レヴィナスについて学会発表をしようしたら、指導教官に「やめろ」と忠告されました。「レヴィナスなんて、誰も知らない」と。

 僕は「みんなが知らない哲学者だからこそ紹介したいわけですけれども」と反論したんですけれど、先生は「誰も知らない哲学者で、先行研究がないから、内田の発表がどのレベルのものか点数がつけられないから」と言う。評価になじまないものは発表しても零点だ、と。

 フランス文学では、19世紀文学の研究者がすごく多いんですけれど、これはプルースト研究、マラルメ研究、フローベール研究の分野に世界的な水準の日本人学者がいるからなんです。だから、この分野での研究発表の査定はきわめて厳密で、客観性が高い。秀才たちはとにかく厳密で客観的な査定が欲しい。そうなると、「みんながやってることを、みんなよりうまくやる」ことがいつのまにか目的になってしまう。でも、同じような領域に、同じような研究スタイルの学者がひしめいてしまうと、学問が創造的なものになるはずがない。正確な格付けをめざすと、学問はどんどん息苦しいものになってしまう。格付けなんかどうでもいいじゃないですか。

 でも、僕も三流の人だから、格付けされるのが大キライなんです。だから、コウモリ野郎なんです。鳥の世界にいったら「獣です」と自己申告し、ネズミの世界に行ったら「鳥です」と自己申告する。そうやって、自分だけのニッチをみつける。「お前は仏文学者か?」と訊かれると「いや、本業は別です」と答え、「武道家か?」と訊かれても「本業は別です」と答え、「物書きか?」と訊かれても「本業は別です」と答えて、いつも査定から逃げている。どんなものであっても、ランキングにつけられるのが嫌なんです。

安田 そうですね。

内田 前に、『ガンダム』を描いた安彦良和さんから対談依頼がきたことがあったんです。いったい何の用事だろうと不思議に思った。安彦さんが『虹色のトロツキー』という作品を描いてらして、その登場人物の一人が合気道開祖植芝盛平先生で、物語の中に、満州にユダヤ人のホームランドを建国するという、日本陸軍の一部が構想していた「ふぐ計画」についてのエピソードが出て来るんです。安彦さんはこのマンガを描くために「合気道とユダヤ人問題に詳しい人」に会いたいと思った。僕より合気道に詳しい専門家はいくらもいるし、僕よりユダヤ人問題に詳しい専門家もいくらもいますけれど、両方にそこそこ詳しい人間ということになると日本広しといえどもたぶん僕だけしかいない。

 ある分野の専門家ではないけれども、両方の専門のことが一定のレベルでわかる人となると一気に絞り込まれる。戦前までの日本は、こういう三流の人がけっこういたと思うんですけどね。

安田 そうですね。たとえば『武士道』もそうですが、明治時代の本を読むと、文字通り古今東西、さまざまな方面にアンテナはってますもんね。

内田 そうそう。『武士道』なんて、よくこんなに話を散らかせるなと思う。鴎外や漱石もそうですけども、すぐに話が散らばっていきますよね。『吾輩は猫である』の取り散らかし方が、僕は好きなんですよね。

 漱石は、ヨーロッパの学術と真正面から対峙するわけですけれど、そのときあちらから飛んでくるものを漢籍であったり、能であったり、落語であったり、自分の手持ちのものを繰り出して、さらりと受け流すんですよ。

 漱石も、けっこう中途半端な人なんですよね。俳句は正岡子規からダメ出しされたし、漢詩も名を残すほどでなかったし、英文学も自分で納得のゆく業績は残せなかったし、文学についても職業作家だと思っていたのかどうか。どの分野をとっても、たぶん主観的には「全部、中途半端な旦那芸だった」と述懐すると思うんですよ。でも、その旦那芸の豊かなアーカイブがあったからこそ、巨大な西洋文明を受け止め、噛み砕き、消化し、明治の日本人読者に提示するということができた。漱石の最大の強みは、あのとっ散らかった博識だと思います。

ushidayasuda.jpg(左)内田樹先生、(右)安田登先生

年輪の対立概念が螺旋

安田 僕は50歳くらいから「年輪のない人になりたい」と言っています。「あいつはつるっとした、何の深みのない奴だなぁ」と言われる人に私はなりたい。年輪は1年1年刻まれて、年を重ねるごとに重厚になっていくイメージがありますが、三流の進み方は厚みもないし、深みもない。飽きたらすぐにやめちゃう。でも、一回飽きたものでも、5年とか10年経つとまた興味を持ったりして、螺旋状に上がっていく。だからいつまでたっても年輪にはならないし、深まっていかないのです。

内田 なんとなくわかる気がします。山に登るときは螺旋状に上がってゆきますよね。一周回ると、前と同じ景色が見えるんだけれど、ちょっとだけ違う。高度を稼いだ分だけ、前には見えなかった遠くの山が見えたり、遠くの海が見えたりして、自分がこの地形のうちのどこにいるのかがわかってくる。視点が知らず知らずのうちに上がっていきますね。

 僕はもう古稀なんですけれど、70歳になってわかったのは、16歳ときとあまり中身が変わってないということです。年をとっても人間はそれほど変わらないということが年をとってはじめてわかった。

 23歳くらいのときに、同級生から「内田、お前って本当に軽薄なやつだな」としみじみと言われたことがあるんです。そのときにはじめて「俺はため息をつかれるくらいに軽薄な男なんだ」ということに気づいた。いまさら軽薄な人が重厚になるのは無理だから、軽さや薄さがアドバンテージになるような生き方をしてみようと思った。その結果、できるだけ人と争わず、比べられずに、いろいろなことをつまみ食い的にやってきた。その結果、今にいたるわけです。

安田 いろいろやっていると、「二兎を追う者は一兎をも得ず」と言われることがありますよね。

内田 何回も言われました。

安田 でも「二兎を追う者は一兎をも得ず」を語源から調べると中国の古典にも日本の古典にもないんです。

内田 そうなんですか。

安田 英語を適当に翻訳しただけなんですね。中国古典を調べると『旧唐書』という本があって、その中で「二兎」が出てきて、これは一本の矢で二兎を貫くという言葉が出てくるんです。だから、本当は「一石二鳥」の意味が元々の二兎なんです。

内田 僕も子どもの頃から、どうして自分は一つことだけに集中できずに、あれもこれも手を広げるんだろうと悩んでました。親からつけられたあだ名が「退屈たっちゃん」でした。すぐに「退屈だ、退屈だ」と言い出すから。だから、一兎を追っているとすぐ飽きちゃうんです。追いかける兎を次々と替えてしまう。でも、同時に二兎を追ってるわけじゃないんですよ。

安田 そうなんですよ。一度に追っているのは一兎なんですよね。

理不尽なことにNoと言いたい

安田 先ほど内田さんの仰った、争わないという姿勢は、とても大事ですよね。

内田 そうです。優劣を決するという発想は、道が一本しかなくて、おまえがどかないと先に進めないから白黒つけようという状況から生まれるのだけれど、僕は「あっちの方にバイパスあるんで、僕はこちらで失礼します」と言って別の道に行くようにしている。

 加藤典洋さんに前に「内田君のものを書く姿勢はなかなかよろしい」とほめられたことがあるんですけれど、それは「ものを書いてだめだったら合気道で食うからいいや」というアマチュアリズムみたいなものを指していたんだと思います。アマチュアの物書きだから怖いものがない。

 メディアだけで食っていかなければならない、メディアで干されたら飢えるということだとつらいですよね。うっかり喧嘩できないし、場合によっては批判を控えたりしなければいけない。さまざまなしがらみがある。でも、僕はそういうことをまったく気にしていない。物書きの仕事の依頼がなくなっても、僕はぜんぜん生活に困らないから。

安田 そうです。実はいまのお話は、師匠の鏑木からよく言われたことで、師匠のお父さんは神主をされていて、終戦の翌日に切腹されたんです。だから師匠からよく言われていたのは、そんなふうに切腹しなければならない状況に追い込まれるときもあるから、もし能をやっていてどうしても我慢できないことがあったときは、いつでもやめられるようにほかの道をつくっておけと言われていたんです。

内田 そうでしたか。僕も我慢ということができない人なので、ひとつしか職業がないと不安でしょうがないんです。そこで壁に当たったり、理不尽な目にあったときに逃げ出せませんからね。

安田 そうですよね。そういった師匠の言葉もあって、僕の中に三流への思考がうまれてきた感じがあります。

内田 ひとつの「えさ場」でしか生きていけないというのはリスクが高いですよね。その場所で変なルールが適用されたり、訳のわからないヤツが突然威張りだしたときでも、そこでしか生きていけないということだと、理不尽なことでも従うしかない。でも、米が食べられなくなったら麦もあるし、豆もある。それをあちこちで栽培しておけばいい。

 僕が武道始めた理由はすごく簡単で、身体的な痛みに弱いからなんです。痛みを我慢できない。だから、暴力で人に押さえこまれたら簡単に屈服して、どんな理不尽な要求にも従ってしまう。それが嫌だったんです。理不尽な暴力に対して、最終的にぼこぼこにされるとしても、せめて一矢報いるくらいの抵抗はできるようになろうと思って武道を始めたんです。理不尽に対してはきっぱり「NO」と言いたい。

安田 「NO」言いたいですよね。僕は割とすぐに「NO」言っちゃうんです。以前ある仕事をしているときに、すごく慇懃無礼な人がいて、すぐやめちゃいました。

内田 僕もあまりに失礼なことや不快なことをされると、怒り出すより前に「あ、さようなら」とさっと立ち上がって帰ります(笑)。

安田 それくらいがいいですよね。物事に執着せずに、引くときはさっと引く。それもまた三流の知恵ということで。

ミシマガ編集部
(みしまがへんしゅうぶ)

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