ヒゲのミシマン、紙の神様のもとへ!

第1回

ヒゲのミシマン、紙の神様のもとへ!

2018.05.28更新

 こんにちは。ヒゲのミシマンです。

 先日、ゴールデンウィークのまっただ中、5月3日から5日まで、福井県は越前に行ってまいりました。日本で唯一「紙の神様」を祀る岡太神社を訪ねて。それにしても、かれこれ約20年、出版業を生業としているのですが、うっかりしてました。

 紙の神様、のことを考えたこともなかったのです。

 え、なにそれ? と。やはり、ご存じありませんか。

 いやぁ、それも無理からぬこと。越前を訪れたいまは、ミシマンもそう思います。出版業に携わっている人であれ、紙の神様、ましてや、彼の地における紙のことを考えたり、接したりする機会はめったにない。これが実態だと思われるからです。

 彼の地。そうです、福井県の越前と言えば、和紙の里。

 そして、現代において、「出版業」と言われるときの紙は、洋紙であることが大半です。書店で置かれている本や雑誌を見れば、明らかでしょう。全ページ和紙でできた本を店頭で一度でも見たことありますか? 和紙の産地・越前で祀られている「紙の神様」は、あくまでも和紙を祀る神様であり、洋紙ではありません。

 岡太神社の存在を知らなかったのも無理からぬこと、と思ったのは、普段、自分たちが触れる洋紙を祀っているわけではなかったからです。裏を返せば、そんな「当たり前」のことすら現地を訪れるまでわかっていなかった。

 まったく、うっかりしてました。

 今回、訪れるきっかけとなったのは、デザイナーの名久井直子さんとの雑談からでした。

 「紙の神様って知ってます?」

 はたして名久井さんがこう質問された。・・・のかどうかは、はっきり覚えていません。ただ、その後、「越前に岡太神社というのがあって、今年は1300年の大祭なんですよ」と目を輝かせて語られたことは鮮明な記憶となって刻まれています。

 な、なんと。紙の神様がおられたのか・・・。

 その時点で、自分たちの産業である「紙」を祀っていると思ったため、それは行かねばとすぐに思いました。それにしても、1300年祭とは。んん、1300?

 現在が2018年であるから1300年前は、西暦718年。つまり奈良時代。ネットでちょこっと「奈良時代年表」というのを見てみると、その年「藤原不比等らが「養老律令」を成立させる」とある。不勉強にして養老律令はわからない。ちなみに、古事記ができたのは712年らしい。これならわかる。

 ・・・というか、その養老律令成立の頃に、この越前で神社ができたということか? それ以前に、紙の産業がすでにあったというのか?

 もしそうであれば、うっかりどころではない。知らないことだらけだなぁ。

 全然、原点回帰してないじゃないか、オレ。

 とか思いつつ、一路、越前へと向かったのでした。

 京都から越前までは、名神高速道路を使った場合約2時間半、敦賀まで下道を使って行く場合は3時間半から4時間ほど。今回は、行きは高速を、帰りは下道を使いました。

 5月3日午後3時、越前は岡太神社へ到着。

 近づくにつれ、ああ、ここか、と期待に胸が膨らみます。というのも、いかにも「和紙の里」然としているのです。「然」ってなによ、「わしのさと然」って。とお思いでしょうが、いえ、ほんとうにそんな感じなのです。

 大きな鳥居の手前からそのずっと先にある岡太神社へとつづく道路はベージュ色に舗装されていて、歩き心地もなんだか気持ちいい。その両脇には民家と和紙づくりの工房や関係会社が軒をつらねます。すべての家がそうではありませんが、黒っぽい木造の平屋が多い気がしました。和紙の里然といったのは、規格が統一されているわけではないが、和紙でこの町はできている、生きているという自負を空間全体から感じたからです。それは、テーマパークとは全然違います。観光客向けに「それっぽく」した空間ではなく、それで生きる人たちの生活が息づく空間。そうした空間だけが、醸し出す「然」を感じないではいられませんでした。

 その中心をなすのが、岡太神社。

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 山の麓にどっしり座るその空間に身を入れた瞬間、心身ともに浄化されるようでした。新緑に包まれ、森の精霊たちが駆け回っているんだろうな。ふとそう感じずにはいられない生気と、荘厳さの両方が満ちていました。

 さてさて、3日間の越前滞在で経験したことをざっと列挙します。

5月3日 午後3時半より、湯立の神事。

5月4日 午前9時半より、例大祭。
紙能舞、紙神楽を見学。

5月5日 午前10時より、後宴祭。
渡り神輿
午後は、民芸館で手漉きの実演を見学。

 まず、今回の1300年大祭について簡単に説明します。

 例大祭は毎年のこの時期の祭りと違い、1日多い4日間あります。ミシマンが訪れたのは、5月3日からでしたが、5月2日の奥の院から神輿で御神体をお迎えするところから始まります。また、神輿も例大祭用の大きなものが使われます。ちなみに、例大祭は33年に一度と50年に一度のふたつの周期で開催されるそうです。今年の例大祭は、50年に一度の周期のものでした。33年に一度の大祭は、前回が2006年なので、次回は2039年なのでしょう。

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 ミシマンが目にした最初の神事は、湯立の神事といわれるもの。大釜に煮立つ湯のなかに笹をひたし、その笹を神官、修験者が参拝者に振る。ミシマンも湯の粒を浴びました。熱湯がぴしゃ! あ、熱い、火傷する! と思って待ってましたが、振られる前には温度が下がっているようで、全然平気。何滴か浴びただけなのに、不思議と、心身が清められる気がしました。

 翌日の朝は、紙能舞、紙神楽を見学。

紙能舞とは、 ひとりの少し歳上の少女が素材を渡し、年少のひとりの少女が紙漉きをする。その手順を空で実演する無言舞です。

 実際には素材もなく、紙漉きの機械があるわけではないのですが、2人の少女の動きからは、そこにある、ように感じられました。紙が漉かれ、一枚一枚、折り重ねられていく。その様子が手にとるようにわかる。実に厳かかつ可憐な時間が流れていきます。

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 次に、十数名の少年たちが神殿の前の舞台へ上がってきます。「回れ右、礼!」といかにも学校体育で教わった動きを見せたのは、神事に似つかわしくないように思いましたが(生徒の意思ではなく、教師か誰か大人が「そうさせている」感じが、ということです)、その後に歌ってくれた「紙漉き唄」は見事でした。

一 湯の花神事の紙漉き舞は
  手漉きの手技の紙神楽
  手漉きの手技の紙神楽

 このときは、翌日、この唄を紙漉き職人の本人から聞くことになろうとは思いもよりませんでした。たまたま訪れた民芸館で、中学を出たあと、16歳から紙漉きをされている女性(推定74歳)が、まあ、見事なまでに美しい哀調で、その響きを届けてくれました。とりわけ、ここを歌うときの響きは格別のものがありました。

四  嫁を貰うなら紙漉き娘
   仕事おはでで色白で
   仕事おはでで色白で

五  辛抱なされ辛抱は金じゃ
   辛抱する気に金がなる
   辛抱する気に金がなる

六  朝の一番だてどしゃらと思うた
   これがしまいだてありがたや
   これがしまいだてありがたや

七  神の授けをそのまま継いで
   親も子も漉く孫も漉く
   親も子も漉く孫も漉く

八  紙の習いじゃ来ておくれるな
   お目がちりますじゃまになる
   お目がちりますじゃまになる

九  七つ八つから紙漉きなろて
   ねりの合い加減まだ知らぬ
   ねりの合い加減まだ知らぬ

 自分のこととして唄っておられる。そう思わずにはいられない響きに包まれ、目頭が熱くなったのでした。

 ちなみに、その高齢の女性が唄を聴かせてくださったあと、若手の女性による紙漉き実演を見ることになりました。その方がまたキップのいい女性でした。

「和紙は1000年もつ。そう言われるのは、これ、コウゾを叩いた原料ととろろを練料にしているから。けれど、洋紙は100年も経てば、ボロボロになるでしょう。あれは、化学薬品を使っているからです」

 和紙は洋紙とは違うーー。この堂々たる自負を聞いた気がしました。

 その瞬間、ようやく、自分たちの産業が「洋紙」産業にあることに思い至ったのでした。紙の神様の存在をこれまで誰からも教わらなかったのもむべなるかな。

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 さてさて、明日は、祭りといえばお神輿ですよね。そのお神輿渡しをレポートします。なんと、あの人が担ぐことになったのです!

ヒゲのミシマン

ヒゲのミシマン
(ひげのみしまん)

ミシマ社のメンバーのひとりと思しき人物。しかし、すべては謎に包まれている。

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