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第3回

「死」を前にして変わる古典の読み方

2026.11.07更新

個人にも起きる「諸行無常」

「死」を前にすると本の読み方が変わります。特に古典の読み方が変わる。
 たとえば『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」。
 ここで大事なのは「諸行無常」。

「諸行無常」はただ、「あらゆる物事は常に移り変わる」などという軽い意味ではありません。この「行」は五蘊(色受想行識)の行、サンスクリット語ではサンスカーラ。ふだんは意識していない無意識のような領域を意味します。

 つまり、「諸行無常」とは、私たちが無意識レベルで「当然だ!」と思っていることすらも変わってしまうということを意味します。
『平家物語』は、平安時代と鎌倉時代の「あわい」に書かれました。平安時代は貴族の時代。鎌倉時代は武士の時代。ちょっと乱暴にいえば「優雅な時代」から「暴力の時代」へのあわいの時代。

 なんと言っても平安時代には死刑すらなかった期間が400年くらいありました。むろん、切腹などという野蛮なものもほとんどありませんでした。平安時代末期の戦闘を描く『平家物語』でも、そういう壮絶な死に方をするのは、ほとんど東国武将です。
 この東国武将の世である鎌倉時代になると、武士たちは何かにつけてよく殺戮をするし、切腹もよくする。
「人を殺すことはよくない」という平安貴族たちにとって当然のことが、「人殺しこそが正義だ」という価値観へと大変換。それが「諸行無常」なのです。

 私はそれを大きな時代の変化ゆえのことだと思っていました。しかし、「死」を目の前にすると、個人にも「諸行無常」が起きることに気づきました。
「1年後には自分がいない可能性が高い」、そう思ったときに、いままで当然だと思っていた価値観がどうでもよくなります。
 仕事だってなくなってもいいし、貯金なんてもっと必要ない。人からどう言われようとも関係ないし、どう思われようなんてもっとどうでもいい。

 いままでも頭ではそう思っていましたが、それが実感として迫って来たのです。
 そして、大事なものも変わって来ます。
 でも、それは「人を愛する大切さ」だとか「生きていることの素晴らしさ」なんてものでは全然ありません。そんな甘いものではない。
 が、これに関しては、もう少し整理ができたら書いていきますね。

変化する世界の生き方を教える『易経』

 さて、がんのステージ4を宣言されたときに目の前がパッと明るくなって「桃花源の記」が浮かんだということを前回に書きましたが、実はもうひとつ浮かんだ古典の文章がありました。
 その古典は『易経』です。

『易経』は、古代中国で生まれた占いの書物です。孔子で有名な「儒教」でもっとも重要な書物である「五経(五つの経典)」に入っていますし、時代によっては五経の中でも最重要の書として扱われていました。

 街中で易者の方がジャラジャラやっている、あのもとになっている本です。ちなみにあのジャラジャラやっている竹を筮竹(ぜいちく)と言います。
 しかし、『易経』はただ単に未来の吉凶を占うだけの本ではありません。何といっても、科挙の試験科目でもありました。
 すごいでしょ。古代中国の高級官僚たちは占いの書である『易経』を読み、国家に何かあるとジャラジャラやっていたのです。しかも、これがかなり当たる。
 国家がどんな状況で、それで占いをしたら、どう当たったかというようなことが歴史書である『春秋左氏伝』などに書かれています。

 しかし、「易」の基本的な考え方は「変化」です。「易」という語には「変易」という語があるように「変化」という意味があります。この世界では、あらゆるものが絶えず変化しています。昼は夜になり、夏は秋になり、栄えていたものは衰え、衰えていたものが再び栄えることもあります。

『易経』は、こうした変化を64種類の基本的なパターンで捉え、そしていま自分がどのような状況にいるのか、さらにはその状況でどう行動すればいいのかを考えるための書物です。
 つまり『易経』は、未来を当てるためだけではなく、変化する世界をどう生きるかを教えてくれる本なのです。

「窮すれば則ち変ず」

 さて、がんの宣告をされたときに頭に浮かんだのは『易経』の「繋辞伝(けいじでん)」にある「窮すれば則ち変ず」という文章です。
「繋辞伝」というのは、『易経』に付け加えられた解説のひとつです。
『易経』はもともと占いの書物でしたが、「繋辞伝」では、その占いの仕組みを通して、世界はどのように成り立ち、どのように変化していくのか、また、人間はその変化の中でどう生きるべきかが論じられています

 そこには「一陰一陽、これを道という(一陰一陽之謂道)」や「生生する、これを易という(生生之謂易)」などの有名な言葉があります(あまり有名じゃない?笑)。
「繋辞伝」は、占いの書物であった『易経』を、世界と人間について考える哲学の書物へと発展させました。
『易経』本文が筮竹をジャラジャラやりながら世界の変化を読み取るための書物だとすれば、「繋辞伝」は、そもそも変化とは何かを考えた書物です。

 その中に、がんのステージⅣを宣告されたときに脳裏に浮かんだ「窮すれば則ち変ず」という文章があるのです。

 意味はそのまま。「窮」という状態になると、自然に「変化」が起きるという意味です。
 漢字のいいところは、ひとつの漢字にいろいろな意味があるので、自分の今の状況に当てはめて読めるということです。
「窮」にも・・・
・きわまる、きわめる
・動きが取れない
・終わる
・貧しくなる(窮乏)
・つきつめる
などいろいろな意味があります。ちなみに「身寄りがない」とか、「不幸せ」というような意味もありますし、「調べる」という意味もあります。

 どちらにしろ「行き詰まった」感じがもとになっています。
「あなたはがんのステージ4です」ってモロ行き詰まった感じがするでしょ。

行き詰まり、変化し、発展する

 すると「変ず」と『易経』の「繋辞伝」にはあります。
「行き詰まると変化する」というのです。

 変化の「変」の下の部分は「攴(ボク)」で、《教》の右の部分と同じく「手に鞭を持つ」形。変化も鞭でビシバシ打たれるように痛いのです。
 何かに行き詰まる、そうすると変化をする。でも、それは痛みを伴う。それが「窮すれば則ち変ず」です。
 痛みは伴うけれども、でも必ず何らかの変化が起きる、それが「窮すれば則ち変ず」です。
 がんを宣告されたときに、この文が浮かんで、「これは絶対、何か変化が起きる」と思いました。
 そして、いまは変化の真っ最中です。これもこれからいろいろ書いて行きますね。

 ちなみに変化が起きたあとは「変ずれば則ち通ず」となります。変化をすることによって、新しい発展を遂げると「繋辞伝」ではいいます。現代では、この2つをつなげて「窮すれば通ず」と言われることが多いですね。
 そして「通ずれば則ち久し」、つまりこの生成発展こそが易の永続性と続けます。

 何かに行き詰まる、すると痛みをともなう変化が起きる。そして、それによって新たな発展がある。この繰り返しこそが変化の永続性です。
 この流れに逆らわない人を「天祐」、すなわち天は祐けるし、最高の吉だよと「繋辞伝」は書きます。

易は窮すれば則ち変じ、変すれば則ち通じ、通ずれば則ち久し。是を以って天より之を祐く。吉にして利しからざるなし。

易窮則変、
変則通、
通則久。
是以自天祐之、
吉无不利。

 皆さまも「ああ、もうダメかな」と思ったら「窮すれば則ち変ず」という文章を思い出してください。

安田 登

安田 登
(やすだ・のぼる)

1956年千葉県銚子市生まれ。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、甲骨文字、シュメール語、論語、聖書、短歌、俳句等々、古今東西の「身体知」を駆使し、さまざまな活動を行う。著書にコーヒーと一冊『イナンナの冥界下り』、『すごい論語』『三流のすすめ』(以上、ミシマ社)、『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(新潮文庫)、『能~650年続いた仕掛けとは』(新潮新書)、『野の古典』(紀伊國屋書店)、『見えないものを探す旅~旅と能と古典』(亜紀書房)など多数。2026年12月、ミシマ社より『新版 あわいの力』を刊行予定。

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