新しい世界新しい世界

第2回

あわいの自分(後編)

2026.10.17更新

目の前がパーッと開けた感じ

 前編で、「目の前がパーッと開けた感じ」がしたと書きました。

 このときに脳裏に浮かんだのは、陶淵明の『桃花源記』でした。

 桃源郷に迷い込んでしまった漁師の話です。

 ある日、漁師が船を漕いでいると、突然、桃の花の咲いている林に出くわしました。香りのよい桃の花びらが乱れ散っています。漁師はさらに川の上流に向かって船を進めます。

 すると川の源にひとつの山がありました。山に小さな穴があり、かすかな光が見えています。漁師は船から降りて穴に入って行きました。穴はとても狭く、ひとりがやっと通れるほどでした。

 と、突然、漁師の目の前がパーッと開けたのです。そして、そこに桃源郷が出現します。

 ここを漢文では「豁然(かつぜん)として」と書きます。

「豁然」っていうのは、目の前がパーッと割れたような感じになることです。

 医師の話を聞いたときもそれと同じく、目の前がパーッと「割れた」ように感じ、明るくなったのです。

「笑う」は割る

 せっかくなので、この「割れた」ことにについてもうちょっと話しましょう。

 日本最古の歴史書である『古事記』には、太陽神である天照大御神が天の岩屋に閉じこもってしまったときのことが書かれています。弟の暴虐さに天照大神が天岩戸に閉じこもると、世界中は真っ暗になり、暗い夜がずっと続きます。

 また、ありとあらゆる災害(万の災い)が起こり、そして、万(よろず)の神のおとなひは「さ蠅(ばえ)なす満ち」、数多くの神々の声が五月の蠅のように満ちあふれていたと書きます。

 ちなみに、この五月の蠅というのは、『日本書紀』に記述があり、三〇メートルぐらいに固まった蠅の大群が空を飛んでいったと書かれています。気持ち悪ッ! そして、その音は雷の音のようだったと。

 ここで八百万の神々がいろんなことをするのですが、最後に天宇受売命という踊りの神様が踊り出したら、神々が笑ったと書いてあります。

「世の中は大変なはずなのに、なぜ神々は笑っているのだろう」と、天照大御神が少しちょっと開けて見たところ、手力男命という神が戸を大きく開き、天照大神を引き出して、世界は元に戻ったという神話です。

 で、この「笑った」というのが、『古事記』では「咲」という漢字で書かれます。花が咲くの「咲」です。

 今の「笑う」は竹冠でしょう。だからこれは植物に関係する文字。そして「咲」は口偏なんで、こちらが「わらう」の本字です。

 それはともかく「わらう」というのは「割る」が語源だという説があります。どうしようもない閉塞状態から脱するためには「わらう」が必要。この状況を「割る」ことが必要なのです。

 『桃花源記』の「豁然として」開けたというのも「豁」=「割」、バーンと割れて何かが現れた感じ。

 そして、僕が告知されたときにも、この「豁然として」開けた感じがしたのです。だから思わず微笑んでしまい、先生から怪訝な顔をされました。

 ちなみに「咲(さく)」も「裂く」が語源で、閉塞状態を引き裂くものです。

首を将(もっ)て白刃に当つ

 ところで、いまの多くの医師の方は「あなたは余命何カ月」というのは言わないと思うのです。

「余命」と聞くとショックを受けちゃうので、オブラートに包むとか、あるいは家族にだけ知らせるとか、それがふつうではないかと思うのです。

 でも、それっていやでしょ。

 そういうのは、あとで知るより先に知っちゃったほうがいいです。

 だから僕は無理やり聞きました。

 で、それで思い出すのが『太平記』。

 後醍醐天皇の下で鎌倉幕府転覆をたくらむ日野資朝が幕府につかまり、いざ死刑にされるという時に漢詩を詠むのですが、その中に「将首当白刃」という句があります。これは・・・

「首を将(もっ)て白刃に当つ」

と読める。自分の首を斬ろうとする刃に、自ら首を当てていく、という意味です。

 『平家物語』の武将だったら「南無阿弥陀仏」と念仏をして、極楽浄土に行くことを願いながら首を斬られる。

 ところが資朝は、落ちてくる刀に自分の首をむしろ当てていく。

 ステージ「4」と言われれば、どこかに「死ぬな」という気持ちは生じるでしょう。それをずーっと引き延ばされると、不安は余計増大する。

 自分のほうからバーンと当ててしまったほうが楽なのです。僕はね。

蛇の部屋

 さて、これからの生活は抗がん剤治療を受けながらのものになります。

 人によっては、副作用は強いとも言います。

 どのくらい強いのか、苦しいのかは、わからない。

 その苦しさも、本連載ではできるだけ具体的に書いていこうと思います。かっこつけずに具体的に書いていって、「もうダメかもしれない」みたいなことも書いていこうと思っています(笑)。

 「強がらない」ということはとても大事だと思うので。

 ある人はこんなことを言ってました。

 自分がいま部屋の入り口に立っていて、向こうに出口があるとする。で、その部屋の中には無数のヘビがうにょうにょ蠢いている。

 ある人は「俺はヘビなんて怖くねえよ」という。僕たちはこういう人を「勇気のある人」だと思ってしまいますが、実はそうではない。

 本当に勇気のある人っていうのは、「ヘビは怖いけど、ここを渡ってあっちへ行く」という人。

「抗がん剤なんかへっちゃらだよ」じゃなくて、「抗がん剤、すげえ苦しいけど、でも頑張ってまーす」という、苦痛を認めながら、それでもやっていこうと思っています。

レバー・キャンちゃん

 最後に「X」でも書いたことですが、再掲します。

 いまの感じだと「闘病」とは全然違う。

 《闘う》という感じがしないし、がんを「やっつけよう」とか、「なくそう」とかは思っていない。

 じゃあ《共生》かというと、それも違う。なぜかというと、がんは《他者》ではないから。

 じゃあ何に近いかというと――キリスト教の人、ごめんなさい――マリアにとってのイエスのような存在。

 すなわち、単性生殖によって生まれた我が子のようなもの。

 で、この子は《自己》から生まれながら、《自己》とは異なる振る舞いを始めてしまう。

 《変容した自己》です。

 そして薬物による治療は、この子に「あまり大きくならないでね」という治療。

 まあ、我が子をなだめるような気持ちです。

 そこで一応、名前をつけてみました。

 肝臓(liver)がん(cancer)なので、「レバー・キャン」ちゃん。

 でも、これから検査によっては「レバー」は変わるかもしれないけど、それはまあ、出世魚と同じだと思ってください(笑)。

安田 登

安田 登
(やすだ・のぼる)

1956年千葉県銚子市生まれ。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、甲骨文字、シュメール語、論語、聖書、短歌、俳句等々、古今東西の「身体知」を駆使し、さまざまな活動を行う。著書にコーヒーと一冊『イナンナの冥界下り』、『すごい論語』『三流のすすめ』(以上、ミシマ社)、『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(新潮文庫)、『能~650年続いた仕掛けとは』(新潮新書)、『野の古典』(紀伊國屋書店)、『見えないものを探す旅~旅と能と古典』(亜紀書房)など多数。2026年12月、ミシマ社より『新版 あわいの力』を刊行予定。

編集部からのお知らせ

「新しい世界」に入られた安田登さんの、本連載以外のご活動を下記にまとめています。いずれも目が離せません・・・!

●安田登さんX(【備忘録】として日々の記録をつぶやいておられます)

https://x.com/eutonie

●東京雑戯団X(安田さんと雑戯団メンバーによる共同運営のアカウント。公演情報やお知らせなど)

https://x.com/tokyozatsugidan

●安田登のカウントダウンラジオ(YouTube、文学系チャンネル【スケザネ図書館】)

https://www.youtube.com/watch?v=L7nNSZi7WoE

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

この記事のバックナンバー

ページトップへ