スポーツのこれから

第21回

スポーツ・ウォッシュへの抵抗と最後のご挨拶 

2023.01.29更新

 一昨年の4月から始まったこの連載も今回で最後となる。東京五輪の開催をめぐる問題を切り口にスポーツのこれからについて縷々書き連ねてきたわけだが、連載開始時に述べた通りその背景にはスポーツへの「危機感」があった。

 コロナ禍において東京五輪が強行開催される事態に、スポーツ界からは一部を除いてほとんど意見が出なかった。当事者であるアスリートは、自分はパフォーマンスに集中することしかできないとダンマリを決め込み、元アスリートを含む関係者も踏み込んだ発言をしなかった。所属する競技団体、またスポンサーサイドから箝口令が敷かれたのは想像に難くない。なかには政治的な圧力と呼べるものもあったのかもしれない。

 だが、ことは「コロナ禍」という緊急事態である。当事者としてなんらかのアクションを起こさなければならなかったはずだ。にもかかわらず、そうした声は私の知る限り聞こえてこなかった。

 一様に言葉を飲み込む彼らのその態度に、社会では少なくない人が疑義を投げかけた。なかには誹謗中傷ともとれる激烈な非難もあったが、往々にして実直な批判であったと私は受け止めている。コロナ禍のさなかでほとんどの人が健康への不安を抱えるなかでは、五輪を開催すべきではない。そう考える人がたくさんいた。

 感染を拡大させるリスクを受け止め、努めて冷静に物事を考えられるこの人たちは、スポーツ界から声が上がらないことを訝しんだ。彼らが真摯にスポーツを見つめるこのまなざしに、私は「興醒め」を見てとった。スポーツそのものに向けられたこの冷ややかな視線に、この上ない焦りを覚えたのである。

 このままだとスポーツは先細りする。生活を彩る文化として今日まで親しまれてきたスポーツが、その根本から崩れてゆく。「資本の論理」に絡め取られて換骨奪胎されるという恐れもまた生起し、居ても立ってもいられなくなった。

 スポーツの本質とはなにか。
 スポーツの社会的な役割および文化的な価値とはなんなのか。
 そもそもスポーツがもたらす愉悦とは?
 そう問い続けながら、なんとか立て直さなければとあたふたした痕跡が、この連載だった。
 
 年が明けてすぐ、私は秩父宮ラグビー場の移転整備に反対の意を示す署名を立ち上げた。樹齢100年の樹木を伐採する神宮外苑再開発の一環として、隣の敷地に建つ神宮球場と入れ替えるかたちでの移転整備に疑義を感じたからである。

 屋根が開閉しない全天候型で人工芝が敷き詰められたグラウンドは、まるでラグビーにはふさわしくない。シーズンオフを利用して多目的なイベントが行えるような設えだというが、そのために必要な巨大スクリーンを観客席に作るがゆえに収容人数が現在の約25000人から15000人に減らされるというのは、まったくもって本末転倒である。名称だけはラグビー場を留めているものの、その内実は多目的施設でしかない。これで「ラグビーの聖地」と呼ぶのはなんともおこがましい。

 そもそもなぜ改修ではなく移転なのか。
 たとえば日本最古の球場である「甲子園」は、2007年から3期に分けての大改修工事が行われ、いまもなお彼の地にて使用されているし、世界に目を向けても改修を行うのが主流である。

 1909年に建てられたラグビーの本場イングランドにあるトゥイッケナム・スタジアムは、改修を重ねながらいまもなお独特の存在感を醸し出している。周囲の風景と調和するその場所で、試合の記憶を堆積させながら現存している。一度足を運べばかつて観た試合がありありと思い出され、どれだけ凄い試合だったかを祖父が孫に語り始めたりすることもあるはずだ。世代を超えた語りが生まれるこうしたスタジアムこそ、聖地と呼ぶにふさわしい。

 伝統を守るには、マイナーチェンジを続けながらできるだけ長くその場に留めおくという微調整が必要だ。そうして初めて遺産となる。この遺産は、昨今、声高に叫ばれる「レガシー」とはまったく意味が異なる。わざわざカタカナ表記にするその所作に惑わされてはならない。

 そしてなにより許し難いのが、この移転整備のために「100年の森」が破壊されることである。植樹したところで元通りに根を張る蓋然性は限りなく低い。100年後には自然の森になるようにとの先人の願いを踏み躙ることへの後ろめたさは、どう足掻いても振り切れない。地球環境を破壊してまで新設するのは、SDGsが叫ばれるいまの時代に逆行することでもある。都心の一等地を経済的に有効活用するという「資本の論理」によって失われるものは、あまりにも大き過ぎる。

 いま、スポーツは政治的にも経済的にも利用されている。ときの権力者が都合の悪い事実を洗い流すという意味の「スポーツ・ウォッシュ」が、社会で横行している。スポーツに張りついた健やかなイメージが強力な「洗浄効果」を生み出している。この現実を直視したうえでスポーツ界自らがノーを突きつけるところからしか、スポーツを再考することはできない。

 なぜなら、この「洗浄効果」の拠りどころである健やかなイメージそのものが、粛々と毀損されつつあるからだ。先にも述べた通り、アスリートをはじめとする関係者の不見識や社会性の欠如が顕になりつつあるいま、スポーツにつきまとう健やかなイメージは明らかに目減りしている。暴力や暴言などのハラスメント事案も絶えないスポーツ界への風当たりは、以前よりも激しくなっている。これらを跳ね除けるには当事者が意を決して立ち上がるしかない。

 このまま拱手傍観すればやがてスポーツは見向きもされなくなるだろう。悲観的に過ぎる見立てだと思われるかもしれない。だが、石鹸も使い続ければすり減り、いずれなくなる。すり減って小さくなった石鹸のようにスポーツが邪険に扱われる未来が、うっすらとだが私には見えている。そうならないために、スポーツをこよなく愛する元アスリートして精一杯の発信を心がける所存である。賛同者と歩調を合わせつつ粘り強く続けていきたい。

 本連載を今日までお読みいただき、誠にありがとうございました。読者の方々とのテクストを通じた交流はこれで最後となりますが、幸いなことに本連載は今年の夏頃に一冊の本になります。他媒体で書いたテクストも加えたうえでガシガシと加筆しますので、連載時とはまた違った手触りが味わえるかと思われます。断片的だった各テクストに一本の筋道を通すことで文脈が生まれ、浮かび上がったその文脈が各テクストを逆照射して以前とは違った印象を醸し出す。これが連載を一冊の本として編み直すことでもたらされるオモシロさだからです。

 ぜひ楽しみに待っていてください。
 それではしばしのお別れです。また夏にお会いしましょう!

平尾 剛

平尾 剛
(ひらお つよし)

1975年大阪府出身。神戸親和女子大学発達教育学部ジュニアスポーツ教育学科教授。同志社大学、三菱自動車工業京都、神戸製鋼コベルコスティーラーズに所属し、1999年第4回ラグビーW杯日本代表に選出。2007年に現役を引退。度重なる怪我がきっかけとなって研究を始める。専門はスポーツ教育学、身体論。著書に『近くて遠いこの身体』『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)、『ぼくらの身体修行論』(内田樹氏との共著、朝日文庫)、監修に『たのしいうんどう』(朝日新聞出版)がある。

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