すみちゃんのめひこ日記すみちゃんのめひこ日記

第6回

メヒコで起きている「戦争」について (2)

2018.11.06更新

 メキシコにいると、とにかくしょっちゅう、家族の話がはじまります。
 知り合って数十分と経たないうちに、スマホの写真フォルダを開きながら「ほら、見て。これが私の娘で・・・」といった具合で急に紹介がはじまり、気付けば家族の顔、年齢、職業などを一通り教えてもらう、なんてことがよくあります。
 バスでたまたま前の席に座った女性とおしゃべりしていると、「明日、うちの娘の誕生日パーティーなんだけど、来ない?」といきなり誘われたり、「こないだ息子の卒業式があったんだよ」と、ほぼ知らない人のみが出てくるホームビデオを突然鑑賞することになったり。私についても、「こんなにちっちゃいのに(※当時大学生)、君はスーパー・インディペンデントだ・・・。君がメキシコに一人でいるせいで、パパやママは絶対に心配してるよ」と、肉親を代弁して悶々とされ、「ちゃんと定期的に電話してるの?」と念を押されることがしばしばです。
 5月のある日にメキシコシティの道路がものすごく渋滞していたので、乗っていたタクシーの運転手にその理由を訊くと、「当然だよ。だって今日は母の日だよ」と返されたこともあります。は、母の日? と、理解できない顔をしていると、「僕たちにとって一番大事な日だよ。みんなお母さんを連れて外食するんだ」と。街の交通事情を毎年狂わせてしまうほど、母への感謝の日は一大イベントです。
 やりすぎと思うかどうかは別として、「家族」はこれほどまでに、メヒコの人々の言葉や行動に表れます。メキシコ人だけ優れて家族愛が深いとか、家族の間で起こる揉め事が少ないかというと、そういうわけではないのですが、それでもとにかく、家族の絆が人生の基本であり最上の価値のひとつであるということを、多くの人がいつも自然に表現するのです。

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 前回は、私が実際にメキシコシティで生活していたときの感覚と、「メキシコ麻薬戦争」という凄惨な現実とが、うまく重なり合わなかったことについて書きました。その理由を考えるため、今回も同じ話題についてもう一歩踏み込んで考えることにします。
 今年の8月末から9月上旬にかけて、東京・京都・大阪で、麻薬戦争に関するイベントが開催されました。一連の企画は、「メキシコ麻薬戦争の真実 行方不明の家族を探す人々」と題され、メキシコ・ベラクルス州からルシア・ディアス・ヘナオさんという活動家を招いて、講演会や映画上映会が開かれました。麻薬戦争の概要には前回の文章で触れたので、ここでは、その状況下で実際に活動するルシアさんたち当事者の姿に焦点を当ててみようと思います。
 ルシアさんは、麻薬戦争によって行方不明となった人びとの家族が立ち上げた「ソレシートの会」という団体の代表です。メキシコには、全国にこのような行方不明者家族の会が70以上あります。昨年一年間の国内の殺人被害者は29,000人、行方不明者は5,500人に上っていますが、ある大学(UDLAP)の統計によれば、メキシコの犯罪の不処罰率は99.3%です。卒倒しないでください。99.3%です。つまり被害にあっても、警察や司法が事件解決に向けて動いてくれる可能性はほぼゼロ。そこで被害者の家族たちが自らグループを作って、いなくなってしまった人の捜索や、行政・警察・司法との交渉、問題を広く呼びかけるための集会やデモを行うしかないのです。ふつうの生活を送っていた人々が、ある日突然、家族をどこかに連れ去られたがために、街をたずね歩いたり、ゴミ捨て場をかき分けて失踪の痕跡を探したり、ショベルや探査棒を使って秘密墓地から遺体を掘りおこしたりしています。そんな仕事をこれまで一度もしたことのない素人が、です。
 イベントでは、被害者家族が捜索のときに履いていた靴を展示する、「記憶の足跡」というインスタレーションもおこなわれました。履きつづけてすり減った靴の裏には、いなくなってしまった家族へのメッセージが彫られています。「私の名前は○○です。弟の○○を探しています」、「この靴でわたしは、強制的失踪(マフィアなどが人を誘拐し、強制的に行方不明にすること)の現場となった岩だらけの場所を歩きます」、「ちいさな私の娘、あなたが恋しい。あなたが必要。人生最後の日まであなたを探しつづけます」。メキシコで暮らしているときに「とにかく家族」という価値にあちこちで触れることになった私にとって、こうした言葉や壮絶な捜索の様子は、生々しさとどうしようもない疎遠さを同時に連れて迫ってきます。

1106-1.jpgインスタレーション「記憶の足跡」。メキシコの彫刻家アルフレド・カサノバ氏が主催。
靴の下にある緑色の足跡は、靴底に彫ったメッセージを版画のように転写したもの。
会場はNHKみんなの広場ふれあいホール

1106-2.jpg赤い革靴はルシアさんが履いていたもの

 ルシアさん自身も、麻薬戦争で行方不明になった男性ギジェルモ・ラグネス・ディアスさんの母親です。年々悪化する状況と、膨大な被害者数(2006年末から2018年4月までの殺人被害者は約25万人、行方不明者は約37,000人)、そして政府や警察のひどい怠慢。そのどこをとっても衝撃的で不可解な「戦争」について、講演会の会場からルシアさんにさまざまな質問が集まりました。「これほどの被害状況なのに、どうして国家は適切に動かないままで、事態がどんどん悪化しているのですか」。ルシアさんはこう回答します。「これは、国家自体がマフィアと一体となって展開する組織犯罪だからです」。

 麻薬「戦争」ときくと、政府軍 vs. 麻薬組織、警察 vs. マフィアのように整然とした対立の構図や、ピンポイントで特定できる戦地があるかのように思えるかもしれません。しかしこの「戦争」は、関与する人びとの関係図が簡単には描き出せず、暴力事件が次の瞬間どこで起こるのかが予測できないようなしかたで展開しています。
 麻薬カルテルは麻薬取引のほかにも、営利誘拐・恐喝・人身売買・(おもに貧困層の)若者や移民の労働搾取・石油などの資源の窃盗といったことから収入を得ているのですが、これほど大々的な活動はカルテルの力だけではおこなえません。その前提には、政治家や警察がカルテルの活動を黙認しその代わりに利益の分配を得る、といったかたちの組織的な汚職・買収があります。強制的失踪や殺人が起こるときにも、行政や警察は、怠慢から捜査を実施しないというだけでなく、しばしば事件の隠蔽や犯行自体に積極的に協力しています。
 メキシコでは今年の7月に、大統領選とあわせて、国会議員や各地方自治体の首長・議員を選出する選挙がおこなわれました。その4カ月前の今年3月、メキシコを訪問した私が友人に「最近の治安はどう?」と訊ねると、「もちろん悪くなってるよ。だって今年は選挙だから」と言われました。上に述べたような、だれがだれなのかがわからなくなるほどもつれあった関係図のなかで、政治の力をコントロールするチャンスが高まる時期にどんな「選挙活動」がはじまるかを想像してみてください。そして、「治安が悪化している。だって選挙だから」というロジックが当然のごとく口にされるほど、その現象はメキシコでふつうのことなのです。
 だから「麻薬戦争」を図式化しようとするときは、国家と麻薬組織のあいだに境界線を引くというよりは、国家を機能させるための仕組み自体に、麻薬組織にかかわる暴力が折り込まれているととらえるほうが妥当です。「戦争」という言葉を耳にしたときに浮かぶイメージや、脱走したマフィアのボスが警察に捕まったという報道などとは、ずいぶんちがう事態が見えてきませんか。
 実は、このアメーバのようにとらえがたい「麻薬戦争」の姿は、前回の記事で綴った、私にとっての「楽しいメキシコ生活」と「戦争」の奇妙な齟齬とも関係しています。日本での講演会場においてルシアさんに投げかけられた次の質問は、この問題に直結しています。
「どうしてあなたは、『メキシコのほとんどの人は、麻薬戦争について本当のことを知らない』と言うのですか。また現にどうしてこれまで、大規模な抗議運動や告発がそれほど多く起きてこなかったのですか」。 (つづく)

角 智春

角 智春
(すみ・ちはる)

1995年生まれ。東京外国語大学大学院修士課程一年生。ミシマ社の学生デッチ。耳の垂れた犬が好き。2016年に、1年間メキシコで暮らし、みんなのミシマガジンにて「すみちゃんのめひこ日記」を連載。

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