第3回
キッチンがある風景の中で考える
2026.03.03更新
カズさんのキッチン
もうかれこれ30年以上、同じ人に髪を切ってもらっている。
結婚した相手よりも長い付き合いになるのだと、先日髪を切ってもらっている最中にふと気がついた。なぜそんなに長く通い続けているのか。その理由はもちろん美容師としてのカズさんの腕前にあるのだけれど、それだけではない。美容室なのに「キッチン」があるからだ。これが、私がカズさんの美容室に惹かれ続けている大きな理由なのだと思う。
髪を切ったり染めたりしている合間にカズさんはそのささやかなキッチンに入り、「今日は何にする? コーヒー? 紅茶? ハーブティー? アイスにする? ホットにする?」と私にたずねる。「そうだな、最近コーヒー飲み過ぎてるから今日は紅茶で」と私は返事をする。すると、小さなパンの一切れとか、軽くつまめるクッキーなんかがティーカップの横にちょこんと添えられて私の手元にやってくる。髪を切る場所が急にカフェのようになって、ゆるゆると気持ちがほどけていく。そこにはタンゴという名前の猫がいて(端午の節句の頃にお店の前に現れたという由来)、石油ストーブの上のやかんがシュンシュンと湯気を立てていて、わがもの顔で伸びやかに葉を増やすポトスの鉢が揺れていて、新しく植えられて養生しているレモンの苗木があって、音楽が流れていて、日差しが煌めいていて、地元の人たちが手塩にかけてつくったクラフトの陳列棚が賑やかで、そして本棚がある。
学生の頃はこの本棚にあれこれと刺激をもらっていた。今は自分の本が出るたびに持参しては本棚に並べている。カズさんの手伝いに来ているコージ君が「タヌキ文庫」という絵を描いてくれたので、思いがけずここにもユザワタヌキ文庫出張所が誕生した。キッチンと合わせて、お客さんが自由に借り出せる本棚がある風景をつくづく眺めていると、もはや美容室ではない何かのように思えてくるが、やっぱりここはカズさんの美容室なのである。目的がひとつではない、いろんな顔を持つ、揺らぎのある空間。髪を切るためにカズさんのお店に足を運ぶたび、その揺らぎの中で気持ちを立て直し、励まされてきた。
長く通い続けているだけあって、学生、院生、研究員、教員になる過程の全てをカズさんは知っている。思い返してみると、私が研究してきたテーマ、フィールドワーク、書いてきた本の最初の種が蒔かれるのは、いつもカズさんの美容室だった。「へぇー、そうなんだ」「おもしろいね」「えー、それはどうしてなの?」「もう少し詳しく教えて」と合いの手を入れてくれる会話の中で、自分が考えたかったこと、知りたかったことがくっきりと見えてきたことは一度や二度ではない。大学のゼミ発表でどうしてもたどり着けなかったどこかへ、思いがけずヒョイとたどり着くこともあった。
コーヒーお召し上がりになれます
私が研究棟の中にキッチンが欲しいと思うのも、キッチンを囲んだ教室があったらいいなと切望するもの、無いならキッチンリアカーを曳いて大学構内を歩いてみようかと妄想するのも、キッチンのあるカズさんの美容室への憧れがあるからなのだろう。だからせめてユザワタヌキ文庫にはキッチンのある風景を設えたいと思い、電気ポットとお茶のセットを常備するようにしている。
飲み物には選択肢があった方がいいよね、ということで、研究仲間がお土産にくれた南アフリカやカメルーンのコーヒー、バングラディシュの紅茶、学生がおススメで持参した和紅茶やフレーバーティ―、私の近所の作業所で作られているハーブティー、調査先で出会った阿波番茶、留学生からもらった各国のお茶などが揃っている。学生たちには「セルフサービスでどうぞ」という仕組みだ。もちろん小さなお菓子も缶に入っていて、不揃いながら、それがまた楽しさと揺らぎを生み出している。
大阪の道具屋で買った「コーヒーお召し上がりになれます」と染められた小さな布をドアの外に掛ければ、ユザワタヌキ文庫カフェの開店準備が完了。揺らぐ空間の中で、まずはお茶を一杯。学生たちとも、打ち合わせで足を運んでくれた記者や会社の人たちとも、そこから話が始まる。
食卓から生まれる研究
私にとって、キッチンがある風景と研究とは相性がいい。一つの場所は一つの目的で使うべきだという考え方もあるけれど、カズさんのキッチンも、ユザワタヌキ文庫のキッチンもそれとは真逆の多機能空間の一部になっている。自宅もしかり。思えば今まで書いた論文や書籍のほとんどすべてを、私は食卓で書いている。一応小さな書斎があるにはあるのだけれど、なぜかいつも食卓に本が山積みとなり、パソコンが立ち上げられ、猫が腕のまわりを行ったり来たりする中でキーボードを叩いている。キーボードの上を猫が歩いた時には、パソコンのディスプレイに意味不明の謎記号がずらっと並んでいたりもする。
研究や執筆においては一般的に「雑音」といわれるような類の音も好きで、例えば学校のチャイム、子どもたちの登下校のおしゃべり、ごはんをねだる猫の鳴き声、郵便配達のバイクのエンジン音、お米が炊ける炊飯器の音、煮ものが揺れるコトコトという音がする中で書くと仕事が捗る。それはきっと、私の研究自体が今まで「雑音」と名づけられて顧みられてこなかった世界を考えようとしているからなのだろう。
だから今日もキッチンのある風景の中で考える。まさに今も、この原稿を食卓で書いている。そろそろご飯が炊ける頃。お米が炊ける香りって多幸感があるよなぁ。なんでだろ。ほら、また新しい思索が始まる予感がする。




