第2回
「木曜日は魚の日」〜 ニーナの家でニシンのサンドイッチをつくる
2025.11.12更新
ナルヴァでは町の標識もスーパーで売っている商品もエストニア語で書いてあるけれど、町の人はほとんどがロシア語で話す。カフェで、友人がエストニア語で注文したら通じなかったのに、私が英語で注文したら通じたくらい。
ナルヴァ川に浮かぶクレンフォルム島には、1858年から2010年まで稼働した巨大な綿紡績工場が当時のまま遺されている。1940年の国有化後、工場で働くために旧ソ連全土から集められたロシア語話者の子孫が、ロシアとの国境にあるエストニアの町ナルヴァで暮らしている。
廃墟となっている工場見学が開催された日、私は「台所へ招いてくれる人を探しています。」と参加者に呼びかけた。
すると、ロンドン在住のロシア人母娘が手をあげた。母親はニーナ(72)、娘はカタリーナ(46)。
ニーナは1965年に、14歳で工場の社員食堂で皿洗いの仕事を始め、16歳から工場で働いた。ニーナの両親と姉、兄弟6人が暮らした木造の建物は、今も工場を出てすぐのところにある。
二人と出会ってから2週間後の2023年9月7日、ニーナのアパートを訪ねた。私たちの滞在先から歩いて3分ほどの集合住宅は、1881年に紡績工場の労働者向けに建てられた。3階建てのレンガ造りの建物が5棟並ぶ敷地は緑が多い。洗濯物が干されている中庭を抜けると、一番奥にある建物の前でカタリーナと夫のアレックスがベンチに座って待っていた。

写真:花坊
[以下発言者]本原=著者、ニ=ニーナ、カ=カタリーナ(次女)、ア=アレックス(次女の夫)、ク=クリスタ(ニーナの友人)、ル=ルーバ(ニーナの友人)、花坊=著者と共に訪問した写真家の花坊
――建物に入ると、広い階段が、アーチ状に右と左に分かれて2階へと続く。
ア:リフトはないよ。子どもの頃、カタリナと姉さんはこの階段を左右に分かれてどっちが先に上れるか競走したんだ。
――3階へ着くと左側のドアが開き、ニーナが私たちを出迎えた。
本原:こんにちは。玄関めちゃ広いね。
カ:以前は、2軒で共有だったから。
ア:このトイレ、見て。ソ連が崩壊する前のオリジナルカラーだよ。僕は好きなんだ。現役で働いてるし、作りがしっかりしてる。
写真:花坊
――キッチンには、ニーナと一緒に繊維工場で働いていた70代の女性ルーバとクリスタも来ていた。窓の向こうに、同じレンガ色の集合住宅が見える。
本原:かわいいキッチンねぇ。
カ:これは祖母の椅子とテーブル。快適でかわいいし、完璧よ。
本原:私、エプロンつけるよ。
ニ:じゃ、私も。
――ニーナが引き出しから赤と緑の小さなエプロンを取り出す。
ア:小さい! これはおばあちゃんが使ってたヤツ。
ニ:今日は、ネギと一緒に小さなサンドイッチを作ります。作り方を見せるね。この魚は小さいから、釣るんじゃなくて網で捕まえる。
本原:海で? 湖で?
ア:バルト海で。
ニ:7人だから14個のサンドイッチ作ろうね。一人2個ずつ!
――ニーナが瓶詰めからフォークで魚をくるくるっと丸めとる。
本原:うまく取り出せない!!
ニ:(ニーナが木製のフォークを持ってきて)タック。
ア:ロシア語でタックは、こうやって、と言う意味。
本原:(魚をフォークで巻きつけながら)タック、タック。あ、これで14匹。
ニ:オッケー。
写真:花坊
本原:え? バターそんなに塗るの?
ア:ぼくらはバターが好きなの。バターはいいんだよ。胃をカバーするでしょ? アルコールから胃壁を守ってくれるんだよ。
本原:アルコールって、ウォッカ?
ア:主に、そう。
本原:ニーナもウォッカ飲むの?
ニ:若い頃はね。
本原:パン、半分に切るの?
ニ:うん。
本原:え? 魚は2枚載せるの?
ア:うん、パンより多い。ニシンを塩してからオイル漬けにしてる。今日は「魚の日」だよ。知ってる?
本原:え? そうなの?
ア:イギリスでは、金曜がフィッシュアンドチップスの日でしょう? カトリックの伝統的な習慣なんだよね。ソ連では木曜が魚の日。なんでかは知らないけど。
調べてみると、旧ソ連では「魚の日」が二度導入されたそう。
1932年、肉不足と大飢饉のため、人民委員会が「公共給食施設における魚の日の導入」命令を出した。そうして工場やその他の食堂では週に1日、カツレツ、コロッケ、フライ、スープなどいろんな形で魚を提供するようになった。
1976年に再び肉が不足。共産党中央委員会は木曜日を魚の日に決めた。今もその習慣が残っているのだ。
ア:見て、卓球のラケットに使う板をまな板にしてるの。
本原:わ、ほんとだ。いい、これ。
――ニーナがもう一枚のまな板を出してきて、2人で卓球の素振りをする。
ア:おっ、上手いね! もしかしてやってた??
本原:中学の時にやってた。
ニ:クリスタはオーバー50のエストニア・チャンピオンなんだよ。
本原:すご〜い。
――みんなで、拍手!
ア:このネギはニーナの庭で採れたんだ。
――ニーナがハサミで切り目を入れて飾りねぎを作り、魚の上にのせる。
ニ:ほんとはこの上にゆで卵ものせるんだけど、今日は気分じゃなかった。
写真:花坊
本原:もう一品つくるの?
ア:うん、この魚はこのあたりの川でしか獲れないんだよ。
本原:(スマホの写真を見て)八つ目うなぎだ。
ニ:川に滝があるでしょう? その岩の下に棲んでるの。ルーバは自分で捕まえてたんだよ。
本原:え? 手で?
リュ:Tシャツ。
本原:いつが旬なの?
ア:今が食べ頃。春にも獲れるけど、美味しくない。
ニ:私が今日、ウエイトレスよ。テーブルに持って行くわ。
――ニーナがサンドイッチの皿を持ってリビングへ行く。アレックスが八つ目うなぎの油漬けが入った瓶のふたを開ける。
ア:すごい油っこいんだよ。このうなぎ自身の脂肪なの。
本原:あぁ、ジェリーみたいになってる。
ア:そうそう、油っていうよりジェリー。
本原:2瓶も開けるの? 「魚の日」だから?
ア:さぁ、リビングへ行こう。
本原:(さきいかみたいなものを持って)これも魚?
ア:今日は特別にロシアのビールを用意したよ。
工場跡と八つ目うなぎのいる川/写真:Miia Kettunen(※)
本原:ニーナが14歳のとき、お父さんが亡くなったんだよね。当時、おいくつだったの?
カ:58歳だった。飛行機の整備士だったけど、サンクトペテルブルグからクレンフォルムへ送られて修理の仕事をした。そこで、私の祖母(ニーナの母)と出会った。
ニーナの父も、クレンホルムの工場に送られたロシア人の一人だったのだ。そうしてこの町で妻と出会い、家庭を築いた。
ニ:飲みましょう!
ア:ロシアの伝統で、空っぽのビール瓶はテーブルの下へおくんだよ。テーブルの上に空っぽの瓶を置かない。
本原:乾杯ってなんて言うの?
ア:Ваше здоровье!
本原:ザ・ズダローヴィエ!
ア:ロシアに行ったことある?
本原:ない。
ア:木曜は魚の日だから、いろんな魚を用意した。この魚コマイ(氷下魚)はすごく伝統的な干物なんだけど。食べれるところが少ないの。炒めたり、煮たりしたら身がなくなっちゃうから、つかまえたら、塩して、外で干すの。寿司みたいでしょ?
本原:なんで?
ア:料理してないって、ところがさ。
ア:でもね、食べるのむずかしいの。まず、マッサージする。僕がやると、壊しちゃうの。
――クリスタが、魚をテーブルの端でぶっ叩いてほぐす。
カ:叩くと、皮が取れやすくなるから。
ア:日陰で10日ぐらいゆっくり乾燥させる。蝿がつかないように、1匹ずつカバーをしてね。
写真:花坊
ク:よし、皮が取れた。これが卵。ここが一番おいしい。
本原:セミドライだね。すごい、歯にくっつく。イクラかな?
ア:今、イクラって言った? ロシア語で卵を「いくら」って言うんだよ。ガムみたいでしょ?
――本原はこの卵で歯のかぶせものが取れてしまい、ティッシュに包んでポケットに入れる。
ニ:これ、40年前の写真。ここにいっぱい機械があったんだよ。当時、住んでた木造の家は1991年から管理棟になって、クリスタはここで働いてたんだよ。
本原:この建物の一部屋に家族6人で暮らしてたんだよね?どんなふうに住んでたの?
――本原が紙に家の見取り図を描き始める。
本原:ドアはこっち向きに開くの?
ニ:そう。ここはヒーター。ヒーターってペチカのことだよ。ここに兄弟二人が寝ていて、こっちが両親のベッド。私と姉はここに寝てた。ここに、洋服ダンス。この洋服ダンスは今も使ってるの。こっちに来て。
――リビングの隣にある部屋に行き、大きな洋服ダンスを見せてもらう。
ニ:部屋の真ん中に丸いテーブルと椅子が6つあって。クリスマスはテーブルの上にツリーを飾ったの。

カ:4人の子供に一つの勉強机だったから、順番待ちの列ができてたんだって。6人で一部屋に暮らすなんて、信じられない。
ニ:夕方、工場からサイレンが聞こえるの。そうすると私たち子どもはあわてて部屋の片付けをしてね。両親が帰ってくると「良い子たち!」って褒められたわ!
ニ:キッチンは6家族でシェアしていて、この窓は共有トイレ。
本原:何歳までここに住んでたの?
ニ:20歳まで。
本原:お姉さんは?
ニ:3歳年上だった。名前はガリーナ。
本原:クレンフォルムで働いてたのはどこのパート?
ニ:織り。
本原:兄弟もいたんだよね?
ニ:彼はプロのダンサー。伝統的なロシアダンスを踊るんだよ。
本原:今も?
ニ:(スマホで写真を見せながら)これこれ。70歳にしては引き締まってるでしょ?
本原:背が小さいね。
ニ:そうそう、小柄だよ。
カ:(ビデオを見せながら)ほら、これ。
ニ:彼が私の庭で踊ってるとこ。
本原:ここ、サマーハウス?
カ:そう、ナルヴァのはずれの方。
花坊:バラが咲いてる。
本原:わぁ、すごく綺麗。
ア:ここなら僕の国、アゼルバイジャンの伝統料理を作れるよ。魚じゃなくて、肉ね! BBQ〜
本原:アゼルバイジャン? 行ったことないな。アゼルバイジャンに行った友達もいないわ。
ア:アゼルバイジャン、アルメニア、ジョージアは、リトアニア、ラトビア、エストニアの3国と似てる感じ。とってもいい国だよ。
カ:アゼルバイジャンはカスピ海、ジョージアは黒海に面してる。アルメニアに海はない。
ア:アゼルバイジャンは石油が豊富だから、お金があるんだよ。ドバイみたいだよ。前はソビエトの一部だった。
本原:だから、ロシア語が話せるんだ。
ア:僕が14歳の時に、ソビエトが崩壊した。

写真:花坊
ク: 日の出に乾杯しよう! 日本で日が昇るのよ! つまり、あなたたちの太陽...私たちの太陽、世界の太陽は日本から昇って、私たちに届く。そして私たちを温めてくれる!
ア:よく言った!
ク:ひとつの太陽の下にいるのはいいことです! 私たちの共通の太陽の下で!
ア:遠〜い日本から来てくれてありがとう、乾杯!
本原:ありがとう。
花坊:感動した。
そうだ、私たちは極東から来た。初めてヨーロッパへ来た時、日本が地図上のどこにあるか見つけられなかった。見慣れた世界地図は日本が真ん中にあるけれど、ヨーロッパの地図で日本は右の端っこにある。
ア:平和のために、乾杯! ロシアでは少し飲んだら、みんな歌を歌うんだよ。
――みんなで手を叩きながら「ソビエト開拓者の賛歌」を歌う。
ア:あれ? お茶淹れてる? これ、ざくろティー。
本原:初めて飲むかも。
カ:カテージチーズとアップルケーキだよ。(と箱を開ける)
本原:これって、エストニアのスィーツ?
ル:どちらとも言えないなぁ。ここから2時間運転したらもう、ロシアでしょう? 文化が混じり合って統合されたっていうか。
ア:なんでも箸を使うの?
花坊:や、手で食べるよ。
ア:手で食べた方がおいしい。
本原:アレックス、そろそろ行くよ。
ア:じゃあね、こんど卓球やろう。
本原:ニーナ、もう7時半だから行くね。
花坊:お魚、いただきました。
本原:マッサージするやつ??
本原・花坊:ありがとう! スパシーバ、スパシーバ。
写真:花坊
冒頭、ニーナとカタリーナはロンドン在住だと書いた。
ソ連がエストニアから完全撤退したのは、1994年。90年代のナルヴァの治安は悪く、30代で職を失ったニーナは清掃の仕事をした。収入も減った。夜勤で犯罪を目の当たりにした彼女は子供たちを守るためにイギリスへの移住を決断した。資金は、親族が2ベッドルームのアパートを売ったお金を分けてくれたそう。
イギリスへ渡って最初、ニーナはナルヴァに帰りたくない、と何度も言ったそう。「90年代は私の子供時代で、私は本当の状況を理解していなかったのよ。」とカタリナは言う。定年退職をしたニーナは今、夏の間は友人が多いナルヴァで過ごす。
本原:カタリナにとって、母国ってどこ?
カ:ナルヴァ。私の祖国はナルヴァだと思っている。 私の記憶では、ナルヴァは「エストニアの法律を持つロシアの町」なの。 ロシア語、テレビチャンネル、ニュース、文化生活、有名人も、すべてがロシアのものだった。今はエストニア語を耳にする機会が増えてきて、びっくりしてる。
その冬、カタリナは再びナルヴァにもどり、ニーナが使いやすいようにバスルームをリノベーションしてシャワーブースを作った。
【レシピ】
●塩漬けニシンのオープンサンドイッチ
1.黒ライ麦パンにバターを塗る。
2.塩漬けニシンの切り身を1枚以上のせる。
3.固ゆで卵のスライスまたはおろしを加える。
4.新鮮な青ネギ、チャイブ、ディルで飾る。
*バルト海で獲れるニシンやスプラットは、エストニアの国民的小魚。バルト海の海水はしょっぱくないことが衝撃だった、、海は塩辛いと思い込んでいたから!
(※)Miia Kettunen・・・フィンランドのアーティスト。エストニア・ナルヴァで制作されたサウンドウォーク《VISIONS OF KREENHOLM》(2023年)の作者。




