ピアノ馬

第7回

ひとひの21球(中)

2023.03.05更新

 初登板の試合で右手首骨折、全治三週間。

 が、しかし、日々着実に成長をつづける小学生のからだの、どこが生育するかといえば、それは骨だ。しかも末端だ。

 指先や手首の骨は、ほっておいてもぐんぐん伸びる。折れた箇所も、呆れるほど早くつながってしまう。

 整形外科にいくまでに過ごした一週間を差し引いて、三引く一は二。最初の見たてから二週間後、10月13日。ちょうど10歳の誕生日。レントゲン写真を見つめ、豪放な感じの医師ははウーンと少し考え、

「順調です。ま、ええやろ」
 と首をすくめた。

「あとから文句いわれてもかなんけど。ぜったいこけたらあかんで」
 そういいながら、右手のギプスにはさみをいれた。ひとひは利き腕の左でVサインを掲げた。

 園子さんは晩ごはんに、三嶋亭のお肉ですき焼きを作った。

 とはいえ。
 4年、5年生のあいだ、錦林ジュニアには、一学年上に実力とガッツのある先輩が揃っていた。1年から先輩とプレイしている同級生たちとのレベルの差も、なかなか簡単には埋まらなかった。練習試合か、上級生の出ない5年以下の大会以外、ひとひは、ベンチを温めることが多かった。

 不平を漏らすことは一度もなかった。それどころか、どの試合でも、両チーム合わせてもっとも大きな声を張りあげ、手を叩き、監督の指示を伝え、声援を送りつづけた。

 どのチームでも、見ていると、いまどきの小学生はクールだ。じゃあ、野球に限らずひとひが「熱かった」のか、といえば、そうともいえない気がする。といって、自分をまわりによりアピールしようという感じでもない。

 声を張りあげていないと、不安だった。声を張りあげることで、こころとからだを、野球に、チームに、懸命につなぎとめようとした。つまり、命綱としての、切実な声だった。

「ひとひ卒業したら、誰が声だすねん」
 とあるコーチが真顔でいったものだ。
「錦ジュ(錦林ジュニアの略)、えっらいおとなしいチームになってしまうなあ」

 おとーさーん、やきゅーっ! の大声も、日々河原でつづけた練習も、あれは切実な思いの顕れだったのかもしれない。うまくなりたい、という考えより先に、からだの芯に巣くう、この世に生きていて、「きみは別に、ここにいなくていい」といわれてしまうかもしれない不安。自分のいる「ここ」がつかめず、周囲がよく見とおせない不安。だから、闇雲にでも叫び、走り、懸命に足を動かす。必死でもがく

 一見、いつもはしゃぎ、ふざけまわっているひとひだが、それは多分に、薄暮の砂漠にぽつんと取り残されたような、巨大な不安感の裏返しだ。ぼくもまったく同じだったからよくわかる。もしかして、えらく陽気な子、と周囲に見られている小学生のほとんどが、古今東西、みなそうなのかもしれない。

 先輩たちが卒団し、最上級生になった、5年生の三学期。ひとひはファーストで先発しつつ、同級生の3人と交代で、ピッチャーを務めるようになった。みずから選び、監督から与えられた背番号は「18」だった。試合をかさね、経験をつみ、笑い、うつむき、グラウンドのどんな場所からも、いつも懸命に声をだしつづけた。

 そうして、6年生にあがる頃ひとひは、ほぼすべての試合で、先発マウンドを任される投手になっていた。

 この頃からぼくは、グラウンドに小さなノートを携えていき、一試合ごとに、表と裏の展開をメモするようになった。選手たちから「いしいコーチのなんちゃってスコアブック」と呼ばれていたものだ。

4月16日 横大路G VS高野スポーツ少年団 先発ぴ(ぴっぴ=ひとひ)

1裏 センターフライ 三振 レフト線3H 三振
2裏 キャッチャーフライ セカンドエラー 三振ゲッツー
3裏 ショートゴロ 四球 サードフライゲッツー
4裏 四球 ショートフライ レフト前H ショートゴロ 四球 三振
5裏 四球 (ピッチャー交代) センター前H ショートゴロ ファーストゴロ

 特徴としては、まず、フォアボールが少ない。学童野球の「あるある」は、四球をだし、自由に二塁三塁と走られ、内野ゴロで1点。あるいは、何人もの連続フォアボール、押し出し無間地獄。ひとひはこれがない。

 たとえ四球を出したとして、センターを向いてぴょんぴょん跳びはね、再びキャッチャーに向きなおると、気持ちが完全に切り替わっている。

 春のうちはまだ、ボークをとられたり、審判から「もっと早く」とせかされることもあった。そのうち完全に自分のペースで投げる落ちつきを身につけた。

 投球の前には帽子をとって主審に挨拶。味方がエラーしても「オッケーオッケー、次がんばろう」と声をかけ、ピンチには「ここ抑えるよ! 1点もとられへんよ!」と味方を鼓舞し、投球になれば、外角ギリギリ超低めにストレートを投げこむ。

「先発が、いちばん気が楽やねん」
 本人はいつもそういっていた。
「一塁とか、外野のほうがイヤやわ。ボールくんなーって思うねん」

 野球は「ボールを待つ」スポーツだ。内野も外野も、バッターも、キャッチャーも、審判、コーチ、監督さえ、ボールが動きだすのをじっと、それぞれの定位置で待ちかまえている。唯一、待たなくてよい。ボールを最初に動かす権利を持つもの、それこそがピッチャーにほかならない。

 5月、6月、7月と、毎週試合がつづいた。全京都のチームが競う一大大会「全京中信杯」の1回戦でも、ひとひはまっさらなマウンドに上がり、帽子をとって球審にぺこりと笑顔でお辞儀をした。

7月24日 殿田G 中信杯 VS竹田イーグルス Pぴ

1表 3フライ(球はしってる!) センター前H 3ゴロエラー 3フライ ショート後H(1点) 三本間挟殺(キャッチャーナイス!)
2表 3ゴロ 三振 三振
3表 三振 三振 3ゴロ
4表 三振 四球 ショートゴロゲッツー
5表 (ピッチャー交代) 四球 2ゴロ 三振 四球(パスボール) レフト前H    三振 

 9ー2で勝利したあと、グラウンドに走り出て急いでトンボをかけていたら、ベテランの球審さんに声をかけられた。

「あの、左の子、ええねえ」
「あ、ありがとうございます」
「こちらこそ。ひさびさに、ええピッチング見せてもろたわ」

 この頃になると、界隈のチームのコーチや選手のあいだで、「錦林の左」がトレンドワードになっていた。

 ひょろっと細いからだから、ふにゃっと投げこむ左腕。試合前の相手ベンチからは、容易に打ち崩せそうなボールに見える。

 打席に立ち、プレイボールがかかる。三分後、先頭打者は首をひねりながら帰ってくる。三振をとられた四番バッターは、ベンチに戻るなりコーチ陣に、「あのボール、えぐいっすよ。外に曲がりながら、途中でなんか変な感じに落ちてきます」

 小学生の野球では、肘肩に負担がかかる変化球は禁止。ひとひもわざと、狙って投げているわけではない。肘をしならせ、力を抜いて投げこむと、ボールがナチュラルに曲がりながら沈む。直球でも、自然なフォームから腕が伸びる。指先は、バッターにもっとも近い、見えづらい出所で球を離す。速球を打ち慣れている強打者ほど、大振りを重ね、三振を喫する。

「ひとひがええのんは、マウンド度胸ですよ。狙って三振がとれるんやから」
 とある試合の、薄氷を踏むような勝利の後、破顔した監督がいった。
「ここで三振とってくれ、っていうところで、ほんま、とりよるからね」

 ひとひが見つけ、みずからたぐり寄せた「ここ」とは、つまり、ピッチャーマウンドだった。一年前までは、ベンチから必死に、切実な声を送るしかできなかった「錦林の左」は、いつのまにか「超小学生級」のエースへと、変貌をとげていたのだった。

8月6日 太陽が丘G 天下一品杯1回戦 VS竹田イーグルス 10ー0(ひとひ先発 3回0失点5奪三振)
8月11日 横大路G 天下一品杯2回戦 VS綾部ファイターズ 5ー2(ひとひ先発 4回2失点4奪三振)
9月11日 横大路G 天下一品杯3回戦 VS大和連合 6ー1(ひとひ先発 5回1失点4奪三振 67球で完投)
10月1日 横大路G 天下一品杯4回戦 VS美濃山ファイターズ 6ー1(ひとひ先発 4回1失点3奪三振)

 京都でもとりわけ大きなトーナメント、天下一品杯でのベスト8は、チーム史上最高の成績だった。

 5ー6で敗れた準々決勝の翌日、10月23日。今出川Gで行われたリーグ交流戦の最終回、好投をつづけていた先発ピッチャーが突如乱れ、無死満塁のピンチで、投げる予定のなかったひとひが登板。サードゴロでゲッツーをとり、最後は内角へストレートを投げこみ三振にしとめた。完璧な火消し、というほかなかった。

 翌週の土曜、練習試合の前の準備運動で、うしろむきに走っていたひとひはつまづいて転び、とっさに地面へ後ろ手に右手をついた。すぐさまベンチに下がり、手首を冷やしても違和感はやまず、園子さんに付き添われ、二年前と同じ整形外科へ診察にいった。

 右手首の骨が、以前と同じように折れていた。豪放な感じの医師による見たては、やはり前回と同じ、全治三週間。グラウンドに残らざるを得なかったぼくは見ていないけれど、家に帰ったひとひは、バケツの底が割れたみたいに泣いたそうだ。

 マウンドで深呼吸し、こころを鎮めるように、ひとひはすぐに落ちつきをとりもどした。ギプスをはめて通学し、土日は練習に通い、4年生時と同様、ウォーキングや素手のゴロキャッチを繰りかえした。

 6年最後のオールスター大会には錦林ジュニアからひとひ以外の6年生3名が選ばれた。晴れ渡った秋のグラウンドへ、ひとひはユニフォームにギプス姿で応援に行き、やはり2年前と同じく、ベンチの外から誰よりも大きな声で声援を送った。

 ただその声は、あの頃とは少し、ちがった感じに響いた。誰もいない砂漠で切々と叫ぶのではなく、自分の知った場所で、まわりを勇気づけようと声をかけている、ぼくの耳には、そんな風にきこえた。

 オールスター戦の合間、補食を買いに、ふたりでコンビニに向かった。ならんで歩きながら、ひとひは秋空のようにさっぱりした顔で、
「あんな、おとーさん、オールスターな、ぴっぴな、最初はちょっと、ああ、怪我せえへんかったらぴっぴ出てたはずやんなあ、とか思ててんけど、もう、ようなった」

 ぼくは振りかえり、
「ようなった、て?」

「なんかな」
 ひとひは前をむいて笑い、
「なんか、ぴっぴ出えへんかっても、れおと、ゆらと、はるとが出られてるやん。それ見とったら、あ、これはこれでよかったなあ、って」

「ぴっぴ」

 息をのんだ。つい、足がとまった。

「ぴっぴは、ほんま、えらいなあ」

(つづく)

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いしい しんじ

いしい しんじ
(いしい・しんじ)

1966年大阪市生まれ。京都大学文学部卒。94年『アムステルダムの犬』でデビュー。2000年、初の長編小説『ぶらんこ乗り』を発表。03年『麦ふみクーツェ』で第18回坪田譲治文学賞、12年『ある一日』で第29回織田作之助賞、16年『悪声』で第4回河合隼雄物語賞を受賞。著書に『トリツカレ男』『プラネタリウムのふたご』『ポーの話』『みずうみ』『よはひ』『海と山のピアノ』『港、モンテビデオ』『きんじよ』『みさきっちょ』『マリアさま』『ピット・イン』『げんじものがたり』など多数。最新刊は『書こうとしない「かく」教室』。お酒好き。魚好き。蓄音機好き。現在、京都在住。

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