野生のしっそう

第3回

『野生のしっそう』の外側にあったこと (2)

2023.11.26更新

2023年11月23日(木)に、文化人類学者の猪瀬浩平さんによる著書『野生のしっそう』が、発売日を迎えました。本書は、2021年6月から、ミシマガジンで連載してきたものに加筆修正を加え、一冊の本として構成しています。装丁は脇田あすかさん、装画・挿画は岡田喜之さんに手がけていただき、本の手触りも含めてぜひ手にとっていただきたい渾身の作品です。

刊行に合わせて、著者の猪瀬浩平さんにこの本にまつわる話をご寄稿いただきました。前編では、猪瀬さんがミシマ社を知ったきっかけや、連載がはじまるまでの経緯を、後編では、本の執筆を振り返り考えたことについて綴っていただきました。ぜひ本とともに、お読みください。

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執筆を振り返って考えること

『野生のしっそう』は、最初に主題を示し、そして核となるエピソードを示し(2021年の兄のしっそう)、そこから話を転調させながら、しかし最終的に最初のエピソードに戻り、そこで示した謎を明らかにします。そのうえで、そこで得られた理解を、調和をさらに壊しながら、より高い次元の理解に導こうとします。兄とわたしの対話であるとともに、(よくわかりませんが)なんとなく交響曲の作曲的でもあるのかもなあと思います。そしてわたしは兄の意思のようなものをつかみ、それに興奮し、そしてまたそれを逃す。そうやって逃れていくことにこそ、他者が存在することの切なさと尊さがあります。

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 また『野生のしっそう』では警察と対峙する場面が多くあります。現代の世界をめぐる議論において、警察のような、人びとを管理・統制する公権力の問題は一つの主題です。この本のもとになる原稿を書いている最中に、わたしはそのことを深くは意識していませんでしたが、兄とともにある暮らしを描いていくと、おのずから警察は、関わらざるを得ない存在として何度も現れてきます。警察は、単に兄やわたしたちの暮らしを管理・統制するだけの存在ではありません。いなくなってしまった兄を保護する存在でもあり、兄がまた日常に戻ってくるために必要な存在でもあります。

 屈強な警察官のかたわらにいる、殺風景な警察署の中にいるパジャマ姿の兄は、とても弱弱しく見えます。それでも兄は、時に街に出ていきます。公権力が発動される場に、発動されやすい対象であるにもかかわらず、兄は身をさらします。そこでの緊張をほぐすのは、饒舌に語るわたしではありません。詳細はお読みいただければと思いますが、この物語においては、怒鳴りながらドアを開ける若いころの父であり、そして「警察官かっこいい」といってついてきた3歳の長男です。そして警察官からの電話を受ける母である。この本の冒頭、三本の線の話をし、その最後に巨大なシステムがつくりだす線について書いていますが、警察というのはそのもっとも強力な線の一つです。そしてその強力な線に兄はなんども、わたしは一度だけ身をさらし、身をさらすことの両義性のかたわらで、父、長男、母はそれぞれの仕方で強力な線を揺るがします。おなじことは、コロナの感染拡大のなかでひょんなことで患者の治療に忙殺される医療機関に父が運び込まれ、わたしと息子が迎えに行く場面にも言えれば、緊急事態宣言の中で夏ミカンを運ぶヤマナシさんについても言えます。わたしは彼ら、彼女らの線をなぞりながら、物語を綴りました。

かりそめにつくり、かりそめに引き継ぐこと

 今年の10月1日、わたしにとってとても大きな人が亡くなりました。『野生のしっそう』のもとになるいくつかのパーツを、わたしはその人のことを思い浮かべながら書きました。亡くなってしまった人に、わたしは本当に多くのものをもらいましたが、十分に返すことができませんでした。この本を書き、何事かを表すことが、その人に報いることだとも思っていましたが、その人に、この本を手渡すことはできませんでした。同じことは、他の多くの死者たちにも言えます。おもえば、この本は、多くの生きている人の話であるとともに、多くの死んでしまった人たちの本でもあります。

 生きている人たちはやがて死んでいきます。登場人物だけでなく、わたしが描いた場面を共に過ごした人たちがあの世に旅だっていきます。わたしはまだこの世に残り、そしてまだこの世に残る人たちに何事かを伝えようとして文章を綴っています。

 だいたい毎月ミシマ社に原稿を書くというペースが、この本をつくりました。ゴールがどこだかわからずに書き始めたこの文章は、伴走者がいたことで最後まで走りきることができました。そして長いこと書き続けていくなかで、この本の中に生きていた人たちの何人かが亡くなります。この本が本となり、世の中に出回っていく中でも、多くの人が亡くなっていくのでしょう。

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 2023年10月28日、わたしがずっとかかわっている見沼田んぼ福祉農園のタマネギ小屋が、東京芸大の藤村龍至研究室の人びとと、福祉農園の人びとの手により完成しました。

 再建前の日陰小屋、乾燥小屋と呼ばれていた小屋は1999年に福祉農園が開園して以来、必要性から徐々に整備されたものです。人間が手を加えるのはひとまず2012年くらいに完了し、その後周りの植物や中の植物(桜)が育って、そして何度かの台風の被害で傷ついて、2023年の8月に解体されました。してみると大体四半世紀にわたって成長していったと言えます。

 だから、今回立てた小屋も大体20年かけて成長し、そしてまた解体されるのだと思います。

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 『野生のしっそう』は、「かりそめ」という言葉で結ばれます。

 かりそめに建てられた日陰小屋、乾燥小屋は、タマネギ小屋となってまた次世代に引き継がれます。20年後に再建されるとき、この小屋を建てた経験が、何らかの形でまた引き継がれればいいなあとわたしは願います。この工事には藤村さん自身の娘さんを含め、福祉農園に通っている多くの子どもたちが立ち会い、時にペンキ塗りなどの作業を手伝い、時に鉄パイプを遊具とみたてて遊んでいました。福祉農園の、見沼田んぼの風景のなかでタマネギ小屋が立ち上がっていく姿をかたわらでみていた彼女たちにとって、それが何らかの原風景になって未来に何かをくみ上げてくれること、それがあらたなかりそめの小屋を立ち上げる縁になることを祈ります。

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 タマネギ小屋も、多くの部材は日陰小屋、乾燥小屋のものを流用しています。そして、再建作業をしながら、かつての小屋を作った人たちの言葉や技を思い出し、言葉にして他の人と共有する。多くの人たちがもうこの世にはいないが、しかし技術は形になって残ります。

 同じように、人が生きる中でかりそめに生み出した思考を、かりそめに語り継ぐ。すると、それはいつしか一人の生を超えて引き継がれる思想になっていく。完成したタマネギ小屋を見ながら、わたしが『野生のしっそう』でやろうとしたことも、そのことだったと思います。

 日本ボランティア学会でずっとお世話になっていた社会学者の栗原彬さんが、岩波書店のシリーズで「人びとの精神史」を出す際にわたしに語っていたのはそういうことだった、とわたしはようやく深く理解します。

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 この物語は、極めて個人的なことを書きました。わたしが立ち会った個人的な出来事や言葉に多くを与えられました。たとえば、本のむすびに使っている「うさぎのように広い草原を」という言葉は、長女が兄に送った手紙の言葉です。『野生のしっそう』という言葉を手に入れるなかで、わたしの中でそれは野ウサギの走り(同名の中沢新一さんの本があります)のようなものだという思いがありました。同じ名前をタイトルにする中沢新一さんの本では、彫刻家のバリー・フラナガンがつくりつづける「とびはねる野ウサギ」を頼りに、野うさぎが人間にとって身近な存在でありながら、捕獲が困難なこと、謎に包まれていること、こちらの世界とむこうの世界をわたりあるく両義的な存在であることを語ります。兄の50歳の誕生日の前日、彼女がこの言葉を兄におくったことが、翌日の兄の行動を何か予感させるものであるとともに、彼女が兄とわたしのいる世界にふれていること、そしてわたしが兄と綴ってきたことの本質を的確に言い表しているようにも感じました。

 そして極めて個人的なことを貫いた先にこそ、極めて個人的な一人一人に通じるようにも今、思います。

 その思いが妥当なのかどうか、ご一読いただき、ご評価いただければ幸いです。

 この本を書くにあたって、兄とわたしとともにあったすべての人びとに感謝します。そして、この本を一冊に書物にして、流通するまでを支えてくれたすべての人びとに感謝します。

2023年11月
猪瀬浩平

猪瀬 浩平

猪瀬 浩平
(いのせ・こうへい)

1978年埼玉県生まれ。明治学院大学教養教育センター教員。1999年の開園以来、見沼田んぼ福祉農園の活動に巻き込まれ、様々な役割を背負いながら今に至る。著書に、『むらと原発ーー窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと』(農山漁村文化協会)、『分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる』(生活書院)、『ボランティアってなんだっけ?』(岩波書店)など。

写真:森田友希

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