野生のしっそう

第1回

たたかわない、しっそうする

2021.06.13更新

文化人類学者の猪瀬浩平さんによる連載がはじまります。埼玉県南部に広がる見沼田んぼの近くに生まれ育ち、「見沼田んぼ福祉農園」の活動に関わりながら、社会的排除や包摂、障害や福祉、ボランティア、環境などについて考えておられます。私たちが日々暮らし、生きていくなかで、絶えず起こり続けるとるにたらないこと、雑多なことを掬いだす猪瀬さんの言葉の数々。他者と生きるとはどういうことなのかについて、今だからこそゆっくりと考える連載です。猪瀬さんは、ミシマ社が刊行する雑誌『ちゃぶ台6』にも「さびしい社会、にぎやかな世界」をご寄稿くださっています。

このがんじがらめの世界

 わたしたちの暮らしは、さまざまなものにがんじがらめになっているようだ。たとえば誰もが愚かしいことだとわかっていながら強いられる雑務がどんどん増えていくこと、わたしたちの欲求のほとんどすべてをお金で買うサービスで満たすように仕向けられていること、周りの目を気にしてやりたいことをやらなかったり、やっていないふりをしたりすること、そして社会を変えられるという実感をなくしていく一方で、社会を変えられる立場にあるとされる政治家の無能さが露わになっていくこと。

 いかめしい言葉をつかえば、それぞれを全面的官僚制化、資本主義/消費社会の拡大、同調圧力の増加/監査文化の浸透、政治不信の高まりと言い換えられる。

 わたしの暮らしであるはずなのに、大切な部分は奪われている。そのことに気づいているのに、抜け出すことはできない。

 しかし、本当に大事なのはそこから抜け出すことではない。わたしたちがはまっている世界を、わたしとあなたと誰かの眼で凝視する。まとわりついたその全身の感覚を、かなたに向かって表す。それぞれの視界に映ったものがまじりあって、くらくらとした先に、何かが見えてくる。そんなことを信じて、言葉を綴っていく。

 世界を取り戻すために、わたしはこの物語を書く。世界を取り戻すのは誰か。ひとまずわたし。そしてわたしたち。可能ならば、あなた。

 わたしにとって物語を書くことは、こうやって生きられるというその可能性を、未来を生きる人たちに託すことでもある。

困っているのは誰なんだろう?

 わたしが絶対にしないことを、わたしがしたと誰かに思われたとする。たとえば、わたしが何かを盗んだこと、わたしが会ったこともない人と浮気をしていること、悪の組織にはいっていること。わたしはそれが真実でなく、その人の妄想に過ぎないと思う。それを、幾度なく、さまざまな形で説明しても、その人には納得してもらえない。周りの人のほとんどは、その人の言っていることが事実無根だと感じているようだ。そして、その人に対してそんなことはないと伝えてくれたりもする。それでも、その人の妄想は揺らぐことはない。

 わたしは困ったなあと思う。

 しかし、本当に困っているのはわたしなのだろうか。

 わたしたちは、自分が妄想にとらわれていないという前提で、妄想にとらわれている人のことを語る。そうやって語れば語るほど、わたしは理性的で、合理的な存在になっていく。実際、たとえばその人に知的障害や精神障害があること、あるいは自分以外の人に対しても様々な妄想を抱くことがあり、そしてそれが時に爆発してまわりを混乱させることを語れば、多くの人は妄想を抱いているのはその人で、わたしは彼の妄想の被害にあっているという認識を持つはずだ。

 わたしは模範的な人間である。彼は模範から外れた人間である。

 それでいいのだろうか。

 その人が信じていることが、妄想であるとわたしは信じている。しかし、わたしはその人がわたしに対して語る言葉の<外>で、言葉にできない形で抱えている苦悩を知らない。妄想の先に、その人がどんな世界を思い描いているのかも知らない。にもかかわらず、わたしはその人を「妄想にとらわれた人」と語る。わたしの語り自体が、その人を模範から外れた人間とし、そして語っているわたしを模範的な人間として作り上げていく。彼は妄想に囚われている。わたしは決して妄想に囚われることはない。彼とわたしの間には、越えられない壁がある。わたしの側には世界があり、彼は壁に囲まれて孤立している [1]

 だとしたら、困らせているのはわたしで、困っているのはその人である。

 世界を取り戻すために、わたしがまず手に入れたいのは、このものの見方だ。妄想や狂気、衝動に取りつかれた人を、自分と違うものとして切り離すのではない。模範とされるものと、そうでないもの――ひとまず野蛮と言おう――を、わたしと、彼にそれぞれ振り分けるのではない。自分の内側にあるものと、その人の内側にあるものの双方をみつめながら、共に世界をつくっていく。野蛮とされた人の側に肉薄しながら、わたし自身の内側にある野蛮とされるものを見出していく。

 そのことが、今、必要なのだ。

新型コロナウイルスが露わにした事柄

 わたしの暮らしであるはずなのに、大切な部分は奪われている。そのことに気づいているのに、抜け出すことはできない。

 そのことは、新型コロナウイルスが世界中に広まって一年が経つ今、とても分かりやすくなっている。コロナウイルスに感染しないように気をつかう毎日は、わたしで完結するものではない。自宅の中や、休日の過ごし方まで、誰かに口出しされ、監視されているような不安を感じ、そして実際に制限されている日常。その中で、わたしたちの新たな欲望は呼び覚まされ、さらなる消費を動かすはたらきは、日々洗練された形で暮らしに浸透している。家にいながら、サブスクの動画を見て感動し、テレビやSNSで紹介された食べ物をネット通販で取り寄せる。SNSでの誰かの発言や行動を眺め、それに「いいね」を押し、「シェア」しながら、同じように自分の発言が誰かに見られていることを意識し、批判を受けないように気を配る。自分の写真や動画を発信する際には、十分距離をとっているのにわざわざアクリル板を間に置く。コロナウイルスから自分を守るだけではない。世の中から攻撃されないように、自分を守る。

 このような日常は、安定した収入があり、障害のない、日本人の男として生きていれば、降って湧いた有事のように思えるかもしれない。しかし、これは今に始まったものではない。ずっとこうだったのだ。

 たとえば、障害のある人は、他人から休日の過ごし方についてしばしば口出しされる。旅行に行くこと、ちょっと豪華なレストランでご飯を食べることも、そんなことはやらなくていいと思われ、時に実際にそう伝えられた。そもそも物理的に――行きたい店がエレベーターのない建物の、狭い階段で下っていく地下にあったとしたら、車椅子利用をする多くの人は、その店へ行くことをあきらめるだろう――あるいは心理的に――周りの目を気にして、じっとしていられない知的障害の子どもを連れて、公共交通で出かけるのを躊躇する人がいる――、口出しされる以前に、行動は制限される。福祉サービスを受給するためのペーパーワークには追われる。そしていつしか、周りから批判を受けないように自分の欲望を制御するようになる。同じようなことは、女性だったり、外国人だったり、子どもだったり、高齢者だったり、安定した収入がなかったりすれば、様々な形で経験する。男たちもまた、自分たちの生きやすいようにできた仕組みの中で生きながら、しかしそれでも不自由さを抱えながら生きている。

 新型コロナウイルスが世界中に広まるなかで、ほとんどの人ががんじがらめであると感じるようになった。しかし、そこから抜け出すことはできない。にもかかわらず、様々な妄想――コロナは単なる風邪だ/コロナは人為的につくられたものだ/ワクチンがあればコロナは克服できる/ワクチンは危険だ/PCR検査の検査体制が必要だ・・・――に取り憑かれた人のことを、自分と切り離す。もちろん科学的に真実を求める姿勢は重要だ。でも、そのような「妄想」を抱く人と、それを「妄想」と決めつける人との間にそれほどの大きな距離があるのだろうか。

この世界でしっそうする

 これは一つのチャンスなのかもしれない。今ある世界が別の形であり得るのではないかという想像力を刺激する。そして、実際に変えていく創造力を刺激していく。

 もちろん、そんなことはずっと試みられてきた、という批判はあるはずだ。この国でいえば、2011年の東日本大震災と東電の原発事故の時、2015年の安保法制の時、様々な絶望と希望が語られた。でも結局、世の中は大きく変わらなかった。新型コロナウイルスに翻弄されるこの国の体たらくは、その延長にある。

 わたしが考えたいのは、別のやり方だ。それは新しいやり方ではない。ずっとやられていたけど、それほど注目されることのなかったやり方だ。世界の不条理に対して戦いを挑み、戦いに勝つのではない。戦いを挑むこと、抵抗することへの希望をひとまず傍らにおいて、自分と世界の不調和のなかで、勝つことはなかったけれどずっと負けなかったこと、あるいはそもそも戦ってもいなかったことに光を当てること、その営みの意味を掘り下げながら、わたしたちに意味あるものとして言葉を紡ぐこと、そんなことをしたい。戦っていないとは、逃げているということではない。ただそれぞれの仕方で日常をよりよいものにしようと願い、生きているということだ。

 それはどういうことなのだろう?

 2021年3月下旬のある日の夜が明ける前に、誰もが寝静まったわたしの家から兄は走り去っていった。物語はそこから始まる。

(続く)


[1] この部分の着想は、春日直樹さんの書かれた論文「生権力論の外部――現代人類学をつうじて考える」(『思想』2013年2月号、No.1066所収)から着想を得た。

「野生のしっそう」のメインビジュアルについて

連載のトップに表示されるビジュアルには、写真家・森田友希さんが見沼田んぼ福祉農園で撮影された写真を使わせていただきました。写されたこの木について猪瀬さんに伺うと、「農園の隣の畑に生えている灌木で、そもそも名前もしらず、しかしいつも農園に行くと目に入る木」とのこと。猪瀬さんの著書『分解者たちーー見沼田んぼのほとりを生きる』では、森田友希さんによる写真が、そこにいる人、土、風、時間や温度を鮮やかに描き出しています。(ミシマ社編集部)

猪瀬 浩平

猪瀬 浩平
(いのせ・こうへい)

1978年埼玉県生まれ。明治学院大学教養教育センター教員。1999年の開園以来、見沼田んぼ福祉農園の活動に巻き込まれ、様々な役割を背負いながら今に至る。著書に、『むらと原発ーー窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと』(農山漁村文化協会)、『分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる』(生活書院)、『ボランティアってなんだっけ?』(岩波書店)など。

写真:森田友希

編集部からのお知らせ

猪瀬浩平さんが関わるプロジェクト「埼玉朝鮮学校60周年連帯プロジェクト」が作成した動画『埼愛キムチ日記ー共に生きる埼玉をめざしてー』が、2021年6月1日に公開されました。

おいしいと評判の「埼愛キムチ」の頒布会は、埼玉県からの補助金停止により財政の厳しい埼玉朝鮮初中級学校の、運営資金に寄与するために、ボランティアで行われています。活動に従事する保護者たちの思い、買いに来る人の思いを、動画でお伝えしています。(「誰もが共に生きる埼玉県を目指し、埼玉朝鮮学校への補助金支給を求める有志の会」HPより)

詳しくはこちら

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