野生のしっそう

第4回

猪瀬浩平『野生のしっそう』遅めの本紹介

2024.02.06更新

 昨年11月に、文化人類学者の猪瀬浩平さんによる著書『野生のしっそう』を刊行しました。発売直後からずっとこの本について文章を書きたいな、と思っていたものの、言葉で文章でこの本について思っていることを書くのがどうにも難しく、でも伝えたい「感じ」はあって、いっそ一人語りを録音でもしようかな、と迷走していた時期も(発売から1週間後あたりでしょうか...)ありました。

 約3カ月が経ち、そろそろ書こうと思い立って、すこし遅めの本の紹介です。

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空気と感情を忘れたくない

『野生のしっそう』のもとになったのは、この「みんなのミシマガジン」上で2021年6月から2023年にかけて同タイトルで連載していだいた原稿です。

 著者の猪瀬浩平さんは、埼玉県南部に広がる見沼田んぼの近くに生まれ育ち、「見沼田んぼ福祉農園」の活動に関わりながら、社会的排除や包摂、障害や福祉、ボランティア、環境などについて考えておられます。私たちが日々暮らし、生きていくなかで、絶えず起こり続けるとるにたらないこと、雑多なことを掬いだす猪瀬さんの言葉の数々。他者と生きるとはどういうことなのかについて、じっくりと考える連載です。

 連載の冒頭に書いた説明文はこういう内容でした。当時は、2020年春にコロナの感染拡大が広がった時期からおよそ1年という頃。コロナの緊張感がすでにすこし薄れつつもある、しかしまだ次なる波がいつきてもおかしくない。

「このままじゃ、あっというまに忘れる」

 生きることの緊張感も、本当にこれでいいのか? と疑問に思うことも、ちょっとした空気の変化も...、自分の身の回りに起こることであっても、何もしなければびっくりするほどすぐに忘れてしまう。そのことに対して、今考えていることをなんとかして残しておかないと、という気合いが、猪瀬さんと何度目かの打ち合わせをオンラインでしていたときにふつふつと湧き上がってきたのを覚えています。猪瀬さんはたいていZoomの背景を畑の写真などにしていて、首に手ぬぐいを巻いている日も多く、ぱっと見そこが外なのか、合成背景なのかわからないことがありました(それがなんともよかった)。

兄のしっそうを書く

 そうして猪瀬さんが本書の柱として据えたのは、「お兄さんのしっそう(失踪/疾走)」です。以下に目次を。

はじめに しっそうのまえに

第一章 沈黙と声
たたかわないこと、しっそうすること/三月下旬 午前二時半に走り出す/現代の野蛮人・カタリナの構え/黙禱と叫び 1/黙禱と叫び 2

第二章 蜜柑のはしり
ズレと折り合い/いくつかの死と/いくつもの死と/対面とリモート/夏みかんのしっそう/贈与のレッスン

第三章 世界を攪乱する、世界を構築する
ボランティアのはじまり/満月とブルーインパルス、あるいはわたしたちのマツリについて/路線図の攪乱 1/路線図の攪乱 2/トレイン、トレイン

第四章 急ぎすぎた抱擁
父とヤギさん/眠る父/転倒の先/失踪/疾走/旋回としっそう/燕(つばくら)の神話

最終章 春と修羅 
物語の終わりに

むすびとして うさぎのように広い草原を

 知的障害があり自閉症者でもあるが、さまざまな鋭さをもった兄。障害がないとされているが、さまざまないびつさをもった弟(著者)。2021年3月、コロナの感染拡大による緊急感が高まるなか、兄は突然家からしっそうし、その向かった先や理由をたどりながら人類学の視点を用いて著者が思考する。あらすじを端的にいえばこうなるのかな、と思います。

 ただ、この本、物語の展開を追って、書かれている内容を知っていくことよりも、読んでいるときの感覚そのものこそが、なんとも言えない心地なのです。私がなかなかこの本の紹介を書けなかったのはそれも理由の一つかもしれません。

 刊行直前に、書店員さんに一足先に本書を読んでいただきました。本当にたくさんの方からものすごい量の、しかもものすごい熱量の、感想をいただき、こんなポスターをつくりました。

yasei_poster.jpg この中の言葉を読んでいても、広島 蔦屋書店の江藤宏樹さんが書いてくださった書評を読んでいても、SANBON RADIO No.32「とりあえず今コレを読め!」でtoi booksの磯上竜也さんが紹介してくださったときの内容を聴いていても、...ここに書ききれないほどの書店員さんが、この本一言では紹介しにくいけれども「とにかく読んで!」と背中を押してくださっていることは、ものすごく励みになりました。

 猪瀬さんが本を書き終えてから「極めて個人的なことを貫いた先にこそ、極めて個人的な一人一人に通じるようにも今、思います」と言っているのは本当で、この本、とにかく具体的な名前をもって登場する人物が、多いです。でも、「個人的な一人一人に通じる本」であることも確かだと強く思っています。

刊行記念イベントを開催します!

 今週2月8日(木)には、音楽家の寺尾紗穂さんと猪瀬さんとのトークイベントを開催します。

「内なる野生に麻酔をかけられた私たちと 感覚的に思考し、疾走する彼。でも実はそのような対比さえ無意味であること 私たちの間にあるのは断絶ではなく連続であり 一人一人異なりながら、重なり合う存在であることを 思い出させてくれる一冊。」

『野生のしっそう』にこのような文章を寄せられた寺尾さん。「断絶」ではなく「連続」。それは、元引揚者の声を通して戦前と戦後、個人と国家を断絶ではなく連続として捉え直そうとした寺尾さんの著書『日本人が移民だったころ』に通底する思考でもあります。

 本イベントは、そんな寺尾さんと、「障害者」と世間で言われる兄との交流を日々記録する猪瀬さんとの初対談です。

 私と社会、私と他人、私と過去、都市と野生...さまざまな関係性の中に埋没する「つながり」を見つけることは、どういう意味があるのか? つながりを見つけた上で、社会、他人、国家といった他者との線をどう引き直すか? 音楽家と人類学者、立場は違えど、異なるアプローチで「世間の線引き」を変えようとしつづける2人が、この日、新たな線を引く、必聴の90分です。

 すでに『野生のしっそう』を読んで、うずうずされている方も、どこかで見かけて気になっていた、という方も、ぜひご参加をお待ちしております。

 代官山 蔦屋書店での現地参加と、オンライン参加を受け付けております。また、同日まで、代官山 蔦屋書店1号館1階人文フロアにて、猪瀬さんによる選書フェアも開催中です。

詳細・お申し込みはこちら

 ※本イベントは来店とリアルタイム配信のみで、アーカイブ配信はありませんのでご注意ください。

(文 ミシマ社ノザキ)

猪瀬 浩平

猪瀬 浩平
(いのせ・こうへい)

1978年埼玉県生まれ。明治学院大学教養教育センター教員。1999年の開園以来、見沼田んぼ福祉農園の活動に巻き込まれ、様々な役割を背負いながら今に至る。著書に、『むらと原発ーー窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと』(農山漁村文化協会)、『分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる』(生活書院)、『ボランティアってなんだっけ?』(岩波書店)など。

写真:森田友希

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