第5回
矢印の中身
2026.05.05更新
何かを届ける
移動して何かを届けてくれるひとやものが好きだ。
移動食堂(キッチンカー)、移動診療所(健康診断の車)、移動食料品店、移動パン屋、近頃では移動トイレ(災害時などに活躍する新しい試みを搭載した車)なんかもある。小さい空間に工夫が満載され、必要なものが過不足なく詰まっている車内に見惚れる。最近は近所の駅前に復活した焼き芋屋に夢中だ。ごうごうと燃えるかまどを搭載しているなんて本当にスゴイ、と拍手を送りたくなる。
子どもの頃は、定番の曲を鳴らしながら週に一度現れる大きなトラックの八百屋さんと、おじさんがラッパを口の端に斜めにくわえてプ~と鳴らしながら軽トラでやって来る豆腐屋さんに胸が高まりドキドキしながらおつかいに行っていた。「おじさん、もめん一丁!」と玄人顔で空のボウルを差し出すときは大人になったような気がして誇らしかったし、「薄揚げ5枚」というと必ず「おまけ」といって、6枚の薄揚げをビニールに入れてくれるやり取りも楽しみだった。
まだ今ほどキッチンカーが普及していなかった高校生の頃、私はなかば本気で栄養士の資格と調理師免許を取ってキッチンカーに乗り込みたいと夢見ていた。それは、「何かを誰かに届ける」という行為の中には、モノを移動させるという目的だけでなく、その中で生まれるやり取りや想い、そして出会いが確かに存在しているのだと実感していたからなのだと思う。
矢印の担い手
私が専攻している「地理学」という分野では、例えば移動して何かを届ける行為を「流通」や「運搬」、「取引」などという概念で捉えて、A地点からB地点へ「矢印」を描いて説明することが多い。距離は長いか短いか、運ばれるものの量は多いか少ないか。それらを示すために矢印の長さを変えたり、太くしたり細くしたりすることもある。それはそれで分かりやすいと思うのだけれど、私はどうしても「矢印の中身」が気になってしょうがない。どんな人が、どんな想いで運んでいるんだろう。矢印の起点と終点でどんな出会いがあるんだろう。往路と復路では見える景色はちがうんだろうか。違うはずだよな。運ぶひとは途中で何を食べたんだろうか、寄り道したりもするんだろうか、などなど。
先日、ある食品卸業会社で働く「矢印」を担うひとたちから、その仕事のおもしろさと苦労を悲喜こもごもを含めて話を聞く機会があった。毎日の食事が滞りなく食卓に届けられる。それを可能にする「矢印の中身」にはそれを担うひとたちの人生がつまっていることに気づき、胸が熱くなった。
学生時代に大きな荷物を担いで東京まで野菜を売りにいく行商の女性たちに出会った時の感動も(ミシマ社の『ちゃぶ台』2026年新春号に書きました)、民俗学者瀬川清子の『販女(ささぎめ)』(未来社1971年、初版はジープ社1950年)を夢中になって読んだのも、「矢印の中身」の豊かさに心を揺さぶられた経験の一つひとつだった。
移動図書館をめぐる風景
そんな私だから、いつも決まった曜日と決まった場所に決まった音楽を鳴らしながらやってくる「移動図書館」に心を躍らせていたのはいうまでもない。常設の建物としての図書館があるのは知っているが、向こうから私に向かって本を届けに来てくれるというのは、子ども心に何か特別な嬉しさがあった。車の後ろのドアが開くと、階段を上がって中に入れるようになっていて、そこには車の天井まで届く本棚にびっしりと本が並び、小さな図書館が丸ごと再現されていた。紙芝居などはコンテナに入れられて、アスファルトの道路にどんどん並べられていく。道路まで本が溢れているように見えて、常設図書館にはない迫力と魅力があった。
大学院生の時に千葉県銚子市の調査をしていた時には、歴史史料の中で印象深い移動図書館に出会った(1)。それは醤油醸造会社のヤマサが設立した社会教育組織「公正会」が大正期に設立した図書館が運営していた「配本制度」と「海濱文庫」である。街場の常設図書館に足を運ぶことが難しいひとのために、地域を8地区に分け、1カ月に3度ずつ各区を巡回する。夏には1か月間、海辺の3地区に「海濱文庫」を設け、そこで珠算と習字の講習会も開催し、たくさんの利用者があったと史料には記されていた。
古い資料の山に埋もれ、埃にまみれながら、私は漁村地域の学びを支えた移動図書館をめぐる風景に思いを馳せる。海風と波の音が届く浜辺にほど近い路地に本が並べられている。水平線の向こうには大きな入道雲が見える。夏の盛り、図書館職員の額から汗がしたたり落ちる。浜で遊んでいるひと、漁家の子どもたち、海藻採り帰りの海女たちがふと立ち止まって本を手に取る。過去の時空に迷い込んだ私も、思わず汗をぬぐって夏の空を仰いだ。
ユザワタヌキ文庫の行商
こういう経験を思い出してみると、ユザワタヌキ文庫が貸本屋として行商を始めるのもごく自然な流れだったように思う。研究室あらためユザワタヌキ文庫は都心の高層ビルの最上階に近い角部屋にある。たくさんの人が行き交う場所ではないため、立地的には不利ではあるが、それならば私が「矢印」になって、講義室まで本を届ければいいじゃないか、という発想になった。
だから私は講義ごとに、その日に話す内容の参考にした本を担いで講義室に向かう。学生たちのおしゃべりさざめく講義室に入ると、まず教卓の前の机に「ユザワタヌキ文庫」という看板を立てかけ、貸出帳を置き、本を並べる。講義中は話しながら本を手に取り、時に学生に手渡して回覧し、講義後は学生たちが本に歩み寄る姿を見守る。こうしたやり取りがきっかけになって、常設のユザワタヌキ文庫に足を運ぶ常連になる学生もいる。
「矢印の中身」に本があり、本を運ぶ想いとそこから生まれる出会いが詰まっている。じつはそれは長い時間をかけて培われた文化と歴史が紡ぐ物語へとつながっている。内田洋子さんの『モンテレッジォ小さな村の旅する本屋の物語』(文春文庫2021年、初版は方丈社2018年)に出会って、私はそれを知った。内田さんは次のように記している。「人知れぬ山奥に、本を愛し、本を届けることに命を懸けた人たちがいた。小さな村の本屋の足取りを追うことは、人々の好奇心の行方を見ることだった。これまで書き残されることのなかった、普通の人々の小さな歴史の積み重なりである。わずかに生存している子孫たちを追いかけて、消えゆく話を聞き歩いた。何かに憑かれたように、一生懸命書いた」。
本の魂を手渡す人びとが生きたイタリアの小さな村。モンテレッジォの本祭りにいつか参加してみたいと夢見ている。本を届ける矢印の一人として、「矢印の中身」にたくさんの想いを詰め込んで。その時にはもちろん、「ユザワタヌキ文庫」のささやかな看板も携えていくことにしよう。
(1)湯澤規子・髙橋珠州彦「『公正会』による民間社会教育事業と銚子の近代化におけるその意義」『歴史地理学調査報告』第11号、2004年、15-32頁。




