『いくつもの空の下で』著者、澤田康彦さんってどんなひと? のとがわ編

第8回

『いくつもの空の下で』著者、澤田康彦さんってどんなひと? のとがわ編

2022.07.01更新

みんなのミシマガジンの連載「一泊なのにこの荷物!」でおなじみ、澤田康彦さんが今年4月に著書『いくつもの空の下で』を上梓されました。

ミシマガジンの連載が始まったのは、2020年4月。本のもとになった、京都新聞のコラムとエッセイの連載がはじまったのは2020年の5月。どちらもコロナの感染者がどっと増えてきている時でした。気づけばもう2年以上が経過しています。

でも、もしかしたら、ミシマガジンの読者のなかには、澤田さんってどんな人? という方がいるかもしれない。私(野崎)自身、実はサワダさんのことをあんまり知らないなー。ということで、新刊のことやこれまでのお仕事のこと、本の装画を描かれた小池アミイゴさんとのことなど、うかがってきました。

(取材・構成・写真:野崎敬乃)

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澤田康彦(さわだ・やすひこ)
書籍・雑誌編集者/エッセイスト。1957年滋賀県生まれ。上智大学外国語学部フランス語学科卒。在学中『本の雑誌』の書店配本部隊や、椎名誠「怪しい探検隊」に参加。マガジンハウスにて『BRUTUS』『Tarzan』等を編集。『暮しの手帖』編集長を務めたあと、2020年家族の住む京都に戻り主夫生活に。母の住む東近江市の生家にも通う日々。妻は女優の本上まなみ。近年の編集本に『戦中・戦後の暮しの記録』、エッセイに『ばら色の京都あま色の東京』、ほかに『短歌はじめました。』(穂村弘、東直子との共著)など。

ふるさとは琵琶湖の近く、能登川

――澤田さんにインタビューをするということで、とても緊張しています。

澤田 僕、名インタビュアーだからね(笑)。

――・・・。澤田さんは、現在京都在住で、ご出身は滋賀県の能登川ですね。

澤田 はい、のとがわ。息子は「くまのぼりがわ」って読んでましたが、ちがう。

――まさに今、地元の能登川図書館で、7月3日(日)まで刊行記念展示を開催中ですが、私も先日はじめて能登川に行ってきました。思っていたよりも、広くて遠くまで見渡せて、広大な感じ。行く道中も含めて、すごくいい場所でした。

澤田 最近来た別の人にも、そういうふうに言う人がいましたね。「フラットやね」と言われます。山に登ると琵琶湖が見渡せる。琵琶湖、でかい。
 今回、展示に来てくださるいろんな人を案内しながら、東近江、彦根、近江八幡......と、自分も客観的に故郷の風土に触れることができてすごく新鮮だったんですけれども、ふるさとは地形的には近江盆地という「盆地」なんです。本の前書きにも書きましたが、「低い山がぽこぽこ」。低山に囲まれていて、実はその背後にもっと大きい山があって。
 河野裕子さんの短歌に「たつぷりと真水を抱きてしづもれるくらき器を近江と言へり」というのがあります。琵琶湖を抱いた昏い器。それを近江と言うんだよという、すごくいい短歌です。河野裕子さんと永田和宏さんのご夫婦も一時期滋賀県に住んでいらしたそうで、とても的確に一発で滋賀のことを表したなぁと。僕の生まれた土地は確かにそういう地形なんです。寒くて暑い。

――すごく情景が浮かびます。澤田さんって、お話ししている中で、自然とサラサラ短歌が出てきますよね。さっき私がここまで乗ってきた自転車を見たときにも、穂村弘さんの短歌をぱっとおっしゃっていて。

澤田 「自転車のサドルを高く上げるのが夏をむかえる準備のすべて」ですね。子どもはさ、夏になると自動的にサドルを上げたくなるんだよね。だからさっき野崎さんの自転車をみて、「うわ、すごく上げとる」って(笑)。うちの小学生の息子もこのあいだ「早くサドル上げてよっ」って叫んでたから、みんなそうなんだな。いきってる。野崎さんも(笑)。

――うっ・・・!

「新」暮らし歳時記ですからね

――今回の『いくつもの空の下で』は、2020年5月から2021年3月までの『京都新聞』1面題字下でのコラム連載と、週に一度のエッセイがもとになっていますが、この中でもすっと歌がでてきたり、映画、音楽、漫画、あらゆる作品に触れられていたり、澤田さんってホントに物知りすぎる・・・って思ってました。

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澤田 そんなこと全くないですよ。でも、中高のころから、詩歌を覚えるのは好きでしたね。先だっての展示記念トークイベントでは、地元の幼なじみに「サワダが詩をよく覚えてるのは、女の子に取り入るためやったんやろ?」と決めつけられました。半分は当たってるかもしれません。
 新聞連載にも好きな詩歌をたくさん引用しましたが、ただ完璧に覚えているわけではもちろんない。一つ一つのコラムを書くことで、急に「あーなんかこういうのあったよな」とか思い出したりする。それで常に調べて、どこだっけどこだっけ、だれだっけ、というふうにやっていたんです。イモづるっぽく。調べるのは面白いですよね。自分の記憶のいい加減さもよくわかった。漢字なのかひらがななのかなんて、まったく覚えられていませんでした。あと、インターネット上の情報、文言がさらにもっといい加減で、全く信用に値しないボンクラワールドであることもはっきり学びました。常に原典と辞書、辞典に向かっていましたね。

――そういうふうに書かれていたんですね。

澤田 (書棚を指さして)あそこにもたくさん辞典があるでしょう? 他にももっともっとあって。人生でいちばん『広辞苑』にお世話になったかもしれません。

――『歳時記』もありますね。今回、新聞連載の時はコラムタイトルが「新暮らし歳時記」でしたよね。実は私、歳時記ってどんなものなのか、よく知らなかったんです。実物を見たこともないです。

澤田 へーそうですか。今日こんにちの歳時記は、主に俳句向きの、季語がまとめてあるもので、立派なものは絵や写真付きで科学的に教えてくれます。短歌と比べ、俳句の歴史はまだ浅く、いまの形式が成立したのは明治時代になってからなんですよ。新しいけれども、そもそも日本は四季の巡る国、暦の流れに沿う暮らしをしてきている。中国伝来の「二十四節気」と相まって、短歌にはない季語というルールも設けられ、日本人の感覚にぴたりフィットしたんでしょうね。で、僕も毎朝の地元新聞連載ということで、月日の流れ、季節の巡りを意識したものにしてみようかなと企んだわけです。ただ、歳時記と言ってしまうと「季語」という課題が生じるし、書く対象も限られてしまうので、とりあえず「新」暮らし歳時記という言葉でごまかした。なんか突っ込まれたら「新」ですからね、って言えるしね(笑)。

――「新」とついているので、ここに澤田さんの意気込みとかこだわりが詰まってるのかと思ったら、ごまかしっ! コラムは1回200字弱の文字数で、かつ1週間は同じテーマ、暮らしについて書く、そのうち2、3本は京都や滋賀に関する内容を入れる、という枠組みの中でやっていたと本の冒頭にありましたけれども、あるルールの中で言葉を紡いでいくという点で、短歌や俳句のようなものとどこか近い感じがしました。

澤田 1週間のテーマを決めるときに「それはちょっと」と言われることもあったんです。映画のことがどうしても多くなってしまって。気づけば全然暮らしが関係してこなくて。本当はホラー映画のことや、アイドルのこと、ミステリーや、ロック、お笑い、プロレスや自動車、オーディオとかをどんどん書きたかったんですけど・・・。書いた嬉しさより書けなかった悔しさの方が大きいかな。
 ミシマガジンの連載でもご承知の通り、まあ饒舌で、書きたいことはいっぱいあって、もしかしたら新聞連載で禁じられていた文字数制限とかを、逆に制限が全くないミシマガジンのほうに書くことで解消していたのかもしれないです。同じ時期に始まったミシマガジンと京都新聞の2つの連載は、実は表裏一体だったんですね。むしろ新聞のほうで息抜きしていて、ミシマガジンのほうで苦しんでたりしたときもあったかも。よく「長くて途中で読むのやめたわっ」て言われるんですよ。適切な文字数については何十年原稿を書いてきてもまだ全然わかってないんです。

真面目な1面の中でちょっと笑えるやつ

――でも、澤田さんの文章には、メールでも、原稿でも、なにかちょっと笑わせたり、何らかともしびを残していく感じありますよね。

澤田 ともしび、残したいやん(笑)。京都新聞でやってた時は、1面って、どの新聞であれ真面目、ニュースでふざけたら成り立たないのは当然で、記事で笑かそうという気はないものです。でもそんなに読者が常に真面目だとも思わないし、他が真面目なんだったら、自分の部分はちょっとバラエティ感を入れようという魂胆はありましたね。笑ってもらい、笑かせてもらってなんぼだという価値観で生きてますんで。
 東京から京都に戻って、担当記者さんにやりませんかってお声をかけていただいて、おずおずと相談しつつ、書きながらだんだん形になっていった感じでした。新聞だから文字の統一もあれば、いろんなきまりごとでいちいち「へー」っと思ったりして。『記者ハンドブック』をプレゼントしてもらったな。新聞記者や校閲が文字や表現を統一するために使っているもので、漢字になるか、ひらがなに開くか・・・で文字数があふれたり減ったりするし、そういうところもやりとりしながら。ちょっとクスッとさせようとか、ボケるとか、大きめにボケて読者につっこませようとか、そういうことをいっぱい考えてた。

――私は知らないことが多いので、この本を読むと、ものすごく勉強になるんですけれども、澤田さんと同年代の方やもう少し上の年代の方だったら、過去の記憶が呼び起こされそうです。これすごい本ですよ。「わが家に一冊」ですね。あとは、地方紙の連載って、地域色が強いイメージがあるんですが、本で読むとあまり感じなくて、それは澤田さんが東京でお仕事されている期間が長かったことも関係してそうですし、京都や滋賀、関西にかぎらず、全国で読まれてほしい・・・!

乗り物に酔わなくなった理由

――そういえば、本の中には昔の京都の話も出てきますね。「京都はまだ地下鉄がなく、小遣いも乏しく、駅から四条までは徒歩だった」という話に衝撃を受けました。歩くには、けっこうな距離だな・・・と思って。

澤田 当時は、バスしかなかったんですよ。僕は乗り物酔いするし、バスに対してあまりいい思い出がなくて。

――今もですか?

澤田 今は大丈夫。乗り物酔いを解消したのは、マガジンハウスに入ってからで、もうとにかく時間に追われて、あっちにもこっちにも待たせている関係者だらけ、怒られるし、考える余裕もなく次々原稿を書き、赤入れしたりしてて、バスの中でもタクシーの中でもごちゃごちゃやっていると、あれ僕全然酔ってへんわ、ってことに気がついた。そんなこと言うてる場合じゃなかったんです。

――それすごいですね。私も結構酔うんですよ。昔は酔わなかったんですけど、最近酔うようになってしまって。

澤田 ああ逆だ。

――はい。だから気持ちかもしれないです。ボケッとしてるのかもしれないですね。

澤田 ミシマ社ってどういう会社なんだろうね?

――ぬっ・・・!

マガジンハウスの若造

――大学で東京に出た後、「平凡出版」(現・マガジンハウス)に入社されているんですけれども、初めから編集部配属だったんですか?

澤田 「ロケ」の巻で少し書いたけど、最初は宣伝部に配属されましたね。

――宣伝部?

澤田 宣伝部は、本が出たときにお金を使って宣伝する部署です。ちなみに一般的には企業の宣伝部はテレビCMを打ったり、ラジオ、新聞広告、中吊り広告、その他諸々をやるところ。広報部というのは会社のイメージを守っていく部署ですね。入社当時、僕の会社は名称が「マガジンハウス」に変わるんですけど、「マガジン」の「家」だけあって、雑誌で食べている会社でした。のちに単行本も始めたんだけれど、あの頃は3つの雑誌編集局が中心で、第1が「平凡」という名前をつけていた、創業からある『月刊平凡』『週刊平凡』『平凡パンチ』とか。第2が女性誌系で、『an・an』『クロワッサン』『エルジャポン』など。第3が『ポパイ』系、『ポパイ』『ブルータス』『ターザン』や『オリーブ』など。大学5年生の頃に『ブルータス』が出たんです。この雑誌が本当に好きだったから、平凡出版という会社に入りたい入りたいと就職活動中念じてたの。そしたらなぜかまんまと入れた。運がいいんです。しかも配属先は宣伝部の『ブルータス』担当となって。最初は新入社員は全員「業務」というのをやらなきゃいけないんで・・・。

――業務ってなんですか。

澤田 編集以外のセクション。総務部だったり、広告部だったり、販売部、製作部(資材部)、宣伝部、経理部、とかあって。1982年には15人が入社して、それぞれあちこちに配属され、僕は宣伝部でした。お金を使ってイバっていられる部署。たとえば広告部は入り広=広告をいただき、販売部は本を売っていただき、取引先にアタマを下げる仕事ですが、宣伝部は出広=広告を出すほう。宣伝担当者は、編集長とダイレクトに喋れる立場でもあり、その当時は『ポパイ』や『ブルータス』を作った石川次郎さんなんだけど、1年ちょっと宣伝部にいたあとに、「来いよ」と呼んでもらって。今の野崎さんを上回る、若々しさとヘラヘラ加減で、我ながらひっどいもんだったな。人のお金を使って仕事してるだけでイバってたし、すごく嫌な奴だったと冷や汗とともに振り返ります。あ、野崎さんは全然イバってませんね。

――どうもありがとうございます(笑)。宣伝部にいたからイバるようになったんですか?

澤田 それもあるし、もともとが調子乗りだったから・・・。若い人の特徴でしょうし、賢明じゃない人は、みんながペコペコしてくると、自分の力のように勘違いしてしまうんだけど、僕の場合、それはマガジンハウスが立派なわけで、宣伝部がお金を使えるところであり、「ブルータス」がかっこいい雑誌だからなのであって、一若造の手柄ではない。媒体が立派だから、有名人に取材を申し込んだり、著者に執筆を依頼しても、オッケーをもらいやすいとか、そういうものであって、サワダめが偉いわけじゃない。そんなの当たり前ですよね。でも若いオロカモンは勘違いをする生き物なんです。

――うわー、しかと心に刻みます。

澤田 政治家や二代目三代目にそういう人、多いよね。わかりやすくイバっている人。一生そういうタイプもいるので僕はまだ反省してるし、ましかな。ともかく、若い日々の自分にちゃんと向き合わなきゃ、バブルも検証しなきゃな、ということはこのあいだのミシマガジンの原稿を書きながら思ってたんですよ。

売れないとヤバイ状況へ

――その後、一度編集部を離れて、『ターザン』の副編集長、書籍部の編集長なども務められたあと、マガジンハウスを離れてから『暮しの手帖』編集長に就任されましたね。マガジンハウスと暮しの手帖社って、めっちゃ対極じゃないですか。

澤田 そうですね、180度違ったのが新鮮だったし、それをやってみたかったから編集長の仕事を受けたっていうのもあるね。広告を取らず、読者がスポンサーでした。売れないとヤバイ、売れないとつぶれる。真っ当です。そういう意味ですごく鍛えられたのかな。内容がつまんなかったら人は買わないもんね。『暮しの手帖』のすごさを知ったね。20万部刷って、ちゃんと買ってもらってた。でも本当にそこでも僕は運がよくて、編集長に就任するなりNHK朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」が決まって、部数は30万部にまで伸びました。運も実力のうち、とかいう言葉があるけれど、そんなわけはありません。全くただの偶然なんです。

――今回の本の中でも、編集長として、雑誌の実売が落ちたらどうしよう? とか、年末年始に合わせて12月は前倒しで制作が行われる「年末進行」のドキドキ感というのも書かれていましたね。澤田さんとお話ししていると、雰囲気から、焦ったりとか緊張したりとかそういう姿は全然想像できないんですけど。

澤田 それはだって今はね、もう定年の歳だし、もう大体いろんなことは経験済みだし、ちょっとだけ余裕はありますよ。

――でも、とはいえ、本の中で、編集の仕事を「ハラハラドキドキの綱渡り」だと書かれているのを読んで、なんか元気出ました。

澤田 もし雑誌を作りだしたら、またドキドキになると思います。

小池アミイゴさんの絵

――今回の本、小池アミイゴさんによる装画・挿画も本当に素敵です。前著『ばら色の京都 あま色の東京――「暮しの手帖」編集長、大いにあわてる』のときも、小池さんでしたね。並べてもすごくいいですね。アミイゴさんに挿絵をお願いすることは、早くから決めていたんですか?

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澤田 それしか考えられなかったですね。相棒になった感じがあって。誰かがエッセイを書いて、それにおなじみの絵が入るパターンが昔から好きで。たとえば筒井康隆だったら山藤章二、星新一だったら真鍋博、椎名誠だったら沢野ひとしとか。付きもの。村上春樹には、最初は佐々木マキ、そのあと安西水丸とか。谷川俊太郎と和田誠。挙げてるだけでニヤニヤしてしまいます。そんなコンビへの憧れがあって、(有名作家と自分を一緒にするのは超僭越ですが)僕の『暮しの手帖』時代のエッセイにアミイゴさんの絵が付いたとき、わ、これだと思った。なんでこの人はこんなにわかってくれるんだろう! ってびっくりしたものです。

――そうだったんですね。すごく合ってると思います。

澤田 僕よりセンチメンタルで、ノスタルジックで、5つ年下なのに、地面の匂いとか緑とか、ケミカルなものが苦手とかアナログが好きとか、あときっと音楽が好きというのも共通で。東京のドタバタ、バブルとかも一緒に経験しつつ越えてきたから、あの日々への自戒、反省もあったり、いいところも知ってたり、だからパッとわかるんだろうな。

――絵が届いた時、澤田さんはどんな感じなんですか?

澤田 わ、こう来たか、と。作業手順としては、まず一週間分コラムを書き、日曜日はその週のテーマでエッセイを書く。このエッセイは締め切りぎりぎりに書き上げて(ミシマガジンと同じですね)、担当に送って、アミイゴ氏にすぐ転送され、そしたら素早く翌日、遅くても翌々日には絵が届くんです。一応僕なりにどんな絵を描いてくるかなって予測するけどことごとく違っていて、ああここを拾ったのかと、そういうのがすごく面白かった。見ると、たしかにこれだよな、とか思ったり。贅沢な体験でしたね。新聞はこれが47回あったんです。

あつい展示が開催中!

――その小池アミイゴさんの原画が、7月3日まで能登川図書館で展示中ですね。その展示では、今回の本の挿画すべての原画を見ることができて、それぞれの絵に対するアミイゴさんと澤田さんのコメントがあり、さらには日本絵本賞を受賞された『はるのひ』の原画まで・・・大感激でした。

澤田 思いのほか遠くからも大勢来ていただき、長い時間を過ごしてもらっているようです。

――原画だけでも相当なボリュームですが、同じ空間に開催されている澤田さんの「青春」コレクション展示で、『いくつもの空の下で』に関連する漫画や映画、レコード、ポストカードやポスター、あらゆる現物があって、本が空間として立ちあがっている感じがすごかったです。
 その会場で、私は幼少期の頃の澤田さんのやばさを実感しました。親友との文通のお手紙の現物が置いてあったりとか、大阪万博の時にご自身でつくられたノートが置いてあったりとか、万博の時って何歳ぐらいですか?

澤田 12歳、小学校高学年。20世紀少年です。

――その万博のアルバムもですし、飾ってあった中三時のビートルズに関する研究論文や友だちへのはがきの文面を見て思ったのは、ひとつひとつレイアウトやレタリングもしていて、小・中学生とは思えないです。

澤田 暇だったんですよ。

――いや・・・暇だけでは片付けられないものがある気がしてすごくびっくりしました。

澤田 凝り性だったんだろうな。でも、最近しみじみ思うのは、貴重なものは時間だったんだ、ということですよね。長い年月を生きてきて、今回の展示に選ばれて残っているもの、それらから浮かび上がってくるものって、のんびりした時間の中にいたシアワセな自分なんですよ。万博の記録をつけたりとか、日記や手紙をちまちま書いてた時間とか、テレビが家にやってきて、ずーっとうすらぼんやり見続けていて培われた自分。当時のアニメソングなんて全部ほぼ完全に歌えるなあ。マグマ大使でも、ウルトラマンでも、ひみつのアッコちゃんでも毎日毎週再放送もなんでもなんども見てたから。本を読む時間もたっぷりあったし、まあ宿題もしたけど、近所の子とは地面で遊んでた。土や緑、水に触れてたな。びっくりするくらい時間があったんですよね。
 憧れをたんまり抱えて生きてました。ほしいものがいっぱいで、お小遣いに飢えてた。やっと買ったレコードを聴くのも、ちゃんとじっくり聴いてたもんね。友達が家に遊びに来て、一緒にレコードプレーヤーとスピーカーに向かって並んで座ってじぃっと聴いていた時間があった。カーペンターズええなあ、とか言い合って(笑)。あるいは友達が遊びに来たものの、ただ僕の漫画をずっと読んで、ほな帰るわーと帰って行った、あの時間ってなんだったんだろうとか(笑)。たっぷりの時間、それは今思えばちっとも無駄なものではなくて、むしろそこに価値がある。
 連載や展示で、そういうのを思い出してましたね。大学時代も暇だったなあ。今回展示した中にはその頃の手帳もあって、「シロキと将棋、113勝1敗」とかあって、どんだけ暇だったことか。そしてこの「1敗」とはなんだったのか?
 大人になってからの数十年はとにかく忙しかったですね。得意の乗り物酔いをする時間もないほど動いてた。『暮しの手帖』の編集長の仕事が終わったから、よーし暇になるぞお、とか思っていたけど、そうでもないね。まず心、体勢が全然暇になってなくて。何にこんなに追われているのか不思議なんですけども。
「青春」コレクションと銘打って、確かに若いころのものをたっぷり展示していますけど、実は今だって青春、なんて思っているんですよ。ビートルズの歌った「64歳」になってしまってはいるものの。

――「百聞は一見に如かず」をここ最近でもっとも強く体感した空間だったので、会期ものこりわずかですが、お近くの方、間に合う方、ぜひ足を運んでほしいです。あと、時間にはくれぐれも余裕を持ってお出かけください。私は20分ぐらいで見終わるかな、と思って行ったんですが、ぜんぜん見終わりませんでした!

澤田 能登川展はもう終わりますが、現在小池アミイゴ展東京編を画策中なんです。10月頃となりそうですが、また報告、案内しますね。

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ミシマガ編集部
(みしまがへんしゅうぶ)

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