第2回
コトドリは自作自演、ほか
2021.06.12更新
コトドリは自作自演
オーストラリアにコトドリという鳥が住んでいます。オスが、白くて細長い尾羽を持っていて、拡げると竪琴のように見えるのでこの名前です。この鳥、モノマネの名手で、 チェーンソーやオモチャのレーザー銃が出すような、人工的な音でも真似て鳴くことで知られています。生き物の出す声とは俄かに信じられないくらいよく似ているのですが、こればかりは文字で伝えることは難しい。ぜひ「コトドリ」でネット検索して、鳴いているところの動画を見てください。
そんなコトドリのオスの新しいモノマネ術を発見したのが米国コーネル大学のアナスタシア・ダルジェルさんたちです。何匹もの他の鳥からなる群れ全体が出す音を、一羽で真似ることができるのです。
鳥の中には、天敵が現れた時に、大勢で鳴き騒いで威嚇して身を守る、モビングという行動をするものがいます。モビングには違う種類の鳥が集まってくる場合もあり、たくさんの鳥がいろんな鳴き方で騒ぐので、全体では複雑極まりない合唱になります。コトドリのオスは、その一つ一つをきっちり再現していき、とても一羽で鳴いているとは思えない音を出します。
どうしてこんなビックリするような能力を持っているのでしょう? この謎に迫る鍵は、タイミングにありました。というのも、オスがモビングを真似るのは、メスと交尾している最中か、求愛されたメスが交尾せぬまま立ち去ろうとした瞬間か、のどちらかだけなのです。
モビングは騒々しいので、参加しないで離れた場所にいる鳥も、その音で天敵がいるらしいことを察知できます。ということは、オスのモノマネを聞いたメスは身の危険を感じるはずです。その状況で、オスから離れていくのは得策ではない。こうしてオスは、天敵の幻想を抱かせることで、メスをそばに留めようとしているのではないか、とダルジェルさんたちは考えています。
しかしこの作戦、ダメな男の子が彼女の気を引くために、不良に扮した友達に帰り道で待ち伏せしてもらう的な、B級漫画やドラマに出てきそうなシチュエーションを思い起こさせます。こういう目論見、お話の中ではたいてい上手くいかず、むしろ騒動のタネになるものですが、コトドリの場合、果たして本当にうまくいくものなのでしょうか?
典拠論文
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0960982221002104
動物界のハンバート・ハンバート
20世紀文学の産んだ傑作の一つが、ウラジミール・ナボコフの小説『ロリータ』です。主人公はアメリカに移り住んだヨーロッパ人の文学者で、夫を亡くした後家さんと結婚することでローティーンの娘に近づきます。そして後家さんが事故で亡くなると、少女を愛人にしてしまいます。さて、この主人公、名前をハンバート・ハンバートというのですが、この、同じ言葉が2回繰り返される奇妙な名前が、私にはどこか魅惑的に感じるのです。
現在私たちが知っているいきものには、一種類一種類に学名という世界共通の名前がつけられています。この学名、ホモ・サピエンスHomo sapiens(私たちヒトです)のように、二つの部分からできています。で、動物には、ハンバート氏のように、同じ言葉を2度繰り返す学名を持つものがいます。例えばカササギはピカ・ピカPica picaで、コモリガエルはピパ・ピパPipa pipaです。クモにはゾマ・ゾマZoma zomaという種類がいます。どの名前も、不思議であやしい魅力を放っています。
クモといえば、交尾の際にメスがオスを食べることで有名なセアカゴケグモ。学名はラトロデクタス・ハッセルティLatrodectus hasseltiといい、名前に繰り返しは無いのですが、別のところでハンバート氏的です。
クモは脱皮を繰り返して成長しますが、最後の脱皮を終えて初めて成熟し、繁殖できるようになります。それが「大人」になるということで、それまでは「子供」の状態です。とはいえ、最後の脱皮の数日前には、メスの体の中は完成に近づいていて、将来オスと交尾した時に受け取った精子を貯めておく、受精囊という袋ができています。そこでハンバート氏ならぬセアカゴケグモです。オスは、そんな「大人」になる直前の、まだ「子供」であるメスの体に自分の交尾器を突き刺し、受精囊に直接精子を送り込むのです。カナダ・トロント大のダニエラ・ビアージョさんたちの発見です。
メスは脱皮後も精子を持ち続け、後にオスの子を産みます。こうなってくると、脱皮直前のメスはもう繁殖できるのだから「子供」とは言えないのじゃないか? という疑問が湧いてきます。ですが、最後の脱皮を終えるまではまだ交尾器は完成しておらず普通の交尾はできないので、やはりまだ「大人」とは言えません。それにしても、なぜオスはわざわざ「子供」と? と思うのですが、「子供」は「大人」と違って、寄ってきたオスを食べようとしないそうで、なるほどそれは確かにメリットだ、と合点します。
一方のハンバート氏は、ロリータに熱を上げることで破滅します。小説を読むと、その心情がわからないでもないのですが、そんなことは些細な話。私にとってのハンバート氏の魅力は、その名前にあるのです。ああ素敵な繰り返し。じゃあ私もペンネームにどうだろう? と考えてみたのですが、「中田・中田」じゃあ売れない漫才コンビみたいなので諦めました。残念です。
典拠論文
https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rsbl.2016.0516