凍った脳みそ リターンズ

第8回

俺とK林を襲う身に覚えのない不遇

2025.12.10更新

 エホー!

 駿河湾から這い上がり、そう叫んだところで前回の連載が終わっていたと思う。吉方(えほう)。それは縁起の良い方角という意味なのだが、うっかり今年の吉方を確認せずに、深海魚がたくさん獲れる溝のような海から這い出した興奮そのまま、適当な方角に向かって雄叫びをあげてしまった。

 吉方を間違えるとどうなるのか。

 長い人生のなかで、そうした疑問を持つことなく生きてきてしまった。適当に選んだ方角が縁起の悪い方角だった場合、どうなってしまうのかを俺は知らない。調べる暇がまったくないので、ChatGPT、通称チャッピーに尋ねてみることにした。

 チャッピー曰く、凶方位を選んだ場合には、人生における様々な停滞が起こるのだという。まずは軽微な体調不良。だるさが抜けにくく、風邪を繰り返す。睡眠の質が下がり、怪我が増えるとのことだった。

 さらに負の影響は続く。

 続いて、人間関係の摩擦。誤解されやすく、話がまとまりにくくなる。そして周囲との距離が生まれるのだという。金運や仕事運は停滞し、判断ミスによって予想外の出費が増える。契約、交渉、創作は停滞し、売上や評価が伸びない。大損ではなく、じわじわとした停滞が典型的とのことだった。そして、メンタル面が低下するとのことだった。これだけのことが続くのだから、チャッピーがまとめてくれたメンタルの欄の詳細は読まずとも、度重なる不幸によって精神がクズクズになってしまうことくらい容易に想像がつく。

 恐ろしいことだと思った。

 じわじわと迫り来る停滞に怯えながら暮らすのは辛い。どうすれば良いのだろうか。

 思い起こせば、このプロジェクトは開始早々から、困難ばかりが立ちはだかった。

 市役所の空き家対策課に配属された友人のK林を頼って、俺は静岡県の藤枝市で、レコーディング・スタジオに適した空き家を探しはじめた。三年くらい前のことだったと思う。静岡県には体育館のようなサイズのお茶の倉庫や冷蔵庫が点在している。抹茶の世界的なブームが起きているというニュースを読んだことがあるが、お茶の生産から製茶に至るまで、産業的には厳しい時代を迎えているという話を聞く。人手不足も相まった時代の荒波のなかで、役割を終えて放置されるような倉庫があるのではないかと想像し、K林に連絡を取ったのだった。

 しばらくして、「ちょうど良い感じの大正時代の石の蔵がある」という連絡がK林からあった。伊豆石という立派な石を使った素敵な蔵で、地域の演劇や音楽のイベントも行われているが、取り壊しの計画が噂され、なんとか残したいと所有者が望んでいるとのことだった。

 皆が心置きなく音楽制作に没頭できるレコーディング・スタジオは、近しい仲間たちにとっての悲願でもあった。常日頃から、同じ思いでそうしたスタジオを熱望していたエンジニアのK(止まったら死ぬエンジニアとして『凍った脳みそ』の前巻に登場)を誘って、藤枝へ向かった。

 静岡駅から車で20分くらい。かつては東海道の宿場町であった商店街の端から小道に入り、しばらく進んだところにその石の蔵はあった。どうやって切り出したのか想像もつかないような立派な石が積み上げられた蔵で、バスケットの試合ができそうなサイズの蔵と、その半分くらいのサイズの蔵が並んで街の片隅に鎮座していた。伝説のはじまりのような建物だと思った。

 所有する会社の社長の案内で、石の蔵の内部を見せてもらった。広い蔵は様々なイベントに使われているらしく、一番奥にステージのようなものが組まれており、200平米はあろうかという巨大なスペースの一角には、藤枝一帯のお茶の歴史を記したパネルが展示されていた。

 そのパネルを興味深く眺めていると、社長が地元の緑茶を淹れてくれた。静岡出身の自分にとっては懐かしい、キリッとしつつも甘みも感じるようなとても美味しいお茶だった。そのお茶を啜りつつ、藤枝のお茶の歴史のあらまし、そしてこの倉庫がどのような歴史的価値を持っているのか、そうした話を聞かせていただいた。1時間半にわたる熱のこもった解説だった。

 雲行きが怪しくなったのは、市役所の課長がやってきてからだった。

 課長を見つけるなり、それまでにこやかに藤枝のお茶と倉庫の歴史について語っていた社長の表情が険しくなった。俺が吉方についてよく考えずに生きてきたからかもしれない。この倉庫には歴史的な価値があり、市民のイベントの会場になっているにもかかわらず、役所はそれを理解せず、石の蔵の存続に向けて何の策も講じていない、という不満が社長の毛穴から少しずつ染み出し、時折に薬缶のなかで突発的に湯から気泡がはじけるような勢いで、強い言葉となって投げかけられはじめた。

 決して気の強いほうではないK林を見ると、普段の80%くらいのサイズに縮みあがっていた。この石の蔵を存続させるべく、空き家対策の一環として現場に来ているという彼の役割を考えると、彼が怒られるのは理不尽であるようにも感じられたが、K林にはそういう貧乏クジを引いてしまうような、そこはかとないクジ運の悪さみたいなものがあるように思う。

 思い起こせば、K林は藤枝バイパスによって三桁の国道に格下げされる前の国道一号線で、高校生の頃に何度かカツアゲされていたように思う。カツアゲなど言語道断、許されざる行いでK林に非がないことは明白であるが、大学に進学して引っ越した埼玉は川越の駅前で、引越し当日に地元のヤンキーから「駅はどこか」と声をかけられ、再びカツアゲに遭うような不遇さが彼にはある。どうしてかはわからない。K林も、これまでの人生のなかで度々、凶方に向かってエホーと叫んできたのかもしれない。

 悲しいことだと思った。

 俺もK林と同じような、なんともいえない不遇を抱えてきた。思い起こせば、小学校一年生のとき、クラスメイトの教科書がなくなり、隣席の子の机の中から発見されるということがあった。収納時の単純な入れ違いのような気もするが、担任の教師はこれを事件として取り扱い、犯人が見つかるまで帰れまテン、みたいな地獄の学級会が開催された。その学級会の地獄ぶりは今思い出しても腑の煮えくりかえるようなもので、遂には誰がやったと思うかを挙手で発表することになり、身に覚えがないにも関わらず、俺は見事に容疑者のひとりに推挙され、多数決によって最終選考にまで残ってしまったのだった。

 信じられないことだと思う。

 また、小学校六年のときには、放課後の深い時間に生徒用の玄関が閉まっており、仕方なく職員室の前の教員用の出入り口から下校しようとすると、職員室の前で騒ぐなと叱られている友人たちの一団があった。俺はアホがまたやってますわという感じでニヤニヤしながらその脇を通過したところ、いきなり「返事がない」とフルスイングのビンタを喰らったことがあった。完全に濡れ衣であった。

 K林と俺には、このような身に覚えのない不遇を引き寄せてしまうような、怒りの矛先として当選してしまうような運の悪さがある。

 石の蔵はとても素敵な場所だった。天井も高く、40㎝はあろうかという分厚い石材は遮音性も高く、また音響のための材としてもユニークで、ここがレコーディング・スタジオに生まれ変わったら最高の場所になると直感した。説教により縮み上がるK林の横で、止まったら死ぬエンジニアのKが目を輝かせていた。

後藤 正文

後藤 正文
(ごとう・まさふみ)

1976 年静岡県出身。
日本のロックバンド・ASIAN KUNG-FU GENERATION のボーカル&ギターを担当し、ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手がける。
ソロでは「Gotch」名義で活動。また、新しい時代とこれからの社会を考える新聞『THE FUTURE TIMES』の編集長を務める。
レーベル「only in dreams」主宰。
2024年5月、静岡県藤枝市にて『NPO法人 アップルビネガー音楽支援機構』を設立。
主な著書に『何度でもオールライトと歌え』『凍った脳みそ』『青い星、此処で僕らは何をしようか』(藤原辰史との共著)(以上、ミシマ社)、『朝からロック』(朝日新聞出版)、『YOROZU~妄想の民俗史~』(ロッキング・オン)、『INU COMMUNICATION』(ぴあ)、編著に『銀河鉄道の星』(ミシマ社)。

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

ページトップへ