過去の学生

第12回

氷を噛む

2023.08.23更新

 私にはとても仲のよい幼なじみが3人いる。みんな女性で、同い年だ。

 私たちは4歳ごろから親しいが、4人揃って同じ保育園や小中学校に通っていたことは一度もない。ところどころ重なったり、離れたり、という感じだった。

 幼なじみの誰かと、同じクラスや部活になったとしても、私たちは学校生活においてはそこまで親しいわけではなく、それぞれのコミュニティで友人関係を構築していた。

 私たちの親は、みんな仕事をしていた。両親がいても、シングルマザーでも、母親たちはお金を稼いでいた。"ママ友"と言っても、さまざまな距離感があると思うが、一緒にお茶をしたり、プライベートな話をして盛り上がるという雰囲気はほとんどなく、子育てというサバイバルをみんなでがんばって乗り切っていくという、シンプルな関係だった。特に私の母は仕事で夜遅くなることがあったので、私はみんなの家でよく夕飯を頂き、お風呂にもいれてもらい、布団に入ったころに母が迎えに来て、眠い眼をこすりながら自転車の後ろでゆられ、家まで帰った。

 しかし、ほんとうに不思議なくらい、子どもたちも、母親たちも、お互いがお互いを大切に想い、気取らず飾らず、今のいままで大切な存在として生きてきている。

 私たちは二十年以上、親や兄弟も一緒にクリスマスパーティーを続けてきた。私たちは一緒に出かけたりはそれほどしないが、だれに自慢するわけでもなく、このパーティーがホームであり、プライドとなっていたような気がする。

 コロナ禍はパーティーができなくなった。なので私たち4人はときどきオンラインでビデオ通話をした。4分割されたスマートフォンの画面には、それぞれの生活が映し出される。Aちゃんの隣には、生まれたばかりの赤ん坊が寝ている。Bちゃんの後ろでは、犬が行ったり来たりして、ときどき夫がチラっと映る。Cちゃんはペットロボットを溺愛しており、ロボットの様子をときどき実況中継してくれる。私の画面には私以外、動くものは何もない。
 

 ちょっと話は変わるのだが、留学中のソウルで試験勉強に追われていた私は、コンビニでポテトチップスやチョコレートといったお菓子を買い込んで、むしゃむしゃと食べながら、ふと子どものころに食べたおやつのことを思い出した。

 私は小学4年生まで学童保育に通っていたので、そこで出るものが私にとってのおやつの基準だった。ハッピーターンなどのおせんべい、半分にカットされたバナナ、まるごと出てくるみかん、大容量で売っているピーナッツがゴロゴロと入ったチョコレート、カントリーマアム、ラムネなど...。ひとりぶんの小さな皿の上に3〜4種類くらいの食べ物が、味やテイストのバランスを取ろうという気は一切ない感じで目の前に置かれた。

 ときどき、みんなで駄菓子屋に行くイベントがあり、100円以内で好きなものを買ってよかった。

 月に一回、誕生日会があり、アイスクリームが出たり、小さなケーキが出たり、マクドナルドのチーズバーガーが出たりした。とくにチーズバーガーは大人気でみんなこの日を待ち望んでいたのだが、ほとんどの子が中に入っているピクルスを残した。私はそれが大好物だったので、15人分くらいのピクルスを食べられて嬉しかった。

 5年生になり学童を卒業し、放課後に友達の家に遊びに行くことが増えた。友達の家にはお母さんが居て、おやつを出してくれる。学童のときよりは少し値段の高そうなクッキーやポテトチップスが、大きなお皿にパーティーのようにきれいに並べられて出てくる。となりにはオレンジジュースが置かれている。私にはその光景がいつも異様に感じられ、なんだか気持ち悪かった。もういろんなことが自分でできる年齢なのに、子ども同士が一緒に遊んでいるだけなのに、友だちのお母さんにもてなされる感じが、なんだかしっくり来なかった。今思えば、友達の家にお邪魔させてもらっているのだから当たり前の話なのだが、なんだかモヤモヤした。

 そう思うと、幼なじみたちの家は気楽だった。親が家にいないことが多かったし、おやつを毎日食べるという習慣も、なかったような気がする。

 この間「私たちっておやつ、なにを食べていたっけ?」と、グループメッセージを送ってみた。

 私が、Aちゃんの家ではよく牛乳を飲んでいたと言うと、確かに牛乳だけは大量にあったと返ってきた。

 Bちゃんの家には、夜にお邪魔することが多かったのでおやつを食べた思い出はほぼなく、夕飯にうどんや春巻きをよくごちそうになった。私の家ではあまり食べないものだったので、不思議な感じがした。

 「Cちゃんの家に行くと、おいしいポテチとポッキーが食べられた」という記憶が3人一致していた。Cちゃん以外の3人は、家でスナック菓子をあまり食べなかった。Cちゃんは祖父母と暮らしていた。それとCちゃんの家で、私はたまご焼きを作って食べていた。大人がいると気がねなく火を使うことができた。

 そんな中で、私たちが共通してあげたおやつは"氷"だった。かき氷ではなく、製氷皿に作った、なんの変哲もないただの氷を口の中で転がして、それが溶けて少し小さくなるとゴリゴリと噛んで食べていた。

 私たちの友情が、気楽に続く理由が、ここにあるような気がした。これくらい適当でいいんだよな〜。

前田エマ

前田エマ
(まえだ・えま)

1992年神奈川県生まれ。東京造形大学卒業。モデル、写真、ペインティング、ラジオパーソナリティ、キュレーションや勉強会の企画など、活動は多岐にわたり、エッセイやコラムの執筆も行っている。『向田邦子を読む』(文春文庫)、ミシマ社が発刊する雑誌『ちゃぶ台』6号にもエッセイを寄稿。連載中のものに、オズマガジン「とりとめのない日々のこと」、クオンの本のたね「韓国文学と、私。」がある。声のブログ〈Voicy〉にて「エマらじお」を配信中。著書に、小説集『動物になる日』(ちいさいミシマ社)がある。

編集部からのお知らせ

8/28(月)前田エマさんと能楽師の有松遼一さんのトークイベントを開催します。

230828_event.JPG<日時>

2023年8月28日(月)19:00〜20:30頃

<出演>

前田エマ、有松遼一
司会:三島邦弘(ミシマ社代表)

<内容>

2022年に、初の著書をミシマ社の少部数レーベル「ちいさいミシマ社」からそれぞれ発表された、モデルの前田エマさんと能楽師の有松遼一さん。発刊から1年以上を経て感じる、本を書くことや、書店に本が並ぶことに対する思い、普段のお仕事と執筆のこと...など、それぞれの立場や視点から、本をめぐるお話をたっぷりと伺います。司会を務めるのは、同じく「ちいさいミシマ社」レーベルから今年5月に著書を発表した、ミシマ社代表・三島邦弘。

2019年に、「一人でも多く」届けることを目指しすぎず、「一人により濃く」届けることを目指してスタートした「ちいさいミシマ社」レーベル。この時代に、ちいさくつくることの面白さについて、3人で語り合う時間にもなればと思っています。

また、会の後半では前田エマさんに朗読を、有松遼一さんにお能の独吟(謡)をそれぞれご披露いただきます。お二人の声を通して、テキストを体感し、新しい本との出会いを楽しむ一夜、ぜひお運びください。

<参加形式>

会場参加・オンライン参加(アーカイブ有)

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