過去の学生

第13回

2023.09.23更新

 数年前、母と弟がインフルエンザにかかった。

 当時、私たちは3人で暮らしていたので、私だけでも健康に過ごして、生活をまわさなくてはと思い、決して広くはないごく普通のマンションの一室で、ふたりと隔離した生活を送った。

 ふたりが過ごすリビングには極力近づかず、ふたりが各々の寝室で寝ている最中に、私は台所で簡単にお粥や鍋を作り、置いておいた。洗面所やトイレは使用前後のアルコール消毒を徹底した。私は衛生管理に厳しい飲食店でアルバイトをしているのでこういったことに慣れており、いつもの仕事のようにテキパキとこなした。

 心配した祖母が、何度か電話をかけてきた。
 ふたりがインフルエンザにかかって二日ほどが経った頃だろうか。

「あーちゃん(祖母)がお金を出すから、鰻でも食べて元気を出しなさい」

 電話口でそう言われた私は、その日の昼、駅前の老舗の鰻屋に行き、うな重を食べた。

 これを栄養にして、なんとしてでも私はインフルエンザにかからないぞ。家族の平和は私が守るのだと再度決意を固くし、もぐもぐ、たらふく頂いた。

 数日後。元気になった姿を見せに、母と弟と共に祖母の家に行くと「この間の鰻代、いくらだったの?」と聞かれた。

「え?エマ、いつ鰻食べたの?」と、母。
「ふたりが寝込んでる時。あーちゃんが鰻食べて元気出しなさいって言ったから」
「あら、エマ、ひとりだけ、鰻食べたの?」と、祖母。
「うん。だって、エマが元気でいるための鰻だよね?ふたりの看病するために」
「あらまあ。鰻でも買ってきて、3人で食べて元気出してねって意味だったのよ」
「え、そうなの?だって、ふたりは病人だよ?病人も鰻、食べるものなの?」
「はい、出た!エマちゃんのそういうところ〜。まあ、いいけどさあ」と、弟。

 鰻をひとりで食べていたことに始まり、たいした看病はしていないだの、貧相な食事しか作ってくれなかっただの、病人である私たちを徹底的に避けていて傷ついただの...。そんなこんなで、私は家族からひんしゅくを買うこととなったのだ。

 鰻なんて脂っこいものを病人が食べるなんてこれっぽっちも想像しなかった。貧相な食事といえばそれまでだが、消化にいいものを作った自信があった。家族みんながインフルエンザになったら、何かあった時に動ける人が誰もいないのだから、自衛こそが私にとっての一番大事な仕事だと思っていた。私としては、出来得る最大限の行動をしたつもりだったのだが、どうやら何かがとてもズレていたらしい。

 思い返せば幼い頃から、自分としては一生懸命にやったつもりだったが、他人からすれば非常識だったり、あり得ないと言われることが多々あった。

 今までの人生で何度も、他人の私に対する「え?有り得ないんだけれど...」という表情をたくさん見てきた。サッと表情が変わる瞬間を、唖然を通り越した冷えた表情を、そのひとつひとつはよく覚えているのだが、具体的な内容を思い出そうと思ってもなかなか難しい。自分では真っ当な考えだと思っての行動なので、なおさらだ。

 そんな私でも大人になるにつれ、他人のあの表情を見ることが減っているような気がする。しかしもしかしたらそれは、私が誰かに対して、あの顔をする側にまわっているのかも知れない。いや、ただ単に、他人があの顔を上手く隠すようになっただけで、私は変わっていないのかもしれないけれど。

前田エマ

前田エマ
(まえだ・えま)

1992年神奈川県生まれ。東京造形大学卒業。モデル、写真、ペインティング、ラジオパーソナリティ、キュレーションや勉強会の企画など、活動は多岐にわたり、エッセイやコラムの執筆も行っている。『向田邦子を読む』(文春文庫)、ミシマ社が発刊する雑誌『ちゃぶ台』6号にもエッセイを寄稿。連載中のものに、オズマガジン「とりとめのない日々のこと」、クオンの本のたね「韓国文学と、私。」がある。声のブログ〈Voicy〉にて「エマらじお」を配信中。著書に、小説集『動物になる日』(ちいさいミシマ社)がある。

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

  • 斎藤真理子さんインタビュー「韓国文学の中心と周辺にある

    斎藤真理子さんインタビュー「韓国文学の中心と周辺にある"声"のはなし」前編

    ミシマガ編集部

    ハン・ガンさんのノーベル文学賞受賞により、ますます世界的注目を集める韓国文学。その味わい方について、第一線の翻訳者である斎藤真理子さんに教えていただくインタビューをお届けします! キーワードは「声=ソリ」。韓国語と声のおもしろいつながりとは? 私たちが誰かの声を「聞こえない」「うるさい」と思うとき何が起きている? 韓国文学をこれから読みはじめる方も、愛読している方も、ぜひどうぞ。

  • 絵本編集者、担当作品本気レビュー⑤「夢を推奨しない絵本編集者が夢の絵本を作るまで」

    絵本編集者、担当作品本気レビュー⑤「夢を推奨しない絵本編集者が夢の絵本を作るまで」

    筒井大介・ミシマガ編集部

    2024年11月18日、イラストレーターの三好愛さんによる初の絵本『ゆめがきました』をミシマ社より刊行しました。編集は、筒井大介さん、装丁は大島依提亜さんに担当いただきました。恒例となりつつある、絵本編集者の筒井さんによる、「本気レビュー」をお届けいたします。

  • 36年の会社員経験から、今、思うこと

    36年の会社員経験から、今、思うこと

    川島蓉子

    本日より、川島蓉子さんによる新連載がスタートします。大きな会社に、会社員として、36年勤めた川島さん。軽やかに面白い仕事を続けて来られたように見えますが、人間関係、女性であること、ノルマ、家庭との両立、などなど、私たちの多くがぶつかる「会社の壁」を、たくさんくぐり抜けて来られたのでした。少しおっちょこちょいな川島先輩から、悩める会社員のみなさんへ、ヒントを綴っていただきます。

  • 「地獄の木」とメガネの妖怪爺

    「地獄の木」とメガネの妖怪爺

    後藤正文

    本日から、後藤正文さんの「凍った脳みそ リターンズ」がスタートします!「コールド・ブレイン・スタジオ」という自身の音楽スタジオづくりを描いたエッセイ『凍った脳みそ』から、6年。後藤さんは今、「共有地」としての新しいスタジオづくりに取り組みはじめました。その模様を、ゴッチのあの文体で綴る、新作連載がここにはじまります。

この記事のバックナンバー

12月23日
第16回 サンタクロース 前田エマ
11月23日
第15回 学校えらび(後編) 前田エマ
10月23日
第14回 学校えらび(前編) 前田エマ
09月23日
第13回 鰻 前田エマ
08月23日
第12回 氷を噛む 前田エマ
07月23日
第11回 卒業文集 前田エマ
06月22日
第10回 叱られる 前田エマ
05月23日
第9回 皆勤賞 前田エマ
04月23日
第8回 テスト勉強 前田エマ
03月23日
第7回 定規で引いた線 前田エマ
02月23日
第6回 九九が言えない 前田エマ
01月23日
第5回 魚屋の息子 前田エマ
12月23日
第4回 太陽を消しなさい 前田エマ
11月23日
第3回 地毛届け 前田エマ
10月23日
第2回 生き物係だった 前田エマ
09月23日
第1回 作文の季節 前田エマ
ページトップへ