学ぶとは何か 数学と歴史学の対話

第17回

複雑性と単純化の狭間(藤原辰史)

2022.07.08更新

歴史学者の藤原辰史さんと数学者の伊原康隆さんによる、往復書簡の連載です。伊原さんから藤原さんへの前回の便りはこちらから。

藤原辰史>>>伊原康隆


1 歴史叙述の中の単純化

 まるで、言語の代わりに数字を用いた叙事詩のようです。ああ、もっと数学を学んでおけば、という痛烈な後悔とともに読まざるをえませんでした。あるランドマークに対する目線の方向と、その目を持つ人の進む方向の角度のずれが、直角の場合は円環が閉じるのだけれど、目線が少しでも前の方向に向くと足跡はそのランドマークにぐるぐると巻きつくようになる。そして、これ自体が大変充実している補注で示していただいたように、目線が真横より後ろの方向に向いていると、それはぐるぐるとランドマークから離れていくようになる。議論をギリギリまで抽象化し、抽象化することで初めて浮かび上がってくる関連性を探る行為が数学であるとしたら、あらためて、虚数を文系の生徒が高校で勉強しないのはもったいないと感じました。

 とくに「個人の時間軸を何らかの心象風景の空間に埋め込んで考えてみると、自分の場合からの想像ですが、人それぞれの時間軸には僅かでも虚数が入り込んでいるのではないか? その虚数部分とは、それまでの進行方向とそのとき心が向かっている方向の『角度のずれ』ではないか?」というご指摘は、深く、とても深く考えさせられました。

 伊原さんのラディカルなご提案に私も乗っかりまして、ここでは、複雑性と単純化について自分なりに考えてみたいと思います。複素数まで世界を広げた場合、指数関数は「急展開と周期性」という歴史の脈動のような動きを見せる、ということには、この世界の真理を探る旅は、数学と歴史学という全く異なる地域を歩く旅人でさえ、どこかで合流できるかもしれない、という期待を感じさせてくれます。数式の中に人間がいないのに、それが、歴史のふるまいのモデルのような動きを鮮やかに見せてくれることに驚きを禁じ得ません。また、数学はいつも1つの答えがあるという間違った認識に、結構私も知らずしらず毒されていたことにも気づきました。解なし。複数解。それらの関係性。おお、これならば、人文学とそんなに変わらないではないか。

 歴史の叙述の良し悪しも、結局は、ややこしい現象をいかに単純化して説明するか、にかかっています。もしも、歴史研究者が単純化を捨てれば、歴史の叙述は膨大になり、図書館はたちまちのうちに歴史書で埋まってしまうでしょう。私たちもまた、単純化への努力を怠ってはなりません。

2 歴史の法則

 さらにいえば、かつての歴史学者は、「歴史の法則」というものを大事に考えていました。それは、この社会の「自然史 Naturgeschichte」を書きたいと宣言をして『資本論』を書いたマルクスの影響が大きいと思いますが、経済、労働、流通といったさまざまな人間の行為を、あたかも、自然現象を観察し、その法則を見極めるかのように論じる人が多かった。マルクスは、これまでの歴史を階級という概念を用いて整理し、将来、プロレタリア革命が起きる可能性がある、という予想ではなく、プロレタリア革命は必然的に起こることになっている、という書き方をしました。いまなお、マルクスに強烈に魅惑される人も拒絶反応を示す人もどちらも多いのは、マルクスが自然科学モデルで議論をしているからだと思います。

 歴史の法則。正直に申し上げれば、私は、そこから漂う危険な香りも含めて、小さからぬ憧れがあります。このようなものを死ぬまでに一度でもとらえることができれば、どんなに幸せなことでしょう。たとえば、歴史を、数学の論文のように、定理や計算によって説明できたとしたら、どれほど美しいことでしょう。たしかに、歴史の法則に近いものを私たちは感じているはずです。かなり強引ですが、法則らしきものを考えてみましょう。

(1)民主主義劣化法則

 ギリシアの民主制にせよ、ローマの民主制にせよ、20世紀の欧米の民主主義にせよ、結局のところ、民衆の「面倒な調整は誰かにまかせたい」という気持ちと、私的空間で娯楽や生活をエンジョイしていればそれで満足という気持ちを増加させ、金のばら撒き、賄賂、統治機構の肥大、わかりやすい言葉の蔓延によって、次第に劣化し、多くの場合、独裁者やデマゴーグを招く。また、ウェンディ・ブラウンが『いかにして民主主義は失われていくのかーー新自由主義の見えざる攻撃』(みすず書房)の中で論じているように、1970年代から世界を覆い、コロナ禍で方針転換を迫られている新自由主義(公共が担ってきたセクターを企業に解放して、労働者の権利を縮減して人件費をカットすることで、経済成長を優先する趨勢)は、民主主義の劣化を見事に体現してきました。

(2)独裁者孤立の法則

 独裁者は、初めは、人々の熱狂や従順さに依拠して、自分の権力を確立していくが、やがて、時間が経つとともに、その従順さに疑いを持ち、猜疑心に襲われ、監視と粛清によって自分の正当性を保とうとし始めるので、徐々に周囲の心が離れて、孤立していくことが多い。

(3)覇権国家交代の法則

 ローマ帝国も、スペイン王国も、イギリス帝国も、アメリカも、世界の主導権を握った国は、勢力圏を拡大することで膨大な富と知を集積するが、問題や矛盾も同時に抱え込んでいく。たとえば、支配地域の安価な労働力や穀物が本国に流れ込むことで、本国の経済の脆弱性があらわになる。やがて、その問題や矛盾によって覇権国家はその重荷に耐えかねて衰退の道を歩む。伊原さんのいう歴史の周期性は、とりわけこのあたりに出てくるかもしれません。

(4)犠牲者創出の法則

 どの時代も、権勢を振るう人間たちの背後に、抑圧される人間集団があらわれます。それは、単純に社会が階層化したり、格差が広まったりする現象というよりは、力を持つ人間たちは、抑圧された人間集団をいつも必要とする法則のあらわれにすぎない。プランテーションの主人は奴隷なしには利益を出せなかったように、資本家は安価な労働力なしでは資本を蓄積できないように。

3 歴史研究の歴史の法則からの乖離

 歴史研究者であれば、なんとなく感じている以上のような趨勢は、たとえば、現在の中国やロシアの動きについて一歩も彼の地に踏み込まなくても、今後起こりうることの大まかな枠組みくらいは伝えてくれます。

 ところが、そうは言っても、以上の四つの「法則」は法則もどきであり、何回繰り返してもこうなる、ということは証明できません。しかも、変数が多い。伊原さんの言葉を借りるならば、歴史は虚数だらけです。実数の世界だけでは「解なし」ということも少なくない。二乗して -1 になるような世界(たとえば、信仰や風習などの精神世界もそうかもしれません)を想定しなければ、説明できない現象もある。

 民主主義の腐敗の速度は、時代や地域によって異なりますし、アメリカの覇権がどのように衰退していくかについて分析するには、あらかじめ考えておくべきことがあまりにも多く、単純化はなかなかできません。もっといえば、例外だらけで、例外こそが歴史の歴史らしさのあらわれであるとさえ言うことができます。そこで、歴史研究者は、必死になって個別具体的な事象の解明にエネルギーを注いできました。社会史や民衆史という手法は、為政者やエリートではない人びとの文化、経済、社会の領域の活動に焦点を当て、誠実に調査を重ね、それこそとても豊かな歴史像を提供しました。私が、ナチ時代の農村のお祭りに関心を持っているのも、そのような社会史的手法に影響を受けてきたからです。

 ただ、歴史研究者は、歴史の法則的なものの分析を、マルクスやマックス・ヴェーバーやミシェル・フーコーなどの理論家にお任せして、みずからがそれをしようとする意志はだんだんと希薄になってきたように思います。それは、歴史家相互の議論の共通の土台を弱めてしまいました。

4 中心点と目線

 伊原さんは、ある点を自分の真横に見ながら体の正面に向けてまっすぐ進むと、その点を中心とする円を描く、自分の目の向きと進行の向きの角度が狭くなると、点に向かって内側に入り込むように回り、角度が広ければ回りながら遠ざかる、という現象を歴史の運動にたとえながら、こんな疑問を投げかけておられます。「それにしても、中心点、目線、社会状況をなるべく簡潔に表せる2つの代表的指標とは一体、何でしょう?」

 このあまりにも美しい比喩に対して、私は的確に答える自信はないのですが、逃げるわけにもまいりませんので、伊原さんの作ってくれた土俵に足をかけてみたいと思います。

 「目線」は、伊原さんの説では「理想」を向いているとなっていて、私も(理想という言葉の現実的な迫力がこれほどまでに軽視されている時代だからこそ)そのように考えたいという気持ちがとても強いのですが、ちょっと天邪鬼になって、別のことを考えてみたいと思います。たとえば、中心点を「生命の根源」とするのはどうでしょうか。原則として、歴史は、一人の人間の人生よりも長いので、人間と人間の精神と文化のバトンリレー、一人の人間がたとえ消えたとしても変わらず動き続ける社会と文化の形成を描く行為です。そうである以上、歴史は、一人の人間の生活や論理を超えた発展的道筋へと私たちひとりひとりを進ませようとしますが、私たちは常に地球と太陽光に従属した生命体であるということが、その直線的発展を阻みます。チェコの作家カレル・チャペックは、1925年に発表された戯曲『マクロプロス事件』で(レオシュ・ヤナーチェクによってオペラにもなっています)、寿命を(たとえば300歳まで)延ばし、肉体的限界を突破すれば、人類の精神はさらに発展する、という考え方を、危うさと共に取り上げていますが、私たちの肉体的限界と精神の発展はいつも一致しません。

 人間が太陽光と地球と切り離すことのできない生命体であることを忘れて理性が暴走すると、公害や環境破壊をもたらします。生命の根源が我々に呼びかけ、誘う基本的欲求と、知識の蓄積と精神の涵養が世界を前進させるという理性のはたらきの綱引き状態の中で、私たちは足元をフラフラさせながら、まるでソフトクリームのようにぐるぐると歴史を歩んできた、ということを、伊原さんのお手紙から連想しました。が、果たしてこれでいいのか、自信はありませんし、繰り返しますが、歴史の動きはもっと複雑です。

 そうそう、この夏にドイツを中心にヨーロッパに、ナチスの中東欧における暴力に関連した史料の収集に行く予定にしています。コロナ禍で、修行僧のように我慢に我慢を重ねてきた史料調査をようやくできることが楽しみでなりません。ナマの一次史料に触れると元気が出ます。もしかすると、ドイツで伊原さんのお便りを拝読することになるかもしれません。楽しみにしております。今年は昨年以上の猛暑になりそうですが、どうかお体をお大事になさって、夏を乗り切ってくださいませ。

藤原辰史/伊原康隆

藤原辰史/伊原康隆
(ふじはら・たつし/いはら・やすたか)

藤原辰史(ふじはら・たつし)
1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。2006年『ナチス・ドイツの有機農業』で日本ドイツ学会奨励賞、2013年『ナチスのキッチン』で河合隼雄学芸賞、2019年日本学術振興会賞、同年『給食の歴史』で辻静雄食文化賞、『分解の哲学』でサントリー学芸賞を受賞。『カブラの冬』『稲の大東亜共栄圏』『食べること考えること』『トラクターの世界史』『食べるとはどういうことか』『農の原理の史的研究』ほか著書多数。

伊原康隆(いはら・やすたか)
1938年東京生まれ。理学博士。東京大学名誉教授。京都大学名誉教授。1998年日本学士院賞。東京大学数物系大学院修士課程修了後、勤務先の東京大学理学部(1990年まで)と京都大学数理解析研究所(2002年まで)を本拠地に、欧米の諸大学を主な中期滞在先に、数学(おもに整数論)の研究と教育に携わってきた。著書に『志学数学――研究の諸段階 発表の工夫』(丸善出版)、『とまどった生徒にゆとりのあった先生方――遊び心から本当の勉強へ』(三省堂書店/創英社)など。最新刊は『文化の土壌に自立の根』(三省堂書店/創英社)。

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