密成和尚の読む講話

第5回

六波羅蜜をやってみよう

2021.11.21更新

瞑想はいかがですか。

 前回は、簡単な瞑想体験について書いてみました。皆さんやったでしょうか。もしよかったら1回でもやってみてください。もしかしたら、久しぶりに感じる感覚があるかもしれません。特別な体験、というよりも「なんかほっとするなぁ」「"休む"って長い間、忘れていた感覚やったなぁ」なんて感覚になる人がいたら、それもとてもいいことだと思います(答えはありませんが)。もちろん文章と写真だけではなかなか伝わらないところもあると思うので、前に書いたように栄福寺で一緒に瞑想するような機会を作ってみたいなとよく思います。
 僕もなかなか瞑想が続かないことが多かったので、ふと思いついて自分のSNS(Twitter、Facebook、Instagram)で毎日報告しながら「ミニ瞑想49日」を継続しています。今日で26日目なのですが、最初は「毎日できている」といううれしさや高揚感もあるのですが、最近感じているのが、「継続が目的」になるのは違うな、ということです。「続ける」ことよりも「丁寧な1回」をする。それが心地よくて毎日やりたいと思う。実際に続いていく。そんなことがひとつの理想なのかと思っています。そういうことに気づけたことも、「継続」しているからだと考えると、やはり継続自体にも何かしらの意味があると思っています。

仏教の中の「誓い」

 仏教の考え方にふれていると「誓願(せいがん)」という言葉に出会うことがよくあります。この言葉は、<仏・菩薩が必ず成し遂げようと誓う願い>という意味がありますが、皆さんの生活の中でも、ヒントがあると思います。
 例えばお寺や神社などの前で手を合わせる時、自然と「願い」を持つ人は多いと思います。僕はそれは自然なことだと思っています。でも、時に「願う」からこそ自分自身も聖なる存在の前で「誓う」。この感覚を忘れている人も多いのではないでしょうか。僕自身もそう言われると思い当たる所のある人間です。もし人生の中で、何か手応えのようなものが感じられない時、宗教的な意味合いから離れたとしても「誓い」という決意の感情にも目を向けてみてください。その誓いは、うまくいかない時もあるでしょう。そして、だからこそ、また誓う、願う。その繰り返しでいいのだと思います。
 仏教の誓願には、阿弥陀の48願、薬師の12願など様々な種類がありますが、すべての仏・菩薩共通の誓願が四弘誓願(しぐせいがん)です。①「衆生無辺誓願度」(しゅじょうむへんせいがんど)「限りのない人々を覚りに導く誓願」 ②「煩悩無尽誓願断」(ぼんのうむじんせいがんだん)「尽きることのない煩悩を滅しようという誓願」 ③「法門無量誓願学」(ほうもんむりょうせいがんがく)「はかりしれないほど多い仏法の教えを学ぼうという誓願」 ④仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんしょう)「無上のさとりを成就したいという誓願」の4つです。「誓う」ことだけではなく、「共に連れて行く」「断つ」「学ぶ」「さとる」、このようなことも、ストンと心に響く方もおられると思います(僕の修行している密教には「五大願」というまた独特の誓願があります)。

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仏教の六波羅蜜(ろくはらみつ)

 今日は、大乗仏教の代表的な「実践すること」である六波羅蜜(ろくはらみつ)を一緒にみていきましょう。具体的には、①布施(ふせ)②持戒(じかい)③忍辱(にんにく)④精進(しょうじん)⑤禅定(ぜんじょう)⑥智慧(ちえ)の6つです。ここにもやはり私たちの人生、生活の根本になるような教えがありそうです。

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 できる限りシンプルに現代の生活に合わせて説明してみると①布施は「与えること」であり、つまり「物心ともに"贈る""あげる"ということを習慣にする」ようなことだと僕は思っています。
 そして②持戒は、本来「戒律をまもる」ことですが、皆さんの日常の生活に即して考えると僕は「"自分がよければいい"で幸せになれるか考え、実践する」ようなことだと受けとっているんです。
 ③忍辱は、「苦難に耐え忍ぶ」ということで、「敵(攻撃して来る人、困難)を修行や学びとする」などと展開して受けとることができるでしょう。
 ④精進は、「たゆまず仏道を実践する」ことで、ある僧侶は法話の中で、「すぐに成果がでないことを不満に思い過ぎず続けてみる」と表現されていました。
 ⑤禅定は、「瞑想で精神を統一させる」意味がありますが、「日々、心と体を落ち着ける時間をもつ」と僕は受けとっています。
 最後の⑥智慧は「真実の智慧を得ること」で、広い意味では「好奇心を持ち"本当のこと"を敏感に学びとる」という風にも捉えることができます。
 ちょっと強引に現代の生活に結び付けすぎているかも知れませんが、六波羅蜜を現代風に受けとると、まとめるとこんな感じになりそうです。

「物心ともに"贈る""あげる"ということを習慣にする」
「"自分がよければいい"で幸せになれるか考え、実践する」
「敵(攻撃して来る人、状況の困難さ)を修行や学びとする」
「すぐに成果がでないことを不満に思い過ぎず続けてみる」
「日々、心と体を落ち着ける時間をもつ」
「好奇心を持ち"本当のこと"を敏感に学ぼうとする」

 一覧にしてみてみると、現代の社会や個人に「足りないもの」が多い気がします。あらためて恥ずかしながら僕にとってもそうでした。
 もちろん実際に実行することは、簡単な事ではありませんが、日々を愉快に生きることの小さくはないチャンスが豊かに転がっていると感じます。この中のひとつでも、ふたつでも、取り組みたいトピックがあれば、心にメモをしてみてください。

「伝統」との向き合い方。六波羅蜜の反対の生き方。

 ここに挙げた教えは、ずいぶん長い年月を経て残ってきたいわば伝統的な存在です。僕は、日々お寺の中でこの「伝統」と共に生きているわけですが、この「伝統」を、無条件ですばらしいものであると考えすぎないように注意しています。
 気をつけないとお寺という場所は、言わば「伝統至上主義」のような価値観に陥りやすいと思っているからです。ですので、僕は伝統に対してできれば①敬意を持つ。②問題意識も持つ。③アイデアを加えることを恐れすぎない。という態度で向き合いたいと思うようになりました。①残ってきた伝統に対して大切にする心を基本に持ちながら②でもそこには、まだ加えるべき物も、現代における新しい問題点もあるかもしれないというフレッシュな緊張感③そして、「伝統にこれを加えてみると面白いかも!」というアイデアに期待する。
 ですからこの六波羅蜜に対しても、ぜひ皆さんの主体的なアイデアも盛り込みながら、実践的にチャレンジしてみてください。そして、なにかゴールのようなものを目指すよりも、1日1日、一時一時のプロセスを味わい、楽しむような姿勢も大事にして頂きたいと思っています。
 そして、「贈ることを大事にする」であったり「"自分がよければいい"では幸せになれない」というような徳目が、どこか"きれいごと"のようで非現実的に響く方も多いと思います。そんな時、僕は、「正反対」の状況をイメージするようにしています。
 六波羅蜜の"正反対"をみてみましょう。「"あげる"ことをまったくしない生活」「自分がよければいいとずっと思い続けた人生」「大切な困難なこととは一切向き合わず避け続ける」「大事なことでも成果がでないことはすぐやめる」「ずっと心の落ち着かない毎日」「学びを放棄した日々」こんな風にみてみると、ちょっとゾッとします。
 そうしたちょっぴり相対的な視点で、100対0でどちらかを選ぶというよりは、「やはり自分なりに、ちょっぴり六波羅蜜のテイストも混ぜていかないと苦しすぎるな」というような視点に立ってみるのもダルマ(仏法)のスタート地点であると思います。

 ここで、少し空海の言葉をみてみましょう。

 「身と者、我身・仏身・衆生身、是を身と名づく」(弘法大師 空海『即身成仏義』)

【現代語訳】 つまり<即身>の<身>とは、わが身と、仏の身と、人間をはじめあらゆる生き物の身、これらを身と名づける

 空海の中心思想である「即身成仏」の身とは、何なのか? 空海の言葉がふと目にとまった箇所です。普通、僕たちは身(体)と言うと「自分のからだ」を思い浮かべます。
 しかし空海にとってのボディー(身体)とは、「自分の身体」+「仏の身体」+「あらゆる生き物の身体」、この全体を含めて身体と捉えていたことがわかります。
 こういった思想も、今日お話しした六波羅蜜のような仏教の根本にある実践徳目と結び付けても、意外としっくりくるのは私だけでしょうか。そして「仏の身体」や「あらゆる生き物の身体」だけが尊いのではなく、しっかりと対等な立場で「自分の身体」という存在がしっかりとあることが、僕は好きなのです。
 仏教の智慧を実践することを、「自分の心や感覚にフタをする」というイメージで捉えている方もおられますが、そうではなくて、むしろそれをさらに大切にしながら、その上で、小さな「自分」だけでは不自由である、落ち着かないと気づくことにあります。

白川密成

白川密成
(しらかわ・みっせい)

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん。――57番札所24歳住職7転8起の日々。」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。2010年、『ボクは坊さん。』(ミシマ社)を出版。2015年10月映画化。他の著書に『坊さん、父になる。』『坊さん、ぼーっとする。』(ミシマ社)、『空海さんに聞いてみよう。』(徳間文庫カレッジ)がある。

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