第7回
ぼくの故郷に行ってみない?
2026.07.01更新
ラブストーリーは突然に
明日の朝から高松で開催される学会に参加するため、土曜日午後の講義を終えて、その足で東京駅発の東海道新幹線に飛び乗った。まず岡山へ向かい、そこから特急マリンライナーに乗り換えて高松へ向かう。
車窓に流れる風景をぼんやり眺めながら、私はつい数時間前にユザワタヌキ文庫で繰り広げられた次のような会話を思い出していた。
「ぼくの故郷に行ってみない?」
突然の提案に動揺して私はしどろもどろで返事をする。
「え、それって、突然過ぎない? 今日会ったばかりなのに・・・」
私の不安なんてお構いなしで、再度の提案が飛んでくる。
「もともと高松に行く予定だったんでしょ。近いし行こうよ。」
「うーん、学会の仕事で行くんだけどなぁ。」
「でもこんなチャンスめったにないよ。ついでに行けるって。」
「確かに。香川県は頻繁に出張がある県ではないから、これは運命かも。」
心が動き始める。
「ね、行こうよ。」
「よし。行こう。ラブストーリーは突然に始まるって、誰かが言っていたことだし、この偶然の出会いに身を任せてみよう。」
そうと決まったら、やることはわかっていた。どうやって彼の故郷に行き、明日9:00集合の学会会場にたどり着くことができるのか、私は夕暮れと夜のあわいを駆け抜ける新幹線の中でスケジュールと経路を猛烈に調べ始めたのだった。
宇宙かもしれない「いりこ」
この会話の相手というのは、ついさっき私の胃袋に収まり、胃袋ごと新幹線に一緒に乗り込んだ「いりこ」のことだ。香川県の「やまくに」という製造所から取り寄せたカタクチイワシ。といわれても、いったい何が起こったのか、まったく分からないと思うので、ことの顛末を少し丁寧に説明してみよう。
今年になって新たに「食べること」や「食べもの」について考える内容のオムニバス講義の世話人を担当している。だから、都心のコンクリートの箱の中、教室の机の上で学ぶだけでなく、学生たちをできれば食べることや食べものの現場を感じるフィールドワークに連れ出してみたい。常々、そう考えているのだけれど、何といっても300人近い大講義なので、やっぱりそれは無理だよな・・・、とあきらめていたところ、一週間前のユザワタヌキ文庫での会話の中で、思いがけないアイデアが生まれた。
それは、お茶を飲みながら食の研究や講義についての打ち合わせをしていた山フーズの小桧山聡子さんが「いりこ」について話し始めたのがきっかけだった。芸術家であり、料理家であり、ユニークで魅力的な食のインスタレーション、ワークショップなどを手掛ける彼女は、ある時、料理で使う「いりこ」が持つ、銀色の美しさに気づき、魅了されたのだという。料理では不要物として取り除くことが多い頭部の輝きは格別で、これを絵具にできたら、と考えたらしい。考えただけではなくて、それを実現してしまうところが彼女のすごいところで、実際に手作りの「いりこ銀箔絵具」で描いた作品を見せてもらい、私はすっかり感動してしまった。
なるほど、眺めてみるとそれはホログラムのようなテクスチャーで、星屑のように煌めき、小さな「いりこ」自体が銀河を内包する宇宙のようでもある。ならば、例えばこの「いりこ」に学生たちが直接出会うことができたとしたら、じっと見つめ合えたりしたら、それは今までにない食の体験になるのではないか。それこそ、素晴らしいあそび学びになるのではないか。突然思いついた新しい挑戦のひらめきにドキドキし、クラクラした。
次の瞬間、私はユザワタヌキ文庫から香川県に「いりこ」を注文していた。
いりこ講義
そして、講義の前日、待ちに待った「いりこ」たちがユザワタヌキ文庫にやって来た。初夏に獲れる8センチ以上の「大羽」と名づけられた「いりこ」である。早速箱を開けて、感嘆のため息を一つ。
美しい。一匹一匹が全身に銀箔を纏っている。もちろん頭部は信じられないほどの輝きを放っている。この一週間で「いりこ」について調べていたので、その輝きが何を意味しているのかを私は知っていた。「いりこ」の加工は鮮度が肝心。漁場と加工場の距離が近ければ近いほど、その銀色の鮮やかさと、煌めきが全身を覆う割合が決まるのだ。白口(背中が白い)のものが上級品とされ、なかでも鱗のついた俗称「銀つき」と呼ばれるごく僅かなものが最上級品とされている。ちなみに背中が青いカタクチイワシは「青口」と呼ばれる。白口は内海、青口は外海のものが多い。つまり、瀬戸内海で育つカタクチイワシは白口で、漁場と加工場との圧倒的な近さから、全国有数の上級品「いりこ」が生産されるというわけなのだった。
はたして「いりこ講義」は私の想像をはるかに超えた興奮の渦を巻き起こした。
まず、「いりこ」が自分の手元に回って来るなんて想像していなかった学生たちは予想通り驚いて、教室はざわめいた。自分が選んだ「いりこ」を配布されたB5用紙に乗せると、おもむろにスケッチを始める学生、凝視する学生、分解する学生、紙に包んで説明を書く学生、匂いを嗅ぐ学生、食べてみる学生、反応は様々だった。何より驚いたのは、おそらく普段、「いりこ」に親しんでいないであろう学生たちが、躊躇なくそれを口に入れていたことだった。口に入れた次の瞬間「おいしい」と感じたからなのか、丸ごと全部食べてしまう学生がとても多かった。講義後には「味噌汁を作ってみたいから、持って帰りたい」「もっと食べたい」「こんなきれいないりこを見たことがない」と、話に切れ目がなかった。
学生たちが「いりこ」との邂逅を果たした「いりこ講義」は、様々な食べものをその身に受け容れ続けてきた私たち人間という存在を考えるきっかけにもなったような気がした。「いりこ」はその姿も含めて、まるごと一つの「いのち」の全体を体現しているからだ。それをパクリと口に入れて「食べる」私たち。
私も選んだ一匹を胃袋に入れた。
「いりこ」に導かれて
という顛末で、新幹線に乗っている私の胃袋には一匹の「いりこ」が入っていたのである。「いりこ」の製造者「やまくに」の在所を袋に添付された表示でみると、香川県観音寺市とあった。そして、このあたりの「いりこ」は「伊吹いりこ」とも呼ばれ、瀬戸内海に浮かぶ「伊吹島」近海で水揚げされるということもわかった。
グーグルマップで「伊吹島」を検索する。あった、ここだ。どんな場所だろう。行ってみたい。偶然にもせっかく香川に行くのに、学会仕事で足を延ばす時間がないなんて残念だし無念だ...。という自問自答が、冒頭に書いた「いりこ」と私との妄想会話になったのだった。
諦めきれず、経路を調べているうちに、一つの希望が見つかる。明日の朝、早起きして始発列車に乗ればよいのだ。やっぱり、伊吹島を見に行こう。しかも、その近くには朝6:00からやっている讃岐うどん屋があるらしい。朝ごはんはここで、「伊吹いりこ」でとった出汁のうどんを食べよう。
フィールドワークも突然に
翌朝は4時過ぎに起床した。歩いて高松駅まで向かい、5:17始発の予讃線特急「いしづち」に乗り込む。日曜日の早朝なので、人はまばらだ。朝日が昇り始めた海にグッと線路が近づく時の車窓は幻想的で、ゆったりとたゆたう瀬戸内海に大小の島々が浮かぶ風景が窓全体を満たした。観音寺駅で普通列車に乗り換えて二駅めの箕浦という駅で下車する。地図で見ると、この駅が一番海岸線に近く、うどん屋があり、かつ伊吹島の目の前に位置していたからだ。
コンテナの真ん中をゲートのようにくりぬいた形の無人駅に降り立つと、ゲートの向こう、正面に朝靄に包まれた瀬戸内海が見えた。その視界の中には「うどん」と染め抜かれた幟がはためく。下車したのは私一人。うどん屋もきっと閑散としているのだろうと思っていたら、どんどん人が入っていく。香川では、朝ごはんにうどんを食べに来る人がこんなにいるのかと驚きつつ、周りの人たちの様子を真似て、私は「かけうどん小」と店主に声をかける。ついでに「あの...、伊吹島ってここから見えますか」と聞いてみると、「ほら、そこ、目の前のあれが伊吹島だよ」と教えてくれる。
本当に来てしまった。まだ、私の体の中に滞在している「いりこ」に、故郷に帰って来たよ、連れてきてくれてありがとう、とつぶやいてみた。
私は伊吹島が見える窓際のカウンターの丸椅子に腰かけ、いりこ出汁をすすった。感無量だった。つい数日前にユザワタヌキ文庫にやって来た「いりこ」を胃の腑に収めて新幹線に乗り、一緒に旅をして、「いりこ」の故郷、伊吹島が見えるこの地に降り立った。たった二日間の出来事なのに、運命に導かれた旅をしたような気がした、なんて言ったら大げさだろうか。早起きをしてよかった。しばらく瀬戸内海を眺め、深呼吸を一つしてから、私は高松に帰る列車に乗り込んだ。時計はまだ7:11。今から戻れば学会の受付仕事に間に合うだろう。醒めない夢を見ている心地で私は電車に揺られ、学会会場へ向かった。
フィールドワークは愛から始まる。フィールドワークから愛が生まれる。ラブストーリーは突然に、というならば、フィールドワークも突然に。来週の講義では、ユザワタヌキ文庫で出会った「いりこ」との旅、この素晴らしかったランデブーの話をしよう。学生たちはどんな表情でこの話を聞いてくれるだろうか。




