きんじよ

第39回

2-2 3ばん 石井一日

2018.05.25更新

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 五月の節句がくるとうちは鯉のぼりでなく「熊のぼり」をたてる。熊と、熊を相撲で投げとばす金太郎を描いた、風にはためく、巨大な大漁旗。ひとひが生まれた直後、宇和島の、大竹伸朗さん一家が、誕生祝いに贈ってくださったもの。

「うわ、きんたろう」

「なんできんたろうなん?」

「一日だけしか、たてはらへん、てこと」

 そうでなくて、誕生祝いだから、ひとひの名前「一日」が旗の隅に記されている。零歳七ヶ月ではじめて立ったから、指折り数えてみれば、今年でもう、八回目、ということになる。うちの前は通学路、あるいは通行人の多い裏道なので、うちの近所ではもうすっかり目になじんだ、こどもの日のささやかなシンボルだ。

 七歳。小学二年生。

 二年になって、ひとひは、ずいぶんいろんなことができるようになった。

 朝の台所では、園子さんを手伝い、チーズオムレツを焼いている。味噌汁も作る。

 スイミングでは、クロールのかたちが様になってきた。両腕を高々あげる段階で、左右がぴったり同じ高さにそろうようになった。

 体操教室では、マットのうしろまわりができるようになった。鉄棒の逆上がりまで、あともう一歩、といったところ。

 乗馬については、明らかに、僕より上達が早く、毎回ついてくれている小川先生は、この六月にはベーシックCBからベーシックAにあげる方向で、といっている。

 ひとりで本を読む習慣がついた。一年のころは僕か園子さんが声にだして読んでいた。いまも読んでもらうのは好きだが、畳にすわりこんで開いたページをひとり食い入るように見つめる姿が、珍しくなくなってきた。

 文字だけの本はまだ少なく、雑誌のオートスポーツ、スーパーGTの年度別総集編、マンガに図鑑、写真集が主だが、本はなんだって本だ、というのが僕の考えなので、つまりひとひは相当な読書家である。家で宿題、ピアノ、ミニカー遊び、テレビ以外のときは、必ずなにか読んでいる。

 そういえば、蓄音機でなく、CDプレイヤーでCDをかけるとき、歌詞カードを見つめ歌を口ずさむようになった。最近のお気に入りはウルフルズ「大阪ストラット」、そして蓄音機でかけるバートン・クレーン「酒がのみたい」である。

 外では、キャッチボールが得意になった。こどもの日のお祝いに、東京のおばあちゃんに、左利きの、黒い本革のグローブを買ってもらった。僕が小学生のころ使っていたグローブは「ああ、おもちゃやったんや」と、つくづくよくわかる。いまの子らはこんなええグローブ使うんや。でもまあ、少年野球で使うのんと同じやつやし、これくらいは当たり前か。

 僕がキャッチャーの姿勢ですわり、ここ、ここ、と赤い手袋で位置を示すと、ノーワインドアップで脚をあげ、左腕をまわして、図バーン、と投げこんでくる。三球に一球は寸分たがわず示した位置に来る。もちろん暴投だってあるが、僕はぜんぜん気にしない(ひとひは気にするようだが)。このまま投げつづければ三年にあがる頃には僕は、素手や手袋では、ひとひの球を受けられなくなるだろう。かわりにひとひは、同級生たちとボールを追ってグランドで走りまわる、ほんものの野球をはじめるだろう。

 この一年間、僕も小学生の父一年生としてなにかあれば学校に足をむけた。朝に本を読む「おはなしパレット」、休日に子らを遠くへ遊ばせにいく「おやじ会」、さらに「図書館活用部会」にもはいった(三番目はまだよくわからない)。正門や、下駄箱の前を通りかかると、

「あ、いしいくんのおとーさん」

「ぴっぴのおとーさんやん」

「なあ、これ、ぼくのん。ミヅノ」

「きのう、うちのきんぎょ、しなはって、にわに、おはかつくってん。おがみにくる?」

 などと、ほうぼうから声がかかる。パレットもおやじ会も学年をこえてつながりがあるので、他の学年の子らからも軽くあいさつが寄せられる。

 前から「そうかも」と思っていたのだが、ひとひが二年にあがった様をみているうち、「やっぱりそうか」と深く腑に落ちたことがある。

 小学生は、六年間と思われがちだが、それはまちがいだ。一年と六年は特別。一年生はじつは「新入生」として生き、六年生は「卒業生」として生きる。いっぽう、二年から五年までは、じつのところ、そんなに変わらない。ひとまとめでよい。つまり、この四年間こそ、ほんとの意味での「小学生」なのだ。

 一年間の助走、準備期間を過ごしたあと、ひとひはようやっといま、小学生として生きはじめた。そこで、のび太くんたちのような冒険に遭遇し、まるこちゃんたちみたいなへんな友だちに巡りあう。

 四月になってから、近所のおかあさんに頼まれ、ひとひは毎朝、一年になったばかりの男の子、いくとくんを連れて、登校することになった。ミシマ社のすぐそばに住むいくとくんが、通りをまっすぐやってきて、うちの玄関で「ぴっぴくーん」と呼び、それでランドセルを背負い、ひとひが出ていく。

 八時半に学校で予鈴が鳴る。八時五十分から一時間目だ。うちから学校まで、のんびり歩くと十五分かかるので、八時過ぎには家を出て、歩きだしていなければならない。

 ひとりっ子のひとひは、もともと朝支度がおそかった。一年生のうちは、味噌汁、トイレ、歯みがきと、いろいろ手間をかけているうち、ああ、もう八時二十分過ぎ、みたいなことはしょっちゅうだった。

 二年生は、一年生とちがう。いちばん肌身にしみてそれがわかっているのは、もちろん二年生だ。箸をカタカタ鳴らしてごはんを平らげ、同じリズムで歯みがきをして、スニーカーを履いて、ランドセルを背負って、ひとひはもう玄関の外に出て、一年生を待っている。五月の陽光があふれている。きっと、頭に思い描いてはいないだろうが、ちょうど一年前、おずおず通いはじめたころ、いまより少し低い目で見た風景が、胸のうちで波打っているのではないか。

 先週の朝、一年生がなかなか来ないことがあった(あとできいたら寝坊とのこと)。八時十五分が過ぎたので、もう先にいくよう話したら、不満そうに歩きだしたが、三歩進んでふり返り、五歩進んではふりかえり、豆粒くらいになるまで、二年生はえんえんふりかえりつづけ、そうしてようやっと、熊野神社につづく角を曲がった。

「ぴっぴくーん」

 今朝は声がきこえる。小刻みに手を振りながら、陽気な一年生がやってくる。二年生は少し胸をそらし、

「オウ」

 と大人っぽい手のあげかたをして、先に立って歩きだす。小柄な一年生、ちょっと大柄な二年生。トラが子猫を連れていく。カマスがイワシを連れて泳ぐ。金太郎が威勢よく熊を投げ飛ばす。ふたりの頭上では、五月の大漁旗が青い風にはためいている。

いしい しんじ

いしい しんじ
(いしい・しんじ)

1966年大阪生まれ。作家。現在、京都のミシマ社の「きんじよ」に在住。お酒好き。魚好き。蓄音機好き。2012年『ある一日』で織田作之助賞、2016年 『悪声』で第4回河合隼雄物語賞を受賞。『ぶらんこ乗り』『麦ふみクーツェ』『ポーの話』『海と山のピアノ』(以上、新潮社)『みずうみ』(河出文庫)など著作多数。

編集部からのお知らせ

『きんじよ』が5月22日に発売!

2018年5月22日に創刊したミシマ社の新シリーズ「手売りブックス」にて、「きんじよ」が本になりました。お気に入りの本屋さんで、ぜひお買い求めください。

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『きんじよ』いしいしんじ(ミシマ社)

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