ミシマ社の話ミシマ社の話

第64回

当社調べ・世界初のシリーズ名

2018.05.13更新

 その名も「手売りブックス」と申します。

 タイトルに掲げました通り、当社調べ・世界初のシリーズ名を付けました。なお、あくまでも当社調べであることをあらかじめ申し上げます。ちなみに、当社はマーケティング・リサーチ(市場調査と言わず、カタカナで言っちゃうとこがミソ)といったものは一切しません。その会社の「調べ」であるということはつまり、管見に及ぶかぎり、ということです。あしからず。

 ところで、「手売りブックス」の何が世界初なのか?

 それは、「届け方」をシリーズ名に掲げているところです。

 そう言われると、確かに、と思っていただけるのではないでしょうか。

 たとえば、ミシマ社においてもこれまで、「シリーズ 22世紀を生きる」「コーヒーと一冊」というシリーズを展開してきました。いずれも、作り方や中身にこめる思いがシリーズ名になっています。ぱっと思いつくままに列挙してみても「クレスト」「ラクレ」「ワンテーマ」「ケアをひらく」などなど、象徴としての単語や狙い・思いをシリーズ名に付けることが多いようですね。

 ところが、「手売り」という言葉は、一見、中身と関係ない。もちろん実は、中身も反映しての名前なのですが(後述します)、第一印象としては「届け方」を謳ったものと感じるはずです。

 ではどうして、わざわざ「そっち」を選んだのでしょうか?

 昨秋、紀伊國屋書店梅田本店でミシマ社フェアを開催いただきました。紀伊國屋梅田本店さんといえば、日本で指折りの大型書店です。そんな一等地とも言える場所の一角で、ミシマ社刊の本を全点置いていただきました。

 とはいえ、けっして最高の場所ではありません。入り口からまっすぐ歩いてきた場合、振り返らないことには気づかない。つまり、死角にあたる場所で、ほっといても本が売れていくような最高の売り場から程遠いところです。

 売れぬなら届けてみせよう。

 そんな信長節を講じたわけでは特になく、お店の仕掛け人Dさんに言われるまま「そう」なりました。

「ミシマ社さんのスタッフが直接売ってくれてもいいし!」

 売ってくれてもいいしーー。

 今から思えば、見事としか言いようのないひと言です。「みなさん、直接売りたいよね? ね、だとしたら遠慮しないで、どうぞどうぞ」。と言外に込めた誘いの文句にまんまとひっかかった・・・。わけではありませんが、まるで最初からこちらの希望であったかのように、僕たちはこう答えたのでした。

 「えっ、いいんですか?」「うん、いいよいいよ」とD氏。「わーい、やった。やった!」無邪気に喜ぶミシマ社メンバーたち・・・。

 こうしてかの地で、数度、「手売り」をさせてもらうことになりました。

 すると、どうでしょう?

 売れる、届く、喜んでもらえる、僕たちも嬉しい。こんなシンプル極まりない気持ちのいい循環が待っていたのです。

 もちろん、それが可能となったのは、Dさんはじめ、Oさんやお店の方々の参加があったからこそ。Dさんは、ただこちらを促すだけでなく、自ら「ミシマ社です」と手書きされたタスキを肩にかけ、通り行くお客さんに声をかけてくださいました。

「こちらでミシマ社フェアやっております。ミシマ社はご存じですか?一冊入魂を掲げ、京都でやっている出版社が、今日直接販売に来ています」

 と、ミシマ社メンバーより、格段にすらすらと大きな声で言ってくださったのです。そればかりか・・・

「本日、社長のミシマクニヒロさんもお越しです。なかなか会えないミシマさんが来てくれてます。貴重です! サインもしてくださるので、どうですか? お、さすがお目が高い。この「ちゃぶ台」はですね」

 とまあ、盛るは盛る。たまたま通りがかったお客さんに対して、えらく僕に付加価値を付けて紹介してました。隣で僕は冷や汗を背中に流しつつ、貴重でもなんでもないでしょ、と心中ひとりごちたものです。が、ここはDさんに一任するしかない。手売りするためこの場所に立ってるんだ。「いえ僕はそんな人ではありません」とか言って、席を立ってしまっちゃおしまいだ。Dさんのパスをしっかり受けるとしよう。と腹を決めて、その場に立ちつづけました。まるでカカシのように。

 結果ーー。

 カカシが田んぼの真ん中にあると、つい目が行く。そんなふうに、カカシ的存在が大型店の一角で立っているだけで目印にはなる。そして人が気にして近づいて来てくれるきっかけにはなる。少なくとも、多少はなった。「なんか気になって来てみたんですけど」と近くお客さんにすかさず、「さすがです」と合いの手を入れるDさんでした。

 実際、大型店で手売りさせてもらう意味はそこにあるわけです。これまでミシマ社のことを全然知らなかった人にこそ、知ってもらう。そのとき、Dさんくらい多少強引な声かけがむしろ必要であることが、だんだんわかってきました。その成果は後日、読者ハガキとして私たちのもとへ届きました。

 「紀伊國屋梅田本店のフェアで初めて知ったのですが、知れて嬉しかったです。がんばってください」このようなハガキを何通もいただくことになったのです。

 ともかく、目の前で本が届く。その喜びは何にも代えがたいものがあります。もちろん、私たちで言えば「ミシマ社の本屋さん」という直接届ける場所があります。それに、各地でのイベントで販売することもあります。が、このときは本来、メーカー直売り場ではない場所での手売りでした。

 そうして、ちゃんと届いた。

 マルシェ的場所での販売で届く実感はあったものの、不特定多数の人たちが訪れる大型書店内の一角でもしっかり届く。ちゃんと「手売り」していけば。

 この喜び込みの発見が、「手売りブックス」の原動力となっていったのです。

 つまり、こういうことです。

 「手売り」というのは、実際に、出版社の人間が店頭に立つばかりではあるまい。僕たちが「そう」して届いたように、書店員さんのほうでやってもらえる「届け方」にも、まだまだ可能性があるのではないか。

 たとえば、それぞれの書店に見合った「手売り」があるはず。そういうことにチャレンジしてもらえれば、これまで届かなかった層の人たちにも届けられるのではないか。そうして届いた人たちは普通に本を買うより、喜んでくださるのではないか。どこで買ったかをずっと覚えていることになるのではないか。その人にとって唯一の本が、「どこ」で手にしたか込みで記憶されていくことになるーー。

 こうして、「手売りブックス」なる「届け方」を冠したシリーズが生まれることになったのです。

 そして実は、先にちらっと触れたように、「届け方」のみならず、中身を反映したネーミングでもあります。それは、「手売り」だからこそ届く「おもしろさ」がそこにはある、ということです。つまり、より顔の見える人たちに喜んでもらえるにちがいない本たちが、このシリーズには入ってくる。

 角度を変えて言えば、編集のやり方が違ってくるということです。不特定多数が受け入れる「商品」をめざしておこなう編集。これが商業出版における通常の編集のやり方だと思います。一方で、こういう編集も当然ありえます。商品でありつつも、商品化の過程で削ぎ落とされがちな愛情をよりたっぷりに詰め込んだ編集。「手売りブックス」では、後者の編集に徹することができました。

 手売り的に愛情たっぷり注いでつくる一冊を、手売り的により愛情こめて届ける。

 そのために出した今回の方針は、「部数を少なめに始めること」と「手間をかけて届けること」、この2つです。

 具体的にどのような「手間をかける」かというと、一枚一枚のシールに、書店員さんからコメントを書いてもらい、貼ってもらう。そうして店頭に並べてもらう。

 手売り会での声かけの代わりに、肉筆での言葉をかけてもらう。

 一冊に一冊に対して。

 それが、本の表紙に直接貼られることで、世界で唯一の本が生まれる。

 どこの本屋で買っても本は同じ。という常識が覆されることになるーー。どこで買うのか楽しみができる!

 「なーにを、そんな邪魔くさいことを」「こっちは忙しいんだ。手間なんてかけてられるか」書店さんから、そんな叱責が来るのはもっともです。

 「書店の現場の疲弊は、こんなもんじゃない、特効薬が必要なんだ」その思いは身に染みてわかっているつもりです。だけど、やはり、特効薬はない、カンフル剤による一時的処置や、対処療法から抜け出すべき、と僕は考えています。

 もちろん、手間をかけたからといって上手くいくかはわかりません。だが、手間をかける、手売りする、という経験を経ることで、なんらかの発見があるのではないか。

 それは、ものすごく本質的かつ重要な忘れものを見つけることになるかもしれないーー。

 川の流れが途切れかけた場合、源流まで遡り、そこから水を引いてくる。いま、僕たちが日々することと言えば、それと同じようなことではないかと思っています。

 手売りブックスが、書店さんにとっても、なんらかの気づきとなり、新たな水流を導く一歩となりますように。「労多くして益少なし」のみになりがちな現状ですが、同じ「労多くして」であっても「喜び多し」、そっちの方向へと日々の仕事が向いていきますように。

 心からそう願って、5月22日の発刊を迎えたく思います。

 以下が、手売りブックス創刊の5冊です。

・いしいしんじ『きんじよ』
・佐藤ジュンコ『佐藤ジュンコのおなか福福日記』
・松樟太郎『究極の文字を求めて』
・宮本しばに・野口さとこ『おむすびのにぎりかた』
・丹所千佳『京をあつめて』

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三島 邦弘

三島 邦弘
(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。 ミシマ社代表。「ちゃぶ台」編集長。 2006年10月、単身で株式会社ミシマ社を東京・自由が丘に設立。 2011年4月、京都にも拠点をつくる。「原点回帰」を標榜した出版活動をおこなっている。著書に『計画と無計画のあいだ 』(河出書房新社)、『失われた感覚を求めて』(朝日新聞出版)がある。

編集部からのお知らせ

5月末にミシマ社代表 三島邦弘が下記イベントに登壇します。ぜひ足をお運びください。

松島倫明 × 三島邦弘 未来を編集する意思

■日時:2018年5月29日(火)19:00~20:30(開場18:30)
■場所:梅田 蔦屋書店 4thラウンジ
■参加費:1,000円(税込)

■お申し込み方法:
梅田 蔦屋書店オンラインショッピング、もしくは梅田 蔦屋書店店頭にて承ります。

詳しくはこちら

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