ミシマ社の話ミシマ社の話

第72回

ワタナベ城を落とすのじゃ!

2019.01.30更新

 新年が始まり、ひと月が経とうとしている。実感としては、数カ月は働いたような感覚がある。そう感じる理由はたぶん、イレギュラーな仕事をずっと並行してやってきたからだろう。

 イレギュラー、つまり通常外の仕事。編集業務、会社の運営業務以外に、プラスの動きがあったということを意味する。それは何か、といえば採用活動だ。

 新年3日、日本仕事百貨さん経由で「営業事務・経理」募集を告知した。

 これまでのミシマ社の募集は、自社ホームページのみでの募集がほとんどで、しかも募集期間も一週間ほどの短期間が多かった。理由はかんたん。外注する費用がなかったこと。もうひとつは、万一多くの応募があったらそれはそれで困ることになる。その場合、レギュラー業務を停止せざるをえなくなり、必然、少人数しか応募を受け付けられない。それゆえ、短期間の募集ばかりだった。そんな苦し紛れの事情を、Don't think,feel.な働き方をする社風ゆえ、その期間にfeelし、応募してくれた人とご縁があるのだ、と自らに言い聞かせ、良しとした。

 けれど、今回はちがう。13年目、干支が一周しての1年目。今年こそ、12年間、放置してきた「弱点」に手を入れる。

 そう、近世、近代はおろか、中世のシステムまわりを、21世紀の現代にまで引き上げねばならない。

 と、じゃっかん気負い気味、息巻き気味での採用活動であった。こう書くと心配される方もいるかと思う。気負って、息巻いての採用。たいてい、こんな記述のあとには、「力みすぎて、自らの足を踏んで躓いたのだった」といった一文がつづくもの。

 だが、今回にかぎっては気負えども力みなし。事情を知る人であれば、「その気負いと息巻き、むべなるかな」とご理解いただけるにちがいない。事実、中世の産物なのだ。

 12年前。現在最古参メンバーとして老獪な動きを見せるワタナベが入社した。彼が入社した時点で、3カ月後には、書店との直取引による1冊目の本を出すことが決まっていた。編集作業は順調に進んでいる。が、無事本ができたとしても、その一冊を書店に流すルートがない。

 倉庫会社と契約でき、取引書店もぞくぞくと決まっていった。

 だが、それだけでは本は流通しない。書店さんから受けた注文を伝票に起こし、その起票データを倉庫会社にメール。倉庫会社で納品書を打ち出し、その冊数通りの商品と冊数を梱包してもらい、発送する。

 「書店(注文)ーミシマ社(起票)ー倉庫会社(梱包・発送)ー書店(商品着)」

 この流れが滞りなくおこなわれて初めて、出版社の活動が成立する。

 取次という卸の会社を介さず書店との直取引をする以上、先の流れを自社で構築しないことには、本が流通しないのだ。

 入社早々、ワタナベは日夜、その構築に励んだ。

 直取引の先達であるトランスビューの工藤さんに教えを請い、「伝票はどんな感じがいいですか?」「返品伝票はどうされてますか?」といった初歩的なことを聞きまくった。そうして、なんとなくミシマ社的な流れはこんな感じかな、というのをワタナベと相談し、それを実現するために倉庫会社が契約しているシステム担当の人と打ち合わせを重ねた。

 で、「とりあえず」、できた。急ごしらえのミシマ社流通システムが誕生した。

 そうして直取引がどうにかこうにか始まった。幸い、1冊目として刊行した内田樹先生の『街場の中国論』もヒットした。

 ほっ。

 正直、私もワタナベもひといきついた。この数カ月、無事スタートさせるためだけに息をつめて、動いてきたのだ。それが実現したいま、解放されたくなるのも当然だろう。

 だが、そこに大きな落とし穴があった。歩みを緩めてはいけなかったのだ。始動した勢いのまま、改良を重ねつづけなくてはいけなかったのだ。

 しかし、結局そうはせず、落とし穴にはまったまま、急ごしらえの「とりあえずシステム」を運用しつづけることになる。

 そうして、10年が過ぎた。

 当初、数人が数カ月住むために設えたプレハブの仮宿に、10年以上住みつづけることになった。今では、数人(つまり数冊)対応の予定だったスペースに、100人以上(100冊超)が住んでいる。建て増しにつぐ建て増し、つぎはぎをくりかえして。

 ときおり、社外の人がこのイビツな建物(システム)を見ることがあると、「おお、これはめずらしや」と天然記念物に出会ったような感想をくださることがある。社内では、これを「ワタナベ城」と呼ぶ者もいれば、「ワタナベの要塞」と唸る者もいる。
 

 要塞化が進行しだした10年前に営業事務募集をおこない、現在編集担当のホシノが入社する。

 当時、「ふつう」の企業から入社してきたホシノは、当惑を隠せなかったらしい。

 「まさか不気味な要塞で働くことになるなんて・・・」

 侵入不能の要塞にひとたび足を踏み入れる。すると、そこで待ち受けるは、要塞あるいは城をギリギリのバランスで壊さず動かす極意の引き継ぎだった。

 ワタナベ「はーーーー」

 ホシノ「はー」

 ワタナベ「よーーおおーーー」

 ホシノ「よーぉ」

 「ちがう! もっと腹から声を出すのじゃ」。鬼のように厳しいワタナベの叱咤が来る日も来る日もこだました。さながら、能楽や歌舞伎の稽古が繰り広げられているような絵であった。

 わずか数年のうちに、その「とりあえずシステム」は完全にワタナベ仕様と化していたのだ。ワタナベの身体と同化していたと言ってもいい。ワタナベの声にだけ反応する要塞ないし城となっていた。ワタナベ独自の操作によってのみ動くシステムが、ある意味「完成」していたのだった。

 やがてホシノが編集に専念することになり、代わりに入ったヒラタに引き継ぐことになる。いうまでもなく、ホシノは「正確に」引き継ぎをおこなった。

 ホシノ「はーーーー」「よーーおおーーーー」

 いつしかホシノもワタナベの声を習得していた。いや、それ以上の声を出せるまでに至っていた。以降、3人の人間に「極意の引き継ぎ」がおこなわれた(なかには逃げ出す者もいた)。紆余曲折を経て近年、再びワタナベが入城することになった。

 「はーーーーああああーーーー」

 ワタナベ流宗匠・ワタナベユウイチ。もはや、彼の右に出る者はいない。幾人もの声を染み込ませた城は、創始者の声を再び得て、近頃では独特の艶さえ帯びている。

 忘れてはならないことがある。それはこういうことだ。

 営業事務は伝統芸能にあらずーー。

 能楽でも歌舞伎でも文楽でもない。むろん、伝統芸能的であってもいけない。営業事務とはいえ、むしろ出版のしごとはすべからく、同時代の人たちと伝統芸能を「つなぐ」ものであるべき。自らが伝統芸能になっては本末転倒というものだ。日々、伝統芸能に勤しむ方々にも大変失礼なことだ。伝統芸能が担う巨大な役割を引き受けるもことなく、伝承の仕方だけをそれっぽくするというのは。

 日本仕事百貨さんの募集ページで、ワタナベはこう語る。

自分も取次会社にいましたし、ミシマ社で積み上げてきたものもあります。以前に比べたら(「とりあえずシステム」の運用もーー筆者注)随分楽になっているんですよ。でもこんなに世の中が便利になったから、もうこんなふうに人力でやる時代じゃないと思うんです(笑)

 落城宣言ーー。自ら築いた城・要塞を、「古い」と一蹴。これにともない、「宗匠を返上し申す」とワタナベは私に言ったのだった。

 一見堅牢そうなワタナベ城は、ワタナベさんの意思だけで支えられているにすぎない。城を背に負い、なぜか裸姿で立ち支えている。実態はそんなものだ。指ですこし強くつつくだけに瓦解してしまう可能性もある。宗匠にして城主にこれ以上の負担を与えてはいけない。

 こうして、採用募集を年始におこなうことになった。それがために、私が忙殺されているのは冒頭で述べた通りだ。

 日夜、ワタナベと私は祈っている。

 願わくば、最先端技術でもって崩落させんことを。崩落と同時に、これから100年を牽引するような空間ができあがらんことを。

 営業事務という仕事は、かぎりなく人不在になる可能性がある。

 自らの仕事をなくす。その引導を渡す役目を果たす人が、まもなく来てくれることになるだろう。もちろん、その役が終わってお役御免とはならない。人力でやりたいことは山のようにある会社なのだ。どこまでも人力でやりつづけたい、そのほうがいいと確信していることがいっぱいある。それらに尽力するためにも、営業事務の脱中世が急がれる。

 どうか、軽やかにやってほしい。次は、伝統芸能に走ることなく。

三島 邦弘

三島 邦弘
(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。 ミシマ社代表。「ちゃぶ台」編集長。 2006年10月、単身で株式会社ミシマ社を東京・自由が丘に設立。 2011年4月、京都にも拠点をつくる。著書に『計画と無計画のあいだ 』(河出書房新社)、『失われた感覚を求めて』(朝日新聞出版)、『パルプ・ノンフィクション~出版社つぶれるかもしれない日記』(河出書房新社)、新著に『ここだけのごあいさつ』(ちいさいミシマ社)がある。自分の足元である出版業界のシステムの遅れをなんとしようと、「一冊!取引所」を立ち上げ、奮闘中。 イラスト︰寄藤文平さん

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