第96回
雑誌の特集は誰が決める?――読者・著者・編集者をめぐる一考察
2024.01.23更新
昨日、「ちゃぶ台」の読者がミシマ社京都オフィスを訪ねてくれた。
一人は周防大島在住の大学生Sさん、一人は東京出身で京都在住のTさん(二人とも女性)。
Tさんは、京都に来て2年ほどらしい。大企業に勤めていたが最近、退職したそうだ。「営業職だったので競争が厳しく・・・。経済成長が前提になっていて、なんであれ売れればいい、というのがきつくて。このまま、ここで働いていていいのかな、と思うことも多く」。そんなときに出会ったのが「ちゃぶ台」創刊号だった。「たまたま恵文社(一乗寺店)近くの喫茶店に入ったとき、「ちゃぶ台」が置いてあったんです。何気なく読み出したら止まらなくなりました」。
創刊号の特集は、「移住のすすめ」と「今までにない就職」。Tさんが鞄から出してくれた創刊号には、何ヶ所にも鉛筆で線が引かれていた。なかでも「君はバッキー井上を知っているか」という記事に引かれていたのは、印象的だった。
まぁ、努力するっていうのは素晴らしいことやと思うんですけど、その段階で、到達点の予測っていうか、到達点に行けばどうなるか予めわかっているということについて、ちょっと疑問かなぁというふうに思うんです。だからなんていうか「行きがかりじょう」のほうがカッコイイんちゃうかって。(『ちゃぶ台』p111~112)
同時に、「移住のすすめ」でフィーチャーした周防大島に心惹かれ、夏休みに短期移住をする。そこで、「ちゃぶ台」で毎号登場する中村明珍さん(チンさん)に出会い、チンさん経由でSさんにも出会う。
Sさんは高校生の頃から森田真生さんの本を読み、周防大島での森田さんの「演奏会」を主催するチンさんのことを知り、「ちゃぶ台」にたどり着く。一年休学したこともあり、4年生の今、周りから進路を問われることがつらいらしい。苦しいとき、「ちゃぶ台」のバックナンバーを全部読みなおし、線引きまくってます」と笑顔で語った。
「(ちゃぶ台に)すくわれてるんです」と二人は声をそろえた。
目の前で、自らが編集長を務める雑誌への思いを語られる――。本来なら手放しで喜んでいいはずだ。
が、どこか、自分たちが褒められている感じがしない。それより、一緒に「わかります! 僕もこの雑誌にすくわれているんです」と言いたい気持ちが勝る。
そう言えば、昨年末、『野生のしっそう』猪瀬浩平さんの玉ねぎ小屋竣工記念の集まりがあった際、参加者の一人に「『ちゃぶ台』、一番大好きな雑誌です」と言っていただいた。
その際も、「ありがとうございます」と応えつつ、にわかに信じられない感が拭えなかった。
自ら企画し、編集している雑誌なのに、一心同体というより、やや距離がある。自分でも、ふしぎに思う。いったい、この感じは何なのだろう?
その理由が昨日、二人の読者を前に、自分なりにわかった気がした。「毎号、どういうふうに企画しているんですか?」。こう尋ねられ、「うーん、そうですね」と言いつつ、どうしているだろ? と自問した。そうして思いつくままに発した言葉に自らがハッとした。
「わからないからつくっているんです」
たしかにそうなのだ。企画段階では、「こういうことを読者に伝えたい」という明確なメッセージが必ずしもあるわけではない。あるのは、これってどう考えればいいんだろ、という疑問だけ。
最新号の特集「捨てない、できるだけ」も、返品されてきた本たちをどうすればいいんだろ? 捨てるしかないのか? と考えたとき、自分のなかの「わからない」に応えるかたちで特集を進めることにした。ゴミゼロの町・上勝を土井善晴先生と訪れたのも、少しでも「わからない」を解消したかったからだ。
そして、同テーマで多くの方々にエッセイや論考を書いていただき、最終的に、「捨てない」の意味を自分なりに更新できた。ざっくり言うと、こういう変化が自分のなかで起きた。
before;「捨てない」を是とする一方で、「捨てる」を日々、大量にせずにいられない現状。そのもどかしさをどう捉えていいかわからなかった。
after;「捨てる」こと自体は決して否定されるものでない。藤原辰史さんの論考(捨てる民の精神誌)を読み、もともと「捨てる」という言葉に生を肯定する役割を託していたことを知る。また、齋藤陽道さんは、「捨てない、できるだけ」から「忘れたくない」へと思考を進め、その「忘れたくない」を「沁みこませる」ということばへと実感を深めた。このような素晴らしい論考、エッセイの数々を拝読し、「捨てない」ことが絶対的価値ではないことが身にしみてわかるようになった。
「捨てない」の意味が更新されたと書いたのは、こうした変化の実感に基づく。
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わからないから企画し、取材し、依頼し、一冊にまとめる。そもそもを言えば、「わからない」の根っこには、もどかしさや違和感や、不完全燃焼感などがある。
こうしたやり方で進めてきた雑誌「ちゃぶ台」も、今年の秋には創刊まる九年を迎える。11月から十年目となるわけだ。
周りを見渡せば、老舗の雑誌がリニューアルしたり、編集長交代で刷新されているのをときどき目にする。社内でもそうした新編集長たちの言葉に感銘を受けている人も少なくない。見せてもらうと、たしかに、時代を切り拓くような言葉が綴られていて、素直に「すごい」と感じる。
翻って、自分は、「ちゃぶ台」は何をやっているんだろう? と思わずにはいられない。
いつまでも、わからないからやっている、そんな無自覚な態度でいいのだろうか?
こうした
その中で、「生活者のための総合雑誌」と謳っていることにこそ「ちゃぶ台」の意義があると思い至った。それは簡潔に言うと、こうなる。
「生活者にも総合雑誌が必要だ」
まあ、そう考えたからこそ雑誌の表紙にこのことばを掲げているんでしょう、そう思われただろうか。ごもっともである。
ただ、私の実感では、まこと、今この瞬間、思い至ったのだ。なるほど、そうか、それで「生活者としての総合雑誌」と君は謳っていたんだね。と4、5年前の自分に声をかけてやりたい。
生活者のための総合雑誌ーー。そこには、かみ砕いた情報や生活に即役立つ技術といったものではない、深みと広がりのある文章が個別に併存している。だからと言って、大上段から天下国家を論じるというアプローチは採用しない。一人ひとりの生活者から考えた視点や考察、思考がその中心となっている。
そうしてできた紙の束が「ちゃぶ台」である。その中身は、即効性のある言葉の群であるより、じわりじわりと効く(かもしれない)漢方のようなことば、あるいは、遠い日のいつかに支えになる(かもしれない)ことばで構成されている。もしかするとそれは、発酵食品が腸内細菌を育て、多様にしたりするようなものなのかもしれない。
そんなことを考えていた矢先、冒頭の「ちゃぶ台」読者の訪問があった。
Sさん、Tさんとの会合を経て、私は、「ちゃぶ台」の意義や定義について考えるのをやめた。
なぜなら、「ちゃぶ台」づくりを通して自分の中のわからないが解消され、掲げたテーマが更新されるように、読者との出会いを通じて、「ちゃぶ台」とは、が自分のなかで更新されたからだ。
目の前にひとりの人がいて、その人のなかに「ちゃぶ台」がある。「ちゃぶ台」がここにちゃんと生きている。
この事実以上に、定義などいるだろうか?
彼女たちの訪問翌日、かつてなく難渋していた次号特集のテーマが決まった。
「三十年後」
編集メンバーの三人と話しているなかで、これで行くことに決めた。それまでいろんな案が出るたび議論が沸騰してきたのだが、「三十年後」と一人が言ったのに対し、(ああ、たしかにそうだね)と誰もが思ったのだった。あの決まり具合は、パズルがぱちっとはまるときの感覚に似ている。
もっとも、訪問者たちがこうした内容を語ったわけではない。まったく話していないと言っていい。伏線としては、昨年11月、チンさんとともに、「ちゃぶ台」創刊からずっと執筆してくれている周防大島の養蜂家・内田健太郎さんとの雑談がある。彼が京都のオフィスを訪ねてきた際、「人口減少が半端ないんですよ」「10年前に移住してきたとき、集落に十あった小学校が今は一つしかないんです」。その話を聞いたとき、都会と島との人口減少のリアル実感差にようやく想像が及んだ。
このタネをなんとかしたい。そうした思いが次号企画のスタートであった。
その後、年末年始の企画会議では全然ちがう方向へ企画が飛び、一度はそっちで決着した。が、若き訪問者たちとの時間を経て、ビシッと焦点が定まった。
(この人たちにまっすぐ届けたい)
思えば、内田さんも書き手であると同時に、毎号、丹念に読み込み感想をくれる善き読者である。その内田さんが暮らす島とご縁のある二人の読者が訪ねてきてくれた。そして、その翌日、次号特集が決定した。
雑誌は、読者とともにある。
これこそが私の実感にほかならない。どれほど月並みに聞こえようが、紛れもなく、そうなのだ。
8年間――最初の5年は年に一誌、以降は半年に一誌――号を積み重ねた結果、一号一号に、読者がいて、何かを感じてくださっている。今度は、自分たちが、読者の方々から何かを感じとる番なのだ。
わからないから始めた雑誌は今、読者から、有言、無言、さまざまなパスを感知しながら進むときを迎えようとしている。三十年後はその先にきっとある。
編集部からのお知らせ
ちゃぶ台について、Titleの辻山さんと対談しました!
昨年12月、最新刊『ちゃぶ台12 特集:捨てない、できるだけ』発刊を記念して、編集長・三島と、書店「Title」店主の辻山良雄さんが対談しました。
出版者と書店。つくると売る。両方の立場から「捨てない、できるだけ」を考え、語り合った90分を、全編アーカイブでご覧いただけます!
後半、三島が「次号の特集」を発表。上記エッセイで書いていることとはまったくちがう特集名を言っています。最初はどんなアイデアだったのか・・・? そのあたりもぜひお楽しみください。
▼対談の一部をミシマガで公開中です!