ミシマ社の話ミシマ社の話

第69回

「これからの雑誌」はまだ誰も見たことがない

2018.10.28更新

 (サンデル教授風に)
 さ、これから経営の話をしよう。未来の経営の話だ。
 みんなは未来の経営と聞いたとき何を想像するだろうか。
 ん? AIが経営者になっている? なるほどなるほど。
 いや、人間でも機械でもなく、菌が経営をしているって!
 おもしろい、きっと君は「ちゃぶ台Vol.4」の読者だね。
 どうだろう、ほかには。ん、わたし?
 わたしの意見を訊きたいかね、わたしの意見は・・・
 特になし。
 ははは。以上。

 

 いやぁ、慣れないことをするもんじゃないですね。スーツ着て、大教室に立った風に語ろうと思ったとたん、思考停止してしまいました。

 というのは半分はほんとで半分は言い訳です。実際のところ、わたしは経営についてほとんど考えたことがない。と、断言してしまうのはどうかと思いますが、事実そうなのですからしかたありません。出版社の代表をつとめ、いちおう経営者という立場であるにもかかわらず、そうなのです。

 おい、いいのか。

 そんな批判を承知でこう述べたわけですが、いったん周知の事実としたところから経営のことを考えてみようと思ったわけです。しばらく続くのか、それとも今回限りかは現時点ではわかりませんが、とりあえず始めてみます。

 ・・・と書いたものの、まる1日経っても一行どころか一字も進みませんでした。というわけで、経営について語るには、時期尚早というより能力不足であることが白日のもとに。よって、今回は『ちゃぶ台』について述べることにします。そうと決めたとたん、書きたいことがふつふつと湧き上がっています(なら最初からそうしなよ、んもう)。

 ちょうどこれを書いている一昨日、3年前に発刊した『ちゃぶ台』の創刊号が3刷となりました。もとより『ちゃぶ台』は「ミシマ社の雑誌」と謳っている通り、雑誌であります。サイズ的には一見、単行本のようですが、ページを開けば雑誌であることがわかってもらえるでしょう。

 おいおい、何を根拠に雑誌だと言ってるのか。証拠を示しなさい。エビデンスだよ、きょうびなんでもかんでもエビデンスだよ。

 むっつりしかめ面したおじさんの怒声が聞こえてきそうです。

 それに対しては、僕はにこっと笑って横を向こうと思います。おじさん、ごめんなさいね。けど、おじさんとの議論は時間とエネルギーの損失でしかないんです。たとえば、「雑誌コード」の有無をもってエビデンスと考えるのはむずかしい。日本でしか無い、流通上の区分である「雑誌コード」が雑誌であることを担保するものではありません。あるいは、雑誌とは、という決まりや揺るぎのない定義をもっている人に対して、エビデンスを示すのは無意味というもの。雑誌の売行きがすさまじい勢いで下降線をたどるなか、雑誌とは、という前提そのものが揺さぶられている。にもかかわらず、「これが雑誌です」という決めつけは、「これまでの雑誌」の枠組みに収まるものであっても、「これからの雑誌」であることは一切保証しない。

 だから僕は、雑誌であることのエビデンスなんぞを説明する代わりに、「これからの雑誌」の可能性を感じさせることについて語りたい。振り向いたほうには、たとえ2、3人しかいなくても。きっと、そういう人たちは雑誌づくりに興味があるわけではなくても、切実に「これから」に目を向けている人たちなはず。それに対する答えをもっているわけでは当然ないけれど、自分が今考えることをそういう人たちに投げかけてみたい。

 と前置きが長くなりましたが、『ちゃぶ台』創刊以来、毎年毎号、雑誌というもののあり方に一石を投じることができたらな、その一石が雑誌の新しい可能性を拓いてくれたらな、という思いはありました。

 そういう思いのもと、台割をつくらないところから始めました。つまり、雑誌づくりイコール台割づくり、という常識を疑うことから始めてみたのです。

 Vol.1の1ページ目には、手書きでこう書かれています。「最初から最後まで読み通したくなる雑誌をめざしました」。実際、幾人の方から「なんか、最後まで読んでしまいました。なんでですか?」と言われました。「編集後記」にはこう記しました。

「 今回の雑誌づくりは、「常識」への挑戦でもある。日常への揺さぶりをかける行為である。限界と信じ込んでいたものを突破する試みである。自らの身体でぶつかり、限界を越えていくことなしに、出版は次の段階に進むことはできない」(P170)

「編集人である私が得た発見の喜びや爆発するワクワク感をできるだけ「生」な状態で一冊に注入することを試みた。(略)
「編集=整理」という時代から、「編集=発見」もしくは「編集=生命の注入」という新たな時代へ。そういう意気込みでつくった」(p171)

 

 断片的な情報、即時性の情報はネットにとてもかなわない。雑誌一誌まるごと読むことでしか伝わらない体感を読者に味わってほしい。そういう意図をもって編集したわけです。

 と書くと、まるで最初から狙ってそうしたように思われるかもしれません。が断じてそんなことはありません。台割をつくらない、ということだけ決めて、あとは野となれ山となれ、と言わんばかりに飛び込んだ。気持ちとしては、太平洋の真ん中に羅針盤をもたず放り投げられた感じ。そうして溺れそうになり、もがき、塩水を飲み、吐き、飲み、また吐き、飲まなくなり、バタ足くらいはできるようになり、という過程を経て、ある日、「そうだ生き物のような雑誌をめざそう!」と思うに至りました。で、具体的にどういう方針をとったかというと、取材した順、原稿をいただいだ順に並べた。つまり、私が聞き、読んだ順番に、時系列に並べることにしたのです。その結果、一見ばらばらに見えるテーマの読み物が並んでいたとしても、そこには一本の糸が通ったように、「最初から最後まで読める」雑誌になった(と思っています)。

 Vol.1〜vol.3は、基本的にその方針でできました。人間でいえば、2〜3歳までは、自由に伸びやかに、その子の持っている生命力をただひらすら伸ばしましょう、いろいろ口を出したりせずに(編集的整理をせずに)、という方針をとった。ところが、4歳児ともなると、それだけではいかなくなる。まさに今、うちの子が5歳とまもなく3歳となるので、そりゃあもう、実感込めて思います。

 素直でまっすぐ、これからもずっとそうしていておくれ。というのは、親の一方的希望および願望という名のエゴに過ぎない。身体の成長と精神の成長は比例するものではなく、ときに体が心に追っつかず、ときに心が自由にならぬ体にもどかしさをおぼえ、葛藤という現象に見舞われる。そのタイミングで、保育園や幼稚園などで異質な他者と出会う。そうして、そこで仕入れた汚い言葉やへんな表現を使うようになったり、天真爛漫だったいたずらにそれだけじゃない何かが滲みでる。アンコトローラブルな存在として、一人歩きし始める。

 生き物として育ててきた以上、雑誌とて同じこと。

  

 「最初から最後まで読める? けっ、そんなの知るかよ。オレだけ読んでくれれば十分」と編集長の方針をまったく無視する記事が出る。と思えば、ある記事は「いえいえ、時系列で並べるなんて嫌ですわ、わたしはあの方の隣に置かれて読んでほしいの」と駄々をこねる。ひとつとして同じ菌はなく、菌が人間の意思を超えて動いていく。という、「発酵×経済」号(Vol.4)の内容を地でいく展開が待っていた。記事の一本、一本、どころかそこに載る言葉の一語一語が独立した意思をもって、勝手に動き出したのだ。

 もちろん編集長としては、そのひとつひとつが愛おしく、大切でしようがない。できるだけ、その意思、動きを尊重したい。と思ったら、唯一の編集的行為であった「時系列に並べる」という一本の糸を通す作業すら、放棄することにした。というか、そうするしかなかった。

 ただひらすら「おもしろい」という原稿を集めることだけに集中した。ただひらすら「おもしろい」という原稿を集めることだけに集中した。タルマーリーさん(Vol.1,2,4に登場)が理想的な糀菌を求めて鳥取県智頭町にきたように。すると、さまざまな天然菌同士が調整をしあい関係性を築き発酵し生命力の高いパンができるように、言葉や記事たちが勝手にぶつかり調整し並んでくれた。そうして今回の表紙裏面にあるような目次へと落ち着いた。もう、勝手にそうなった、というほかない。

 出来上がったものをあらためて読むと、Vol.1のように最初から最後までいっき読みするのがむずかしい。引っかかりがそこかしこにある。事実、読者の方からもすでにそんな声が聞こえてきている。天然菌発酵による多様で複雑な味が出た。あるいは。かつては片手で軽々ともちあげられた乳幼児。いまでは、「おやおや重たくなったね。おじさん、腰がふらついたよ」と言いながらしか抱っこできない。そういう時期に『ちゃぶ台』が来た。と言えるかもしれません(『ちゃぶ台Vol.4』の多様な読まれ方は、こちらをご覧いただけましたら幸いです)。

 いずれにせよ、『ちゃぶ台』は生物とつきあうようにつくり育ててきました。けっして促成栽培せず、もともと生き物としてもっている力を時間をかけて引き出し育てる。そんな話をいっぱい載せつつ、雑誌もまた、そういうふうにありたいと願ってきました。だから、ある期間だけ売っておしまい、にはしない。長く読んでもらいたい。そう思ってつくり、つきあってきたら(現時点ではミシマ社刊の本に「絶版」はありません)、3年前に出た雑誌が3刷の増刷となった。

 雑誌は断片的に読むもの、短期間だけ売るもの。もっといえば、雑誌は売れない。そういう決めつけや常識に対し、ほんの少しは揺さぶりをかけられたかなと思います。

 「これまでの雑誌」の枠組み内を抜け出ない雑誌はたしかに売れないかもしれない。けれど、まだ枠組みがなく、「これからの雑誌」というまだ誰も見たことのない空白に向かって全力で球を投げようとしてつくられた雑誌は、その通りではない。すくなくとも、その一例になりえたような気がします。とはいえ、エビデンスができましたね、なんて言い方だけはしませんからね、おじさん(というのは強がりで、言えるほどの実績がないだけです・・とほほ)。

三島 邦弘

三島 邦弘
(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。 ミシマ社代表。「ちゃぶ台」編集長。 2006年10月、単身で株式会社ミシマ社を東京・自由が丘に設立。 2011年4月、京都にも拠点をつくる。「原点回帰」を標榜した出版活動をおこなっている。著書に『計画と無計画のあいだ 』(河出書房新社)、『失われた感覚を求めて』(朝日新聞出版)がある。

編集部からのお知らせ

『ちゃぶ台』編集長三島邦弘が、『ちゃぶ台Vol.4』ツアーとして全国を巡りイベントに登壇します。ぜひ足をお運びください。

ちゃぶ台Vol.4発刊記念イベント「漫画家と編集者が見る!」榎本俊二・三島邦弘トークショー

■日時:2018年11月2日(金) 19:00 - 21:00
■場所:広島 蔦屋書店

詳細はこちら

『ちゃぶ台Vol.4』刊行記念イベント~松村圭一郎&三島邦弘(本誌編集長)「人間の経済をとりもどす!」

■日程:2018年11月7日(水)19:15~(開場18:30~)
■場所:京都 恵文社一乗寺店 コテージ

詳細はこちら

「もっと菌を!? ミシマ社が考えるこれからの10年」 〜『ミシマ社の雑誌 ちゃぶ台vol.4 「発酵×経済」号』刊行記念トークイベント〜

■日程:2018年11月15日(木) 19:30 – 21:00
■場所:香川県高松 本屋ルヌガンガ

詳細はこちら

「本」で世界を面白く。「一冊」が起こす豊かさ。

■日程:2018年11月16日(金)18:30~20:30
■場所:高知県土佐郡土佐町 町の学舎 あこ

詳細はこちら

もういちど「近代」を考える:次の『ちゃぶ台』Vol.5はどうなるの?

■日程:2018年11月23日(金) 13:30~
■場所:岡山県 スロウな本屋(募集未開始)

 雑誌『ちゃぶ台』で、つねに時代の流れのその先を見つめてきたミシマ社代表の三島邦弘さん。今春、スロウな本屋で日本の近代を問いなおした石牟礼道子作品を読む寺子屋をはじめた松村圭一郎さん。
 20年来の旧知の仲である二人が、いまあらためて「近代(菌代?)」について語り合います。『ちゃぶ台』Vol.4「発酵×経済」が発刊されたばかりですが、二人の目は、もう次のVol.5で何を世に問うかに向けられています。さて、おふたりは「近代」という時代をどう乗り越えようとしているのか? 岡山の地で、はじめてその先の話があきらかに!

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