ミシマ社の話ミシマ社の話

第85回

ことばは自分に属さない 〜「生活者のための総合雑誌」を刊行してみて〜

2020.11.30更新

 「ちゃぶ台」がリニューアル創刊した。表紙には、「生活者のための総合雑誌 2020年秋/冬号」「特集:非常時代を明るく生きる」。これまで、ふたつの特集テーマを決めて、その組み合わせを号名にしていたのとはだいぶ謳い方が違う(第一弾は「移住」×「仕事」号で、第四弾は「発酵」×「経済」号だった。もっとも第二弾だけは「革命前々夜号」だが・・・)。

 そもそも、雑誌名に冠する言葉自体、変わった。「ミシマ社の雑誌」と謳っていたのが、「生活者のための総合雑誌」となった。この変化はいったいどういうことだろう?
 実際のところ、編集長を名乗りながら、私のなかで明快な理由があったわけではない。ただなんとなく、と言ったら無責任に聞こえるかもしれないが、そのほうがいいだろう、と思った。確信とまでは言えないが、変更するほうがいい、と思ったのだ。確信に近い感覚があったのは間違いない。ただし、くりかえしになるが、その理由がはっきりと自分のなかでつかめていたわけではなかった。
 ところが、発刊から5日たった今、じょじょにではあるが、理由らしきものの輪郭が浮かびあがりつつある。これから、その経験について書こうと思うが、現時点でひとつの発見があったことを先に述べておきたい。それは、ことばは自分に属するものだけではない、ということだ。つまり、他者のあいだでもまれ、他者の空気にさらされることで、初めて「生」を得る。そうした類のことばもある。「生活者」ということばは、私にとって、まさにそのようなことばであった。

 ことばは必ずしも自分に属さない。そのことを実感させてくれたのが、荻窪の書店・Titleの辻山さんだ。
 発刊日にあたる2020年11月20日、本来ならTitleさんに私がうかがい、無観客の店内から発刊記念イベントをオンライン配信する予定だった。ところが、その数日前から跳ね上がる新型コロナウイルスの感染者数を受け、京都から東京への移動を断念した。結局、ミシマ社の京都オフィスとお店をオンラインでつないでおこなった(その模様はこちらをご覧いただければ幸いです)。そのとき、だ。開始まもないタイミングで、辻山さんは落ち着きのある口調で、「今回、生活者のための総合雑誌、と謳われたわけですが、三島さんが考える"生活者"ってどういうものですか?」と尋ねられた。
 さすが辻山さんいいところをつくなぁ、と心中うなりつつ、まあ、そりゃ訊くわな、とも思った。この言葉を謳うことにしたときから、いずれ訊かれることはわかっていた。ただ、その時点では深めて考えなかった。そうしたいと思えなかったからだ。理由はわからない。訊かれたときに考えよう、くらいに思っていたのだろう。しかし、その「訊かれたとき」がこれほど早く来るとは。
 無言でいるわけにもいかず、思いつくまま返答した。
 「生活者、といったとき、ひとりひとりイメージするものは違うと思うんですね。そして、それでいい、と思っています。"おもしろい"もそうですけど、定義をしたくないんです。」
 このようなことを話したあと、「実際のところ、今さら"生活者"だなんて、と思う人もいることでしょう。凡庸で、使い古された言葉であるのは間違いありませんから。けれど、そこから雑誌を始めたい、と思ったんですね」と語った。
 そして、その流れのままにこうつづけた。
 「『はじめに』で書いたように富める者も貧しき者も、年齢性別国籍など問わず、生活者でない人はいない。誰もが日々、生活をしている。とすれば、どれほど分断や対立が起きても、その一点でだけはつながっていける。もしかすると、生活者であることは、ばらばらになりつつある私たちをつなぐ最後の一線かもしれません」
 たしかに、冒頭のあいさつ文で「どこに住んでいようと、何歳であろうと、どんな属性に区分されようと、あらゆる人たちが生活者であることだけは免れないはずです」と書いている(こちらの記事に掲載しております)。とはいえ、それがそのまま対立・分断を架橋する共通点であるとまでは思っていなかった。だが、こうして話してみると、"生活者"のための雑誌であることは「ちゃぶ台」がもっている可能性だ、と思えてきた。もちろん、ちいさなひとつの可能性にすぎないけれど。
 このように思えたのは、実際に雑誌というかたちになり、辻山さんが読んでくださり、質問を投げかけてくれた。そうした一連の流れの裡に本誌が置かれたからにちがいない。サッカーでいえば、ワンタッチパスを経てスペースに出されたボールが足元にあった状態のボールと違うように。同じものが他者に触れたとたん、実体としては違うものになる。こうしたやりとりもまた、生活と呼ぶのかもしれない。

 発刊9日目を迎えた。少しずつ、読者の方から感想が寄せられている。

 判型が変わったこと、非常時代という表現、各寄稿について、感想はさまざまだ。寄せられることばはひとりひとり違うが、ひとつひとつが身に沁みてくる。雑誌という紙の束が、読み物として輪郭をもった雑誌へ変化する。その瞬間にいま、いる。
 こうした日々のなかで、謳い文句を変更した理由について、あらためて気づきがあった。それは、こういうものだ。
 私自身が生活者という存在から多くを学びたいと思っていた。編集者である私が、方向性や答えを示すのではなく、答えは生活者のなかにある。それを前提とした雑誌をめざしたかったのだ。
 もしかすると、編集者やクリエイターと呼ばれる人たちの一部が、「これからの指針」を提示することに、しんどさをおぼえていたのかもしれない。自分の信じる答えへと読者を誘導しようとする。その行為そのものがなんか、しんどいなぁ、と。
 このことは、コロナを経て、自分のなかで起こった大きな変化と言えるかもしれない。
 というのも、これまで、「コーヒーと一冊」手売りブックス「ちいさいミシマ社」をはじめ、シリーズ、レーベルを次々にたちあげてきた張本人は、私なのだ。そういうとき、「そうだ、これからの書籍はこうだ!」とかなんとか、確信をもって発表してきた。
 だが、そうした「熱い確信」で発せられたことばは、あまりに話者と渾然一体となっており、それを受け取るほうは、話者の熱量セットでしか受け取りようがない。それだと、受け取るほうの解釈がはさむ余地があまりになくなってしまう。他者に向けられたはずのことばが、その実、他者に開かれていない。他者の受け取り方に制約がついた状態で、投げかけることになる。
 だからといって、官僚答弁のように、言葉と思いを完全に乖離して使うのは、ことばへの冒涜でしかない。論外だ。
 そのことばを使うことには確信がある。ただし、切っても切れぬほどにはくっついていない。発したとたんに、自分から離れていく。
 自分に属さない、開かれたことば。
 そこに血を通わせていくのは、受け取る人たちひとりひとりに委ねられる。

 ふしぎなもので、自分の手から離れると、向こうから声がかかり始めた。
 誠光社の堀部さんが、「ちゃぶ台リニューアル号の展示をしたい」と言ってくれた。「ちゃぶ台」単体での展示は、6年目にして初である。
 私は喜び勇んで、展示の冒頭に掲げる文章を書いた。それを紹介して、本稿を閉じることにしたい。

 かつてなく求められている「ちゃぶ台」をめざして

 リニューアル創刊号となった「ちゃぶ台6」と同日(2020/11/20)刊行された『縁食論』。そのなかで著者の藤原辰史さんは、「ちゃぶ台の拡大、家族以外の人間が座ることのできるちゃぶ台の開発が、かつてなく求められている」(『縁食論』p57)と述べている。もちろんこれは、近代家族モデルが成り立たなくなった現代において、という文脈での指摘である。が、藤原さんは、「ミシマ社の雑誌 ちゃぶ台」の創刊号からVol.5まで毎号、登場・執筆くださった方でもある。その藤原さんが、「ちゃぶ台の開発」と書いた。「句読点に至るまで血を通わせた」というその本のなかで。
 編集長である私は、このメッセージを食卓だけの話ではあるまい、と解釈した。雑誌「ちゃぶ台」も同じですよ、と受け止めたわけだ。
 かくして「ちゃぶ台」の開発が始まった。
 めざすは、家族以外の人間が座ることのできるちゃぶ台、つまり、考え、意見を異にする人たちが一緒に読んだり、楽しめたりする「ちゃぶ台」だ。
 その一歩目として、過去5年間雑誌名の前に冠してきた「ミシマ社の雑誌」という表記をやめ、新たに、「生活者のための総合雑誌」と銘打つことにした。老いも若きも富者も貧者も、誰もが"生活者"であることだけは共通している。めざすべきちゃぶ台の実現に向けて、この一点は欠かせないと考えたからだ。
 あとは、本展示をご覧いただければ幸いである。「ちゃぶ台」開発の裏側を隠すところなくお見せしたつもりだ。
 そして、最後にお願いです。
 かつてなく求められている「ちゃぶ台」の実現には、読者の皆様の存在が欠かせません。この「ちゃぶ台6」を囲み、ああだ、こうだと、ご自身のなかで、あるいは周りの方々と語り合っていただけばと願ってやみません。私たちの前に、新たな「ちゃぶ台」が立ち上がって来るのは、そのときにちがいありませんから。

     「ちゃぶ台」編集長 三島邦弘

三島 邦弘

三島 邦弘
(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。 ミシマ社代表。「ちゃぶ台」編集長。 2006年10月、単身で株式会社ミシマ社を東京・自由が丘に設立。 2011年4月、京都にも拠点をつくる。著書に『計画と無計画のあいだ 』(河出書房新社)、『失われた感覚を求めて』(朝日新聞出版)、『パルプ・ノンフィクション~出版社つぶれるかもしれない日記』(河出書房新社)、新著に『ここだけのごあいさつ』(ちいさいミシマ社)がある。自分の足元である出版業界のシステムの遅れをなんとしようと、「一冊!取引所」を立ち上げ、奮闘中。 イラスト︰寄藤文平さん

編集部からのお知らせ

京都の誠光社にて、『ちゃぶ台6』リニューアル創刊記念展示「非常時代を明るく生きる」を開催します!

6e83adc1a3a0c83ff3f41ab2811e447b.jpg京都の書店・誠光社にて、『ちゃぶ台6』リニューアル創刊記念展示「非常時代を明るく生きる」を開催します! 本書ができるまでの制作エピソードやマニアックすぎる編集秘話、今号のデザインや紙のこだわりポイント、そして豪華著者陣からのコメントなどなど、『ちゃぶ台6』を120%楽しめる展示予定しています。

詳しくはこちら

「非常時代を明るく生きるってどういうこと?」アーカイブ動画を期間限定販売中です!

a857e0c0ad10fa1bc7e2.jpg本文中にも登場したTitle辻山さんとのイベント「非常時代を明るく生きるってどういうこと?」のアーカイブ動画を1/3(日)までの期間限定で販売中です。

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