ミシマ社の話ミシマ社の話

第87回

お金を分解する~「テマヒマかけたものをこの値段で」問題を端緒に

2021.02.09更新

 周防大島の農家・宮田さんがしぼり出すような声で述べられた。
 「スーパーに150円できゅうりを置いたとき、やっぱり、ほかの、100円のきゅうりのほうが売れるんです。ああ、そうかぁ、思うて。あれだけ手間、暇かけて育てた野菜が、この値段で売らなならんのか、と思うと・・・」悔しさや悲しみをにじませ、おっしゃった表情が忘れられない。
  宮田さんは、8年ほど前に、山口県の本州側から周防大島へ移住し、「野の畑みやた農園」を営んでおられる。そこでおこなわれる農法は、いくつもある自然農のなかでも、不耕起栽培というもの。機械を使わず、土本来の力を生かす農法だ。しかも、宮田さんは、藪というか、小山ひとつ分の耕作放棄地を人力で開墾した。そうすれば、藪になるほどの力をもつ土を傷ませることなく、そのまま使うことができるから。そこに棲息する微生物をはじめとする生物たちの生態系を崩さずに済む。理屈はその通りだろう。が、誰もが「理屈がそう」だからと言って「そうする」わけではない。というか、多くの人はできないものだろう。理想の実践はむずかしい。私も実際にその畑を見せてもらったが、圧巻というほかなかった。一見して土が生きているのがわかる。ひとりの人間の本気に土が呼応しているような気がした。
 その後、宮田さんは小売業者に卸すのではなく、直接、消費者にとどける「定期便」を始めた。「定期便」以降、先述のような悲しみや悔しさからはだいぶ解放されたように見受けられる。

  「テマヒマかけたものをこの値段で」問題。この問題は、多くの生産者が直面したことがあるだろう。実は私たちも長年この問題にぶつかっている。参考までに、ミシマ社の刊行物に多い46判型並製の本の価格を見てみよう。内田樹先生の『街場の教育論』をはじめとする「街場」シリーズは1600円、昨秋刊行した『日本習合論』は1800円をつけた。いとうせいこうさんの『ど忘れ書道』は1600円、白川密成さん『ボクは坊さん。』は1600円、昨年2月刊の『坊さん、ぼーっとする』は1700円だ。内田先生やいとうせいこうさんといった著名な方々は、当然、大手出版社からも多数書いておられるわけで、そうした書籍と比べると、数百円高いかもしれない。『日本習合論』に至ってはさらに高いと言えるだろう。
 家電などでよく見る「メーカー希望価格」は、量販店に行けばなし崩し的に安い値がつけられていることが多い。だが、こと書籍に関しては、値段の最終決定権は小売業者ではなくメーカー側(出版社)にある。紙の出版物に関しては、再販制という制度があるため、小売業者は自由に価格付けすることができないのだ。
 だからといって、メーカーが好き放題に定価をつけているわけではない。
 先の白川密成さんの「坊さん」シリーズは、デビュー作が出たのは2009年。当時、若い坊さんによるエッセイ本がちょくちょくと出始めていた。そうした類書の価格を勘案して、1600円とした。おそらく1200~1400円が多かったように記憶している。だが、それでは書店と直取引をおこなう私たちのばあい、価格負けしてしまう。沖縄から北海道まで、自社ないし自社の倉庫から一冊単位で、書店から注文があれば発送する。もちろん、送料はミシマ社負担。離島への送料を調べていただければわかるだろうが、一冊で送るかぎり、赤字となる。だが離島の送料を基準に値付けしていいものだろうか。そうすると、おそらく『ボクは坊さん。』だと、2500円はつけないと採算があわないだろう。それはいくらなんでも高すぎる。と市場は反応するのではなかろうか。最終的に映画化にもなった本作も、映画化はおろか、あまり買ってもらえない事態になっていた可能性がある。
  つまり、相場というものがあるのだ。
 では、いったい、相場というものは、誰がいつ、どのように決めるのだろう?
 これがわからなかった。私のばあい、出版社に勤めだしたときにはすでになんとなく相場が「あった」。すくなくとも、「ある」と思い込んでいた。そのため相場が変わる可能性があることなどほとんど想像したことがなかった。相場というものは固定されたもの。小学校に通い出せば宿題が出るのと同じように。
 だが、もちろん、そんなことはない。宿題がない小学校だってある。というか、世界を見渡せばそっちのほうが多いかもしれない。先ごろ『つくるをひらく』を出された光嶋裕介さんや「学びの未来」でまさに今この宿題問題も扱っている森田真生さんも少年期を過ごした海外では、宿題などなかったと言う。彼らと話してると、小学校に行けば宿題がある、というのは単なる思い込みにすぎないのがわかる。むしろ、惰性でかなり異常なことを子どもたちに課している気すらしてきた。  と、つい熱く脱線しそうになるが、いまは、相場の話に戻りたい。
 結論から言えば、相場の正体とは、先行例である。すでに出ている本たちの価格が後発書籍の価格を大きく決定づける。例えば、5歳児向け絵本(特殊な仕掛けなどのない)のうち1000円が6割、1200円が3割だとしよう。その市場に、2500円の絵本を投入するのはむずかしい。もちろんその価格で出すのは自由だが、出しても売れないと結局は困る。事業が成り立たなくなるからだ。かように、先行事例の多数派とは違う道を歩むのは困難をきわめる。
 では、相場に合う価格以外はつけられないのか? 現在の相場では、「テマヒマかけてこの値段」と嘆かざるをえない仕事をしている生産者は、これからも泣き続けるしかないのか? 
 もう少し、価格の内部へ潜り込んで見てみよう。
 価格には表の価格と裏の価格がある。
 表の価格とは、消費者が目にする価格。裏の価格とは、メーカー、生産者が小売に卸す価格をさす。
 つまりこういうことだ。
 1000円の本が二冊、本屋に並べて置いてある。老舗A社と新興出版社Z社の二冊だ。本屋にきた読者にすればどちらも1000円の本。だが、A社とZ社にとっては違う。A社には900円の本、Z社には650円の本。それぞれの卸率に合わせるとこうなるわけだ。しかも、A社はこれがそのまま売上となる。しかし、Z社の本は返品可。いったん650円の売上となった一冊が、何カ月後かに売れ残った時には、返品され0円となる。仮に10冊を卸し、半数が売れたとしよう。A社へ入金される額は9000円、Z社に入るのは3250円。三倍近い差が生じることとなる。
 これがメーカー、生産者にとってのリアルである。同じ価格帯の裏で進行する現実と言える。
 では、どうすればいいか? この埋めがたい利幅の差を放置したまま、事業を継続できるのだろうか。A社と同じとは言わずともある程度利益が出ないことには、Z社とて事業を継続することはできない。ましてや、いい本を出し続けようとすれば、当然、コストはかかる。とすれば、選択肢はふたつ。ひとつは、1000円をつけ続けるパターンと、もうひとつはA社に近い利幅を確保するため1400~1500円ほどつけるパターンだ。前者の場合、営業的には「その分、A社より三倍売ってトントンにするぜ!」となろうか。あるいは、紙などの資材や造本の仕様を徹底的に削るかだろう。だが、原価カットには限度がある。三分の一まで原価を削るなど不可能にすぎない。万一可能だとしても、それは書店店頭に並んだときもはや別物となっていよう。極端に言えば、本と紙を使ったものすごい安物の何かが並んでいる、そんなふうに見えるのではないか。
 では、見劣りしないような中身と装いで隣同士に置こうとすればどうするのか。自分たちの身を削る(具体的には人件費を削ることになろう)。あるいは、価格を上げる。どちらかしかあるまい。
 だが、いうまでもなく、価格を上げれば売れる冊数が落ちる。一見したところ違いがわからない二冊の本が1000円と1500円で並んでいたら、1000円のほうが売れやすい。宮田さんのきゅうりがそうであったように。少なくとも、1500円のほうは「高い」と思われるのは避けられない。
 価格を一緒にする、高くする、いずれにせよ、後発組はずっとつらい。売れる売れないを勝ち負けに喩えたくないが、あえて言えば、永久に勝てない戦を強いられているようなものだ。後発者は、半端ない努力とアイデアを常時積み上げたところで、先行者が永遠に勝つ。そういう仕組みになっている。
 これを先ごろ私は、「足元に潜む帝国主義」と呼ぶようになった。
 何も、20世紀における帝国と植民地を持ち出すまでもなく、また、アマゾン、アップルなどGAFAと呼ばれる巨大IT企業の帝国性を指摘せずとも、足元にある。それも自分たちが馴染んで、それが当然と思い込んでいたことに、無数にあるのだ。
 むろん、上述の出版社の例で言えば、A社で働く人たちの中には「今、そんなこと言われても」という人も多いだろう。「自分たちが望んだことじゃない」と。その通りだろう。私自身も身に覚えがある。先進国と呼ばれた場所に生まれたことで、電気や水や食料に困ることなく、知らず知らずのうちに帝国主義的搾取の上で育ってきたのだから。現在もそうだと思っている。
 もちろん、それは僕が望んだわけではない。だから、自分が搾取側にいるのは事実とちがう、と言っては嘘になろう。望まざる事実の中で、フェアな関係を築くほうへと動けないかと悩み、もがき、ときに無力感に襲われる。それが実情だ。
 こうした先行者すら望んでいない帝国主義的構造を「足元に潜む帝国主義」と捉えることにしたわけだ。
 問題は、それを崩すには、どうしたらいいか。であるが、これについては別稿で考えたい。
 ここでは、まずお金という視点から取り組んでみたいと思って書き始めたのだ。

 宮田さんの場合、スーパーへ野菜を卸していたころ、小売側に事実上の価格決定権があった。そのことが苦しさの原因となっていた。どれだけテマヒマかけても、儲からない構造を強いられていたわけだ。そこに帝国主義があった。
 それに対し、流通を変えることで抜け出た。
 自社の例を少しだけ述べておくならば、A社のような会社たちに向かって、先行者優位はやめましょうよ、フェアな条件にしましょう、むしろ後発優位の業界のほうが魅力的じゃありませんか、と訴えかける。。。。といったことはしていない。その余裕すらないから、というのが本音でもあるが、目を違うところへ向けることで凌ぐことにした。そのひとつは、先に述べたように、価格を相場より少し高いと感じられるかもしれないところに設定するようにした。それが、自分たち後発組が継続的にいい仕事をしていける(現時点での)「適正価格」だと判断して、である。読者の方々には、どうか、その点ご理解いただきたい、と願っている。
 また、サポーター制度もそのひとつであるのは間違いない。自分たちにとっての適正価格と市場の相場感覚にはまだまだ開きがある。その差は急には埋まらない。ミシマ社の場合、その埋めがたい「身を削りながら仕事をしている」部分の一部をサポーターの方々に支えてもらっている。
 宮田さんにせよ、ミシマ社にせよ、ものの流れを変えたことで、お金の流れも変わった。そう言えるだろうが、こうも言えやしなかと考えている。スーパーという場で付与される幾つもの凝縮されたエネルギーを解体し、ものが持ってするエネルギー分だけをお金にした。
  。。少しわかりにくかったかもしれない。何せ、私自身わかっているわけではないからだ。知りたいと思って書いているわけで、現時点では仮説だけがある。その仮説とはーーお金というものは、エネルギーの代替物である。食べ物は実際に体内に入れることでエネルギーとなる。そのエネルギーを出すために、ときにひとは他者に育てられた食糧をお金で得ることがある。行動もまたエネルギーである。行動に対してお金が発生する。お金があることで、人間の生活は随分と便利になった。
 このように実体に近いところで回っている分には、お金はひたすら便利な発明と言えるだろう。そこに帝国主義的構造は生まれない。
 しかし、クリック1つで何億ものお金が動くのは、過剰にすぎる。不均衡を生む。また、ひとつの行動に、何もしない、ただ繋ぐだけの仕事でお金を上乗せする。五輪がその典型だろう。アスリートが身体を動かす。ただそれだけのシンプルなエネルギーの発露に対し、何千億、何兆ものお金が動く。その間に、いったい何が載せられているのか? おそらく、原子力という物凄いエネルギーを求めてしまったのも、お金に過剰なエネルギーを付したことと無関係ではないだろう。
  今必要なのは、便利だったはずのお金を便利だったときのエネルギーの値にまで戻してやること。そこまで分解してやること。凝り固まったお金を、既得権でかためられたお金を、過剰なエネルギーを預託されたお金を、一度、分解しないといけない。お金を腐敗させないためにも。なんらかの理由で、無価値なものになってし まう前に。
 そうした危機感をともなう直感に従い、次号「ちゃぶ台」の特集を「お金を分解する」とした。そのスタートを「ちゃぶ台編集室」というMSlive!の講座で切りたい。
 ゲストは、タルマーリーの渡邉格さん、麻里子さんご夫妻。これ以上は望めないだろう方々にご登場いただくわけだ。前著『腐る経済』で、お金を「腐敗」から「発酵」へと導けないかという思いのもとパンづくりをするお話を書かれた。あれから6年。この間、さらに微生物の声を聴きながらパンづくりを深め、ビールづくりを始める一方、渡邉格さんは、自家エネルギー発電まで挑戦された。タルマーリーさんは、先の私の仮説をどう思われるだろうか? 
 そして、お金を分解するとはどういうことか、どうすれば可能か? などなど訊いてみたいことが山ほどある。
 縦横無尽に語りあることの先に、光が見えてくるような気がしてならない。ワクワク。

三島 邦弘

三島 邦弘
(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。 ミシマ社代表。「ちゃぶ台」編集長。 2006年10月、単身で株式会社ミシマ社を東京・自由が丘に設立。 2011年4月、京都にも拠点をつくる。著書に『計画と無計画のあいだ 』(河出書房新社)、『失われた感覚を求めて』(朝日新聞出版)、『パルプ・ノンフィクション~出版社つぶれるかもしれない日記』(河出書房新社)、新著に『ここだけのごあいさつ』(ちいさいミシマ社)がある。自分の足元である出版業界のシステムの遅れをなんとしようと、「一冊!取引所」を立ち上げ、奮闘中。 イラスト︰寄藤文平さん

編集部からのお知らせ

2/10(水)ちゃぶ台編集室 第1回――タルマーリーとお金の話 開催します!

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昨年11月にリニューアルし、以降半年に1回の刊行ペースとなった雑誌『ちゃぶ台』。
次号2021年5月発刊予定の『ちゃぶ台7』の特集テーマは「お金を分解する」を予定しています。
岡山から鳥取の智頭に移り、ビールもつくり始めたタルマーリーのお二人は今、お金をどう捉えているのか? 世界が大きく変わりつつあるなかで、私たちとお金のちょうどよいつき合い方とは? などなど、徹底的に「お金を分解する」時間にできたらと思っています。

※終了しました。アーカイブ動画販売開始まで、しばらくお待ちくださいませ。

3/1(月)ちゃぶ台編集室 第2回――藤原辰史×伊藤亜紗対談 開催します!

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3月1日(月)19:00からの第2回では、藤原辰史さんと伊藤亜紗さんという、ポストコロナを考える際、必聴のお2人による対談を開催します。
「もれる」と「ふれる」。「分解と利他」のヒントはそこにある!?
お二人の思考の先端に触れる対話を、どうぞお楽しみに!!

詳しくはこちら

2/17(水)18:00~ 藤本智士(Re:S)× 三島邦弘(ミシマ社)× 福島暢啓(MBSアナウンサー)「編集者って何してるん?」開催となります!

神戸と秋田を行ったりきたり、「ローカル」の視点から編集の新しい可能性を見いだす藤本さん。京都と東京を拠点とする「ちいさな総合出版社」を運営しつつ、単行本と雑誌「ちゃぶ台」を編集する三島さん。ふたりの共通点は編集者であること、関西に住んでいること。そんな「編集者」となって20年を超える二人が、そもそも編集者って何するの?を語り合います。「え、自分そんなことしてたん?」「その取材の仕方ありなん?」などなど、同じ肩書きとは思えぬ話から、コロナ禍での発見や取り組みといった「今」と「これから」の話まで。ぶっつけ本番で、二人が話したいこと、聞きたいこと、をお届けする90分!

ーーMBSちゃやまちプラザHPより

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2021年度ミシマ社サポーター募集中

縁ある方々に私たちの出版活動をサポート賜れば幸いです。よろしくお願い申し上げます。


2021年度ミシマ社サポーターのご案内

募集期間:2020年12月1日〜2021年3月31日
サポーター期間:2021年4月1日~2022年3月31日

*募集期間以降も受け付けておりますが、次年度の更新時期はみなさま2022年の4月となります。途中入会のサポーターさまには、その年の特典をさかのぼって、すべてお贈りいたします。

2021年度のサポーターの種類と特典

下記の三種類からお選びください。サポーター特典は、毎月、1年間お届けいたします(中身は月によって変わります)。


◎ミシマ社サポーター【サポーター費:30,000円+税】
いただいたサポーター費のうち約25,000円分をミシマ社の出版活動に、残りをサポーター制度の運営に使用いたします。

【ミシマ社からの贈り物】
* ミシマ社サポーター新聞(1カ月のミシマ社の活動を、メンバーが手書きで紹介する新聞)
* 紙版ミシマガジン(非売品の雑誌。年2回発行・・・の予定です!)
*生活者のための総合雑誌『ちゃぶ台』(年2回発刊)と今年度の新刊1〜2冊(何が届くかはお楽しみに!)
* 特典本に関連するMSLive!(オンライン配信イベント)へのご招待
* ミシマ社オリジナルグッズ
・・・などを予定しております!(※特典の内容は変更になる場合もございます。ご了承くださいませ。)

◎ウルトラサポーター【サポーター費:100,000円+税】
いただいたサポーター費のうち約95,000円分をミシマ社の出版活動に、残りをサポーター制度の運営に使用いたします。

【ミシマ社からの贈り物】
上記のミシマ社サポーター特典に加え、
*ウルトラサポーターさん交流会

◎ウルトラサポーター書籍つき【サポーター費:150,000円+税】
上記のウルトラサポーター特典に加えて、その年に刊行するミシマ社の新刊(「ちいさいミシマ社」刊も含む)を全てプレゼントいたします。いただいたサポーター費のうち約100,000円分をミシマ社の出版活動に、残りをサポーター制度の運営に使用いたします。


お申し込み方法

サポーター費のお支払いの方法によって、お申し込み方法が変わります。以下よりお選びください。

⑴ ミシマ社のウェブショップから クレジット決済・コンビニ決済・PayPal・銀行振込 をご希望の場合
ミシマ社の本屋さんショップ(ミシマ社公式オンラインショップ)にてお申込みくださいませ。

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⑵ 郵便振替をご希望の場合
下のボタンから、ご登録フォームに必要事項をご記入のうえ、お手続きください。後日、ミシマ社から払込用紙をお送りいたします。

郵便振替をご希望の場合

ご不明な点がございましたら、下記までご連絡くださいませ。
E-mail:supporters@mishimasha.com
TEL:075-746-3438

2/28(日)学びの未来座談会 第10弾 開催します!

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森田真生さんと瀬戸昌宣さんとともに思考し、実践する、週刊「学びの未来」(週1回)と「学びの未来 座談会」(月1回)2021年2月の開催日程が決まりました! 今月のテーマはRULER(=支配者、定規〔あらかじめ規定された「まっすぐさ」の観念、あるいは固定された尺度〕)からの解放です。第10弾ではありつつも、今回からのご参加も大歓迎です。お待ちしております。

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