ミシマ社の話ミシマ社の話

第98回

時間を友だちにする

2024.05.15更新

 結局のところ、友だちと呼ばれるものは時間なのかもしれない。
 実際、「生身」の友だちと一緒にいるときでさえ、その人が一人、あるいは誰かと過ごす可能性のあった時間をともにしている。つまりは、生身という目にみえたり、触れたりするかたちでそこにいる友だちは、時間を可視化、touchableにした存在。
 ふと、そんな気がした。
 そう思えると、すこし心がかるくなる。というのも、自分たちのしごとは、すくなくとも時間を加速させることに加担していない。いま、僕たちの周りには時間加速装置があふれている。スマホ、タブレット、PC、そこにインストールされる各種アプリたちは、没頭、集中をいとも簡単に妨げる。事実、このテキストを書いているまっ最中も、容赦なく、僕の指と目をスマホの画面へと幾度も向けた。没頭、集中を邪魔するだけではない。「ぼーっとする」ことすら、なかなか許してくれない。先ごろ発刊された益田ミリさんの『今日の人生3』の帯には、「人生には、何もしなくていい時がある。ぼんやりしないほうが、もったいない。」と謳った。この言葉を選ばずにいられなかったのは、自身のうちなる叫びが隠されていたようにも思う。「ねえスマホ、もうこれ以上、僕の人生を奪わないで」。ぬきさしならぬ、そうした叫びが。

 ことばを、遠くに。もっともっと遠くへ投げよう。(略)
 ただし、遠投するのは実際的理由だけでない気が最近し出した。
 妄想や思い込みを振り払うために、投げる。
 今からまっさらな気持ちで練習に臨む。その状態に心身を持っていくためのひとつの儀礼としての遠投。魔女でなくたって、気になることや思い込みに自分が支配されていては何もできないだろうから。

 企画を遠くへ放りたい。
 その遠投は、きっと、自分自身の囚われを振り払う。
「ちゃぶ台」の特集を「三十年後」と変更したのを受けて、前回、こう書いた。
 確固たる意思をもって書いたことである。が、その3週間後、これほど「まっさら」になるなんて。
 2024年3月下旬某日。この日、編集チームの四人が集まり、普段どおりのミーティングがおこなわれた。「ちゃぶ台」次号の進捗状況を確認し、装丁を含めた今後のスケジュールを共有。1週間ほど前、あらたな取材企画が急に進むことになり、その目処がついたことを担当の僕から報告した。ひととおりの共有が済み、このまま終わるはずだった。
 が、なんとなく、全員席をたたない。
 一人がおもむろに話しだした。「次号13号の次(14号)は12月刊ですが、もう少し先に延ばす、もしくは、合併号のようにして、来年の刊行を1回にする。そうしたアイデアが以前、出てましたよね」
「そうですね。それはありじゃないかと思っています」僕は即答した。実際、そうしようと思っていたのだ。
 こちらの反応を一度、しっかり受け止めた上で、二人がほぼ同時に同じことを言った。
 「それ、今回の号から適用しませんか?」
 示し合わせたようなであったが、もちろん、偶然にすぎない。全員の無意識下にあった思いが、場を同じくする人たち全員の意識化に、同じタイミングで上がったのだろう。
 気づけば、僕はこう答えていた。「そうしよう」
 瞬間、全員と目が合った。
 (え、ほんとに。いや、たしかにそれがいいんだけど、かなり重要な決定をこんなにすぐに決めていいのか・・・)
 その目たちは無言で語りかけていた。

 2024年3月11日19時。フランスに滞在中の松村圭一郎さんとオンラインでつないで「『ちゃぶ台13』インタビュー "三十年後"を松村圭一郎が語る」と題したイベントをもった。視聴者は、ミシマ社サポーターの皆さん。「ちゃぶ台」の冒頭に掲載するインタビューをサポーター限定公開でおこなった。
 この日、松村さんは人類学者らしく、私たちへの聞き取りを欠かさなかった。
 「どういう経緯で『三十年後』になったのですか?」
 僕たちは、能登半島地震などを経て、言葉を遠くに投げたいと思うようになったことを伝えた。すると、松村さんは「なるほど。企業がよくやりがちな、未来予測ではないわけですね」と言ったあと、こうつづけた。
「情報が流れては、過ぎ去っていくSNSのような時間の渦のなかでは、ほとんど思考ができないんですよね。そのつど、それにどう反応すべきか、意思決定していくみたいなことには、そもそも無理があると思っていて。1年間、ヨーロッパに行こうと思ったのも、そういうのと関係している。もっとゆっくり長いタイムスパンで考えたかった。どちらかといえば、時間を遅らせるほうに自分の身を置きたかった。なので、自分の意思や解釈を即座に反応して出していく高速回転から抜け出る、30年ぐらいのスパンでものを考えたり、感じたり、じっくり時間をかけて落ち着いて物事を観察する、すぐには答えを求めない。そういう意味合いの『ちゃぶ台』特集の『三十年後』であれば、すごくいま、私がやろうとしていることとも繋がるんだろうなと思います」
 松村さんの発言を聞いたとき、「ちゃぶ台」特集を「三十年後」へと編集部で話し合い変えたこと、松村さんがヨーロッパへ1年間行くことにしたこと、そして今この場で「三十年後を考えること」について話していること、こうしたすべてが相似形で重なって見えた。そして、この相似形が、数週間後には、発刊を遅らせるというさらなる相似形を生むことになる。
 この決定の日の夜、僕は次のような文章を書いた。依頼済みの執筆者たちへ、編集メンバーから送ってもらうための文章である。

 本日夕方、社内で話し合い、変更を決定いたしました。おそらく9月か10月まで延ばすことになりそうです。
ご執筆いただいておりましたこのタイミングでの変更、心よりお詫び申し上げます。
 簡単ですが、理由を申し上げます。

「ちゃぶ台」はコロナ下での最初の号である6号より年に2回発刊に切り替えました。が、コロナが明け、行動範囲が増えた一年前から、制作、取材、営業、あらゆる面で年2回は限界を迎えていました。単行本を制作、販売しながら、ギリギリのところでやってきたのが実情でした。それで、12月刊行予定の14号は来年に延ばそうか、などの案を年始から話していたのですが、ここで無理をせず、この号から年一冊ペースに戻すのが賢明ではないか、と全員の意見が一致しました。
 特集を「三十年後」とした今号でこそ、スピードを少し緩めるのも大事ではないか、と。
 ご執筆中のこのタイミングでの決定とご報告、誠に申し訳ございません。
 これまで以上に一冊入魂の「ちゃぶ台13」に仕上げたい、その一心での決定です。
 どうかご理解賜りましたら幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

 これを書きながら、何度も思った。
 時間の流れを早めるのではない、緩める装置――。そもそも「ちゃぶ台」はそういう媒体をめざしていたのではなかったか?
 であれば、自分たちの仕事の進め方自体を、もっと、もっと、ゆるやかにしていっていいはずだ。頭ではわかっていても、ずっとできないでいたことでもある。むしろ、逆張りできた。ほんのわずかな時間があれば、生産につながる動きをとる。ミシマ社をつくる、はるか前からだ。気づけばそれが、自分の体に染みついた動きになってしまっていた。
 時間という友だちを「生産」でないことに使っていいんじゃない?
 もしかすると、今回の決定には、自分のうちで長年ささやかれていた声をようやく聞きとれるようになったことがあるのかもしれない。

 「ちゃぶ台」や自分たちの刊行物が、読むひと、触れるひと、そして制作、販売にかかわるすべての人の回復にすこしでも助けとなりますように。時間が皆さんのあたたかな友だちになりますように。
 どこに向かってそう思うのか、自分でもわからない。ただ、祈るような気持ちでいる。

三島 邦弘

三島 邦弘
(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。 ミシマ社代表。「ちゃぶ台」編集長。 2006年10月、単身で株式会社ミシマ社を東京・自由が丘に設立。 2011年4月、京都にも拠点をつくる。著書に『計画と無計画のあいだ 』(河出書房新社)、『失われた感覚を求めて』(朝日新聞出版)、『パルプ・ノンフィクション~出版社つぶれるかもしれない日記』(河出書房新社)、新著に『ここだけのごあいさつ』(ちいさいミシマ社)がある。自分の足元である出版業界のシステムの遅れをなんとしようと、「一冊!取引所」を立ち上げ、奮闘中。 イラスト︰寄藤文平さん

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