ミシマ社の話ミシマ社の話

第88回

MIRACLE、ミラクル、みらいくる

2021.09.17更新

 先月8月半ば。まだ猛暑が猛威のかぎりをふるっていたその頃――。ミシマ社内では、暑さでちょっとおかしくなったかのように、にわかな焦りに襲われていた。その焦りは、気づけば創業15周年がもう数ヶ月後に迫っていたことに起因する。
 つまり、そこに向けた動きが何もできていなかった。
 出版目録も一年以上前のまま、書店さんでのフェアアイデアも固まっていない、サポーターさんたちとの会は具体性ゼロ、そもそも会合できるのか・・・。
 15周年記念にこういうことをしたい、と話し合ったことはあった。正確には覚えていないが、昨年か今年の初めくらいには一度は確実に話した。「何かとバタバタしがちだし、15周年記念のもろもろは前もってやっていこうね」。メンバーの中からもこうした声が上がっていた。
 ところが、だ。
 日々の仕事に忙殺(と書けば、仕方がないようにも思えるが、はたして?)されるうちに、何も進まないまま月日だけが経った。ある意味、心配していた通りのことが起こったわけだ。
 それで、真夏のある日、皆で話し合ったのである。幸い、さまざまな意見が出た。「書店さんごとに違う、ミシマ社フェアがいいですね!」「記念手ぬぐいをつくりましょう!」「目録も4色刷りに変えましょうか」などなど。
 一つひとつ実現していけば、楽しいものになるのは間違いない。間違いないが、問題は、どう実現していくか、である。一つひとつバラバラに動かしていけば、その一つひとつは個性的で面白いものになるかもしれない。が、少し俯瞰してみたとき、何がやりたかったのだろうとなる可能性もある。そういう点で盛り上げる、盛り上がる動きはこれまでさんざんしてきた。
 もはやお家芸といっていいかもしれない。たとえば、この一年で見ても、銭湯フェアや「こどもとおとなのサマーキャンプ」や最近では「三流の出版社フェア」というのもあった。一つひとつ入魂の企画をかたちにしてきている。そして、それぞれがそれぞれの輝きをはなつ素晴らしい時間を参加者の方々と共有できたように感じている。ただし、それは一点の輝きではあった。
 今回は、そうした点だけの輝きでとどまってはならない。星々が点で輝いていると思っていたら、天の川のような流れになって輝いて見えた。そんなふうになってほしい。
 と願ったとき、そうだ、こういうときこそ、ロゴがあるといい! とひらめいた。
 ロゴは、形式的に「作るほうがいいんじゃない?」みたいにしてつくるのではなく、やっぱり必要に迫られてできるものなのだ。

 というわけで、ミシマ社ロゴの生みの親である寄藤文平さんのもとを訪ねた。
 「15周年記念ロゴをつくっていただきたいのです」
 「うーん、むずかしいなぁ」
 と言いながら、さらさらと手が動く。そうして紙に描かれたものがこれでした。

miracle1.jpg

 ロゴの枠には、MISHIMASHAの表記とともにMIRACLEの文字が・・・!
 そうか、ミラクルか。たしかに、15年つづいたのってミラクルだわな。なんの計画も立てずに、こうして何とかつづいてきたなんて。
 ロゴにMIRACLEの文字があると、自らを奇跡と言っているようで面映ゆくも感じた。が、あくまでも「今、ここにある」ことがミラクルにほかならない。それ自体はまぎれもない事実である。
 こう考えたとき、ひとつだけ、できている気がしているように思えてきた。それは、「生きて、ある」こと。会社が存続するという行為のうちには、「死に体として残る」「ただ存続はしている」という生き残り方もあるだろう。これは業績とは関係ない。業績はその時々だが、会社という一つの生き物として生きた状態にある。たとえ、苦しくても、苦しいなりの動き(止まることを含め)はつづける。その瞬間、生きるために。そして、苦しさを抜けたあとも、動きつづける。この瞬間を生きるために。それだけはできているように思う。その延長線上に、今も生きている。縁や運や流れなどが出会い、交錯し、織り重なった結果、たまたまに。これは、けっして当たり前ではなく、ミラクルとしか言い得ない状態であろう。
 そのように思い直し、ありがたく、このまま掲載させてもらうことにした。
 なにより、このMIRACLEという言葉は寄藤さんからの贈り物なのだ。言葉はいつでも向こうからやってくる。受け手は、ただありがたくいただくのみだ(このあたりのことは、ミシマ社創業15周年記念企画の一冊『思いがけず利他』(中島岳志著、21年10月刊)に書いてある)。

 *

 フェアや目録作成と並行して、出版社の根幹である「本」のほうでも、ミシマ社である創業15周年企画の本が進行している。
 9月29日発売となる松村圭一郎著『くらしのアナキズム』に始まり、10月刊の中島岳志『思いがけず利他』高橋久美子『その農地、私が買います〜高橋さん家の次女の乱』など、これから半年間に出る書籍に「創業15周年記念企画」と謳う予定だ(ただし、ミシマガや『ちゃぶ台』など自社媒体以外の他媒体での連載をまとめた書籍は除く)。
 もっとも、この15周年記念企画、実は、昨年からこっそり始めていたのであるが。遡ること一年前、内田樹『日本習合論』以降、一ヶ月おきに、益田ミリ『今日の人生2』藤原辰史『縁食論』が続けて刊行された。この3冊は、15周年記念企画の先行本である。
 来月以降に出る書籍の帯には、15周年記念ロゴがお目見えするはず(9月刊は間に合わず)。乞うご期待!

 *

 さて、昨年秋より半年に一度の刊行ペースとなった「ちゃぶ台」。11月に出る次号は「15周年記念号」!
 今号から、特集とは別に、「テーマ」を設けることにした。これまでは「特集テーマ」と謳っていたものと、「特集」をなんとなく分けることにしたわけだ。
 ちなみに、前々号、前号の特集テーマは、
「非常時代を明るく生きる」
「ふれる、もれる、すくわれる」。
 そして、次号は以下。巻頭文用に、このような文を書いた。

 「さびしい」が、ひっくり返る

 ちゃぶ台返しという言葉があるが、実際にするものではない。してはいけないと思う。家庭でそんなことをすれば、起死回生の関係回復より、崩壊が訪れる確率がずっと高くなる。仕事の現場でも、あの人のちゃぶ台返しのおかげで成功した、などとしばしば耳にするが、それは、ちゃぶ台返しというより、適切な軌道修正と言うのが正確だ。
 ただ、気分はわかる。長引く行動の自粛。先行きの見えない商売。ストレス発散もままならぬ日々。鬱屈とするのももっとも。あらゆるものを台に載せ、全てを投げ打ってしまいたい。そうして、0から再出発したい・・・。
 とはいえ、実際にストレスやら理不尽さからくる怒りを載せて爆発させると、自分たちが傷ついてしまう。一度や二度では済まないほどに怒る材料はあるわけで、身がもたない。
 では何をひっくり返す? と考えたとき、「さびしい」が脳裏に浮かんだ。
 理由は簡単。なんともいえず、さびしいのだ。仕事であれ日常生活の中であれ、人と会うことや接触が圧倒的に減った。そうして、だんだんとさびしさが募っていっている。いや、急にさびしくなったわけではない。生きることはもともとさびしいもの。それに気づかずにいただけかもしれない。ただ、確かにさびしいはある。
 その「さびしい」を、ひっくり返したい。
 本号では、尊敬してやまない書き手の方々に、さまざまな「さびしい」を載っけてもらい、ひっくり返してもらうことにした。そうしてみると、どんなことが起こるだろうか?
 想像するだけでワクワクしてくる。もう、すでに、「さびしい」が自分から去った気さえしてきている。

  編集者である私自身が、どんな雑誌・本になるんだろう、と想像できないワクワク感を抱えながらかたちになっていく。この「ちゃぶ台」に限らず、ミシマ社の本は、そういう本づくりが特徴だと自分では思っている。その点においても、次号『ちゃぶ台8』は、すでに楽しみで溢れかえっている。もう、もれそうなくらいだ。

 その楽しみをさらに倍増させてくれるのが、「ちゃぶ台編集室」というオンラインでの公開対談だ。
 ひとつめは、特集「アナキズムでよりよく生きる」に収録する対談を公開でおこないます。「松村圭一郎×村瀨孝生 『弱さとアナキズム』」。
 「ぼけと利他」で書かれている村瀨さんの日々に「くらしのアナキズム」を見出した松村さん。『くらしのアナキズム』で松村さんの理論が、現実の場ではどうなり、どう生かすことができるのか。きっと私たちの日常でも「よりよく生きる」ヒントがいっぱいうかがえるにちがいなく、とても楽しみだ。

 もう一つが、私も登場する「中島岳志×辻山良雄×三島邦弘 ミシマ社創業15周年記念鼎談『著者、書店主と考える これからの本のこと』」。これからの本、出版をテーマに、中島岳志先生、Title辻山良雄さんと鼎談をする。訪れるたびTitleという書店の素晴らしさに小躍りするように心も体も喜ぶのだが、同時に、こういう本屋さん、もっともっとあって欲しいなぁ、と思ってしまう。
 そうしたことが実現していくためにも、「一冊!取引所」を昨年、立ち上げたわけだ。まだまだ不十分なサービスだが、これから私ももっとコミットして、書店・出版社の現場の方々に喜んでもらえるものにする予定でいる。
 その際、欠かせぬのが中島先生がこの間提唱されている「利他」だと思う。
 利他を出版界にどう取り入れるか、生かしていけばいいか? 
 このあたりもうかがえればと考えている。
 私の実感では、政治が変わる前に、現場のほうが変わっていないといけないと思っている。「ねえ、こういうふうにすると楽しいですよ」。そう、実感を持って言える人たちが現実にいないと、たとえば「新自由主義からの転換」と唱えたところで、「じゃあ、具体的にどうするの?」「それじゃあ、お金まわらないんじゃない」と反論され、結局、「これまでのお金の回し方」になる。それは、社会のあり方、仕組みがそのまま変わらないということを同時に意味する。
 現場にいる辻山さんや私のような人たちが、「利他」をどうとらえ、実践していくか。これは、政治の流れを変えることに直結するようにも感じている。

 いずれにせよ、どちらの「ちゃぶ台編集室」もMIRACLEな時間になる予感がしてならない。これに限らず、いろんな物事も、きっと。

三島 邦弘

三島 邦弘
(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。 ミシマ社代表。「ちゃぶ台」編集長。 2006年10月、単身で株式会社ミシマ社を東京・自由が丘に設立。 2011年4月、京都にも拠点をつくる。著書に『計画と無計画のあいだ 』(河出書房新社)、『失われた感覚を求めて』(朝日新聞出版)、『パルプ・ノンフィクション~出版社つぶれるかもしれない日記』(河出書房新社)、新著に『ここだけのごあいさつ』(ちいさいミシマ社)がある。自分の足元である出版業界のシステムの遅れをなんとしようと、「一冊!取引所」を立ち上げ、奮闘中。 イラスト︰寄藤文平さん

編集部からのお知らせ

オンラインイベント「ちゃぶ台編集室」を開催します!

本文で三島がご紹介した「ちゃぶ台編集室」、みなさまのご参加をお持ちしております!
詳細は下記よりご覧くださいませ。

9/21(火)19:00~ 松村圭一郎×村瀨孝生 「弱さとアナキズム」

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 『くらしのアナキズム』著者の松村圭一郎さんと、ミシマガ「ぼけと利他」連載中の村瀨孝生さんによる対談。
 松村さんは「生活者」が持つ潜在的な力に光を当て、アナキズムは生活者としてよりよく生きるひとつの手段であるといいます。そして、松村さん曰く「村瀬さんこそ、くらしのアナキストではないか」と!
 大きな国家に対して、弱い存在である「生活者」に可能性を見出す松村さんと、社会的には弱者とされる「高齢者」に寄り添いつづける村瀬さん。それぞれが向き合うものの先に、今の社会であたりまえとされている「正しさ」や「ルール」や「システム」を揺さぶることのできる可能性が秘められているのでは?

詳しくはこちら

9/24(金)20:00~ 中島岳志×辻山良雄×三島邦弘「著者、書店主と考える これからの本のこと」

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 ミシマ社創業15周年記念鼎談。
 ミシマ社の活動をいつも応援くださり、雑誌『ちゃぶ台』や「MSLive! Books」シリーズといった新しい本づくりを最も近くで支えてくださっているのが、中島さんと辻山さんです。出版に深く携わってきたお二人とともに、著者、書店、出版社というそれぞれの立場から、本の世界のこの15年間と、これからの可能性を語り合います!

詳しくはこちら

通しチケットもございます!

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 以上のイベントを通しでご覧いただけるチケットもございます。
 生きた雑誌『ちゃぶ台』が出来上がっていくMIRACLEな時間を、ぜひご一緒できますとうれしいです!

詳細はこちら

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