利他的であること

第13回

与格-ふいに その6(最終回)

2021.04.06更新

お知らせ
この連載が本になりました。ぜひ書籍でもご覧ください。

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『思いがけず利他』

木越康『ボランティアは親鸞の教えに反するのか』 

 さて、ようやく本題の「利他」の話です。ここまで論じてきた与格の構造と、利他はどのようにかかわっているのでしょうか。
 この問題を考える際、私がとても重要な一冊だと思っている本があります。木越康さんの『ボランティアは親鸞の教えに反するのか』(2016年、法蔵館)です。木越さんは大谷派の僧侶で、宗門の大学である大谷大学の学長を務めています。
 これまで見てきたように、親鸞の教えの中核には、自力に対する懐疑的なまなざしがあります。そのため浄土真宗の門徒の中には、ボランティア活動に対して躊躇する人がいます。「これは自力の思想に基づいており、他力の思想に背く行為なのではないか」という不安がよぎるのです。中には、積極的にボランティア活動に関与したことで、「親鸞の思想に反することを行っている」と批判されるケースがあるようです。
 これに対して木越さんは、断固として反論します。
 まず彼は、親鸞の教えに従うこととボランティア活動を行うことの因果関係を否定します。<親鸞の教えを大切にする人間であれば、ボランティアを行わなければならない>という規範を、彼は受け入れません。そして、「真宗だから積極的に支援活動に従事すべきである」という明確な動機が、私の中に「〈まずは〉ない」と言います。[木越2016:32]
 一方、「真宗者だからボランティア活動に参加すべきではない」とする考え方には、少しも賛成することができない」。そして、「『ボランティア活動は自力であって、行くべきではない』という意見に対しては、明確に反対の立場を採りたい」と述べます[木越2016:33]。
 では、ボランティアの本質とは何か。
 それは、活動の従事者たちが、しばしば「身が動く」という言葉を使うことにヒントがあると論じます[木越2016:43]。
 彼ら・彼女らは、災害などが起こると、何か考える前に身体が反応すると言います。ボランティアに行く意義や価値などを考える間もなく、まずは現場に駆け付け、すぐに活動に取り掛かる。これは「ボランティアに行く」という表現よりも、「ボランティアに行っちゃう」という表現のほうが近いかもしれません。
 思い出してください。これは「愛して愛して愛しちゃったのよ」と同じ構造ですよね。私があなたを愛そうと思って愛したのではない。どうしようもなく愛しちゃった。愛は不可抗力であり、意思の外部からやって来るものです。ボランティアも、この「~しちゃう」という構造によって起動しているものです。考える間もなく「身が動く」人たちは、この与格的な情動によって現場に駆け付け、活動を行っているのです。
 木越さんは言います。

私はボランティアの起点を、良い意味でも悪い意味でも、まずは「情動」にあると考える。したがって「意義」などというものをそれに先行させて考えることは、まずは非ボランティア的であり、実際的ではないと思う。加えてより重要なのは、親鸞はボランティア的な活動に対して、そのように先行的に意義を考えようとする態度自体を否定しているということである。親鸞の場合、ボランティア的活動のみならず、他のすべての活動について、事前に意義を設定したい実践者の衝動を拒絶する。[木越2016:ⅴ]

 意義や意味はあらかじめ存在するものではありません。すべて事後的なものです。特定の意義を達成するために行為するのであれば、それはすべて「自力」になってしまい、「褒められたい」「認められたい」といった賢しらな計らいが、動機としてせり出してきます。
―――褒められるためにボランティアを行う。
 これは、その行為が利他的に見えても、本質は利己的です。最終的な目的は、現地の人たちを助けることではなく、その行為を通じて得られる承認にあります。これは利己的行為であって、利他ではありません。
 木越さんは、親鸞の「宿業」という観念に言及します。そして、人間の行為がいかに非意図的になされているかに注目します。
 ボランティアの人たちの「身が動く」という言葉は、「宿業として表現される人間の様態を、直覚的に表わしたもの」です。第1章でみたように、「業」とは仏からやって来る力です。この「仏業」が宿った時、私たちは「浄土の慈悲」の器になります。ここで行われるオートマティカルな行為こそ、利他的なものです。それはどうしようもないもの。あちら側からやってくる不可抗力です。
 つまり、業の本質は与格的構造にあります。主格は、業という非意思的行為を退け、自己の行為を所有しようとします。それは利他の契機を排除し、行為を利己に還元してしまいます。利他が持つ豊かな可能性に蓋をしてしまい、自己を利己の中に閉じ込めてしまいます。

「ふいに」

 第1章で紹介した落語「文七元結」を思い出してください。長兵衛はなぜ、吾妻橋で面識のない青年に50両という大金を渡したのか。
 重要なのは、長兵衛には50両出す合理的な理由がないことです。落語では、最終的に50両は彼のもとに返ってきます。そして、それに伴って幸福が舞い込んできます。50両を差し出し、青年を助けるという行為は、のちに長兵衛を利することになります。見事な直接互恵システムです。
 しかし、吾妻橋の上の長兵衛は、未来を知りません。彼は、差し出した50両が、いずれ自分に幸福をもたらしてくれるなど、思ってもみません。娘の自己犠牲によって得られた大金を手放してしまうことは、人生を立て直す契機を喪失することに他なりません。なのに、彼は「ふいに50両を渡しちゃう」のです。身が動いてしまったのです。
 「文七元結」の長兵衛の行為は、与格的です。その行為は、意思の外部によって引き起こされた「衝動」であり、「業」としか言いようのないものです。立川談志は、この長兵衛の非合理性に人間の豊かさを見出し、晩年までこの噺を演じ続けました。談志が追求した落語の本質は、人間の与格性なのだと私は思います。
 ―――「ふいに」「ふと」「つい」「はたと」「やにわに」「たまさか」・・・。

 日本語には、「思いがけなく起こること」を意味する言葉が、多く存在します。この語彙の豊さが、利他的世界と密着していたのだと思います。
 不二一元論を説いたインドの宗教思想家・シャンカラは、人間には利他を行うことなどできないと言います。利他は、人間の意図的行為ではない。人間の中を神が通過するときに現れるものである。そう説きました。
 利他的になるためには、器のような存在になり、与格的主体を取り戻すことが必要であると私は思います。数学者や職人のような「達人」は、与格的な境地に達した人たちであり、そこに現れた自力への懐疑こそ、利他の世界を開く第一歩ではないかと思います。


【参考文献】

加藤文元2013 『数学の想像力-正しさの深層に何があるのか』筑摩選書
木越康2016 『ボランティアは親鸞の教えに反するのか―他力理解の相克』法蔵館
國分功一郎2017 『中動態の世界-意志と責任の考古学』医学書院
志村ふくみ1999 『色を奏でる』写真・井上隆雄、ちくま文庫
土井善晴2016 『一汁一菜でよいという提案』グラフィック社
____2017 「家庭料理の大きな世界」(糸井重里との対談、「ほぼ日刊イトイ新聞」2017年1月11日)
____2020 「家食増えるいま聞きたい-土井善晴さんの「一汁一菜」」(朝日新聞デジタル2020年4月7日)
____、中島岳志 2020 『料理と利他』ミシマ社
樋口直美2020 『誤作動する脳』医学書院

中島岳志

中島岳志
(なかじま・たけし)

1975年大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。2005年、『中村屋のボース』で大仏次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞。著書に『パール判事』『朝日平吾の憂鬱』『保守のヒント』『秋葉原事件』『「リベラル保守」宣言』『血盟団事件』『岩波茂雄』『アジア主義』『下中彌三郎』『保守と立憲』『親鸞と日本主義』『保守と大東亜戦争』、共著に『現代の超克』(若松英輔、ミシマ社)などがある。

編集部からのお知らせ

みんなのミシマガジンでの「利他的であること」連載は今回で最終回となります。この後、書き下ろしが加わり、8月くらいに書籍化を予定しておりますので、どうぞお楽しみに!!

中島岳志さんによる「土井善晴論」をミシマガジンで公開中です!

 MSlive!「料理はうれしい、おいしいはごほうび。」で中島岳志さんがご解説くださった「土井善晴論」をみんなのミシマガジンで公開中です。そちらもぜひお読みください。

中島岳志先生による
「土井善晴論」

中島岳志さんの共著『「利他」とは何か』(集英社新書)が刊行しました

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コロナ禍によって世界が危機に直面するなか、いかに他者と関わるのかが問題になっている。
そこで浮上するのが「利他」というキーワードだ。
他者のために生きるという側面なしに、この危機は解決しないからだ。
しかし道徳的な基準で自己犠牲を強い、合理的・設計的に他者に介入していくことが、果たしてよりよい社会の契機になるのか。
この問題に日本の論壇を牽引する執筆陣が根源的に迫る。
まさに時代が求める論考集。

(集英社書籍紹介ページより)

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