利他的であること

第10回

与格-ふいに その3

2021.02.17更新

認知症と「幻」

 私が「なるほど!」と思った一冊があります。樋口直美さんが書いた『誤作動する脳』(医学書院、2020年)です。
 樋口さんは、長年原因不明の症状で苦しんできたのですが、50歳の時にレビー小体型認知症と診断されました。これは脳の神経細胞内にレビー小体が蓄積することで発症する病気で、記憶障害や「幻視」「幻聴」などが起こるとされます。
 樋口さんは、「匂いがわからない」と言います。レビー小体型認知症と診断された年、旅行先で家族が言った一言に衝撃を受けます。
 ーー「わぁ~、たまらない匂いだなぁ~」
 その意味が分からず、あたりを見渡すと、鰻屋さんが蒲焼を焼いていました。彼女はこの時、自分の嗅覚が失われていることに気づきます。そして、これまで接してきた世界から、別の世界に入ってしまったことを自覚させられました。
 樋口さんには、次々に「幻」が襲いかかってきます。
 ーー幻視、幻聴、幻臭。
 五感にかかわる幻覚は、唐突にやってきます。
 あるとき、樋口さんは音に乗っ取られるという体験をします。実家で父と会話していると、音楽を流しながら走る廃品回収車が通りました。「うるさい音だなと思った瞬間、脳がその音楽に乗っ取られてしまった」と言います。
 何とかしてその音を排除しようとしても、言うことを聞いてくれません。脳は自分の意思を無視して、「その呑気な音楽に食らいつい」てしまいます。そうすると、思考はシャットダウンし、会話不能状態に陥ってしまいました。もうどうすることもできません。
 自分が意思の外部に乗っ取られてしまう。自分の意思でしたわけではないことが、次々と起こる。唐突に何かがやって来て、自分を支配する。これが樋口さんの脳に起きた「誤作動」です。
 しかし、これは「病気」という一面だけでは捉えられない現象なのではないでしょうか。確かに医学的な観点からすれば、樋口さんは「レビー小体型認知症」を患っており、脳がうまく機能していない状態だということができます。しかし、脳は単独で存在しているのではありません。無数の感覚器官と連動しているからこそ、五感に影響が表れるわけです。
 脳が機能不全を起こすことで、五感が変化する。「幻」が現れる。これまで見えなかったものが見え、聞こえなかったものが聞こえる。これは「正常なものが失われた」というだけではなく、これまで制御されていた感覚が鋭くなる現象とも捉えることができるのではないでしょうか。
 私には、樋口さんの状態は眠っていた与格が前景化しているように見えます。近代の人間は、主格によって「私」の存在をとらえ、意思の外部からやって来るものを退けてきました。私の意思が、私の行為のすべてをコントロールしている。統御している。そんなふうに思い込んできました。
 しかし、私たちの日常では、行為を意思に還元することで、問題がこじれてしまうことが多々あります。

謝罪の本質

 例えば「謝罪」の場面です。
 私が何か過ちを犯し、相手を深く傷つけてしまったとしましょう。相手との関係を修復するためには謝らなければなりません。
 この時、何が重要か。
「謝っておかなければ状況が悪化する、だから謝る」という意思的行為として謝罪がなされた場合、相手は本当に納得するでしょうか。表面的には「わかった」と言って受け入れてくれるかもしれませんが、「この人、本当に謝っているんだろうか?」というモヤモヤが残るのだと思います。もっと率直に「この野郎!」と思い、不快になるかもしれません。「謝っておいたほうがうまくいくから、とりあえず「すみません」と言っているだけだろう」と思うと、ムカムカしますよね。心から相手を許すという気持ちにはならないと思います。
 私が「与格」という視点から考えてきたことを、哲学者の國分功一郎さんは「中動態」という文法構造の問題として議論しています。彼は「謝罪」の問題に触れて、次のように言います。

 相手に謝罪を求めたとき、その相手がどれだけ「私が悪かった」「すみません」「謝ります」「反省しています」と述べても、それだけで相手を許すことはできない。謝罪する気持ちが相手の心のなかに現れていなければ、それを謝罪として受け入れることはできない。
(中略)たしかに私は「謝ります」と言う。しかし、実際には、私が謝るのではない。私のなかに、私の心のなかに、謝る気持ちが現れることこそが本質的なのである。[國分2017:19]

 大切なのは、謝罪の気持ちがわいてくることです。「謝っておいたほうがうまくいく」という合理的な判断で謝罪をしても、本当の和解にはつながりません。「本当に悪かった」という思いが心のなかに現れ、それが相手に伝わるとき、「許し」というモメントが生まれるのだと思います。
 重要なのは、与格による謝罪です。真の感情は与格的に現れます。ヒンディー語では、「うれしい」も「悲しい」も与格です。感情は意思が所有しているのではない。これが与格の文法構造に現れた人間観です。

「幻」との付き合い方

 樋口さんに現れる「幻」ですが、彼女は昔話がリアリティをもって迫ってくると言います。

 なぜそうなったのか自分にもわからないことが、聴覚に限らずよく起こりました。そんなときは「狐にだまされている」という昔話の言葉がいちばんしっくりきます。私の考えや気持ちを無視して、私の体が勝手にヘマをやらかすのです。
 認知症のある方が、失敗を頑として認めないという話を聞くことがあります。自分に問題や責任があると思えない気持ちは、よくわかります。自分の意志でしたことではないのですから。[樋口2020:30]

 昔の人たちは不可解な現象を排除するのではなく、人間の理性を超えたものの働きとして捉えようとしました。昔話では、人間のさかしらな合理性のほうが「ズル賢いもの」として否定的に扱われ、人間の能力を超えた存在への畏敬の念が語られてきました。「それ」は恐れの対象でもあり、同時に吉祥をもたらしてくれる豊饒な存在です。昔話は、やってくる「不思議」といかに付き合っていくのかを示す文芸です。
 樋口さんは、柳田国男の『遠野物語』にでてくる座敷童子の話を「私の症状と似ている」と言います[樋口2020:45]。
 座敷童子とは、家の座敷や蔵に住む妖怪のことで、5歳前後の子供の姿をしていると言います。座敷童子は悪戯好きとして知られ、住人のそばに唐突に現れて驚かせます。しかし、その存在は忌避されるものではありません。座敷童子は「神」であり、その家に富や幸福をもたらすとされます。
 ーー見えないはずのものが見える。そのことが福をもたらすとされる。
 「幻」が現れることは、何も異常なことではありません。むしろ、家族や周囲から喜ばれ、大切にされる存在でした。
 樋口さんは言います。

「座敷童子だ! 福の神が家に来てくれた」と喜び合う社会はもうありません。狐も人に憑かなくなりました。人に見えないものを見、聞こえないものを聞くと、「患者」になり、抗精神病薬を処方されます。[樋口2020:45]

 健康な人でも幻視は存在します。樋口さんは、天台宗の千日回峰行に言及します。これは比叡山の山中を一日48キロ、合計約千日間歩く苦行で、戦後に成し遂げたのはたった14人しかいません。その体験者の語りを聞くと、途中で天狗や狐が見えるようになると言います。ほかにも瞑想を行う人たちは、しばしば幻視や幻聴の体験を語ります。決して認知症の人たちに特有の「病気」とは言えません。人間に備わっている特性です。
 私たちが見失っているのは、「幻」との付き合い方なのではないでしょうか。主格を偏重する近代では、意思の外部によってもたらされる与格的存在を否定的に扱ってきました。昔話は迷信とされ、宗教者の幻視は神秘体験と片付けられてきました。「幻」は「病」と捉えられ、その人を「患者」として社会から排除してきました。樋口さんの著書は、近代的人間観の正当性に一石を投じているように思います。

中島岳志

中島岳志
(なかじま・たけし)

1975年大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。2005年、『中村屋のボース』で大仏次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞。著書に『パール判事』『朝日平吾の憂鬱』『保守のヒント』『秋葉原事件』『「リベラル保守」宣言』『血盟団事件』『岩波茂雄』『アジア主義』『下中彌三郎』『保守と立憲』『親鸞と日本主義』『保守と大東亜戦争』、共著に『現代の超克』(若松英輔、ミシマ社)などがある。

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