利他的であること

第3回

業力-It's automatic その2

2020.10.22更新

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『思いがけず利他』

共感という問題

 ここで少し、「共感に基づく利他」の問題を考えておきましょう。通常、利他的行為の源泉は、「共感」にあると思われています。「がんばっているから、何とか助けてあげたい」「とってもいい人なのに、うまくいっていないから援助したい」――。そんな気持ちが援助や寄付、ケアを行う動機づけになるのではないでしょうか。
 他者への共感、そして贈与。この両者のつながりは非常に重要です。コロナ危機の中でも、窮地に陥った人たちへの贈与は、様々な共感の連鎖によって起こりました。これはとても意味のあることです。
 しかし、一方で注意深くならなければならないこともあります。
 共感が利他的行為の条件となったとき、例えば障害を持った人たちのような日常的に他者からの援助・ケアが必要な人は、どのような思いにかられるでしょうか。
 おそらくこう思うはずです。
 ――「共感されるような人間でなければ、助けてもらえない」
 人間は多様で、複雑です。コミュニケーションが得意で、自分の苦境をしっかりと語ることができる人もいれば、逆に他者に伝えることが苦手な人もいる。笑顔を作ることも苦手。人付き合いも苦手。だから「共感」を得るための言動を強いられると、そのことがプレッシャーとなり、精神的に苦しくなる人は大勢いるでしょう。
 そもそも「共感される人間」にならなければならないとしたら、自分の思いや感情、個性を抑制しなければならない場面が多く出てきます。
「こんなことを言ったらわがままだと思われるかもしれない」「いやなことでも笑顔で受け入れなければいけない」「本当はやりたくないのに」・・・。
 そんな思いを持ちながら、「共感」されるために我慢を続ける。自分の思いを押し殺し続ける。むりやり笑顔を作る。そうしないと助けてもらえない。そんな状況に追い込むことが「利他」の影で起きているとすれば、問題は深刻です。
 渡辺一史さんが書いた『こんな夜更けにバナナかよ』という本があります。2003年に北海道新聞社から出版され、大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞を同時受賞しました。大泉洋さんが主演した映画をご覧になった方も多くいらっしゃると思います。
 この本の主人公は鹿野靖明さん(1959年-2002年)。彼は進行性筋ジストロフィーを抱えており、1人では体を動かせません。痰の吸引を24時間必要とするするため、必ず他者のケアが必要になります。
 鹿野さんは自立生活を望み、ボランティアと交流しながら生きる道を選択します。彼の特徴は、強烈な生きる意志。「強いようで弱くて、弱いようで強い。臆病なくせに大胆で、ワガママなわりに、けっこうやさしい」[渡辺2013:9]。そんな鹿野さんは自分をさらけ出し、ボランティアとぶつかり合いながら、生きていきます。
 彼はイライラが募ると、怒りを露わにし、ボランティアにぶつけます。深夜に突然、簡易ベッドで寝ているボランディアを起こし、「腹が減ったからバナナ食う」と言い出したりします。ボランディアも腹が立つ。感情がぶつかり合う。しかし、そんな衝突の中から相互理解が生まれ、ボランティアの側の生き方が変わっていく。助けているはずが、いつの間にか助けられている。そんなケアをめぐる不思議な関係性に迫った名作が『こんな夜更けにバナナかよ』です。
 鹿野さんとボランティアの関係は、「共感される人間にならないと助けてもらえない」という観念を突破し、その先の深い共感に至ることで構築されたものですが、鹿野さんには、他者とまっすぐぶつかることのできる才能があったと言えるかもしれません。そして、このような関係性の構築には時間が必要になります。
 鹿野さんのケースを前提に、「より深い共感」を利他の条件にしてしまうと、今度は自分の思っていることや感情を露わにしなければならないという「別の軌範」が起動してしまいます。そうすると、「自分をさらけ出さないと助けてもらえない」という新たな恐怖が沸き起こってきます。
 いずれにしても、「共感」は当事者の人たちにとって、時に命にかかわる「強迫観念」になってしまうのです。

「業の肯定」

 さて、立川談志の落語に戻ります。
 長兵衛の利他行為から、文七への「共感」をそぎ落とした談志は、50両を差し出す動機づけを、どう捉えたのか。
 このことを考察するためには、談志の落語論に分け入る必要があります。談志は生涯、いくつかの落語論を書いていますが、中でも49歳の時(1985年)に出版した『現代落語論其の二・あなたも落語家になれる』が重要です。
 談志はここで、「落語とはひと口にいって「人間の業の肯定を前提とする一人芸である」といえる」と言っています[立川1985:14]。談志の落語論の要である「業の肯定」です。
 落語家は単なる「笑わせ屋」ではない。「目的は別にある」。それが「業の肯定」。人間のどうしようもなさを肯定することで、救いをもたらすのが落語だと言います。
 談志にとって、人間はいかなる存在なのか。

"人間の業"の肯定とは、非常に抽象的ないい方ですが、具体的にいいますと、人間、本当に眠くなると"寝ちまうものなんだ"といっているのです。分別のある大の大人が若い娘に惚れ、メロメロになることもよくあるし、飲んではいけないと解っていながら酒を飲み、"これだけはしてはいけない"ということをやってしまうものが、人間なのであります[立川1985:17]

 談志は「講談」と「落語」の違いに言及します。例えば忠臣蔵。赤穂浪士が主君の仇討ちのために吉良上野介の命を奪い、全員切腹になる話ですが、「講談」と「落語」では、同じ素材を扱っても、全く別のものになると言います。
 忠臣蔵の主題は「成せば成る」。講談は討ち入りをした人たちの忠義を描きます。人間の格好良さを描くのが講談です。
 そして言います。

落語は違うのです。討ち入った四十七士はお呼びではないのです。逃げた残りの人たちが主題となるのです。そこには善も悪もありません。良い悪いもいいません。ただ、"あいつは逃げました""彼らは参加しませんでした"とこういっているのです。つまり、人間てなァ逃げるものなのです。そしてその方が多いのですョ・・・。そしてその人たちにも人生があり、それなりに生きたのですョ、とこういっているのです。こういう人間の業を肯定してしまうところに、落語の物凄さがあるのです[立川1985:20]

 人間は、みんなが正義や義勇心に満ちあふれた存在ではありません。当然、家族もあれば生活もある。討ち入りをして、自分が死んでしまったら、家族を養っていくことができない。自分勝手に自分の思いを果たせばいいというものでもない。人殺しも切腹も怖い。死にたくない。だから逃げる。逃げて生きていく。生き延びて、やがて名も残さず死んでいく。そんな選択をした人間の人生を肯定するのが「落語の物凄さ」だと言うのです。
 人間は、平凡な日常を生きていくために、非凡な知恵を発揮しています。談志は、そんな「平凡の非凡」を抱きしめます。人間は愚かで間違いやすい。時に誘惑に負け、身を持ち崩すこともある。しかし、人は世の中と折り合いながら、たくましく生きていく。騙されることがあるかもしれない。騙すこともあるかもしれない。ルールを破り、痛い目に遭うこともある。業の深い存在としか言い様がない。そんな人間のどうしようもなさを肯定するのが、落語の醍醐味だと言います。
 これは、無秩序や無軌範の肯定とは異なります。むしろ逆で、人間の愚かさを見つめることで、良識や良心の重要性があぶり出されるのが落語です。
 

 落語は人間の業を肯定するが社会に生きている以上、人間が生活しているかぎり、生活の基本は存在するし、ルールはあくまでも厳しいと、知った上でのことである。だからといって落語でも人間どう勝手に生きてもいいし、勝手に生きるものだとはいっていない。人間生活の基盤は当たり前のことながら、認めたうえのことであって、それだからこそ、八公・熊公の業の肯定が喜ばれているので、けっして無闇矢鱈に勝手に生きることを主題としているわけではない。[立川1985:27]

 では、落語が重視するものは何か。それは「小義名分」である。そう談志は言います。
 人間は小さな存在です。細かいことに執着し、嫉妬ややっかみを繰り返す。エゴイズムから逃れ出ることもできない。しかし、その「人間の小ささ」を大切にするのが落語であると、談志は主張します。

 人間は小義にこだわるものである。落語のなかには、人生のありとあらゆる失敗と恥ずかしさのパターンが入っている。落語を識っていると、逆境になった時に救われる。すくなくとも、そのことを思いつめて死を選ぶことにはなるまい、と私は思っている[立川1985:27-29]

 卑小なる人間の「業」を見つめ、暖かく包み込むことで、存在そのものを肯定する。いのちを抱擁する。人間の不完全性を容認し、大らかなまなざしを向ける。そのことによってこそ、人間は救われる。談志は、これが落語のエッセンスだと言うのです。

中島岳志

中島岳志
(なかじま・たけし)

1975年大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。2005年、『中村屋のボース』で大仏次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞。著書に『パール判事』『朝日平吾の憂鬱』『保守のヒント』『秋葉原事件』『「リベラル保守」宣言』『血盟団事件』『岩波茂雄』『アジア主義』『下中彌三郎』『保守と立憲』『親鸞と日本主義』『保守と大東亜戦争』、共著に『現代の超克』(若松英輔、ミシマ社)などがある。

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