ギター熱ギター熱

第8回

2ミリの攻防

2026.05.07更新

「フェスやるんですけど、出てくれませんかあ?」
 ブルーハーツ転じて、クロマニヨンズの熱狂的ファン、居酒屋店主の大ちゃんからお誘いがあり、ほろ酔い気分で「出ます出ます!」と返事してしまった。
 クリスマス・イブとクリスマスの2日間、それぞれ3〜4組出演し、もち時間は5分。両日ともインディーズでCDを出したこともある大ちゃんがトリを務める。毎年恒例のイベントだそうで、私がいつもギターの話ばかりしているため声をかけてくれたようだ。
 二つ返事で引き受けたものの、本番が近づくにつれ焦ってきた。17〜8人も入れば満席になる小さな店で、ステージはせまいカウンターの中。お客さんとの距離が近すぎて、大ちゃんでさえいまだに緊張するらしい。
 考えてみれば、人前で演奏するなんて高校の文化祭以来じゃないか。ということは、約半世紀近いブランクか。いや、素人なんだからブランクとは呼ばないか。ギター講師のおおもりごうすけ先生にはいつも、自分が演奏している姿を動画にしたり、人前で演奏したりして経験を積むことが大切だと教えられている。これも経験だと割り切って、本気出すしかない。
 ちょうどSNSバンドのスタジオ練習があったので、リコーダーの@くらさんに声をかけて一緒に出演してもらうことにした。ソロはやっぱり怖いのだ。曲はお客さんも一緒に歌ってもらえるものがいいと思い、昔、コマーシャルでも使われたことがある歌を選んだ。
 当日は@くらさんと30分前に駅で待ち合わせて近所の公園で音合わせ。あいにくの雨と寒さで練習する場所がなかなか見つからず、カルガモが泳ぐ池の前で少しだけ弾いてみたが、ギターもリコーダーもちょっと濡れたんじゃないかな。
 楽器のコンディションが気になったまま店に行くと、案の定、演奏はぼろぼろ。ハンパなく緊張して声はうわずるし、外と店内の気温差と湿度差のためなのか、ギターとリコーダーの音の高さが微妙にずれてしまい、最後までうまく修復できずに終わってしまった。店の内輪ネタを盛り込んだ替え歌で爆笑してもらえたのはよかったが、私たち、お笑いバンドじゃないしなあ。はあ、やってもたあ。
「来年も出てくださいね!」
 大ちゃんはやさしいなあ。

 アコギは繊細な楽器だ。路上ミュージシャンになりたいわけじゃないので雨天対策はほとんど考えていなかったが、雨は大敵だ。やむなく持ち運ぶ場合は、ギター用のレインコートでギターケース全体を包む。
 木製だからそもそも湿度にはとても敏感で、高すぎても低すぎてもいけない。だいたい湿度4〜50%程度を推奨されていて、私が買ったギブソンの青いギターも50%前後を保つようにと注意書きがあった。
 これがかなりむずかしい。夏冬はエアコンの影響もあるため、置き場所を求めて部屋をあちこち移動させなければならない。温風や冷風が直撃した日には乾燥でひび割れてしまうし、蒸し暑いときは膨張したりカビが生えたりするから気が抜けない。
 ギタリストによっては自動で湿度調整してくれるギター特製の保管庫に入れているが、そんな高級な機器を置くスペースもお金もないため、今のところ部屋全体の湿度をできるだけ一定に保つよう、除湿器と加湿器を駆使している。ギターって全身で呼吸しているのだ。
 なーんてこといいながら、モーリスのアコギは長年ほったらかしだったのだから何をかいわんやなのだが。それでも今もほとんどダメージがないモーリスって実は最強なのかもしれない。

 ちなみに、アコギで一番やっかいなのが弦の高さとネックの反りだ。つい最近まで弦の高さにいろいろあるとか、ネックが反るということさえ知らなかった人間がよくいうよと突っ込まれそうだが、フィンガースタイルを習って初めてメンテナンスの大切さを思い知ることになった。
 アコギの弦は6本。基本はブロンズ弦で、スズやリンが混ざっているものや、全体を特殊加工したコーティング弦もある。コーティング弦の値段は少し高めだが、指にやさしいし、金属は手汗で錆びやすいため、弦の交換頻度を考えるとお得かもしれない。
 ここからがフィンガースタイルの特徴なのだが、弦高がかなり低い。弦高とは弦から指板までの幅のことで、指板の12フレットと呼ばれる位置で測る。コードをジャーンと弾きながらメロディを歌う弾き語りと違って、メロディと伴奏を同時に弾くフィンガースタイルではとくに、弦を押さえる力はできるだけ少なくて済むほうが弾きやすい。弦高が高ければ、それだけ押さえる力が必要になるため指は痛くなるし、長時間は弾いていられない。
 じつはギブソンの青いギターの弦高が少々高いことは、弾きながらうすうす感じていた。専用の物差しで測ると、一番低い6弦で2.7ミリほどある。弦高についてはいろんな考え方があるようだが、私には高すぎる。これまで指が痛いとか、親指の付け根がもげそうだとか、いろいろ嘆いていたが、どうやら弦を押さえるのに余計な力が必要だったことも一因だったようだ。
 とはいえ、素人が弦高を調整するのはむずかしい。弦の張りによってネックが内側に反ることを順反り、外側に反ることを逆反りというが、まずネックがどちらに反っているのかを正しく確認しなければならないし、それに応じて、ネックの中に埋め込まれたトラスロッドという金属製の棒をうまく回転させなければならない。
 おおもり先生の動画を参考にしながら自分でやってみるが、手持ちの工具だけでは微動だにしない。中古ならともかく、新品で買ったのになんで動かないんだ。やるうちにイライラして汗が流れてくる。これで失敗して傷をつけたらしばらく立ち直れないだろう。
 自転車のロードレーサーであちこちツーリングしていた40代の頃は、専門講座に通ってメンテナンス方法を習得するほど自己完結型を目指していた私であるが、アコギの場合は腕の未熟さが即破壊につながるわけで、自分でできることとできないことを見極めることのほうが大切ではないか。それに、まわりに何もない山道で故障したら、クマに襲われる前に急いで自分で修理するしかない自転車と、少し歩けばプロのリペアマンがいるアコギでは、生命の危機レベルがまったく違う。いつものように言い訳をたらたらと考えた挙句、ここは素直にプロに任せることにした。

 ギブソンの青いギターは全国チェーンの楽器店のネットショップで購入したので、家から一番近いその店舗に持っていくことにした。リペアコーナーに向かうと、ロングヘアの若いイケメン店員が出てきた。さっきまでエレキをガンガン弾いて調整していたので、ふだんはバンドをやってるのかもしれない。
 これはギブソンのアコギです。どうか丁寧に扱ってくださいよと祈りながらハードケースごと渡すと、彼はヒョイと片手で持ち上げて全体をなめまわすように眺め、チョイチョイチョイと試奏した。

 ふん、ギブソンだって? 弾けもしないくせに、えらそーに。弦高2ミリにしろだって? そんな低くしたら音がビビるわ、この、素人オバハンが!

 いや、心の声です。店員がみんなキラキラした若者なので、弾きこなせないのにこんな高価なギターをもっている自分が急に恥ずかしくなり、超絶自虐モードに陥ってしまったのだ。店員さん、ごめん。
 とはいえ、私はやはりちょっとなめられていたんじゃないかな。約束の日になっても連絡がないためたびたび電話するのだが、担当者になかなかメッセージが伝わらない。ようやくつながって、「弦高2ミリは先生の指導ですから」と強い口調で伝えても、何いってんだこのおばさん、という空気感が漂ってくる。のちにわかることだが、弦高はいったん下げると簡単に元に戻せなくなるため、あちらも慎重になっていたようだ。
 しばらくしてギターが戻ってきたが、弦高は2.1ミリ、これ以上はむずかしいという返事だった。それでも、今までなんだったんだと思うほど弾きやすい。念のためだが、連絡ミスや2ミリをめぐる攻防はあったものの、店員さんにはさほど落ち度はないのでどうか誤解なきよう。年甲斐もなくギター担いでウキウキしている自分をいつも冷ややかに見ているもう一人の自分がいて、自虐ネタでバランスをとらねば大事故が起きそうな予感がする今日この頃。もう、これってビョーキかも。

 翌週、近所にもう一つある大型楽器店に出かけた。そもそも楽器店は好きだが、ギターを再開してからはいろんなアコギを試奏したくてウズウズしてしまう。この店の店員は元ロッカー風の中年男性で、いつもにこやかに対応してくれる。
 ある日、フィンガースタイルに合った小ぶりのアコギがないかなと眺めていると、「弾いてみますか」と声をかけてくれた。ギブソンやマーチンと並び、世界的に人気のあるテイラーというアメリカのギターだ。
「ぼく、テイラー推しなんですよ。サイズも小さめで女性も弾きやすいでしょ」
 たしかに、構えてみた感じはとても心地よい。毎日1回は必ず練習しているビートルズの「ブラックバード」を試奏していると、「あれ、シンガーソングライターさんですか?」と訊いてきた。
 ははあ、これが年の功というものだな。買わなかったけど。
 来年のフェス、やったるでー! 大ちゃん、よろしく。

最相 葉月

最相 葉月
(さいしょう・はづき)

1963年、東京生まれの神戸育ち。関西学院大学法学部卒業。科学技術と人間の関係性、スポーツ、精神医療、信仰などをテーマに執筆活動を展開。著書に『絶対音感』(小学館ノンフィクション大賞)、『星新一 一〇〇一話をつくった人』(大佛次郎賞、講談社ノンフィクション賞ほか)、『青いバラ』『セラピスト』『れるられる』『ナグネ 中国朝鮮族の友と日本』『証し 日本のキリスト者』(キリスト教書店大賞)、『中井久夫 人と仕事』など多数。ミシマ社では『母の最終講義』『なんといふ空』『辛口サイショーの人生案内』『辛口サイショーの人生案内DX』『未来への周遊券』(瀬名秀明との共著)、『胎児のはなし』(増﨑英明との共著)、『口笛のはなし』(武田裕煕との共著)を刊行。

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