変な人にはついていけ

第5回

ハーゲンダッツとあけび

2025.11.27更新

 畑へ行くとき、必ずSおじさんの家の前を通る。

「あ、おはようございます」

「ああ、おはよう。あけびをやろうか?」

「ええ? あけび! やったあ。家になるん?」

「そうよ。山から何十年も前にとってきて挿しとったらついたんよ。今年はまだ猿に食べられてない。実生からなら80年はかかるところよ」

80年・・・ほんまかな。おばちゃんの「おいちゃんの話は半分に聞いとけ」を思い出す。

「ええん? この頃もろてばっかりよ」

「なんか持っとるときにあんたが通りかかるから、あげなしょうがなくなる」

 と笑っている。そして、こう言った。

「近所に変な人がおったら面白かろわね?」

「え! 変な人?」

「ほうよ。おいちゃんよ。変な人じゃろわね」

 わはははと笑った。そうか、自分でもそう思ってたんじゃなあ。

 『わたしの農継ぎ』にも出てくる、完全自給自足のおじさんとおばさんが近所に住んでいる。ずーっと昔からいるが、自分がこういう生活をしはじめてその凄さに気づいた。灯台下暗しとはまさにこのことだ。80代半ば、「おじいさん」な年齢だが、「おじさん」の方がしっくりくるパワフルさとクールな佇まいだった。

 この連載にはおじさんばかり出てくるが、近所で話が合う人が、おじさんおばさんばかりなのだ。スマホなんて持たないで何でも自作するSおじさんは、一周回ってもはや前衛的存在、今一番熱い友人(というか師匠)である。

 なんて書いて、おじさんの息子さんにバレるかもと思うと、ハラハラする。

 というのも、『わたしの農継ぎ』を、息子さんが地元の本屋さんで見つけて買ってくださり、「父ちゃんらしき人も出てるよ」と、おじさんに読んであげたそうなのだ。(それを、「おばちゃんがそう言ってたよ」と母から聞いた。息子さんも、おじさんも、おばちゃんも、毎日会うのに私には言わないのだ)

 Sさんは60歳までは自分の立ち上げた鉄工所で腕利きの職人と経営者の両方をしていた。きれきれの職人時代を経て、百姓を始めたのは定年後というから驚く。

 Sさんの畑はそれは美しく自由に、多品目が共生している。柑橘類や、梅、杏、ぶどうなど果樹が周りを囲って風よけになり、果樹の影には日陰を好む野菜が、日向には太陽を好む野菜が茂った。かぼちゃは石垣に沿って蔓を伸ばし、上の段にゴロゴロと実が転がった。

 適当にやっているわけではなく、「全てに理論があるんだ」と言う。「それを先読みして考えんといかん。頭を使わんと」。

 次に植える予定の場所に溝を掘り、野菜くずや刈草などを入れて土を肥やし、数カ月後、そこへ種をまく。すると肥料を入れる手間が省けると言った。

 私達は、畑に堆肥場を作りそこに全ての刈草や有機物を入れて堆肥を作った。これが教科書通りのやり方ではあるが、野菜を作るときに、その堆肥を運んで混ぜ込むのが、重くて地味にしんどい。「そんなことせんでも、次のシーズンに植えるところに早めに敷き込んでおけばええのに。そしたら土にも馴染も? あんたら、畑広いんじゃからなんぼでも土地あろ?」

 確かに。春からなら三ヶ月もあれば堆肥になるだろう。

「お金使わんと、頭を使わないかん」と笑った。

 また、ある日「おいちゃん、なすが炎天下で枯れてしもたわ」

 と言うと、「そりゃそうじゃろ。あんな先頭に植えたら日が当たりすぎろわいね。もうこれまでの夏と違うんじゃから、石垣のそばの、日当たりが悪くて水持ちのええとこに植えにゃ」と言う。なるほど。今までとは逆の発想か。ちゃんと今の環境を見ているのだ。ほれ、と言ってなすを分けてくれた。

 今年、せっかくおじさんにもらった人参の種が芽を出さなかった。でも、甥っ子たちが植えた畝は盛大に出ている。人参は好光性なので、土をほぼかけなかったのに、どうしてかと尋ねると、「種を撒くときは欲を出したらいかん。子供の気持ちで撒かんといかんのよ」と笑う。なんじゃほれ。ここは理論でないんかい! と、私も笑った。

 二拠点生活なんて、甘っちょろいことをしよる私を、しばらくは見向きもしてくれなかった。聞いても教えてくれなかったし、種を分けてくれることもなかった。

 他の人は、表面上は優しく、野菜ができれば分けてくれたが、おじさんはそうではなかった。

「自分で苦労して食べないかん」と言った。若者に嫌われるとか、お構いなしである。

 そして、やっと自分で上手く作れるようになった今、何倍もの喜びがあった。おじさんの言葉が沁みた。

 ちなみに、おばさんは、こっそりと珍しいものを持ってきてくれて「うちの父さんには内緒よ」と言った。バランスも素晴らしい二人組なのだった。

 おじさんは、いけずをしている訳では無い。本気でそう思っているのだ。「そうやって下の世代を甘やかした結果、何もできんようになったんじゃ」と言った。時代の変化で求められることが変わったということでもあるけど、全国的に野生動物が下りてくるようになったのは私達が山に入らなくなり、山のことを全く知らなくなったことが大きい。

 おじさんと同年代でも、手を動かせる人と、できない人に分かれる。その上の世代は殆どの人が、自給自足をしてきたから、なんでもできた。だから、山も海も肥え、野生動物が下りてくることもなかった。

 おじさんの世代は高度成長期真っ只中で、壊してきた世代でもあるのだ。中学卒業後、名古屋や大阪など都会へ出て鉄工職人として下積みをしてきたおじさんは、時代の境目を見てきた。巨大な電波塔、京都のホテル、エレベーター、さまざまな今に通ずる建物の土台をこしらえてきたと言った。華やかな時代だったと。

 そして、やっぱり山がいいと田舎に戻ってきた。おじさんも私と一緒で、一度は都会に出ていたのだ。

 でも、おじさんが私と違うのは、ここで暮らしている人たちに切り込まないことだった。私は、『その農地、私が買います』にも書いたとおり、理不尽に対して狼煙を上げてしまうタイプだった。話し合えば人間は分かりあえるとあの頃は思っていた。

 自治会との一悶着があったことを、きっと風の噂でおじさんも聞いていただろうが、つゆ知らぬ顔。ちょっと冷やかな期間があったようには思うけれど、それは私を知らなかったからで、今は普通に接してくれる。

 畑と同じで、人のこともよく見ているのだ。実際の行動を見て判断する人だった。

 15分も車で走ればコンビニもスーパーもあるのに、昔と同じ生活をするというのは超人である。それについて、

「買ったものより、自分で作ったものや釣った魚の方がおいしい」とおじさんは言う。サスティナブルがどうのこうのと、うんちくを垂れたりしない。

 何十種類もの野菜や穀物や果樹を有機栽培し、種継ぎし、養蜂し、原木きのこを栽培し、川や海で魚やカニをとり、山菜を取り、イノシシを捌き、製粉機や、機械という機械は全部手作りだ。

「買うんだったら誰でもやるんよ。壊れたものをもらってきて直したり、自分で図面引いて作るのが一番面白い。こんなんは遊びよ。ただな、本気で遊んだ方が面白い」

 私も心からそう思う。

 お金を出せば簡単だが面白さは半減する。試行錯誤して作ることこそ百姓の醍醐味だ。けれど、多くの人はそれを「効率が悪い」と言う。私も石垣は習いに行って自ら修復できるようになったが、機械までは作れないです。そこまではじめたら100年かかるわ。

「わしのやりよるのは農業ではないんよ。仲間と分け合って食べる。お金より価値があるよ」

「同じ景色見たって、みんなは気づかんじゃろ。見る目が育ってないんじゃから。山も海も宝の山じゃのに」

「おいちゃんは、おいしいもんを食べたいだけ」

 ちょっともう、NHKとか早く取材に行った方がええんでないん? 80歳を超えても現役で全てをやってのけるのだよ。絶滅危惧種がまだここにいます。

 今でこそ、自治会を抜ける人もちらほらいるが、おじさん達はわりと早くから自治会を抜けていたと母から聞いた。孤立していたのかというと、確かに近所では変わり者で浮いていたが、各地に仲間がいて、基地を作ってそこでイノシシを捌いたり、川の清水を引いて川魚を飼ったり、本気の遊びに夢中になっていた。地域だけにコミュニティが縛られていない感じも今っぽいし、足並みを揃えないのはパンクでいい。

 おじさんは真夏でも畑に行くので、心配した息子さんが空調服をプレゼントしたそうだ。健康的な生活を送っているのかといえば、夜は大体焼酎を飲んでいるし、朝も早くない。クーラーも頑なにつけない。私が一仕事終えて戻る9時頃に畑に向かっていて、夏はとっくに気温30度を超えている。これは心配だが、好きに生きて、畑で死ぬ覚悟はできていると言っていた。かっこいいよと思う。

 この頑固なおじさんを支えてきたおばちゃんが実は一番ツワモノだとみんな知っている。

「くみちゃん、父さんの話は半分に聞いときなよ」と言うのがおばちゃんの口癖だし、おばちゃんの方が押していることもある。

 東京や北海道から私の友人たちが手伝いに来ると、おいちゃんの畑の見学に行く。みんな息を呑む。すごい。なんて美しく工夫された畑だろう!

 次第に交流は深まり、「せっかく遠方から来とるなら、とうもろこしを食べさせてやれ」。すいかを、きゅうりを、なすを、メロンを、スモモを、杏を、みかんを・・・。まだ私の畑では取れない初物をおばちゃんが持ってきてくれる。

 炎天下で、全部枯れてしまった作物も、おじさんの畑では魔法でも使っているのではないかというほど美しくできている。なんとかその知恵をと、追いかけ回す日々なのだ。

 友人たちは、二人へのお土産も持ってくるようになった。二人はとても喜んだ。ある日、友人と草刈りをしていると、

「ホットケーキ焼いたんじゃけどな、おいちゃんが持って行ってやれ言うけん」

 と、おばちゃんが持ってきてくれた。シャイなおいちゃんは持ってこない。もちろん小麦も自分で作って、自作の製粉機で粉にしたものだ。(この製粉機がまた美しいのだ!)。いつも優しい二人だった。

 おじさんの家の前を通って畑に行くため、二人はよく見ている。スパイかというほど見ている。あの子はよう働くねえ。最近あの子はこんねえ。来てもすぐ帰るねえ。そして、よくがんばっている子にはハチミツや小麦をあげている。

 おいちゃんは自分からは声をかけない。こちらから声をかけて、5年のうちに少しずつ話ができるようになった。

「おいちゃん、きゅうりいる?」

「いらんいらん」きゅうりごときではいかんのだ。かなうものがない。

 今年、おいちゃんの夏風邪が長引いて、これはいよいよか・・・と言うので、心配してハーゲンダッツのアイスを持っていった。もはや、おいちゃんが作れないものは、それしかなかった。一週間くらいして復活した!よかった。ハーゲンダッツのおかげか! 「やっぱりあのアイスはおいしいなあ」と言ったので、母とにんまりした。

 ただ、この二人が、正直爺さんみたいに無条件にいい人かと言うと、これもよくわからない。

 地元でピンチになったとき絶対私達の味方になってくれるというわけではないだろう。それも、この地域で生き抜く技ではないか。

 おじさんが何十年も借りていた畑が、あるとき急に太陽光パネルになった。持ち主が、いきなり業者に売ると言い出したそうだ。私なら説得しに行っただろう。サスティナブルとか、未来のためとか、あれやこれや並べて、弁護士に相談して止めただろう。でも、二人はさっさと諦めた。「人生はな、なるようにしかならん」。そのくらい荒い時代の中を飄々と生きてきたのだと思う。依存せず、自分の足だけを頼りに。

「おーい、くみちゃんおるんかい。」とおじさんが突然軽トラでやってきた。「今から川へ鮎を取りにいくぞ」「え! 今から! 着替えてきます」着替えて、長野に帰る友人にごめんよと手を振って、軽トラに乗り込む。

 投網で鮎をとるという。

「さあて、あんたは役に立つんかいのう」と笑いながら、川沿いを車で走る。とにかく、いつまでもお荷物ではいかんのだ。私はいっちょここで役に立つところを見せにゃいかん。

 国道へ出てたくさんの車とすれ違うが、誰も鮎の群れが来ていることを知らない。

「ええかい、同じ景色を見ても、見る目が備わってないと何もみつけれんのよ。おいしいもん食べるためにはな、ぼーっとしよったらいかん。ほんで、ようけとれたら、みんなで分け合わんといかん」。

 よし!

高橋 久美子

高橋 久美子
(たかはし・くみこ)

作家・詩人・作詞家。1982年愛媛県生まれ。音楽活動を経て、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、翻訳、様々なアーティストへの歌詞提供など文筆業を続ける。また、農や食について考える「新春みかんの会」を主催する。著書に『その農地、私が買います』『わたしの農継ぎ』(ミシマ社)、小説集『ぐるり』(筑摩書房)、エッセイ集『いい音がする文章』(ダイヤモンド社)、『旅を栖とす』(KADOKAWA)、『いっぴき』(ちくま文庫)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ちいさいミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)など。

公式HP:んふふのふ 公式Twitter

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