第6回
松山のドン
2025.12.29更新
松山でH家を知らない人はいない。
「今日、どちらに泊まるんですか?」と聞かれて答えると、大体の人が「ああ、H家ですね」と、まるで重要文化財かなにかみたいに呼ぶのだ。そして、「大ママちゃんの夕飯が楽しみですね」とか「楽しい夜になるでしょうねえ」と目を細めるのだった。
Hちゃんのことを東京の友人に説明するとき、つい「松山のドン」と口走っている。
私の家は、香川県の方が近いエリアにあるので、あまり松山のことを知らないでここまできたのだけれど、H家に出入りするようになって3年、随分と親しい街になった。
道後温泉以外の銭湯を教えてもらい、H家の自転車で朝風呂にひとっ走りしたり、裏路地にあるおばあちゃんが一人でやっている三人座ったら満席なお好み焼き屋さんや、老舗の洋食屋さん、最近オープンしたカレー屋さん、観光でない松山を知った。
行って定休日だとしても、Hちゃんは全く焦らない。次々にいい店をハシゴする。そしてどこの店に入っても、「あ、どうもどうも」とお店の人に手をふる。お店の人も「どうもHちゃん、いらっしゃい。この間はありがとう」なんて話している格好良さよ。
やべえなあ、どこもかしこも松山はHちゃんの庭なんじゃなあ。
いやでも、特に出歩かなくても、H家のこたつがこの辺で一番の名所なのだった。
大ママちゃんと呼ばれるお母さんのご飯がどどーんと並び、Hちゃんと娘たちと、夫さん、お父さん、たまに現れるHちゃんの弟たち、そして、どこの誰かわからない人々がわらわらとこたつに座っている。まるで朝ドラになりそうな家だった。
H家の玄関はいつも鍵が開いている。
「ごめんなさい、イベントが長引いていて到着が遅くなりそうで」
とLINEメッセージを送ると、
「はいはい。鍵あいとるからね」
と返ってくる。
たとえ、家族みんなが外出していても、「鍵あいとるから、こたつに入ってゆっくりしといてください」と言ってくれる。うちも鍵はかけない派だが、それはど田舎での話で、同じ愛媛県内でも、彼女らの住むのは松山の中心部。人口も観光客の数も、私の住む田舎町とはわけが違う。性善説でい続けるH家はいつも満ちている。夜遅くに到着しても、近所の誰かがこたつにいて、大ママちゃんの作ったごはんを食べ、誰かが送ってくれたというお酒を飲み、差し入れのドーナツを食べ、宿題をし、眠っている。
たとえば、自分の家に帰りたくない事情のある子がいて、その子にうちにおいでよとは言わなくても、うちもあるからね、いつでも待ってるからね。というためのノー鍵とこたつなのだった。その子のいないときもみんなで心配をしつつも、「大丈夫大丈夫あの子は大丈夫よ」と、そっと見守っている大ママちゃんとHちゃんがいる。「こたつに入って、ちょっと寝ていったらええんよ」とずっと眠れずに街を彷徨っていたその子に声をかけて、本当にそこで眠ったんよ。と、その子との珍エピソードをけらけらーっと笑いながら話すのがまたいい。深刻にならないというか、させない雰囲気があった。
母方の祖父母の家に行くと、常にこたつで誰かが寝ていたのを思い出す。せっかく大学から帰ってきておばあちゃんの家に行ったのに、おばあちゃんの手料理を食べてこたつで時代劇を見ているうちに全員爆睡して、気づけば夕飯がまたこたつ中に並んでいて、それをエンドレスに繰り返すカオス感よ。
何の決まりもなく、ここでだけは何でもかんでも許してくれる。こたつで寝ないで布団で寝なさいなどと野暮なことを言う人はおらず、深夜まで大人は酒を飲み、子供はドーナツを食べ、歯磨きもせず、ここだけは誰にも怒られない。
ばあちゃんちのこたつが、この世界には必要なんだよなあ。
それを令和にやっているH家は、松山のみんなの実家みたいな場所だし、そこに一ミリも無理を感じない。いや、私達が帰ったあと、「ああー疲れたー」と、大ママちゃんとHちゃんは、こたつで寝直しているんかもしれんけど、朝ドラの舞台のようでいて「はいカット!」とはならない安心感とカオスがあるのだった。
あるときは、大ママちゃんの夕飯をいただいたあと、キムさんのキムチを食べながら、気づけば深夜まで日本と、中国と、韓国の三カ国のご近所さん同士で、ここが変だよ日本人を朝方まで話し合った。トーク番組作れるじゃろと思うほど、面白い夜だった。近所に住む外国の方も仲良くなって遊びに来るそうで、多国籍な料理がいつも並んでいる。
あるときは、「今日は道後温泉に行ってから帰るので遅くなります」と連絡すると「はいはいー。ハロウィンだから私達もばたばたしてるよー」と返ってきた。毎年、100人以上の子にお菓子セットを渡しているらしい!
Hちゃんたちは、おばあちゃんの暮らしていた家で子どものための私設図書館を開いていて、学校帰りの子供が自由に立ち寄れるようにしている。ここで本や漫画を読んだり、宿題をしたり、駄菓子や手作りのものも売っていたりする。副館長をHちゃんの娘さんがやっていて(
でも、「がんばるぞー! おー!」みたいなその日限定のガッツを無理に立ち上げていない感じがいい。終始H家には、不思議なゆるさが流れている。だからこそ、わたしたちも集いやすいのだろうと思う。
松山にはもう一人ドンがいる。Hちゃんと出会うずっと前からお世話になっているAちゃんである。Aちゃんは、私がバンドをしているときから松山の元祖ドンとして慕ってきた。タウン情報誌の編集長をしていたのもあって、よくインタビューをしてもらった。
作家になってからも、新しい本が出るたびに、マネージャーのように一緒に本屋さんへ挨拶に行ってくれたり、車でテレビ局やラジオ局を巡ってプロモーションしてくれたりした。
ある夜、Aちゃんと一緒に飲みに行ったときに一緒にいたのがHちゃんだった。「遅くなるときは、今度からH家に泊まればええよ」と。
それで、数カ月後、本当に泊めてもらうことになり、こたつの輪に混ぜてもらった。
ずっと大先輩で憧れの大人だったAちゃんが、H家の中に入ると子どもだった。大ママちゃんの作ってくれたご飯を食べて、げらげら笑いながらお酒を飲んで酔って、いつもよりたくさん自分のことを喋った。
「私は、H家がなかったら、もっと早くに愛媛を出ていたかもしれませんねえ」と、ある日Aちゃんが言った。彼女は社会人になってから松山に来たそうで実家は愛媛ではないのだと知った。
そうか、Aちゃんにとっての愛媛のふるさとはH家なんだなあと思った。
場所ではなく、人がふるさと。どっかで聞いたことある言葉だけど、しっくりくる。わたしだって、本当はそうなんだと思うよ。
生きていたら、そりゃあなんもない人はいない。大人も、子どもだって。
いろいろあって、でも一緒に、なんでもない今日のことを話して、けらけら笑っていられるこたつが家の近くにあることで、明日もやっていけるんだと思う。
「東京から編集さんが松山の書店めぐりに来てくれるんです」と言うと、はいはい、そしたらアテンドしますよ! と二人が来てくれる。
ときには、初対面の私の東京の友人たちと深夜まで一緒にお酒を飲んでお腹を抱えて笑ったりもして。気を遣わせない二人の懐の深さよ。自分語りをしないのに、おもしろい話はどんどん出てくるから、私達も話しやすい雰囲気になって、どんどんネジが外れていく。
持っている逸話の多さに私も未だに驚かされる。すげーなあ。友人たちも楽しそう。
「あの人は何者ですか?」と編集さんや友人が私に尋ねる。
そうですよね、そうなりますよね。
「うーんと、友達というか、先輩というかー。まあ、強いて言うならー、松山のドンですね」と答えるのだった。




