谷川俊太郎さんインタビュー 京都と本と音楽のはなし(1)

第5回

谷川俊太郎さんインタビュー 京都と本と音楽のはなし(1)

2020.02.14更新

 2019年の暮れ。ミシマ社の企画会議にて「ミシマ社メンバーが本気で会いたいと思う人に取材する企画」を2020年にスタートすることが決まりました。メンバーが全力で依頼書を書き、全力で取材準備し、全力でまとめる。
 改めて家の本棚を見返すと、一番たくさんあったのは谷川俊太郎さんの本でした。思えば、小さいころから谷川俊太郎さんの言葉にふれながら育ちました。そんなタブチが谷川さんへインタビューを敢行。京都の思い出、本と本屋のはなし、そして音楽のはなしを、本日と明日にわたりお届けいたします。

(聞き手・構成:田渕洋二郎、写真:星野友里)


京都弁の「調べ」

―― 谷川さんのお母さまは京都のご出身で、お父さまは大学時代を京都で過ごされたということで、実は谷川さんのルーツは京都にあるのではないかと勝手な妄想を膨らませていたのですが、いかがでしょうか。

谷川 京都は自分にとっては親しみのある場所ですねえ。母の出身が京都府の淀で、その姉、つまり僕の伯母がずっと住んでいたんです。実は母方の祖父が政友会の代議士だったんですよ。淀城の外堀に面した大きな屋敷があって、赤ん坊のころから僕はそこへ行っていました。その屋敷の記憶がいまだに残っていてね、廊下に坂があるの。家の横が蓮池でね、東京では見たことなかったから、それがすごくおもしろかったですねえ。

―― おお! 赤ん坊のころから。どれくらいの頻度で行かれていたんでしょうか。

谷川 年に1度は行っていたかなあ。当時は東京から東海道線の汽車で6時間くらいかかったんです。子どもがなかった伯母に甘やかされてね、錦なんかに一緒に買い物に行ったから懐かしいですよね。10代になってからは一人で行ってました。その頃京都の街で観たジョン・フォードの「果てなき船路」という映画に感動して、最近になってDVDを買いました。

大人になってから行ったときは、だいぶ淀も様変わりしていたので不思議な感じがしましたね。戦後は競馬場で有名になっちゃったからねえ。

―― そうですよね。たしかに競馬場のイメージです・・・。とくに印象的だった思い出はありますか。

谷川 戦後、中学2年のときには京都に疎開していたんですよ。伏見三中ってとこに1年くらい通っていたんです。当たり前ですけどまわりの子たちはみんな京都弁で話すわけです。そんななか僕が東京弁で教科書なんかを読むと笑われましたね。そこで東と西で違う文化があるんだって初めて実感した気がします。それが一つのきっかけで学校嫌いになっちゃいましたね(笑)。

―― つらいですね・・・。

谷川 小学校のころは優等生だったんですけどねえ。中学は東京にもどっても当時は戦後の混乱期で、校舎はもと兵舎でぼろぼろだし、先生も生活難で、学校が全然楽しくなかったんです。そのあたりから学校という制度に反感をもつようになっていました。だんだん「自我」が目覚めてきたんでしょうね。

―― 関西の言葉は、詩を書くときに影響はあるのでしょうか。

谷川 意識してませんけど、どこかにあるだろうと思いますね。書き言葉には出ないんですが、朗読するときとか、日本語の「調べ」みたいなものを感じるときに、自分の体のなかに関西的なものが入っていると感じることはあります。

―― そうですか。「調べ」というのは・・・?

谷川 よく言葉のリズムっていうでしょ。でも日本語の場合には、ピッチアクセントで、英語みたいなストレスアクセントではないから、リズムというよりはメロディーで、特に京都は抑揚が独特なので、それは「調べ」というほうがしっくりくる気がするんです。僕の『ことばあそびうた』なんかはリズムも意識してますが。自分の体のなかにひそむ「音」と書かれた言葉の「意味」が一致する感覚というのは、関西経験と関係があるのかもしれません。

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はじめておこづかいで買ったのは

―― 一番最初に読んだ本はどんな本でしたか?

谷川 父を通して野上弥生子さんにいただいた「小さき生きもの」が最初に意識した本かもしれません。韻文風の言葉の繰り返しの多い絵本でね。その頃の翻訳本は原作者を明記してないので、画家も原作者も不明です。

 高校くらいになってから、同じく野上弥生子訳の『美しき世界』というのがお気に入りでした。これは『ぼく、デイヴィッド』という題名で岩波少年文庫に入ってます。山中に引退した世界的なバイオリニストの父親に世俗にまみれずに教育された世間知らずの男の子が、紆余曲折の果てにハッピーエンディングを迎えるいわゆるヤングアダルトものです。

―― 読みたいです。ちなみにどこの本屋さんで買われたとかは覚えてらっしゃいますか。

谷川 それが買ってないんですよ。というのも僕の父は哲学の勉強をした人なんだけれども、文芸批評なんかもやっていたから、たくさん本が送られてきて、買わなくても読むものがあったんです。群馬県の浅間山麓の夏の山荘で、野上家とうちは隣同士だったんですね。そこで僕がある程度本を読むようになってくると、野上のおばさんって呼んでましたけど、野上弥生子さんが、直接本を僕にくれるんです。だから本屋さんに行く必要がなかった。

―― すごいですね。

谷川 嫌になるくらい家中に本があったんです。本を買うようになったのは、戦争が終わって高校をドロップアウトして、その後ですね。当時なぜか真空管ラジオが好きになってね。この「ラジオ技術」なんか一番最初におこづかいで買った雑誌だったと思います。

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―― おお!

谷川 でも初めておこづかいで買ったのは、本ではなくてラジオの部品ですね(笑)。当時は真空管ラジオ作りに夢中だったから、「コンデンサー」とか「コイル」だとかって部品が売られてるわけ。それを「ハンダづけ」してつくっていました。ラジオをつくるために必要な本は家には送られてこないので、近所の本屋さんで買いましたね。詩を書き始めたんだけど、詩よりもラジオに夢中だったころです。

―― 谷川さんが初めて書かれた詩も、「模型飛行機」の詩でしたよね。

谷川 そうそう。戦時中、学校の授業で模型飛行機を作ったんですよ。僕はぶきっちょでなかなかうまく飛ばなかったんだけれども、どうにか飛ばすことができてうれしくて作った詩です。関心がラジオに移ったのは1945年の敗戦後ですね。

―― 今は関心あるものはなんでしょうか。

谷川 ドローンかなあ。いま中国がすごいからね。おもちゃのドローンまでつくれちゃって。「こんなおもちゃもつくれるんだぞ」っていうシンボルとしてのドローンがあるんですよ。飛ばしてみましょうか、可愛いでしょ。

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最初に本を出したときは全然感激しなかったのよ(笑)

谷川 なんの話だったっけ。ああ、本ですね。中学生になってからかな。風邪で寝込んで退屈して、なにか読むものを探していたら、本棚に『脂肪の塊』という文庫があったんですよ。それを寝床で読んでいたら、母親に取り上げられたんです。モーパッサンの短編なんだけれども、そろそろ性に興味をもちはじめるころでしょ。まあ、今みたいに情報がないから、もっぱら百科事典で知識を得ていました。

―― 秋葉原以外の本屋さんには行かれましたか。

谷川 青梅街道沿いに大きなビルがあって、そこの2階に「書原」っていう書店があったんですよ。そこはすごくいい本屋でしたね。よく詩の特集をしている「ユリイカ」なんかはバックナンバーまで置いてあって。インターネットになるまえはそこで買っていました。

 あとはJRの阿佐ヶ谷駅に近い「書楽」もときどき行ってましたねえ。もっと前には青梅街道から阿佐ヶ谷駅へ行くパールセンターっていう商店街のなかにも書店はあったんですけれども。いつのまにかなくなっちゃいました。

―― 最近は本屋さんへは行かれますか。

谷川 本当に申し訳ないけど、歩くのが覚束なくなってきて、いまはもうほとんどAmazonに頼ってます。本当に便利です。Kindleに落としたらその場で読めちゃうもん。あれはやめられないよねえ(笑)。

―― そうですよね。

谷川 白内障の手術で眼内レンズを入れたんですが、小さい活字を読むのが難しくなって、Kindleだと透過光だし文字の大きさもかえられるし。もともと本ばっかりある環境で育ってしまったので、本に対してありがたいという感情があまりないんですよ。本好きの佐野洋子と結婚していた頃、彼女の育った環境は本がなくてね、トイレの落とし紙っていって、いまでいうトイレットペーパーに雑誌や新聞紙を使っている時代だったんですけど、それまで読んでいたって言っていてびっくりしました。

―― そんなことがあったんですね・・・。それでは初めて本を出されたときはどうでしたか?

谷川 父がやっていた当たり前のことを自分もやっているという感じで、全然感激しなかった(笑)。母と二人で「検印」っていうのかな。当時は一冊一冊著者がハンコを押していたんですよ。その検印紙っていう紙をね、母と二人で夜なべで押していたのは覚えているんですけれども。出版記念会なんかもやってくれるって言われるんだけど、嫌でやったことがないんです。『二十億光年の孤独』を出したときは、記念に母と写真は撮りましたけど。こちらですね。

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―― それは貴重ですね。もし一番最後に本を一冊読むとしたら、何を読みますか。

谷川 死ぬ前にこれは読んでおきたいという本は別にないですね。よく「無人島にもっていく一冊は」なんていうアンケートもあるけど、本をもってくくらいだったら音楽をもっていきたいんですよ。

(明日につづきます)


プロフィール

谷川俊太郎(たにかわ·しゅんたろう)

1931年東京都生まれ。詩人。1952年第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行。1962年「月火水木金土日の歌」で第四回日本レコード大賞作詩賞、1975年『マザー・グースのうた』で日本翻訳文化賞、1982年『日々の地図』で第34回読売文学賞、1993年『世間知ラズ』で第1回萩原朔太郎賞、2010年『トロムソコラージュ』で第一回鮎川信夫賞など、受賞・著書多数。詩作のほか、絵本、エッセイ、翻訳、脚本、作詞など幅広く作品を発表。ナナロク社刊行の書籍に『生きる』(松本美枝子との共著)、『ぼくはこうやって詩を書いてきた』(山田馨との共著)、『おやすみ神たち』(川島小鳥との共著)、『2馬力』(覚和歌子との共著)、『あたしとあなた』、『こんにちは』、『バウムクーヘン』がある。

ミシマガ編集部
(みしまがへんしゅうぶ)

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