香山哲さんインタビュー「生活を大切にする漫画を描く」(後編)

第7回

香山哲さんインタビュー「生活を大切にする漫画を描く」(後編)

2022.07.18更新

 今回の「本屋さんと私」は、漫画家の香山哲かやまてつさんのインタビューをお届けします。
 香山さんの代表作は、ドイツでの移住者としての暮らしを描いた漫画『ベルリンうわの空』。この作品を読んだとき、私(編集チーム・角)は、こんな漫画には出会ったことがない! と衝撃を受けました。
 スーパーでの買い物も、日々のちょっとした会話も、貧困や差別の問題も、なんとなく心惹かれてしまう雑貨や街角の張り紙も、いち生活者の目線から地続きに描かれていきます。また、街の人びとはみんな、人とも動物とも植物ともいえないような不思議な姿をしています。
 そんな香山さんの絵や言葉に触れると、社会の豊かさと困難を考えるきっかけが生まれるとともに、自分の弱さや好きなことを大切にして生活しよう、という感覚がじわ〜っと染み込んでくるのです。この世界はどうやって描き出されているのだろう・・・と気になり、ぜひお話を伺いたいと切望しました。
 どうして「生活」をテーマにした漫画を描こうと思ったのか? 登場人物はどうやってデザインされている? 「小さいもの」から社会を考えるおもしろさとは? 2日間にわたってお届けします。

前編はこちら

(取材・構成:角智春)

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香山哲(かやま・てつ)
漫画家。ベルリン在住。『香山哲のファウスト1』が2013年に第17回文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査員推薦作品に入選。『心のクウェート』がアングレーム国際漫画祭オルタナティブ部門ノミネート。おもな著書に『ベルリンうわの空』『ベルリンうわの空 ウンターグルンド』『ベルリンうわの空 ランゲシュランゲ』(ebookjapan 発行:イースト・プレス)など。現在、「香山哲のプロジェクト発酵記」(ebookjapan)、「スノードーム」(生きのびるブックス)を連載中。

フィクションを混ぜるほうが、想像が広がる

――『ベルリンうわの空』は現実を題材にした漫画ですが、登場人物たちは不思議な姿をしていますよね。

香山 僕自身のベルリンでの生活を描いてはいるのですが、「これってどこまで本当なのかな?」という感じを、仕立ててみたいという思いがありました。
 もちろんそこには、友人たちのプライバシーを守りたいとか、登場人物の人種や国籍が偏っていることで読者が疎外されないようにしたい、という現実的な理由もあります。
 それと同時に、現実と空想を混ぜることで、読者の想像力を使って読んでもらいやすくなるかもしれないとも思います。
 どこかの誰かが体験した現実だと思って読むと、著者と読者のあいだに線が引かれることもあると思います。たとえば、「この人はこうやって生活できているけど、どうせ男だからでしょ」「大卒で、ある程度英語を話せるからでしょ」といったふうに。そういった事実はあるんだけど、いったん仮のイメージで、「自分がこの場にいたらどうするだろう?」と考えやすくなったらいいなと。そのためにフィクションを混ぜて、限定的になりすぎないようにしています。

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(『ベルリンうわの空 ウンターグルンド』P59)

偏ったデフォルメから距離をとりたい

香山 登場人物については、僕としてはあえて変わった姿にしているつもりはあまりなくて、けっこうフラットに描いているんですよ。

――フラットに描くとは・・・?

香山 たとえば、人間をリアルに描いているように見える漫画でも、実は顔のシワは全部ではなくて一部のものだけを線で描くし、暗いところでもつねに髪の光沢があるとか、メイクをしていない人でもまつげがパチっとしている、みたいなことは多いですよね。建物の外観の絵にしても、窓枠だけ描いて、内側のカーテンは見えていても描かないとか。意図的な処理がたくさんあります。
 僕は、みんなと同じだからという理由で同じように処理するのがちょっと苦手だなぁと感じていて。歯が20本ちゃんと描いてある漫画があってもいいし、2本で描いてもいいかもしれないし。
 漫画の絵というものは、いろんな理由があって、かなり偏ったデフォルメの仕方になっていると思います。『ベルリンうわの空』にいろんな風貌の人が出てくるのも、従来の文化からちょっと距離をとりたいという思いがあるからかもしれません。

キャラクターが出てくれなくなる

――登場人物を設定するときに大事にされていることはありますか?

香山 これは自分にとって比較的大きなテーマです。漫画のキャラクターというのは、現実よりも、微妙で些細な変化が省略されやすいです。髪や爪が伸びるとか、けがが治る途中段階とか。自分の漫画に出てくる登場人物たちも、全ての変化を考えたり描いたりはできないんだけど、できれば気にするようにはしています。
 あと僕が大事にしているのは、ひとりの登場人物に物語上の役割を負わせすぎないということです。たとえば、漫画のなかで嫌なことを続けてやらせてしまうと、僕の気持ちの上では、その登場人物はもう漫画に出てくれなくなるんですよね。

――出てくれなくなる?

香山 そのキャラクターと自分がうまくいかなくなる、という感覚です。すごくいいキャラクターだったとしても、もう漫画のなかで使いにくくなる。
 なぜかというと、キャラクターはもちろん僕が作ったものだけど、たとえば、そのアイデアは現実の人間や出来事からヒントを得ていたりするんですね。身体的な特徴や、所作とか。そうやって現実からもらったヒントで作ったキャラクターにひどいことをさせたら、なんとなく折り合いが悪くなる。だから、キャラクターは完全に僕のものではないというか・・・、ちょっと言い方が難しいのですが。

――キャラクターに色をつけすぎると、香山さんの居心地が悪くなってくるということでしょうか?

香山 そうかもしれないです。たとえば、映画監督が俳優たちと関わるような感覚が、自分のデザインにもあるんです。基本的に僕はタダで登場人物たちを雇っていて、操ることができるのですが、そのキャラクターは現実の何かを代表していたりもして、存在を感じるというか。

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(『ベルリンうわの空 ランゲシュランゲ』P112)

香山 犬を描くときでも、モデルになる犬がいるときは一応、犬に日本語で「描きたいんだけど、描いていい?」とか訊いたりしますね。描き終わったら、「描いたよ」と見せたりして。犬のほうはキョトンとしてみえるけど、ひょっとしたらわかっていて、「あいつは描いたものをちゃんと見せてくれた」とか、犬のなかで語り継いでいるかもしれないし。
 それは空想だし、言語化するのが難しいのですが、漫画を作る上での今の時代・この国での常識や当たり前を、できる範囲で少しずつ疑って、自分なりに実験するようにしています。

おもちゃに意図を忍び込ませる

――『ベルリンうわの空』では、重要な場面で雑貨やおもちゃが出てきますよね。主人公がおもちゃを修理してもらったお店が東ドイツの記憶とつながっていたり、街角に貼られているシールを集めてパズルを解くことでストーリーが動いたり。

香山 雑貨みたいなものから意図を汲んだり、そうしたものに意図を込めたりするのが好きだし、表現方法としてやりやすいなと感じています。ふつうはセリフとか、わかりやすい感情表現が使われるような場面でも、僕の場合は、街頭の張り紙とかおもちゃとかを使いたくなります。

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(『ベルリンうわの空』P132)

香山 おもちゃのデザインひとつにも、子どもたちに、こういうかたちをしたこういう用途のものを届けてあげたい、っていう思いが込められている。
 たとえば、東ドイツのおもちゃの中には、優しい色が使われているように感じることが多いです。蛍光の黄色じゃなくて辛子色みたいな、窓の外を見たときに同じ色が自然界にあるような配色に感じます。人から直接「自然は美しいもので、大事なんだよ」と語るのではなくて、そうやって意図を忍び込ませる伝え方も僕は好きですね。漫画家だし、そういう手段を選んでいる人間だから。
 色彩とか、字の大きさやかたちって、生活に大きく関わるところです。たとえば、どれぐらい移民のことを考えているのかとか。さきほどもお話ししたように、日常の些細なものが、ゆくゆくは法整備とか、社会システムとか、参政権といった大きなものと地続きになっていると思います。だから小さいところを大事にしたいですね。

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(『ベルリンうわの空 ランゲシュランゲ』P132)

――最後に、本屋さんの思い出を教えてください。これまでいろんな土地に住んでこられたと思いますが、お気に入りのお店はありますか?

香山 僕はどちらかというと雑貨店とかに行くのが好きなので本屋さんの思い出はあまり多くないのですが、学生時代に神戸に住んでいたころは、トンカ書店(現在は、花森書林)さんによく行っていました。
 古本屋なのですが、なんでも買い取ることにしていたみたいで、空き缶とかクッキーの箱みたいなものも置いてあったんです。「アイスまんじゅう」と書かれた、戦後間もないころのアイスクリームの包み紙があったり。そういうなかに本が並んでいると、印刷が面白いから買ってみようとか、雑貨を集めるような気持ちで気軽に手を伸ばせた気がします。自分にとって通いやすい本屋さんだったので、大好きでした。

――どんな本を買われていたんですか?

香山 思い出深い本といえば、岩波文庫を集めていたこともありました。岩波文庫って、かなりかわいい物体だと思いませんか? 古本だと100円とかで買えるから、読めなくてもいいやと思ってたくさん集めて、帯の色ごとに並べて楽しんでいました。青と白のシリーズがとくにお気に入りでしたね。ひょっとしたら、ポケモンに近い感覚だったかもしれない。どうしても自然とエスパータイプばっかり集まってしまうみたいな(笑)。
 でも、そのおかげでプラトンとかモンテスキューとか、古典的名著のハードルがすごく下がって、抵抗なく難しい本にも挑戦できたのかもしれません。読まなくても楽しめて、愛着が湧いてからたまにちょっとパラパラとめくってみる、ということを許してもらっていた感覚です。そうやって少しでも古典に触れてみるのは、すごく楽しい経験でしたね。

――そういう本の楽しみ方が、香山さんの表現にも深くつながっている気がします。今日はおもしろいお話をたくさん聞かせていただき、ありがとうございました!

(終)

ミシマガ編集部
(みしまがへんしゅうぶ)

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