谷川俊太郎さんインタビュー 京都と本と音楽のはなし(2)

第5回

谷川俊太郎さんインタビュー 京都と本と音楽のはなし(2)

2020.02.15更新

 2019年の暮れ。ミシマ社の企画会議にて「ミシマ社メンバーが本気で会いたいと思う人に取材する企画」を2020年にスタートすることが決まりました。メンバーが全力で依頼書を書き、全力で取材準備し、全力でまとめる。
 改めて家の本棚を見返すと、一番たくさんあったのは谷川俊太郎さんの本でした。思えば、小さいころから谷川俊太郎さんの言葉にふれながら育ちました。そんなタブチが谷川さんへインタビューを敢行。京都の思い出、本と本屋のはなし、そして音楽のはなしを、本日と明日にわたりお届けいたします。

(聞き手・構成:田渕洋二郎、写真:星野友里)


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言葉よりも深いところに届くのが音楽だと思うんです

――  普段はどんな音楽を聴かれますか。

谷川 僕はベートーベンから入って、モーツァルト、バッハ、ヘンデル、ハイドン、みたいな感じで聴いてきました。みんなが言うほどショパンは好きじゃない(笑)。

 当時はSP の時代だったから、片面が3分くらいで終わっちゃうんです。そうするとベートーベンのシンフォニーなんか聴いていても、片面の一部分だけ聴くことがよくあったわけ。聴き方としてはよくないんだけれども、あるパッセージに感動するものがあれば、そういう聴き方も許されると思うんです。

―― その作曲家や音楽が好きになるのにはどういったきっかけがありますか。

谷川 そうですねえ。若い頃グリーグのピアノ協奏曲なんかは映画をみて、それに出ていたヒロインのことも込みで好きになった曲です。あと「赤い靴」っていうバレエの映画を観て、その音楽を書いたブライアン・イースデイルっていう作曲家も好きになったし、彼はイギリス人なんだけれども、そこからエルガーやヴォーン・ウィリアムズみたいなイギリス音楽を好きになる時期もありましたね。

―― そのときどきによって聴きたい音楽も変わるんですね。

谷川 そのころ自分が直面している人生と無関係ではないですね。親しかった女性と音楽の思い出がくっついていることもあるし。いまはCalm Radioというサイトで好き勝手にクラシックを聴いてます。あとは息子(谷川賢作)のつくった曲とか演奏したピアノとか。

―― 一番最初に聴いて感動した曲はどんな曲でしたか?

谷川 信時潔作曲の「海ゆかば」です。戦争中にニュースの前にラジオで流れた曲、当時の思い出と無関係にいまでも好きです。同じ信時潔の「海道東征」なんかもそうなんだけれども、西洋の音楽を基本にしているんだけど、日本の民謡風の歌や拍子も入っているのがよかったですねえ。「海ゆかば」は僕が頼んで林光さんが弦楽四重奏にアレンジしてくれました。

―― 先ほど無人島に持っていくとしたら、本ではなく音楽とおっしゃいましたが、その一曲をお聞かせねがえますか。

谷川 一曲というのは残酷だよねえ(笑)。武満徹は自分が亡くなる前の日にバッハの「マタイ受難曲」を聴いていたらしいんですね。僕もそれがいいかなあ。聴くたびに、今まで気が付いていないなにかを発見するような音楽がいいですね、キリスト教と関係なく。

―― ちなみにベートーベンも年齢を重ねるにつれ感じ方は変わってきますか。

谷川 若いころにベートーベンを聴いて感じたのは、「励ましてくれる音楽」だってこと。まだそのころは人生がちゃんと始まっていない、大人になる前でしょ。どうやって生きていくか、生活していくのかを考え続けているときで。そんなときにベートーベンを聴くと、将来に向かって生きていける、って感じたのをよく覚えています。

 それで40を過ぎたくらいからベートーベンの後期の弦楽四重奏がすごくいいなって感じるようになってきて。うちの父親も作品135番が気に入って何回も繰り返し聴いていたんですが、僕も今になってわかりますね。歳とってくると言葉より音楽が慰めになる。言葉よりも深いところに届くのが音楽だと思うんです。

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ジャズの即興がうらやましくて

―― ドイツだと、詩人(Dichter)が一番尊敬される職業だと聞いたことがあります。

谷川 そうそう。ドイツ語のDichterは特別な言葉らしくて、ヨーロッパだと基本的にそういうところがありますよね。でもそれに関してはある出来事があってね。1966年だったと思うんだけれど、ハンブルグでフォルクスワーゲンを買ってヨーロッパを回ったんです。旅行鞄を後部座席に置いてずっと走っていたもんだから、座席が擦れちゃったんです。最後に車を売らなきゃいけないときに値段が下がっちゃったわけ。車屋さんが「おまえは何してる人なんだ」って訊くから「ディヒター」って何度も繰り返したんですよ、発音が悪いのかと思って。でもね、全然通じなかったの。あ、詩人という言葉を知らないんだなあって(笑)。あれはショックだった。

―― そんなご経験が・・・。

谷川 でもアメリカなんかだと、レンタカー屋で「何してんだ」って訊かれて「ライター」だって答えるでしょ。で、何書いてるんだって言うから「ポエトリー」って答えると「ワンダフル!」って言って、中年のおばさんが「いま一番いい車を出すから!」って。アメリカではちょっと尊敬されましたね。

―― おお、それは(笑)! 詩を書くとき、音楽からインスピレーションを受けることはありますか。

谷川 音楽を聴いていたら意識が持ってかれちゃいますね。だから聴きながらは書けないんですが、聴いた後に、感動が言葉になることはよくあります。

 詩も意味だけはなくて、言葉の音のつながり方が大切になることがあるんです。言葉に内在している響きがうまくいくと満足できて、語と語の組み合わせがスムーズじゃなときは意味を含めて何行かを書き直したりしていますね。この行は一音多いんじゃないかって感じるときとか。

―― 谷川さんでも迷われることがあるんですね。

谷川 ありますよ。まれに運がいいとモーツァルトみたいにサラサラサラーっと書けるんだけど、そうじゃないときは推敲は相当しつこくやっていますね。

―― 作曲家でもある息子さんからの影響はありますか。

谷川 息子はジャズピアノで出発したから、ソロより他の楽器、他のミュージシャンと一緒に演奏するのが好きみたいです。同じモチーフを即興で受け渡ししていくのを聴いていると羨ましくなります。それをどうにか詩でもやりたいと思って、覚和歌子さんとライブ「対詩」っていうのをやってます。2人がパソコンで書いていくのがリアルタイムでスクリーンに映っていくわけ。直すところも映るし。しゃべりながらやっていて、本当に詩の創作の現場そのものだから、集まった人たちけっこう楽しんでますね。

―― ナナロク社の新刊『今日は誰にも愛されたかった』の「連詩」も興味深かったです。

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谷川俊太郎、岡野大嗣、木下龍也『今日は誰にも愛されたかった』(ナナロク社)

谷川 そうやって詩人同士で詩をつないでいくのは、現代詩だと大岡信が連句からはじめたみたいなところがあるんだけど、僕はみんなと一緒に何か創るのが好きですね。この本では、岡野さんと木下さんという歌人とやりました。はじめこの二人がデビューしたとき、キャッチに「高校生」ってうたってあったんだけど、会ってみたら中年男の二人組でさ。びっくりしたんですよ。

――(笑)!! ともに詩をつなぐというのは、伝統的には「歌垣」なんかもありますよね。

谷川 そうですね、歌垣は男女でしかも求愛の歌なんかでかけあって、もっと性につながるものだったけれど、今回は男三人でした(笑)。

人間社会の女性と自然界の女性

―― 性といえば、谷川さんの詩で山や自然と一体になるように、人間同士も一体になるという世界観がとても印象に残っています。

谷川 僕はずっと男より女のほうが生き物として偉いと思っている人間でね。女は宇宙で、その宇宙と一体化するってことが、自分にとって一番幸せなことだと思っているんです。それが裏目に出たことも何度かありますけれどもね。

―― 裏目に出たこと?

谷川 若い頃は人間社会のなかの女性と、自然界、宇宙のなかでの女性を区別しなかったんですよ。これは区別しなくちゃやばいんだってのは、結婚してからわかったことなんです。

―― (笑)。 

谷川 2番目の詩集『62のソネット』なんかはまさにそうなんですけれどもね。そのころの僕は、人間の基本的なユニットは「男と女」の一対であると思っていたんです。でも当時一緒に仕事をしていた、画家の朝倉摂さんは「ひとりの人間」こそが基本的な単位だって言っていて。昔は納得できなかったんだけれども、いまは男と女ではなく、「ひとり」が単位というふうに思うようになりましたね。

―― たしかに、男の中にも女が、女の中にも男がいますよね。

谷川 最近は特に男と女の区別がなくなりつつありますね。コミックスなんかみていてもどっちでもない登場人物がたくさん出てきている。僕はそれでかまわないんです。僕自身いい音楽を聴いていると、自分のなかの女性性が目覚めることもありますし。まあでも、若いころは性と愛の区別なんかもついていませんでしたからねえ。

―― その区別はどういう過程でついていくものなんでしょうか。

谷川 現実の体験を通してでしかないですよね。実際に女性とつき合うこととか、音楽を聴くこととか、自然のなかにいることとか、人間について考えることとか。全部が、性と愛、男と女を考える上での要素になっていますから。そればっかりは、いくら本を読んでも、実感して否応なしに行動に移らないと腑に落ちないものじゃないでしょうか。

(終)


(取材を終えて)

冒頭にも書いたように、気づけばいつも近くに谷川俊太郎さんがいました。ちなみに兄の名前も谷川さんにちなんでつけられた「俊太郎」。そんな谷川さんにお会いして、しかも取材できると決まってからはずっとそわそわしていました。迎えた当日。あえなくカットしたので伝わりにくいかとは思うのですが、あまりの緊張に何度もフリーズした瞬間があります。谷川さんの目をみていると、異界に吸い込まれてしまうのです・・・。なので、当日のどんな質問をしたかなどは正直あまり覚えていません。ですが、谷川さんが語りかけてくださった声は、言葉だけでなく調べとして、触覚とともに肌で記憶しています。谷川さん、本当にありがとうございました。(田渕洋二郎)

ミシマガ編集部
(みしまがへんしゅうぶ)

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