第9回
混沌として雑多でカラフルな彩り
2026.09.01更新
混沌が好き
先日、仕事を一緒にする人たちとおしゃべりをしていた時のこと。「ユザワさんのデスクまわりって、どんな感じなんですか」と聞かれた。なんでもデスクの様子を見ると、その人の人となりや仕事の仕方が分かるのだとか。なるほど、と思いながら自分の居場所の風景を思い浮かべ、徒然なるままに考えてみた。
私はスッキリとして理路整然としている空間よりも、混沌としてごちゃごちゃとした場所が好きだ。商店街の横丁、昭和の台所、古着屋、地下の飲み屋街、厨房のダクトが並んだ裏路地などなど。仕事の場ではデスクの上だけはあまり物を置かないようにはしているが、デスクに掛けた透明シートの下には、切り抜いた新聞記事や美味しかったお菓子の小さなパンフレット、写真や映画館の入場券を「記念」と称してばらばらと挟んである。まったくスマートではない。ラフというか、雑というか。でもそういう感じがなぜか落ち着く。本棚まわりには本はもちろん、小さな地球儀や手作りの人形、植物などが押し合いへし合いして並んでいる。
と、ここまで書いて思い出したのだけれど、ミシマ社の凄腕仕掛け屋Hさんが私の本棚をこの連載のサムネイルとして描いてくれたすばらしい絵があるではないか。まさに、あんな感じです、はい。ぜひご覧ください。
そういえば、大学院時代に4つ年下の後輩男子学生S君に「ユザワさんって、ファイルの色に何か規則性があって使っているんですか?」と聞かれたことがある。私のデスク棚には黄色、ピンク、青、緑のファイルが賑やかに並んでいた。量販店で売っている紙のファイルの背表紙に「大学院ゼミ」「自主研究会」「論文資料」「研究室事務」などと書いて、上手く整理しているつもりだったので、自信満々に「特に規則性はないよ」と答えた。すると、「やっぱりそうだと思った。もう少し考えてからファイル買った方がいいですよ。色で分類するとか、全部青っぽくするとか、そのほうがスマートに見えると思いますよ」という言葉が返ってきた。「ええー、考えたことなかった」と私。確かにS君の棚はスッキリと統一された色のファイルがスマートに並んでいた。私はリスペクトされるどころか、やんわりとカラフルファイルの並べ方をたしなめられたというわけだった。
しかし、「スマートではない」と言われたこと自体はまったく気にならず、むしろ誉め言葉くらいに感じていた。なにせ「混沌が好き」というタイプなので、我が意を得たり、と嬉しくなったほどだ。
付箋がカラフルなのも楽しくて好きだが、色を使い分けて貼ったりはしない。とにかく好きな色を貼るので、脈絡なくカラフルになっていく。デジタルのスケジュール帳の項目の色分けも最初はルールを決めていたはずが、途中からどれがなんだか、という感じなので、S君に見つかったらまた注意されてしまうだろう。ペンの色の使い分けは辛うじて青は大学関係、赤は会議関係、緑はプライベートと分けているのだけれど。
カラフルな本棚のながめ
ユザワタヌキ文庫もしかり。S君のアドバイスを素直に受け入れて、しばらくは青っぽいファイルを選ぶようにしてみたものの、しばらくするとまたカラフルなラインナップに戻ってしまった。ユザワタヌキ文庫の本棚も自宅の本棚に負けないくらい、いろいろなものが並んでいる。しかも、並べ方が独特らしい。
先日足を運んでくれた編集者のAさんが、「並べ方が独特ですね。研究室の本棚で面陳してあるの、初めて見ました」と笑っていた。「面陳」とは本の表紙を見せるように並べる「表紙陳列」という主に書店、出版界隈の人が使う用語だ。ユザワタヌキ文庫は貸本屋であるからして、「おススメの本を面陳しているんですよ」と言いたいところだが、実はそうではない。締め切りが迫っている原稿のテーマや、今から考えようとしている研究対象がいつでも目に入るようにという「備忘録的陳列」として私は面陳を駆使している。本棚のながめがそのまま今の私の頭の中の状況と、取り組んでいる仕事の内容を表している、という仕組みだ。
あるいは、あれこれとジャンル横断的に見える本棚のながめ自体が刺激になって、「あ!」と何かに気づかされて新しいテーマが生まれる時もある。あれは以前、まだ会ったこともない編集者Rさんから「森崎和江について論考を書いて下さい。ユザワさんならきっと書けるはずです」と依頼のメールが届いた時のこと。そんな無茶な、と思いつつ自分の本棚を眺めてみると、あちらにもこちらにも森崎和江の作品があることに気がついた。それを目で追って繋ぐと、まるで混沌とした闇夜に浮ぶ星座のように見えたときの感動は忘れられない。私の無意識の層にたゆたう混沌の中には、いくつかの秩序があるらしい。この一件では、本棚のながめに教えられ、「書ける」と確信し、そして実際に書くことができた(1)。
それにしてもRさんの勘の鋭さはどこからきたんだろうか。私はそれまで公には一度も「森崎和江」について語ったり書いたりしたことがなかったというのに。しかもRさんは私の本棚を見ていないのだから、つくづく不思議だと思った。編集者こそが、混沌とした著者の作品群、言葉、あるいはふるまいの中から埋もれた原石を見つけ出す名人なのかもしれない。アフリカの広大な砂漠の中で水の出所を占う名人がいると聞いたことがあるが、編集者という人たちはきっと、それと類似の能力を持っているに違いない、などと思うのである。
雑談で雑念を育て、雑多な雑文を書く
「混沌」に並んで、「雑」という言葉や世界も好きだ。たくましく、おおらかで、洗練されていないモノやコト。ユザワタヌキ文庫の本棚は混沌かつ、雑多だ。とはいってもゆるやかなまとまりは一応ある。小さなマグネットに書いて本棚に貼っているのは「地理学」「女性」「家族」「織物」「地場産業」「農業史」「経済史」「食」「環境史」というキーワード。それはそのまま、私の研究の足あとを示しているようでもある。織物産地の歴史地理学から始まって、家族社会学を応用しながら経済地理学を再考し、農業史に目を向けるようになって経済史へと展開し、経済史の再検討の中で食や排泄について考えるようになって環境史にも出会った。研究が混沌かつ雑多だと言われることがままあるが、私にとってはそれもまた、嬉しい誉め言葉だ。
「地理学」に軸足を置きつつ、史料や人、テーマや職場との出会いに導かれるまま、風に吹かれるままに雑談を楽しみ、雑念をたくさん育てる。その中から見えてきたものを、ジャンルや文体にこだわり過ぎず、雑多で多様な場所に足をのばして、道草を食いながらのびのびと雑文を綴る。そんなことをする場所は、やっぱり混沌に満ちていて欲しいなと思う。
とはいえ、ユザワタヌキ文庫は人が入れないほど混沌としているわけではないのでご安心を。壁一面の本棚やデスク周りは賑やかだとしても、座る場所はいくつもあるし、真ん中に置いた大きめのテーブルの上は、ラオスで手に入れた手織りの布がセンタークロスとして敷かれているだけのシンプルな佇まいだ。そこでゆったりとお茶を飲めるようになっている。
いや、しかし、よく見るとここにも小さな混沌が・・・。テーブルの上には学生たちや訪問者たちが自由に食べては入れ替えていく「とりかえっこ菓子鉢」がのっている。小さな混沌の共有地。菓子鉢には予測不能、予定調和を逸脱した楽しい混沌がにぎやかに盛り付けられ、今日もまた、次なる訪問者を待っているのである。
(1)湯澤規子「闇を照らす光の位相:社会と歴史の認識をめぐって」『現代思想』50(13)、2022年、289-298頁。




