本のこぼれ話

第2回

「forget you not」北野新太

2018.06.23更新

2017年12月の発売以降、熱い支持をいただいている将棋ノンフィクション『等身の棋士』(北野新太著)。先日、編集部にお電話をくださった読者の方も、「今、3回目を読んでいるけど、やはり素晴らしいね」と仰ってくださいました。今回、著者の北野新太さんから「これは書かねば、という勝負があります」と連絡をいただき、急遽寄稿いただきました。どうぞお楽しみください。

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 彼女には日課がある。

 8年前から続いている習慣は年賀状を見つめること。

 額装して自室の壁に架けた一枚には、切なる想いが記されている。

「強くなれ 強くなれば道が開ける」

 文字を見つめることで、彼女は明日へと歩み出す。

 6月13日、徳島市で行われた将棋の第29期女流王位戦第4局で挑戦者の渡部愛女流二段が里見香奈女流王位を下し、対戦成績3勝1敗で初タイトルの女流王位を獲得した。

 里見は女流全六冠のうち五冠を保持し、過去35回のタイトル戦を31回制した絶対王者で、渡部は大舞台に登場することさえ初めてだった。

 誰も予測しない結果だったが、私には幾分かの予感もあった。渡部が己に課していたのは尋常ではない領域の努力だったからだ。

 開幕前、渡部は私に言った。「ようやくスタート地点に立てた気持ちです」。朗らかさはいつもと変わらなかった。「私には失うものが何もありませんので」

 1993年、北海道帯広市で生まれた。

 雪深くなる冬の間、スピードスケートを滑ること以外は室内で遊ぶしかなかった小学2年の時、将棋と出会った。「担任の先生が教えてくれて、回り将棋から始めたんですけど、とっても面白かったんです」。ルールを覚えた日から、冬は退屈な季節ではなくなった。

 中学からアマチュア女流棋戦で頭角を現した。

 同じ北海道出身で、女流棋界の歴史に名を刻んできた中井広恵女流六段が主宰する私塾「中井塾」に通った。

 将棋に取り組むため、札幌に転居した。

 高校卒業後に上京した。

 初代代表理事を務める中井を慕い、日本女子プロ将棋協会(LPSA)に所属した。日本将棋連盟から分離独立した女流棋士たちによって組織された団体で夢を追い始めた。

 2012年、LPSAの独自規定をクリアし、団体として初の新人女流棋士になったはずだったが、日本将棋連盟はLPSAの規定を資格として認定しなかった。叶えたはずの最初の夢は、叶えることの出来ない夢だった。

 団体間の問題が伝えられる度、一切の非がないにも関わらず、必ず名前が記された。

「正直つらい時期もありましたし、将棋を辞めたいとも思いました。でも・・・気がつくと盤に向かって指していて、将棋を捨てることはできませんでした。他に何の取り柄もないし、やっぱり好きなんですね」

 翌年、日本将棋連盟は特例で渡部を女流棋士として認定した。

 困難を迎えた時、あの言葉が支えてくれた。

 高校を卒業して上京する直前の2010年正月、恩師である新井田基信さんから初めてもらった年賀状だった。

 早大時代に学生名人になり、アマチュアとしてアマ竜王戦準優勝など活躍を続けながら北海道将棋連盟常務理事として道内の将棋普及に尽力した新井田さんは同年2月に48歳で急逝した。少年の頃に棋士を志した新井田さんにとって、渡部は自らの夢を託した最後の弟子でもあった。

 人は二度死ぬ。

 一度は、命を失った時。

 もう一度は、命を失った人のことを、生きている人々が一人残らず忘れてしまった時。

 新井田さんは渡部の中に生き続けている。

 無数の励ましの声とともに。

 強くなれ 強くなれば道は開ける。

 決戦を目前にした渡部は「今でも毎日見てますよ」と笑っていた。

 強くなり、道を開き、そして勝った。

 勝つことが彼女の出した答えだった。


プロフィール

北野 新太(きたの・あらた)
1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌『SWITCH』で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。著書に『等身の棋士』『透明の棋士』(ミシマ社)がある。

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tomei_shoei.jpg『透明の棋士』北野新太(ミシマ社)

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