本のこぼれ話

第7回

絵本編集者、担当作品本気レビュー②「絵本の優しさ、消えないおばけ」

2022.10.24更新

2022年10月、画家・イラストレーターとして活動するみなはむさんによる初の絵本『よるにおばけと』を刊行しました。勢いのある色や筆致がとても心地よく、少ない言葉が読む人それぞれの心にそっと寄り添う内容で、いまの時代にこそ多くの人に読まれてほしい一冊です。装丁はtentoの漆原悠一さんに手がけていただきました。漆原さんには、半年に一度発刊している雑誌『ちゃぶ台』や後藤美月さんの絵本『おなみだぽいぽい』、9月に発売となった伊藤亜紗さんと村瀨孝生さんの往復書簡『ぼけと利他』など、ミシマ社から刊行した数々の本のデザインを担当いただいています。そしてこの本の編集は、以前、網代幸介さんの絵本『てがみがきたな きしししし』でもご一緒した、絵本編集者の筒井大介さんにお願いしています。『てがみがきたな』の刊行後、いちから企画をし、作者とともに伴走してきた筒井さんだからこその視点でぜひ作品のレビューを書いていただけませんか? とお願いしたところ、とにかく届いた文章の熱さがすごい・・・!!!(当時の記事はこちらから) どういうことを考えながら絵本をつくっていたのか、ぜひ本そのものと合わせて読者にお届けしたく、今回も筒井さんに「担当作品本気レビュー」をご寄稿いただきました。(ミシマガ編集部)

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「なんて優しい絵本なんだろうか......筒井担当絵本史上、優しさランキングナンバーワンや......」完成したての画家・みなはむさんの初絵本『よるにおばけと』をめくりながら、独りごちる。一体何を言い出すのかと思われるかも知れないが、こちらは大真面目だ。ラフを作りながら、出来上がりつつある絵を見ながら、デザイナーから上がってきたレイアウトを見ながら、色校をチェックしながら、何度もそう思った。みなはむさんの絵とそこにある優しさを道しるべにして『よるにおばけと』の完成まで伴走した。

 この何年も、ずっと「優しさ」について考えている。「優しさ」とは何だろうか。絵本を、「子どもの本」を作るにあたり、これからは「優しさ」がより大切になると思うのだ。こんなことを言うと「そもそも絵本って優しいものじゃないか」という声が聞こえてきそうだ。もちろん、優しい絵本は世の中に数え切れないくらい存在している。大人たちが、これからを生きていく子どもたちのために、ありったけの希望を込めて提示した様々な名作の数々。それらがどれほど子どもたちを励まし、寄り添い、背中を押してきたか。絵本を作ることを生業にしている自分も少しはわかっているつもりだ。

 絵本を読んで取り残されたような気持ちになることはないだろうか。孤独や劣等感を抱えた主人公が、新たな出会いや経験を通じて、何かを乗り越え、成長する。その結果、これまでよりも自分の気持ちを表現出来るようになったり、新しい友達が出来たり、少し大人になったりする。様々に形を変えて、多くの作家によって描かれてきた、絵本の王道といっても良い物語のかたち。沢山の子どもの背中を押し、勇気づけてきたことに疑問を挟む余地はない。わかってる。わかってるんだけど「でもなぁ......」と煮え切らない自分がいる。

 何らかの劣等感を抱えていたり、自分の気持ちを表現することが苦手だったり、周りに馴染めずに「自分は独りだ」と感じていたり、家にも学校にも居場所がなかったり、そんな子どもたちが沢山いると思う。かく言う自分もそんな子どもだったし、大人になって様々な経験をし、沢山の人に会う中で、ある程度上手く折り合いをつけながら生きてはいるが、今でもふとした拍子にあの頃の自分が顔を出すことがある。

 そんな自分にとって「成長」や「克服」を描くある種の絵本は、読んで「良かったね」とは思うが、一方で「これは自分の物語だ」という気持ちで読むことが出来ないのだ。孤独な主人公に自分の気持ちを乗せて読み進めていたら、最後には何らかの困難を乗り越えて成長する。友達が出来たり、自分の気持ちが言えるようになったりする。それに勇気づけられる人も沢山いるとは思うが、一方で少しさびしさを感じることもある。絵本で成長や克服を描かないでほしいと言っているのではない。ただ、変われない、乗り越えられない、どこにも居場所がない、そんな子どもたちの寄る辺ない気持ちに丁寧に寄り添った上で、それが描かれていると良いなと思うのだ。

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 そんなことを悶々と考えながらツイッターを見ていたある日、誰かのリツイートで流れてきた絵の画像がなんだか気になって、その絵を描いた人のアカウントを覗いてみた。どうやら「みなはむ」さんという画家らしい。リンクされていたWEBサイトにアクセスして絵を見てみたら、一瞬で心を掴まれてしまった。

 描かれるのは日常の、本当に何気ない風景なのだが、妙に惹かれて目が離せない。音や匂い、湿度を感じ心がざわつく。そのざわつきは決して嫌なものではなく、むしろ安心感を覚えている自分に気づく。日常の風景を描く画家は沢山いるが、こんな感覚は初めてだ。「なんだろう、この感じは」と言語化出来ない感情にとらわれながら、次々にサムネイルをクリックする。見れば見るほど不思議な絵だ。何気ない日々の中の、なんでもない瞬間になぜこんなにも心惹かれるのだろうか。気になるのが、時に「生々しい」といっても良いくらいの筆致で描かれる植物の存在感だ。それは、絵の中で静かにただずむ人物が内包する気持ちの揺らぎを示唆しているのだろうか。だから見ていると心がざわつくのだろうか。そうやって見続けて、気づけば一時間くらい経っていた。もうその頃にはすっかりみなはむファンだ。

 みなはむさんの絵を見ていると、「懐かしい」という感覚を覚えることがよくある。自分の中の、忘れてしまった記憶にそっと触れられているようで、たまらない気持ちになる。絵の中に描かれる、夜に自転車で買い物に出た時の空気の匂いを、冬枯れの河原を吹き抜ける風の音を、少し前を歩く友達の背中を照らす月の光を、自分も知っているような気がする。何気ない日々の中の些細な瞬間。そこにあった心の揺らぎ。その殆どを僕らは忘れてしまうけれど、みなはむさんの描く絵は、そんな記憶を思い出させてくれるのかも知れない。決して楽しい思い出ばかりでなく、もう消えてしまいたいと思ったこと、自分は何も出来ないし何者にもなれないと無力感にさいなまれたこと、どこにも居場所がないなと思っていたこと、時が経ち成長する中で徐々に薄れていった感覚を思い出したりもする。でも、それで決して嫌な気持ちにはならない。

 ここで話ががらっと変わる。古典落語に「たちきり」というネタがある。長くなるので内容は割愛するが、落語家の立川談春が口演する「たちきり」のなかにこういう台詞が出てくる。「人はね、いいことも、悪いことも、忘れなきゃ生きていけないの」。取り返しのつかないことに直面した男に、お茶屋の女将さんが掛ける言葉なのだが、これは逆説的に「忘れられない」からこそ「忘れなさい」と言っているのだと僕は解釈している。さらに話は飛ぶ。「マンチェスター・バイ・ザ・シー」という映画の中で、悲劇的な過去から立ち直れない男が、昔の結婚相手に泣きじゃくりながらこういう。「乗り越えられないんだ」。

 絵本を作る時、僕はこの2つの場面を何度も思い返す。絵本は多くの場合、32ページで出来ている。主人公が様々な経験をし、その中で成長をしていく様子を、その限られたページ数で描こうとする時に、ともすると、主人公が急激に成長したり、何かを乗り越えたりしたように感じてしまう。絵本は良くも悪くも、主人公の成長をわかりやすく描きやすい形式と言えるし、往々にして、主人公が何かを乗り越え、成長をすることを求められるメディアだとも言えるかも知れない。それは主な読者対象が子どもだ、ということも関係しているだろう。

 しかし、実際はどうだろうか。少なくとも自分は子どもの頃から「何かを乗り越えた」とか「成長した」という手応えを得たとしても、次の日には「やっぱり自分は何も出来ない」とか「少しも変わっていない」と思って落ち込んでしまったりすることがよくある。同じ失敗を何度も繰り返し、「こうならなきゃいけない」と頭ではわかっていても、どうしてもそうすることが出来ない自分にいらだったりもする。その度に、人ってそんなに変わらないんだよな、と思う。子どもの頃からずっと、こういう感覚を持っていて、それから逃れることが出来ない。なので、絵本の中で主人公が何かを乗り越え、成長する姿を見ると、物語がするりと自分の手のひらからすりぬけていくような気持ちになるのだ。自分は子どもの頃にあまり絵本を読んでこなかった。読んでもらってもなにかしっくりこなくてはまらないのだ。もしかしたら、「成長」を見るのがしんどいと無意識に感じていたのかも知れない。

 なので、先の落語と映画の2つの場面はとても印象に残っている。人はそう簡単に忘れたり出来ないし、変われないし、何かを乗り越えたりも出来ない。それでも続く日々を、ただひたすら生きる。そのことを見事に表現し、肯定したとても誠実な場面だと思うのだ。自分が作る絵本も願わくば、「乗り越えられないんだ」という気持ちのそばにいられるようなものであると良い、そう考えるようになった。

 ハレとケで分けるなら、みなはむさんは常にケを描く作家だ。何か象徴的な特別な瞬間、風景ではなく、何の変哲もない日々の中の営み。勿論嬉しいことも楽しいこともあるけれど、悲しいこと、嫌なこと、誰にも知られたくないことも沢山ある。生きているとそういう時の方が圧倒的に多いのではないだろうか。みなはむさんの絵は、何も言わず、そういう気持ちのそばにいてくれる気がするのだ。だから見ていて安心感を覚えるのだと思う。そういう意味で、本人にそのつもりがあるかはわからないが、とても「優しい」絵を描く作家だと思う。絵本における「優しさ」について悶々と考えている時に、不意に出会ったみなはむさんの作品にこんなにも心惹かれたのは、きっと自分が絵本に求める「優しさ」をそこに見たからなのかも知れない。

 そんなみなはむさんの作品の中に、おばけと人が二人でいる連作がある。日常の風景を描くことが多いみなはむさんの作品ではやや異色であるとも言えるこのシリーズは、本人によると「辛い時に寄り添ってくれるイメージで、私自身が苦境にあった時に描くことを思いつきました」というものであるらしい。当初、絵本を作るにあたりいくつかのプランがあったが、最終的に「おばけでいきましょう」ということになった。それは、僕自身が「辛い時に寄り添ってくれる」というおばけのイメージに惹かれたからなのだと思う。

 作中、夜に出かけることをためらい、「やっぱりかえろう」という少女に対し、おばけは「だいじょうぶだよ」と声をかける。「だいじょうぶ、ここにいるよ」「だいじょうぶ、いっしょにいるから」と。二人は人気のない街を、暗い森を、荒れる海を進んでいく。どんな状況でもおばけは「だいじょうぶだよ」と声をかけ続ける。少女の不安や逡巡に、ただ寄り添う。そうやって、たどり着いた「きらきらのばしょ」で、少女は「ねえ、こんなきもちはじめて!」と言う。「きらきら」はその場所の状況でもあると同時に、少女の気持ちを表しているのだろう。「おこられないかな」と夜の外出をためらった少女はきっと、いつも孤独で、不安を抱え、人の目を気にしながら暮らしていたのだと思う。暗い部屋で膝を抱え、夜をやりすごす。そしてそのそばにはずっと、おばけがいた。

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 冒頭でこの絵本のことを「優しい」と述べた。絵本における「優しさ」について考えた時に、現時点で自分が提示出来ることは「ただそばにいること」だと思っている。ただひたすらそばにいること。結局それしかないのではないかと。それぞれの中にある弱さや不安や孤独や逡巡は時に薄れたとしても、消えたりはしない。絵本のなかの少女も、今日は「きらきらのばしょ」にたどり着けたけれど、だからといって次は行けるかどうかは分からない。不安が勝って、たどり着けないかも知れない。だからこそ、夜が明けても、おばけは消えないのだ。

 そう、おばけは消えずに、きっとこれからもずっとそばにいる。解釈は様々あるだろうが、このおばけをある種のイマジナリーフレンドだとする。イマジナリーフレンドの性質には、それを作り出す人の内面にある不安やコンプレックスなどが反映されると考えるのが自然だ。それらを補完したり、癒やしたり、時に強調する存在がイマジナリーフレンドだ。そして、その抱えているコンプレックスが解消されたり、何かを乗り越えて成長した時に、イマジナリーフレンドは去っていく。必要なくなるのだ。この絵本の中で、少女は孤独と不安を抱えていると思われる。だからこそ、おばけはそばにいて「だいじょうぶだよ」と語りかける。そうして少女に寄り添い、二人は「きらきらのばしょ」にたどり着く。朝を迎え、本来ならおばけは消えていなくなってもおかしくはない。でも、おばけは消えない。だからこそ、この絵本はこんなにも優しいのだと思う。

 「きらきらのばしょ」に、今日はなんとかたどり着くことが出来たけれど、次はもしかしたら不安や逡巡が勝ってしまい、夜に出かけることすら難しいときもあるだろう。人はそんな簡単には変わらない。変わることができない。何かを乗り越えたと思っても、次の日には元に戻ってしまっているかもしれない。だからこそ、おばけはいつまでもそばにいて、何度でも「だいじょうぶ、ここにいるよ」と語りかける。

 子どもか大人かを問わず、生きていると様々なことがある。自分をとりまく世界が暗闇に包まれているような感覚を覚えることもあるかもしれない。自分は何者にもなれないと思うことや、いなくなってしまいたい夜もあるだろう。そんな時はこの絵本を開いてみてほしい。いつだっておばけが「だいじょうぶだよ」と語りかけてくれるはずだ。

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この本の取り扱い店舗や詳細を知りたい方は、下記ページをご覧ください。書店員さんからのコメントも掲載しています。

本について詳しく知る


プロフィール
筒井大介(つつい・だいすけ)
1978年大阪府生まれ。フリーランスの絵本編集者。野分編集室主宰。担当した絵本に『ドクルジン』(ミロコマチコ)、『こどもたちは まっている』(荒井良二)、『ぼくはいしころ』(坂本千明)、『ネコヅメのよる 』(町田尚子)など多数。『ブラッキンダー』(スズキコージ)、『オオカミがとぶひ』(ミロコマチコ)がそれぞれ第14回、第18回日本絵本賞大賞を受賞。『オレときいろ』(ミロコマチコ)が2015年度ブラティスラヴァ世界絵本原画展金のりんご賞受賞。編著に『あの日からの或る日の絵とことば3.11と子どもの本の作家たち』がある。水曜えほん塾、nowaki絵本ワークショップを主宰し、作家の発掘や育成にも力を注いでいる。

編集部からのお知らせ

『よるにおばけと』原画展を開催中です。ぜひ足をお運びください。

・nowaki(京都)
会期:2022年10月22日(土)〜11月7日(月)(来店事前予約制、期間中水曜・木曜定休)
場所:京都府京都市左京区新丸太町49-1

ご予約はこちらから

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今後の巡回予定

・子どもの本屋ぽてと(大阪)
会期:2022年11月16日(水)〜12月4日(日)
営業時間:火曜日〜金曜日 13:00〜19:00、土曜日・日曜日 13:00〜18:00 月曜定休
場所:大阪府大阪市中央区平野町1-2-1
※「未来屋書店 宮崎店」と同時期開催です。

・未来屋書店 宮崎店(宮崎)
会期:2022年11月16日(水)〜12月4日(日)
営業時間:10:00~21:00(年中無休)
場所:宮崎県宮崎市新別府町江口862-1 イオンモール宮崎2F
※「子どもの本屋ぽてと」と同時期開催です。

・タコシェ(東京)
会期:2022年12月17日(土)〜12月30日(金)
営業時間:12:00~20:00(水曜休)
場所:東京都中野区中野5丁目52−15

以降もつづきます。詳しくはミシマ社ホームページをご覧ください。

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