本のこぼれ話

第6回

声に出して読みたいウクライナ語

2022.03.26更新

 こんにちは、ミシマ社から『声に出して読みづらいロシア人』という本を発刊いたしました松と申します。
 2022年2月、そのロシアが突然ウクライナに戦争を仕掛け、今もまだ戦闘状態が続いています。
 どちらの国も言語も好きな私にとっては、正直、いたたまれません。

 ウクライナ語については少しかじった程度の知識しかありませんが、ロシア語と似てはいるけれど、実際には全く違う言語と言っていいと思います。
 テレビでもよくウクライナ語の地名や人名が取り上げられていますが、「ハリコフ」と「ハルキフ」など揺れが生じているのは、前者がこれまで慣用的に使われてきたロシア語読みなのに対し、後者がウクライナ語読みだからです。

 ウクライナの地名や人名はやっぱり、ウクライナ語で読みたいところです。
 そこで、「声に出して読みたいウクライナ語」として、ぜひウクライナ語で読みたい人名や地名をご紹介したいと思います。

4a7f6fd755649b8d521c.png『声に出して読みづらいロシア人』松樟太郎(ミシマ社)

声に出して読みたいウクライナの地名NO.1「キーウ」

 ウクライナ語とロシア語にはいくつかの明確な違いがありますが、中でも特徴的なのが、語末のv(キリル文字だとв)を、ウクライナ語では「ヴ」や「フ」ではなく、「ウ」と読むこと。その代表が首都キーウ(キエフ)で、キエフはロシア語、ウクライナ語ではキーウです。
 私はこの「キーウ」という響きを聞くと、なんとも優雅な、ティータイムのような印象を受けます。
 子音が母音化するのはどんな言語でもしばしばある現象で、英語のappleなども、もはや最後のlは限りなく「オー」の発音に近くなっています。フランス語でもlleを「ユ」と読んだりします。ミルフィールと書いてミルフィーユと読む、あれです。
 日本語でも、関西では「よく」が「「よう」になったりと、やはり子音の母音化が行われています。そういえばキーウの姉妹都市は京都です。
 私がキーウに優雅なイメージを持つのは、ミルフィーユや京都に引きずられているのかもしれません。ティータイムが似合う古都というイメージにふさわしい状況にキーウが早く戻ってほしいと、つくづく思います。

声に出して読みたい有名なウクライナ人NO.1?「シェウチェンコ」

ひょっとすると数カ月前の時点で、世界で最も有名だったウクライナ人は、「シェフチェンコ」だったかもしれません(今は何といっても「ゼレンスキー」、ウクライナ語では「ゼレンシキー」でしょう)。ACミランなどで活躍しバロンドールも獲得、ウクライナ代表監督も務めた超有名サッカー選手です。シェフのフはキエフのフと同じですから、ウクライナ語だとシェウチェンコになります。
 ちなみにウクライナにはもう一人、著名なシェウチェンコがいます。それがタラス・シェウチェンコ。19世紀に活躍した詩人・画家で、当時ロシア帝国の支配下にあったウクライナで、ウクライナ語による作品を発表し続けました。ただし、その活動を危険視され、逮捕され流刑に。今でも非常に高い評価を受けており、現代のウクライナ語文学の基礎を作ったといわれる人物です。
 ちなみに「チェンコ」あるいは「コ」が最後につく名前はウクライナらしい苗字の代表。ロシア人にも多いのですが、ウクライナにルーツがある苗字だと考えられます。

声に出して読みたい意外なウクライナ人? 「ホーホリ」

 ウクライナ語の特徴というか、ロシア語との違いとして、「g」の音があります。
 普通、ラテン文字の「g」の音はキリル文字の「г」に置き換えられますが、ウクライナ語ではこの文字が「ガ」行ではなく、「ハ」行の音となります。より正確にはもうちょっとのどの奥のほうから「ッハ」という感じで発音します。さらに喉の奥から「グハッ」という感じで発音するハの音(х)もあるので、少々ややこしいです(ちなみに「ガ」行は「ґ」という、先っちょが天に向かって突き上げられたような文字を使います)。
 ウクライナ東部にウクライナ語でルハンシク、ロシア語でルガンスクと呼ばれる街がありますが、まさにこの「г」の読み方の違いがよくわかります。
 そして、この文字を思い切りぜいたくに使ったウクライナ出身の著名人がいます。それがニコライ・ゴーゴリ。帝政ロシア時代の作家で、多くの作品をロシア語で発表したためにロシアの作家とされますが、出身はウクライナです。
 ある日自分の鼻がなくなって街中を歩き回っているのを見かける『鼻』や、外套を盗まれた役人の霊が人の外套を奪おうとする『外套』など、なかなかに狂った小説で知られています。
 ゴーゴリはロシア語読みで、ウクライナ語では「ホーホリ」となります。どうでしょう、なんだか印象が変わりませんか。
 ゴーゴリだとゴリゴリに押しの強い印象があるのに対して、ホーホリだと何となく思慮深い印象になります。「ホーホ」=フクロウの鳴き声、というイメージに引っ張られている気がしますが。

 ホーホリは前述のシェウチェンコと同時代の人でした。ただ、シェウチェンコがウクライナ語での著作にこだわったのに対し、ホーホリはウクライナを愛しながらも、ロシア語で書き、ロシア語で表現するべきだと主張した人物でした。
 このウクライナ出身の二人の文豪の対極的な姿勢からも、今に至るウクライナとロシアの複雑な関係が垣間見える気がします。

声に出して読みにくいウクライナ人 「ヴァスィリキーウシクィイ」

 ロシア系の名前にはやたらと長いのが多いとよく言われますが、これはスラヴ系全体の特徴でもあり、個人的にはポーランド人の名前こそが、長い名前の頂点だと思っています。「クファシニェフスキ」「イェンジェヨフスカ」「スクロヴァチェフスキ」「コシチュシュコ」など、長くて魅惑的な名前が満載です。
 地理的にポーランドに近いからかどうかはわかりませんが、ウクライナ人の名前の長さもなかなかのものです。一人紹介しましょう。セルヒーイ・ヴァスィリキーウシクィイ。18世紀に活躍した画家で、ウクライナの自然や農村を描いた作品で知られます。また、当時はウクライナにまだ色濃く残っていたコサックの文化を題材にした絵も多く、その現代的でありながら古風な独特のタッチはとても印象に残ります。
 目を引くのは何といっても、末尾の「クィイ」でしょう。どうやって発音するんだ、という話ですが、実はこれ、ロシア語によくある「○○スキー」という名前と、基本的には一緒。最後の「キー」「クィイ」の部分は、スペルも全く同じ「кий」。ただ、ウクライナ語では「и」の文字の発音が「イ」ではなく、ちょっと舌を引いた「ゥイ」という感じの音になるので、日本語ではこう表記せざるを得ないのです。
 ただ、おそらくウクライナ語もロシア語も知らない人は、「キー」「クィイ」も、どちらも同じく「キー」と聞こえると思います。

声に出して読みたいウクライナ文字 「і」

 こんな形で注目されるのは不本意ではあるのですが、最近、ウクライナ語やロシア語をテレビで見たり聞いたりする機会が圧倒的に増えています。
 文字については、同じキリル文字を使っていることもあり、どちらも同じように見えるかもしれませんが、書かれている文字がウクライナ語かロシア語を見分ける、とても簡単な方法があります。
 それは、「і」を探すこと。点が二つの「ї」と書かれることもありますが、どちらもそのまま「イ」と読みます。ラテン文字と同じなのでわかりやすく、かつ使用頻度が高いので見つけやすいのですが、この文字は現代のロシア語にはありません。ということで、この文字があれば「あ、ウクライナ語だ」となるわけです(ベラルーシ語の可能性もありますが)。
ちなみにウクライナ語で、ウクライナは「Україна」と書きます。ロシア語ではУкраинаですから、5文字目が「ї」か「и」か、このたった一文字しか違わないわけです。
 でも、だからこそ、この一文字に私はウクライナの気概のようなものを感じます。あるいは、たった一文字しか違わないことに、相争うことのむなしさを感じます。

 戦争の早期終結を、心から願います。


プロフィール

松樟太郎(まつ・くすたろう)
1975年、「ザ・ピーナッツ」解散と同じ年に生まれる。ロシア語科を出たのち、生来の文字好き・活字好きが嵩じ出版社に入社。ロシアとは1ミリも関係のないビジネス書を主に手がける。現在は、ビジネス書の編集をする傍ら、新たな文字情報がないかと非生産的なリサーチを続けている。そろばん3級。TOEIC受験経験なし。著書に『声に出して読みづらいロシア人』(ミシマ社)、『究極の文字を求めて』(ミシマ社)がある。

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