本のこぼれ話

第8回

絵本編集者・筒井大介さんが選ぶとっておきの3冊

2022.12.03更新

 こんにちは。ミシマガ編集部です。
 今回は10月にミシマ社より刊行した絵本『よるにおばけと』の編集をしてくださった絵本編集者・筒井大介さんに、これまで編集を担当された本のうち、とっておきの3冊をご紹介いただきました。
 これまで筒井さんとは『よるにおばけと』(みなはむ・作)と『てがみがきたな きしししし』(網代幸介・作)の2冊を一緒に作ってきたのですが、本ができたあとに書いていただいた、それぞれの作品への「本気レビュー」(こちらからお読みいただけます)がとっても面白く、ぜひほかの本についても制作の裏側と本の魅力を語っていただきたいと思い、ご寄稿をお願いしました。
 ところで、"作""絵"などを手がける「絵本作家」は耳にすることがあっても、「絵本編集者」と聞くと実際のお仕事ではどんなことをしているのか、あまりなじみがない方もいるかもしれません。筒井さんの仕事や絵本の編集者になった経緯については、以前インタビューをした記事がありますので、ぜひこちらをご覧ください。

筒井さんのインタビュー記事はこちら

「絵本」というと、子どもが読むもの、子どもと一緒に読むものというイメージが強く、大人になるとなかなかひとりでひらく機会が減ったという方がいるかもしれませんが、筒井さんのお話を聞いていると、もしかしたらそんなこともないのかも、と思います。絵本を編集する方から見えているものはわたしたちの絵本に対するイメージとはすこしちがって、楽しみ方や発見が全然変わってきそうです。ぜひお楽しみください。


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荒井 良二『こどもたちは まっている』

 長新太さんへのオマージュを、というところからスタートした絵本です。長さんは自分が絵本にのめり込むきっかけとなった作家で、なくなって今年でもう17年が経つのですが、絵本の世界での「長新太」の不在、というのが自分の中でとても大きいと感じているのです。なので、改めて自分の中でも「長新太」という作家を捉え直したい、ついては長さんを敬愛してやまない荒井さんと一緒に、長さんへのオマージュを捧げる絵本を作りたいと考えたのでした。
 その投げかけに対し、荒井さんは、その絵本を読まなかったら自分も絵本を描いていなかったという、長さんの『ちへいせんのみえるところ』へオマージュを捧げる絵本、という形で応えてくれたのでした。それがこの『こどもたちはまっている』です。

『ちへいせんのみえるところ』は、ナンセンス絵本の王様と言われる長さんの作品群の中でも極北ともいうべき絵本で、僕も最初に見た時に「なんだこれは......!」とぶっ飛ばされたとんでもない傑作です。テキストは「でました」のみ。その言葉とともに、画面に描かれた地平線に人の顔や、船や、お花が出てくる。それだけ。なんだかわからない、なのに面白くて何度もめくってしまう。

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 ここで登場する地平線は、長さんの絵本表現の根幹をなすもので、長さんの絵本の大部分はこの「でました」の構造が基本になっていると言えます。荒井さんはこの「地平線」と「でました」に目を付けたのです。それを荒井良二が表現したらどうなるか。「でました」は逆の見方をすると「まっている」ですよね。地平線から「でました」と登場するものを、読者は「まっている」と言えます。そういうところから『こどもたちはまっている』は生まれたのでした。

 画面の中には、それぞれ「地平線」に相当する基底線が描かれ、そこに子どもたちが待っているものが登場する、という構造になっています。長新太の地平線を、自分の絵本の中に持ち込んだわけです。

 そして、もうひとつ。「待つ」というの荒井さんが絵本の中で繰り返し描いてきたモチーフでもあります。『バスにのって』はタイトルこそ「のって」とありますが、結局バスを待ち続ける絵本ですし、『はっぴぃさん』は子どもが「はっぴぃさん」が出てくるのを待つお話です。荒井さんは「待った結果、得られるもの」よりも「待つ」という行為そのものを大切に考えているのではないでしょうか。「待つ」ということそれ自体が希望なのではないかと。それは荒井さんの作品の中に通底しているように思えます。

 長さんといえば「ナンセンス絵本」で、最初は「ナンセンス絵本を作りましょう」みたいな話をしていたのですが、荒井さんはさらに深いところで「長新太」という存在を捉え、そこで感じたことを自分の表現に転化したのです。『こどもたちはまっている』の構想を聞いたときに「そうきたか......!」と驚くと同時に、荒井良二という作家の凄さをまた思い知ったのです。なのでこの絵本を読んだ方は、ぜひ『ちへいせんのみえるところ』も読んでみて下さい。ふたつの絵本の世界を行き来するうち、「でました」と「まっている」をつなぐ、一本の「ちへいせんがみえるところ」に、自分が立っていることに気づくでしょう。

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ミロコマチコ『オオカミがとぶひ』

 ミロコマチコさんの絵本デビュー作。
 ミロコさんといえば「動物」というイメージがあると思います。でも、動物を描く他の作家との決定的な違いは、ある動物をその動物そのものとして登場させない、ということだと僕は思っています。
 ミロコさんの絵本において、動物たちは自然の中の人智を超えた気配、エネルギーを象徴する存在として登場し、それはこの絵本以降もずっと一貫しています。それが絵本を作る人としてもミロコマチコの大きな特徴だといえます。

 この『オオカミがとぶひ』に登場する動物たちは、ある自然現象を引き起こす存在として描かれますが、少なくとも自作絵本において、ある動物をそれそのものとして登場させることは殆どない気がします。それはなぜでしょうか。

 ミロコさんはよく「生き物になるために」と言います。それはきっと、もっと自然に近づいて、その力を感じ、一体になりたい、ということなのだと思うのです。
 ミロコさんは「動物」というモチーフの力を借りて、自然の力を体感し、自分の中に取り入れるために、日々沢山の動物を描き続けてきました。そして、奄美の自然に惹かれ、移住する頃から、いわゆる皆が知っている動物が登場することが減っていきました。
 かわりに描かれるのは、見たこともない生き物たち。より自由な形と色。既製の絵の具だけでなく、泥染めなども駆使して描かれるそれらの作品群には、もう僕らの知っている動物は登場しません。
でも、誰も見たことのないものが描かれているはずなのに、そういう存在が本当にいるという気がしてくるから不思議です。

 ミロコさんは「動物」というモチーフに出会い、「生き物になるために」自然の力を感じながら絵を描き続けるうちに、いつしかその感覚はどんどん鋭敏になり、それが奄美の自然の奥深さと出会うことでさらに磨かれ、僕らの目に見えない、でも確かにそこにいるものを描きだすようになりました。
 それまでは「動物」という自分が知っているものに託して表現していましたが、そのうちに、大いなる自然の力をより高い解像度を持って見て、感じることが出来るようになったことで、「動物」を描く必要がなくなったのかもしれません。既存の存在に託さずとも、ただそこにいる存在を感じて描けば良い。

 近年のミロコさんの絵には「力強さ」だけでなく、包み込むような優しさを感じるのですが、それは、ミロコさんがただあるがままを感じて描くようになっていることと関係があるのかもしれない、とも思うのです。

 絵と「対峙する」という感覚から「包まれる」という感覚。それはとても心地よく、僕らはミロコさんの絵に包まれて、この世界の豊かさ、奥深さに触れることが出来るのです。そうするうちに、僕らもほんの少しずつ「生き物」に近づいていくのかも知れない。ミロコさんの作品にはそんなエネルギーが宿っている。そしてその資質はデビュー作である『オオカミがとぶひ』にも既に現れているのです。そういう意味で、原点といえる作品です。

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町田尚子『ネコヅメのよる』

『ねこはるすばん』『なまえのないねこ』などの猫絵本で大人気の町田尚子さんが、初めて猫を主人公に作った絵本がこの『ネコヅメのよる』です。
 展覧会や画集のタイトルに『隙あらば猫』とつけるくらいに「隙あらば」猫を画面に登場させる町田さんに「そんなに猫を描きたいなら、いっそのこと猫の絵本を作りましょう、ついては愛猫の白木を主人公に」という話をしたのが始まりです。

 夜、猫がそうっと家を抜け出して向かう先には何があるのでしょう。
 タイトルにもなっているネコヅメとは。
 リアルなタッチで描かれる猫と、幻想的な夜の風景に見入ってしまいます。沢山の猫が大集合するクライマックスは圧巻ですよね。

 町田さんといえばそのリアルなタッチの絵が大きな特徴ですが、それを「絵本」という表現形式においてどのように活かすかもとてもよく考えられています。この絵本を見ても分かるように、構図のとり方がとても工夫されていて、俯瞰で取ったり、ぐっと寄ったり、猫目線で低い視点で描かれていたり、例えば映画のようなカメラワークで臨場感たっぷりに猫がネコヅメを見るために集まってくる様子を描き出します。見ていると、自分もその世界を体験しているような気持ちになりますね。

 これが単に横スクロールの平板な展開であれば、そこまで読者を引き込むことが出来ずに、クライマックスまで興味が持たないかも知れません。
 つまり、この映像的表現が、持ち味であるリアルな絵を活かしているのです。そしてそれが、絵本を作る人としての町田さんの大きな特長なのです。

 あと、この絵本のきっかけのお話をひとつ。
 白木を主人公にして猫の絵本を作るとなった時に、町田さんの頭の中にはあるイメージがあったそうです。それは、震災後に見た飯舘村の風景。町田さんは震災と原発事故で置いてけぼりになった猫の給餌活動のお手伝いで飯舘村を訪れたのですが、その時に、一緒に行った人が空に浮かぶ月をみて「猫の爪みたい」と言ったそうなんです。それがとても印象に残っていたということで、あの猫が集合してくる場面をイメージしたそうです。
 絵本には震災のことなど全く出てきませんが、しかし、そういう意味で震災がきっかけとなって作られた絵本といえるかも知れません。なので、この絵本の空は飯舘村の空でもあるのです。

 2011年からもう11年も経ちました。飯舘村の空を絶望的な気持ちで見上げた人がたくさんいるのかも知れません。まだ爪痕は残り、元通りに復興とはいきません。そんな中で、絵本は子どもの本である以上、なんとか先への希望を示さなければならないと思っているのですが、あの飯舘村の空を、猫たちがわくわくした気持ちで見上げる、それは絵本が提示出来うる一つの希望の形なのかも知れません。とてもささやかではありますが。

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最後にお知らせです!

現在みなはむさんの『よるにおばけと』の原画展を子どもの本屋ぽてと(大阪)さん、未来屋書店 宮崎店さんにて開催中です。
また12月中旬よりタコシェ(東京)さんにて原画展がスタートします。
ぜひお立ち寄りくださいませ。詳細はこちらから

子どもの本屋ぽてと(大阪)
会期:2022年11月16日(水)〜12月4日(日)
営業時間:火曜日〜金曜日 13:00〜19:00、土曜日・日曜日 13:00〜18:00 月曜定休
場所:大阪府大阪市中央区平野町1-2-1

未来屋書店 宮崎店(宮崎)
会期:2022年11月16日(水)〜12月4日(日)
営業時間:10:00~21:00(年中無休)
場所:宮崎県宮崎市新別府町江口862-1 イオンモール宮崎2F

タコシェ(東京)
会期:2022年12月17日(土)〜12月30日(金)
営業時間:12:00~20:00(水曜休)
場所:東京都中野区中野5丁目52−15

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