迷惑とワガママの呪いを解く方法迷惑とワガママの呪いを解く方法

第3回

同調性という文化の癖

2018.06.26更新

 前回の締めくくりに「私たちが信じている価値のありか」について触れました。それを明らかにして行く上で、引き続きベビーカー問題を例に考えていきます。

 満員電車に乗り入れるのは迷惑だと非難されるベビーカーです。では、これの占める空間はどれくらいかというと、大人にしてだいたい3人分くらいでしょう。けっこうな幅を取ると思う一方で、発車間際のベルに促されるようにして、車内に3人くらいが強引に乗り込んで来るなど、都内を走る通勤列車の風景としてごく当たり前に見られます。

 それに対して内心「汗ばんだ肌がくっついて嫌だな」とか「そんなにぎゅうぎゅう押さないでよ」と圧迫感に不快な思いはしても、乗り込んだ人に対して「迷惑とワガママ」を持ち出して明らかな非難はしません。多少不快で強引な振る舞いでも許されるのは、その行為の目的が通勤といった、社会的に価値のある「労働と生産性」にあるからです。

 社会が「当然」とみなす行為はさほど問題になりません。そこから逸脱した場合に迷惑という判断が下されます。そして「他人がどう思うか」への気遣いもなく物事が行われるとしたら、その人がワガママだからです。こうした捉え方が社会の原則となっています。

 原則というのは常識に基づいているので、誰もわざわざ問題にしません。いわば常識は数式です。そこに値を代入したら「迷惑」「ワガママ」と自動的に弾き出されるようなものなので、答えに目はいっても計算法そのものになかなか関心が払われません。

 深く物事を感じたり考えなくとも、自動的に自他の振る舞いについてラベリングされるのは、「社会的に許されるかどうか」を計算するアルゴリズムめいた固定観念が私たちに内蔵されているからです。そのひとつが労働と生産性への信奉にあるのは間違いないでしょう。

 それだけではありません。文化という習慣による癖も大いに影響を与えています。それは「みんな」との調和を重んじるといった、個人よりもシステムの方を優先し、協調性を大事にする考え方と言い換えられます。

 それにしても「文化が癖でしかない」と言われたところで、なかなか実感が持てないかもしれません。たとえば食事の際、箸でご飯を食べ、人と話すにあたって日本語を話すのは当たり前すぎるので、これが癖とは到底思えないでしょう。

 しかし、ナイフとフォークを使ったり、手づかみで食べる習慣を持つ人と接すれば、箸で食べるのもまた習慣でしかないことがわかります。外国人と話せば、母語はたまたま限定された環境で生まれ育ったから身についたのだということがわかります。癖は食事の作法や言語に限らず、ものの考えや生活観、身体観という意識できないところにも及んでいます。

 以前、フランス人に長期にわたりインタビューをしたことがあります。彼は折に触れて「イエスと言うのは他人への従属を意味する。ノーと言うこと。『私はそうではない』と言うことから人間の自由は始まるのだ」と話していました。皆さんも、ここにフランスと日本の文化の大きな違いを感じないでしょうか。

 特に印象に残ったのは、彼は社会を枠組みの決まったものでも、何が何でも従うべきものでもなく、あくまで動的なものとして捉えていたことです。いつだって変えることができる。だから、現状に対して「ノー」と言うのは、個人が社会を動かしていく上での原動力となるのです。

 彼はノーよりはイエスというのを良しとするのが日本の文化と頭では理解しつつも、滞在中に経験したイエスともノーともはっきりしない、成り行きの見えない会話の色合いに、しばしば納得しかねる表情を浮かべていました。私にすれば、面前ではっきりと「ノー」を告げる彼の態度に「気まずさを覚えないだろうか?」とか「生じた軋轢をそのたび解決して行くことにストレスを感じないのだろうか?」とつい思うようなものでありました。やはり自分が身につけた文化という癖からすれば、フランス人の振る舞いは過剰に見え、向こうからはこちらの態度が問題に見えるのです。

 異議を唱えるのは個性の証だし、意見の違いがあって当たり前だ。それこそが多様性を保証する。そういう考え方を常識とするフランスと比べると、この島では空気を読んだり、みんなとの同調性を重んじる文化がとても強いと言えます。そのことが良いように作用することもあれば、同調圧力として「出る杭は打たれる」というような、あまりハッピーではない状況を生み出す原因になりもします。 

 たとえば「こういうことが問題だ」と提示した時、その問題に着目し、「じゃあどうすればいいだろうか」と考えを出し合うのではなく、「ことさら問題にするおまえがおかしい」「生意気だ」とバッシングされたり、「調和を乱そうとするな」と異なる意見を口にすることそのものを咎められる。家庭や学校、職場で自身の考えを尊重されることも、耳を傾けられることもなく、端から拒絶されてしまった体験を誰しも持っているのではないでしょうか。それくらいこの社会における同調性は強いと言えます。

 そういう風土があるからこそポジティブな発想として注目されているのが、特に社会問題を解決する際に重視されているファシリテーションの発想です。

 何か問題が起きた時、それについて賛成や反対を表明し、どちらかの意見に相手を従わせるのではなく、新たなアイデアと技術で現状のシステムを変えればいいというものです。つまり問題の枠組み自体を変えてしまう。ベビーカーの乗り入れについて言えば、配慮やマナーの問題にするのではなく、優先スペースを設けた専用車両を作るとか、リモートワークを増やすなどの対応をすれば、通勤する人がストレスを感じたり我慢しなくてもいい。普段通りの振る舞いを変えることもなく、結果として異なる目的で電車を利用する人が棲み分けられるシステムを作ればいいというわけです。一人ひとりの認識を変えたり、道徳心に訴えて、ベビーカーに理解を示してもらうよりコストがかかりません。

 これなら出る杭は打たれないで済みます。結果としてうまくいくシステムが導入されたら心理的にも物理的にもストレスはかからず、今よりも快適で便利、楽な社会はもたらされます。しかも意見の異なる者同士が共存できる社会を実現できる。良いことづくめに思えます。

 その一方で「互いが何ら考えも態度も変えないままで共存できるシステム」が成功してしまうことに危うさを覚えもします。ただでさえ「みんな」と協調することが大事だとされているのに、考えも態度も行動も、つまりこれまでの慣習をまったく変えることなく、ただ結果がもたらされるとしたら? 私たちは異なる考えの持ち主について想像したり、思いを巡らせ、それに「迷惑とワガママ」以外のラベリングで向き合うきっかけをいま以上に失うことになりかねません。

 これまでの常識に則り「配慮」を通じて誰かの行為を非難するのは、まだ相手に関心を持っていると言えます。けれども、それすらもなくなって、知らないうちにシステムの導入により快適な環境を与えられてしまえば、私たちはますます「手を差し伸べる」という、とても単純な行動を通じて、誰かと言葉を交わし、人柄を知り、交感するといった関係性の持ち方を失ってしまいます。それこそが社会を成り立たせる信頼の礎であるかもしれないのに。

 より良い社会をデザインするためのシステムが互いの関係をいっそう切断することになりかねないのです。やはりどれほど素晴らしいシステムであっても、それを活かすには、まず私たちの内に育んだ価値観を洗い直す必要があるのではないでしょうか。

尹 雄大

尹 雄大
(ゆん・うんで)

1970年4月16日生まれ。フリーランサーのインタビュアー&ライター。これまでに学術研究者や文化人、アーティスト、アスリート、政治家など、約1000人にインタビューをおこなう。著書に『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)、『やわらかな言葉と体のレッスン』(春秋社)、『FLOW 韓氏意拳の哲学』(晶文社)など。
プロフィール写真:田中良子

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