迷惑とワガママの呪いを解く方法迷惑とワガママの呪いを解く方法

第7回

常識というコンセプトが持つ狂気

2018.11.15更新

 4月から始まった連載も半年を越えたので、みなさんとこれまでに綴ってきた内容を改めて振り返って共有しつつ、それを踏まえて新しい話題について考えていきたいと思います。

 ことの起こりは、巷の炎上騒ぎで必ずと言っていいほど耳にするようになった「迷惑とワガママ」という表現にどうにも引っ掛かりを覚えたところにありました。これらの言葉を持ち出して誰かを非難することが、なぜこれほどまでに力を持つようになったのか? この謎を解く上での手がかりとしたのが「ベビーカー問題」です。数年前から話題になっている、出勤時の電車内にベビーカーで乗り入れることは「アリかナシか」を巡っての論争です。

 このテーマについて考える上で私が指針としたのは、単純に賛成か反対かに組みさないということでした。むしろ「ベビーカー問題」に対して「迷惑とワガママ」とラベリングする感性とはどういったものなのか。また私たちが信じている価値、後生大事にしている信念とは何かについて考えてきました。その結果、明らかになってきたのは、みんなと同じ振る舞いを良しとする「同調性」という文化でした。それは良くも悪くもこの島の風土が育んできたものです。

 同調性を求めるといった、共感を他人に期待する慣習は、「みんなへの配慮が足りない」といった批判の仕方をとても自然なものとして私たちに感じさせます。

 けれども批判する際に「私」からの発信ではなく、なぜ「みんな」を根拠に持ち出すのか。そうやって自分の言い分を暗に伝えようとする背景には、自分の主張を控えて他人との違いを消しながらも、それでいて「私らしさを認めて欲しい」という承認への欲求がある。それが「隠された意図」として存在しているのだと指摘しました。

 率直に言わず、遠回しに訴える。謙虚な態度とも言えますが、一方でそれは常に萎縮する姿勢を取ることにもなってしまいます。自分の考えを際立たせるとどうなるか。出る杭は打たれます。数多くの否定された経験から骨身に染みて理解したのは、ともかく「みんな」に合わせておけば安全だという処世術でした。その結果、私たちは自分の感覚に基づいて話し、行動するという独自の歩みを止めました。なぜなら、みんなとの足並みを揃えないのは独善的でワガママなのだと自らジャッジするようになったからです。

 とは言え、「みんなに合わせなければならない」といくら自分に言い聞かせたところで、自らの感覚と考えを抑圧するのですから愉快なわけがありません。心の中では怒りが本人の自覚のないところで広がっていきます。

 ここでねじれが生じます。抱えた怒りを明らかにしては、みんなから迷惑と言われ、ワガママと非難されるので、世間の求める常識に従い、内側に抱えた鬱屈を抑えます。自分の感覚や思いが自分にさえ認められないのですから、ますます怒りは募ります。そうして徹底して自他にネグレクトされて傷ついたことによる怒りが向かう先はどこでしょうか。放埓な行動をしているように見える人です。私は我慢しているのに、なぜおまえだけ勝手気儘に生きているのだ。極めて個人的な怒りです。そうでありながら、「迷惑とワガママ」を用いると真っ当な批判だという風に装えます。その使い勝手の良さが「迷惑とワガママ」をはびこらせているのではないか。ここまでがこの半年で綴ってきた概要です。

 さて、これまで綴ってきた筋道を踏まえつつ、さらに考えていきたいのは「常識」についてです。常識で考えると非常識な考えや行動が「迷惑」や「ワガママ」をもたらしていると思えます。

 けれども既に述べたように、私たちの寄り掛かる常識が承認や自己肯定への飢えといった「隠された意図」、みんなへの配慮をもとに作られているのだとしたら、まともに受けあってばかりはいられません。

 なので、仮にこう考えてみます。「非常識だから迷惑でワガママなことをする」のではなく、むしろ常識が人の行動の細かいところまで口を挟んで「迷惑とワガママ」のレッテル貼りをやたらとしているのではないか。

 たとえば保育園で遊ぶ子供の声を「うるさい」「近所迷惑だ」と捉える感性の持ち主がいます。私にはスズメのようにピーチクパーチクとさえずるように聞こえて微笑ましく感じるのですが、そうではない人もいます。そういう感覚の違いを「人それぞれだから」で済ますのではなく、もう一歩進めて、幼な子の体から溢れる喜びが声になってしまう躍動そのものを「騒音」という概念で括り、デシベルだとか数値で表して、「客観的に考えてうるさい。正当性はこちらにある」といった具合に対応を迫るやり方が常識的な判断だとしたら、疑うべきは常識という名で語られている了見の狭さではないでしょうか。

 常識を攻撃に用いるとき、私たちは確実に何かがすり減る感覚を味わいます。「常識で考えたらわかるでしょう?」という尖った言葉はそれ以上、言葉を継いでいく気力を失わせるからです。出来合いの常識の範囲で考えるのではなく、それらの概念を広げる方に舵を切れば、互いにどうすれば心地よい生活ができるかという前向きな話もできるかもしれません。

 それに忘れるわけにはいかないのは、常識は日常からの逸脱を抑制する穏やかさであると同時に穏当さに釘付けにする狂気でもあり、常に二重性を孕んでいることです。みんなの依拠する常識に同調することをひたすら良しとするコンセプトは変化の拒否につながり、新たな出来事への挑戦を断念するように働きかけます。沈みつつある船に乗り合わせているのに「沈没するとは限らないのだし、むしろ船から出たら何が起きるか予測がつかない」「みんなの不安を煽るような非常識な言動は慎むべきだ」という考えに同調しないとき、それが「ワガママ」だと非難されるのであれば、その時の「みんな」はおそらく正気を保ってはいないでしょう。

 もしも人生が社会というすでに確定した枠組みの中で、それが提供する常識に従って生きることだと思えば、世を渡っていく上での社会性は身につけられるかもしれません。けれども、やがて私が私であることの喜びや活力は失われていくでしょう。そこには既知はあってもワクワクするような未知の体験は排除されるからです。だからと言って社会の外にこそ自由があるのだと言いたいわけでもありません。あれかこれかの話ではないのです。

 常識が何を迷惑とし、ワガママとするかの線引きを行っています。常識をずらせばことさら他人の言動を罰しようとする気持ちは減るかもしれません。かといって、これがなかなか難しいのは、その人が生きてきた年数かけて丹念に育てた常識を捨てるのは容易ではないからです。誰かに「これまでの考え方を改めるべきだ」と言われたら、その指摘が当たっていたとしても、どこかで自分を否定された気持ちになるのではないでしょうか。

 まして、それなりに物分かりがいいほうだという自負があるにもかかわらず、人から「それは常識として古い」と言われたら、ショックだし、その先を素直に聞くのは難しくなります。そうなると、いくら「頭を柔らかくしないとバージョンアップできませんよ」と忠告してもあまり効果は期待できないでしょう。なぜなら持ち前の考えを手放さないことで得られる利点がその人にはあるからです。たとえ、それが他の人からは不合理に見えたとしてもです。

 沈み行く船に居続けるといった選択は、新たな可能性に賭けようとする人にとってはあまり賢明な判断には見えないでしょう。けれども船に留まる人にとっては、この先に待ち受けるのが死だとしても「みんなと一緒にいられる」という束の間であれ安堵感は得られるでしょう。死の恐怖よりも「みんな」という群れから外れるほうが恐るべきことだからです。

 生き死にがかかるような極端な例ではなくとも、似たような考えに基づいた判断を私たちも日常の暮らしで少なからず行っているはずです。たとえば会社で失敗の見込みが高いとみんな内心ではわかっている計画なのに、「やめましょう」の一言が言えない。言えば波風が立つ。人から嫌われる。それなら知らないふりをしていれば、いつか誰かがなんとかしてくれるかもしれないし、なんとかならなくてもみんなと一緒にグズグズの状況を共有できるという一体感は得られます。危機を脱するよりも、そこにみんなといることで安心感が得られる。これはこれで合理的です。

 なおのこと、これから問いたいのは、この合理性を成り立たせている理屈は何か? です。「これまで」と変わらない状態を「みんな」と過ごすことが何にもまして優先されるべきだとするなら、それを支えているコンセプトはなんなのでしょうか。

尹 雄大

尹 雄大
(ゆん・うんで)

1970年4月16日生まれ。フリーランサーのインタビュアー&ライター。これまでに学術研究者や文化人、アーティスト、アスリート、政治家など、約1000人にインタビューをおこなう。著書に『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)、『やわらかな言葉と体のレッスン』(春秋社)、『FLOW 韓氏意拳の哲学』(晶文社)など。
プロフィール写真:田中良子

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